からっ風と、繭の郷の子守唄(126)
「前橋への帰り道、貞園は初めて康平の胸で甘えて眠る」

「どうどした。2階の貞ちゃんの様子は?」
「よく眠っています。可哀想だから毛布をかけ直して、また戻ってきました」
30分ほどで到着をした康平と千尋が、声を潜めたままの会話をしています。
実行犯の傷の手当は概に終わり隣室へと移され、その枕元には岡本が付き添っています。
『何かあったら何時でも連絡をしてくれ。といっても鎮静剤と睡眠薬を大量に飲ませたから、
本人は何も気がつかず、朝まで眠りこけることだろう。じゃあな、また明日来るから』と、
治療に当たった杉原医師も、そう言い残してからたったいま帰っていったばかりです。
「お茶が入った。おい岡本。お前もこっちへ来て一休みをしろよ」
俊彦が台所から居間へ戻ってきました。
声をかけられた岡本が、のそりと立ち上がり2人が小声で会話を交わしている居間へ顔を出します。
「だからよ。そっちの姉ちゃんも、いつまでもそんな怖い目で俺を睨むなよ。
事情は、さっきから何度も説明をした通りだ。
危険だからやめろと何度も説得をしんだが、本人が最後まで絶対に『やる』と言い張ったんだ。
わかったよ。あの子を危険な状態に巻き込んだのは全部、俺の責任だ。
謝るから、もういい加減でそんな怖い目で見つめるなよ。
あんたのような別嬪さんに、そんな怖い目でみられると我ながらに切なくなる。
で、・・・・ところでよう、そういうお前さんは、いったいどこの誰なんだ。
初めて見る顔だが。もしかしたら、康平のあたらしい恋人か?」
「京都から来た千尋さんで、美和子とは座ぐり糸の同期にあたるそうだ。
事情もよくわからないまま突然ここまでやって来たら、部屋の中を見れば瀕死のけが人はいるし、
あの子は、2階で死んだように寝ているわでは、事情がわからずに怒りだすのも無理はない。
紹介しておこう。今回の首謀者のこいつは極道稼業をやっている岡本という男で、
俺は蕎麦屋をしている俊彦だ。
いちおう、康平の師匠ということにはなっている」
茶碗を配り始めた俊彦が、見かねたように横から助け舟をだします。
『師匠』と聞いた瞬間、反射的に千尋が慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正しています。
「あれれ?。俺のことは軽蔑のような眼差しでしか見てくれないが、
師匠と聞いた瞬間、姿勢を正して礼儀を尽くすとは、お前さんもなかなか筋の通ったおなごだな。
やはり、そういうところは只者じゃないな。お前さんも」
「只者ではおまへんというのは、どういう意味のことでしょう?」
思わず千尋が尋ね返します。
「そうか。お前さんも美和子と同じ座ぐり糸の職人さんか。
今のご時世、座ぐり糸の仕事をして、生計を立てようなどと考えるのは並み大抵のことじゃねぇ。
それを承知の上で、わざわざ群馬までやって来て修行をしようというのだから、対したもんだ。
たしかに、後世に残しておきたい郷土の文化のひとつだ。
いや、富岡製糸場が世界遺産入りを目指している今の時期だからこそ、姉ちゃんのように、
絹の文化を後世に伝えてくれる存在は、まさに貴重だし、志にも高いものがある。
その点に感心したことがまずひとつだ。それから、師匠と聞いた瞬間に姿勢を正す心がけぶりも見事だ。
どうだい。これくらい褒めれば、俺様への機嫌も直してくれるかな?」
「はい。事情も知らんと、たいへん失礼をいたしました」、目を細めて千尋が笑いはじめます。
「そうこなくちゃ!。やっぱり美人は笑うのに限る。
2階で寝ている姉ちゃんも美人だが、お前さんは、それ以上の別嬪さんだ。
そう言えば、康平の初恋の相手の美和子もかなりの美人だった。
康平の周りには美人ばかりが集まってくるようだが、なにか集める秘訣でもあるのかな。
もしかしたらこの野郎は、目写りばかりしているから、いつまで経っても嫁が決まらないのかもしれねぇ。
う~ん。となると、モテすぎるというのもやっぱり考えものだな。あっはっは!』
「いつの間にかすっかりと賑やかです。あら、千尋さんまできてくれたの。嬉しい」
2階から、毛布をまとったままの貞園が降りてきました。
こころなし頬が青白いようにも見えますが、寝起きの本人は元気を装っています。
「すこし寒気を感じるの。このまま毛布を借りていってもいいかしら。
帰ろう康平。なんだかとっても眠いの。オジサマ達にはこのまま失礼をして、家に帰って眠りたい」
ふらりとする貞園を、あわてて千尋が支えます。
慌てて立ち上がる岡本を、貞園が柔らかい笑顔で押しとどめます。
「大丈夫です、おじさま。
お約束の頬へのキスですが、私がもう少し元気になるまで『お預け』でもいいかしら?
俊彦さん。いろいろとお気遣いをいただき、ありがとうございました。
2部式の着物も、またその時に物色をさせてください。
元気になったらまた、お2人にお会いするために、お礼かたがた桐生へ遊びに来ます。
この作務衣を拝借したまま、今日はこれで失礼します」
「おう。そうしろ。いいから、いいから、もう余計な神経を使うんじゃねぇ。
頼んだぜ、康平。姉ちゃんを大事に前橋まで送り届けたやってくれ。
世話になったなぁ、姉ちゃん。あんたは堅気にしておくのはもったいないほどの器量をもっている。
俺がもう少し若けりゃ、無理やりにでも口説きに行くんだが、残念ながらこの歳だ。
ありがとうな。気いつけて、けえれよ」※上州弁では、帰る→『けえる』と表現します※
織物の街・桐生市から県都の前橋市までは、車で約40分。
赤城山の南に広がる山麓を、東から西に向かって横断するように走り抜けます。
長い裾野を引く赤城山の正面は前橋市から見たもので、桐生市から見ることのできる、
いくつもの尾根が横へ連なった形の山容は、実は、真横を向いた形です。
千尋の軽自動車は後部座席に毛布に包まれている貞園を載せて、夜の国道をひた走ります。
無言の康平は、前方を見据えたままハンドルを握り続けています。
助手席に座った千尋も、少しの時間が経過をするたびに、ひんぱんにルームミラーへ目を走らせます。
貞園がちょっとした身動きを見せるたびに、いちいち後部座席を振り返ります。
ひと時たりとも、貞園の様子から観察の目を離しません。
貞園が大きく寝返りをみせたとき、助手席から身体を乗り出して見守っていた千尋が、
『停めて』と、運転席の康平へ小さくささやきます。
「康平くん。やっぱり貞ちゃんの様子が、ちょいと変。
たぶん必死で、持病の過呼吸症の発作と戦っとる最中だと思う。
運転を代わりますから、康平くんは後部座席へ移って貞ちゃんをみておくない。
過呼吸は努力次第で、自分でコントロールが出来る病気だそうどす。
おそらく貞ちゃんはいま、その瀬戸際で、必死になって頑張っとるんだと思うて。
お願いそやし、貞ちゃんを支えて励ましてやって。
いまの貞ちゃんに一番必要なのは、たぶん、ウチじゃなくて康平くんだと思う。
あれほどまでにあんたを慕っとるのに、なにひとつしてあげない男なんて、
あんたも、ずいぶんと残酷すぎます。
貞ちゃんの内ねぎに秘めた気持ちには、あたしもちゃんと気がついています。
でも、今日だけは話は別。今日だけは、やきもちなんか絶対に妬きません。
そやしあんたも安心をして、後部座席へ移ってちょうだい」
後部座席へ移った康平が、眠っている貞園の上半身を抱き起こします。
熱がこもっているせいか、火照り続けている貞園の頬が康平の胸に初めて触れてきます。
汗で濡れて乱れている前髪を、康平が指で、そっとかきあげます。
毛布を巻きつけている貞園の上半身からの火照りは、康平の手のひらにも伝わってきます。
形の良い胸のふくらみは、不規則なままに上下動を繰り返しています。
半分ほど開いたままの貞園の唇からは、熱い吐息が、とぎれとぎれに漏れ続けています。
「はい、タオル。これで、ちゃんと貞ちゃんの汗を綺麗に拭いてあげて。
風邪をひかせへんために、恥ずかしがらんとちゃんと拭いてあげるのよ、手をぬいちゃあかん。」
タオルを受け取った康平が貞園の頬に浮かぶ汗を、ひとつずつ抑えていきます。
『ここも・・・・』と康平の耳元で、小さくささやいた貞園が、作務衣の首筋を少し開けます。
貞園の白い首筋にキラリと汗が光っているのが、康平からもよく見えます。
『起きているのかよ、お前』と康平が小声で聞けば、秘密めかした小さな声で、
『いいえ。私はまだ眠ったままです。でもこの手が勝手に動いて、作務衣の襟を開けました』
いいから拭いて頂戴よと、さらに貞園が耳元で甘えています。
『千尋の公認だもの。いいから拭きなさい、風邪をひいちゃいます。うふ』と、
妖艶な笑みさえみせています。

・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「前橋への帰り道、貞園は初めて康平の胸で甘えて眠る」

「どうどした。2階の貞ちゃんの様子は?」
「よく眠っています。可哀想だから毛布をかけ直して、また戻ってきました」
30分ほどで到着をした康平と千尋が、声を潜めたままの会話をしています。
実行犯の傷の手当は概に終わり隣室へと移され、その枕元には岡本が付き添っています。
『何かあったら何時でも連絡をしてくれ。といっても鎮静剤と睡眠薬を大量に飲ませたから、
本人は何も気がつかず、朝まで眠りこけることだろう。じゃあな、また明日来るから』と、
治療に当たった杉原医師も、そう言い残してからたったいま帰っていったばかりです。
「お茶が入った。おい岡本。お前もこっちへ来て一休みをしろよ」
俊彦が台所から居間へ戻ってきました。
声をかけられた岡本が、のそりと立ち上がり2人が小声で会話を交わしている居間へ顔を出します。
「だからよ。そっちの姉ちゃんも、いつまでもそんな怖い目で俺を睨むなよ。
事情は、さっきから何度も説明をした通りだ。
危険だからやめろと何度も説得をしんだが、本人が最後まで絶対に『やる』と言い張ったんだ。
わかったよ。あの子を危険な状態に巻き込んだのは全部、俺の責任だ。
謝るから、もういい加減でそんな怖い目で見つめるなよ。
あんたのような別嬪さんに、そんな怖い目でみられると我ながらに切なくなる。
で、・・・・ところでよう、そういうお前さんは、いったいどこの誰なんだ。
初めて見る顔だが。もしかしたら、康平のあたらしい恋人か?」
「京都から来た千尋さんで、美和子とは座ぐり糸の同期にあたるそうだ。
事情もよくわからないまま突然ここまでやって来たら、部屋の中を見れば瀕死のけが人はいるし、
あの子は、2階で死んだように寝ているわでは、事情がわからずに怒りだすのも無理はない。
紹介しておこう。今回の首謀者のこいつは極道稼業をやっている岡本という男で、
俺は蕎麦屋をしている俊彦だ。
いちおう、康平の師匠ということにはなっている」
茶碗を配り始めた俊彦が、見かねたように横から助け舟をだします。
『師匠』と聞いた瞬間、反射的に千尋が慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正しています。
「あれれ?。俺のことは軽蔑のような眼差しでしか見てくれないが、
師匠と聞いた瞬間、姿勢を正して礼儀を尽くすとは、お前さんもなかなか筋の通ったおなごだな。
やはり、そういうところは只者じゃないな。お前さんも」
「只者ではおまへんというのは、どういう意味のことでしょう?」
思わず千尋が尋ね返します。
「そうか。お前さんも美和子と同じ座ぐり糸の職人さんか。
今のご時世、座ぐり糸の仕事をして、生計を立てようなどと考えるのは並み大抵のことじゃねぇ。
それを承知の上で、わざわざ群馬までやって来て修行をしようというのだから、対したもんだ。
たしかに、後世に残しておきたい郷土の文化のひとつだ。
いや、富岡製糸場が世界遺産入りを目指している今の時期だからこそ、姉ちゃんのように、
絹の文化を後世に伝えてくれる存在は、まさに貴重だし、志にも高いものがある。
その点に感心したことがまずひとつだ。それから、師匠と聞いた瞬間に姿勢を正す心がけぶりも見事だ。
どうだい。これくらい褒めれば、俺様への機嫌も直してくれるかな?」
「はい。事情も知らんと、たいへん失礼をいたしました」、目を細めて千尋が笑いはじめます。
「そうこなくちゃ!。やっぱり美人は笑うのに限る。
2階で寝ている姉ちゃんも美人だが、お前さんは、それ以上の別嬪さんだ。
そう言えば、康平の初恋の相手の美和子もかなりの美人だった。
康平の周りには美人ばかりが集まってくるようだが、なにか集める秘訣でもあるのかな。
もしかしたらこの野郎は、目写りばかりしているから、いつまで経っても嫁が決まらないのかもしれねぇ。
う~ん。となると、モテすぎるというのもやっぱり考えものだな。あっはっは!』
「いつの間にかすっかりと賑やかです。あら、千尋さんまできてくれたの。嬉しい」
2階から、毛布をまとったままの貞園が降りてきました。
こころなし頬が青白いようにも見えますが、寝起きの本人は元気を装っています。
「すこし寒気を感じるの。このまま毛布を借りていってもいいかしら。
帰ろう康平。なんだかとっても眠いの。オジサマ達にはこのまま失礼をして、家に帰って眠りたい」
ふらりとする貞園を、あわてて千尋が支えます。
慌てて立ち上がる岡本を、貞園が柔らかい笑顔で押しとどめます。
「大丈夫です、おじさま。
お約束の頬へのキスですが、私がもう少し元気になるまで『お預け』でもいいかしら?
俊彦さん。いろいろとお気遣いをいただき、ありがとうございました。
2部式の着物も、またその時に物色をさせてください。
元気になったらまた、お2人にお会いするために、お礼かたがた桐生へ遊びに来ます。
この作務衣を拝借したまま、今日はこれで失礼します」
「おう。そうしろ。いいから、いいから、もう余計な神経を使うんじゃねぇ。
頼んだぜ、康平。姉ちゃんを大事に前橋まで送り届けたやってくれ。
世話になったなぁ、姉ちゃん。あんたは堅気にしておくのはもったいないほどの器量をもっている。
俺がもう少し若けりゃ、無理やりにでも口説きに行くんだが、残念ながらこの歳だ。
ありがとうな。気いつけて、けえれよ」※上州弁では、帰る→『けえる』と表現します※
織物の街・桐生市から県都の前橋市までは、車で約40分。
赤城山の南に広がる山麓を、東から西に向かって横断するように走り抜けます。
長い裾野を引く赤城山の正面は前橋市から見たもので、桐生市から見ることのできる、
いくつもの尾根が横へ連なった形の山容は、実は、真横を向いた形です。
千尋の軽自動車は後部座席に毛布に包まれている貞園を載せて、夜の国道をひた走ります。
無言の康平は、前方を見据えたままハンドルを握り続けています。
助手席に座った千尋も、少しの時間が経過をするたびに、ひんぱんにルームミラーへ目を走らせます。
貞園がちょっとした身動きを見せるたびに、いちいち後部座席を振り返ります。
ひと時たりとも、貞園の様子から観察の目を離しません。
貞園が大きく寝返りをみせたとき、助手席から身体を乗り出して見守っていた千尋が、
『停めて』と、運転席の康平へ小さくささやきます。
「康平くん。やっぱり貞ちゃんの様子が、ちょいと変。
たぶん必死で、持病の過呼吸症の発作と戦っとる最中だと思う。
運転を代わりますから、康平くんは後部座席へ移って貞ちゃんをみておくない。
過呼吸は努力次第で、自分でコントロールが出来る病気だそうどす。
おそらく貞ちゃんはいま、その瀬戸際で、必死になって頑張っとるんだと思うて。
お願いそやし、貞ちゃんを支えて励ましてやって。
いまの貞ちゃんに一番必要なのは、たぶん、ウチじゃなくて康平くんだと思う。
あれほどまでにあんたを慕っとるのに、なにひとつしてあげない男なんて、
あんたも、ずいぶんと残酷すぎます。
貞ちゃんの内ねぎに秘めた気持ちには、あたしもちゃんと気がついています。
でも、今日だけは話は別。今日だけは、やきもちなんか絶対に妬きません。
そやしあんたも安心をして、後部座席へ移ってちょうだい」
後部座席へ移った康平が、眠っている貞園の上半身を抱き起こします。
熱がこもっているせいか、火照り続けている貞園の頬が康平の胸に初めて触れてきます。
汗で濡れて乱れている前髪を、康平が指で、そっとかきあげます。
毛布を巻きつけている貞園の上半身からの火照りは、康平の手のひらにも伝わってきます。
形の良い胸のふくらみは、不規則なままに上下動を繰り返しています。
半分ほど開いたままの貞園の唇からは、熱い吐息が、とぎれとぎれに漏れ続けています。
「はい、タオル。これで、ちゃんと貞ちゃんの汗を綺麗に拭いてあげて。
風邪をひかせへんために、恥ずかしがらんとちゃんと拭いてあげるのよ、手をぬいちゃあかん。」
タオルを受け取った康平が貞園の頬に浮かぶ汗を、ひとつずつ抑えていきます。
『ここも・・・・』と康平の耳元で、小さくささやいた貞園が、作務衣の首筋を少し開けます。
貞園の白い首筋にキラリと汗が光っているのが、康平からもよく見えます。
『起きているのかよ、お前』と康平が小声で聞けば、秘密めかした小さな声で、
『いいえ。私はまだ眠ったままです。でもこの手が勝手に動いて、作務衣の襟を開けました』
いいから拭いて頂戴よと、さらに貞園が耳元で甘えています。
『千尋の公認だもの。いいから拭きなさい、風邪をひいちゃいます。うふ』と、
妖艶な笑みさえみせています。

・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます