東京電力集金人 (92)呼び出しの電話

最初に鳴ったのは、るみのスマートフォンだった。
液晶画面を覗いたるみが、「あら、もう着いたのかしら」と、にっこりと笑って電話に出る。
「もう着いた?」何のことだといぶかっていたら、今度は俺の携帯が鳴った。
誰からだと画面を覗いたが表示されている番号に、まったく心当たりがない。
出ようかどうか戸惑っていたら、「大丈夫。出なさいよ早く」とるみが催促をする。
電話の相手が誰だか、るみはすでに察知しているようだ。
「おう、俺だ。どうだ、元気にしているか、2人とも」
聞こえてきたのは、岡本組長のだみ声だ。
「俺たちは外で夕食を済ませてきた。女どもは温泉に入りたいからとるみを誘っている。
杉原の奴は松島の夜景が見たいからと、かみさんと2人で街に出ていった。
ということで、俺はいま、たったひとりでバーに残された。
すぐに降りて来い。場所は地下のバーラウンジだ」
地下のバーラウンジ?。どういうことだ一体、と思わず首をひねる。
るみは、「そういうことですから、私はお母さんたちと温泉へ行ってきます」と浴衣を
抱え、いそいそと部屋から出て行ってしまう。
おふくろも一緒なのかと驚いていると、岡本組長からふたたび催促の電話がかかってきた。
「この野郎。いつまでも愚図愚図するんじゃねぇ。
俺もひとりだが、今頃はるみちゃんに出ていかれて、お前さんもひとりのはずだ。
いい大人をいつまでも待たせるんじゃねぇ、いいからとっとと覚悟を決めて降りて来い」
もう酔っているのだろう。いつも以上に岡本組長の語気が荒い。
リニューアルが終わったばかりのホテルの地下には、あきらかに中高年層を意識した
ちょっとおしゃれなバーラウンジが有る。
バーと言うよりも、昭和の時代に流行ったスナックの豪華版と言う雰囲気が漂っている。
大きなステージがデンと正面に有り、本格的なダンス衣装に身を固めた中高年のカップルたちが、
曲に合わせて、優雅に社交ダンスを披露している。
「なぜ此処に居るのですか、岡本さんたちが。
いまごろは佐渡で、水入らずの大宴会をする予定と聞いた覚えが有りますが」
「まぁ、そう言うな。途中でたんに予定が変更になっただけだ。
旅と言うものは、目的地に着くだけがすべてじゃない。
いや、そうでもないな。
関越道を使って新潟港までは走ったから、あながち変更という訳でもない。
磐越高速に乗り込んで、郡山から東北道を経由して、仙台まで足を伸ばしただけの話だ。
佐渡へ行くか、松島へ行くかで、少々目的地が変っただけだ」
「どこが、少しばかりの変更ですか。
今頃は佐渡で日本海の海の幸を満喫しているはずのみなさんが、太平洋側に居るんですよ。
だいいち、俺たちがホテル壮観に泊まっていることが、よくわかりましたねぇ」
「お前たちのことは、ココセコムと言う盗難対策GPS装置のおかげで、すべてお見通しだ。
ココセコムという装置を車に搭載しておけば、たとえ盗難に遭った場合でも、
車の現在地が、パソコンや携帯電話などから一発でわかる。
お前さんたちの車に装備されているのは、車のバッテリーから直接電力をとる
車両取付タイプというやつで充電の手間がかからない、優れものだ」
「ということは群馬を出発したときから、俺たちの動きはずっと、
おじさんたちに、監視されていたということになりますねぇ。まったくぅ・・・
大人げないですねぇ、オジサンたちも、やることが」
「大人げないのは俺じゃねぇ。おふくろさんの民だ。
強がりを言っていたくせに、いざとなったら息子のことが心配でしょうがねぇ。
新潟港に到着したあたりから、心配でしょうがないを、ひっきりなしに連発する。
そんなに心配なら自分の目で確かめたらいいだろう、と言う話になった。
そんな訳で急遽行く先を軽く変更して、松島で落ち合うことを決めたんだ」
「ということは松島に着く前から、るみも知っていたということになりますねぇ」
「おう。ラインでメールを送っておいたから、浪江に着く前にすでに見ていたはずだ。
便利になったもんだよな。
位置はGPSで一発で把握できるし、そのうえラインで送るメールは無料だ。
なんだ。本当に何も知らなかったのか、お前さんは?」
「ということは、るみは此処へ来る前から、すべてを知っていたことになりますね。
道理で松島まで行こうなんて、突然言い出すわけだ」
「ここだけの話だ。実はな、お前さんたちが警戒区域に入った瞬間から、
何故か突然、航跡をしめすGPSの動きが不安定になった。
それを見ていたおふくろさんが、急に不安を覚えて、狼狽え始めたんだ」
それなら、俺にも心当たりが有る。
車が警戒区域に突入した瞬間から、それまで順調だったカーナビが急に不安定に変った。
地図データーが最新のものに更新されていないことが原因かもしれない、と考えたが
どうやら不安定になったのは、それだけではなさそうだ。
事故を起こした福島第一原発は、名前だけがポツンと表示されている。
だが広大な広さを誇る敷地は、グレーゾーンのまま一切、画面に表示されていない。
「地上に存在しない場所として、警戒区域内が扱われている・・・」
はじめてそのことに気がついた瞬間、何故か俺の背中が、ぞくりと震えたのを、
いまでもはっきりと覚えている・・・
(93)へつづく
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最初に鳴ったのは、るみのスマートフォンだった。
液晶画面を覗いたるみが、「あら、もう着いたのかしら」と、にっこりと笑って電話に出る。
「もう着いた?」何のことだといぶかっていたら、今度は俺の携帯が鳴った。
誰からだと画面を覗いたが表示されている番号に、まったく心当たりがない。
出ようかどうか戸惑っていたら、「大丈夫。出なさいよ早く」とるみが催促をする。
電話の相手が誰だか、るみはすでに察知しているようだ。
「おう、俺だ。どうだ、元気にしているか、2人とも」
聞こえてきたのは、岡本組長のだみ声だ。
「俺たちは外で夕食を済ませてきた。女どもは温泉に入りたいからとるみを誘っている。
杉原の奴は松島の夜景が見たいからと、かみさんと2人で街に出ていった。
ということで、俺はいま、たったひとりでバーに残された。
すぐに降りて来い。場所は地下のバーラウンジだ」
地下のバーラウンジ?。どういうことだ一体、と思わず首をひねる。
るみは、「そういうことですから、私はお母さんたちと温泉へ行ってきます」と浴衣を
抱え、いそいそと部屋から出て行ってしまう。
おふくろも一緒なのかと驚いていると、岡本組長からふたたび催促の電話がかかってきた。
「この野郎。いつまでも愚図愚図するんじゃねぇ。
俺もひとりだが、今頃はるみちゃんに出ていかれて、お前さんもひとりのはずだ。
いい大人をいつまでも待たせるんじゃねぇ、いいからとっとと覚悟を決めて降りて来い」
もう酔っているのだろう。いつも以上に岡本組長の語気が荒い。
リニューアルが終わったばかりのホテルの地下には、あきらかに中高年層を意識した
ちょっとおしゃれなバーラウンジが有る。
バーと言うよりも、昭和の時代に流行ったスナックの豪華版と言う雰囲気が漂っている。
大きなステージがデンと正面に有り、本格的なダンス衣装に身を固めた中高年のカップルたちが、
曲に合わせて、優雅に社交ダンスを披露している。
「なぜ此処に居るのですか、岡本さんたちが。
いまごろは佐渡で、水入らずの大宴会をする予定と聞いた覚えが有りますが」
「まぁ、そう言うな。途中でたんに予定が変更になっただけだ。
旅と言うものは、目的地に着くだけがすべてじゃない。
いや、そうでもないな。
関越道を使って新潟港までは走ったから、あながち変更という訳でもない。
磐越高速に乗り込んで、郡山から東北道を経由して、仙台まで足を伸ばしただけの話だ。
佐渡へ行くか、松島へ行くかで、少々目的地が変っただけだ」
「どこが、少しばかりの変更ですか。
今頃は佐渡で日本海の海の幸を満喫しているはずのみなさんが、太平洋側に居るんですよ。
だいいち、俺たちがホテル壮観に泊まっていることが、よくわかりましたねぇ」
「お前たちのことは、ココセコムと言う盗難対策GPS装置のおかげで、すべてお見通しだ。
ココセコムという装置を車に搭載しておけば、たとえ盗難に遭った場合でも、
車の現在地が、パソコンや携帯電話などから一発でわかる。
お前さんたちの車に装備されているのは、車のバッテリーから直接電力をとる
車両取付タイプというやつで充電の手間がかからない、優れものだ」
「ということは群馬を出発したときから、俺たちの動きはずっと、
おじさんたちに、監視されていたということになりますねぇ。まったくぅ・・・
大人げないですねぇ、オジサンたちも、やることが」
「大人げないのは俺じゃねぇ。おふくろさんの民だ。
強がりを言っていたくせに、いざとなったら息子のことが心配でしょうがねぇ。
新潟港に到着したあたりから、心配でしょうがないを、ひっきりなしに連発する。
そんなに心配なら自分の目で確かめたらいいだろう、と言う話になった。
そんな訳で急遽行く先を軽く変更して、松島で落ち合うことを決めたんだ」
「ということは松島に着く前から、るみも知っていたということになりますねぇ」
「おう。ラインでメールを送っておいたから、浪江に着く前にすでに見ていたはずだ。
便利になったもんだよな。
位置はGPSで一発で把握できるし、そのうえラインで送るメールは無料だ。
なんだ。本当に何も知らなかったのか、お前さんは?」
「ということは、るみは此処へ来る前から、すべてを知っていたことになりますね。
道理で松島まで行こうなんて、突然言い出すわけだ」
「ここだけの話だ。実はな、お前さんたちが警戒区域に入った瞬間から、
何故か突然、航跡をしめすGPSの動きが不安定になった。
それを見ていたおふくろさんが、急に不安を覚えて、狼狽え始めたんだ」
それなら、俺にも心当たりが有る。
車が警戒区域に突入した瞬間から、それまで順調だったカーナビが急に不安定に変った。
地図データーが最新のものに更新されていないことが原因かもしれない、と考えたが
どうやら不安定になったのは、それだけではなさそうだ。
事故を起こした福島第一原発は、名前だけがポツンと表示されている。
だが広大な広さを誇る敷地は、グレーゾーンのまま一切、画面に表示されていない。
「地上に存在しない場所として、警戒区域内が扱われている・・・」
はじめてそのことに気がついた瞬間、何故か俺の背中が、ぞくりと震えたのを、
いまでもはっきりと覚えている・・・
(93)へつづく
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