東京電力集金人 (93)親父のオン・ザ・ロック
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/40/05aab29f3015d2d47162ccc7b7703d9c.jpg)
まぁ呑めと、岡本組長がオン・ザ・ロックを作ってくれた。
オン・ザ・ロックは、氷を入れたグラスにウィスキーを注いだだけの飲み物だ。
アルコール度数の高い酒を飲むための、ちょっとした工夫だ。
氷が徐々に溶けるにつれて、味も風味も少しずつだが変化をしていく。
それを舌で楽しみのが醍醐味だ。ただし、あまりゆっくり飲んでいると氷が溶けすぎてしまう。
ただの水割りになってしまうので、注意が必要になる。
亡くなった親父が大好きだった、ウイスキーの飲み方だ。
「こうやって、お前の親父と良く飲んだもんだ」
カラカラと氷を鳴らして、岡本組長が目を細める。
「男には節目の時期がある。
お前は今、ちょうどその時期にあたるようだ。
たった一日とはいえ、被災地の様子を見てきたお前さんのいまの顔を見て、俺も安堵した。
ちょっと見ない間に、良い顔になったじゃないか。
集金員をしているときの腑抜けた顔とは、まったく別人の顔だ。
と言うことはお前。次にとるべき行動をちゃんとわかっているんだろうな。
お袋の民はお前さんのことが心配でここまで飛んできたが、俺は別の目的で此処まで来た。
被災地の様子を見て、お前さんの顔がどう変わったのか、それを確認しに来たんだ。
目的地の変更にあっさりと同意した杉原医師も、きっと同じ思いでいるだろう。
いいね今のお前は。そういうのをまさに、男の顔というんだぜ」
意味が分からまいまま俺は、オン・ザ・ロックをゆっくりと胃の中に流し込んだ。
何が変わったのか、自分ではまったく気が付いていない。
これから先のるみを守るために、俺が変らなければという決意だけは強くなってきた。
だが岡本組長が言うように、この先で何をすべきかが、はっきりと見えているわけじゃない。
ポカンとしている俺の顔を見て、岡本組長が大きな声を出して笑った。
「馬鹿野郎。たった一日、被災地の様子を見てきただけで生き方が変わってたまるもんか。
俺が言いたいのは、そういう意味じゃねぇ。
愛する女のために、一生かけてそばに居てやろうという決意が、固まっただろうという意味だ。
どうだ、図星だろう。るみのためにこの東北に住んでもいいと考えはじめているだろう。
いまのお前は」
「はい。るみのためにそうすることが一番だろうと、考え始めています。
何が出来るのかはまだ見えませんが、ここへ来てそういう思いが一層強くなりました」
「それでいいんだ。やるべきことはそのうちに少しづつ見えてくる。
それに対して正直に生きることが肝心だ。
男の顔ってやつは、そういう風にしながら徐々に出来上がっていくものだ。
お前の顏には今、そんな決意がみなぎっている。
その顔を、まもなく風呂から戻ってくるおふくろさんに見せてやれ。
そいつを確認したら俺たちは、明日の朝もう一度、佐渡に向かって出発をする」
「佐渡へ向かって出発をする」と言う岡本組長の言葉に、思わず俺は自分の耳を疑った。
「お前さんとるみちゃんの無事な姿と元気な顔が確認できれば、俺たちは満足だ。
そういうわけだから、明日の朝、早めに此処を出る。
なに。佐渡へ渡るのが一日延びたと考えれば、どうってことはないさ。
そういうわけだ。とりあえず、たっぷりと飲め。親父が大好きだったオン・ザ・ロックだ」
と、組長が満足そうに微笑みを浮かべる。
ひとつ聞いてもいいですかと口にしかけた時、バーラウンジの入り口あたりが
がやがやと賑やかになった。
風呂上がりの女たちが、浴衣姿のまま俺たちの席を目で探していた。
おまけに、女たちの背後には、松島の夜景を楽しんでいたはずの杉原夫妻までが現れた。
騒ぎに気がついた岡本組長が、「おう」と仲間に向かって片手を上げる。
「男同士の会話は終わりましたか」とるみが笑顔で、真っ先に駆け寄ってきた。
「おう、おかげさんでな。どうだ、喉が渇いただろう、一杯飲むか?」
いつの間に用意したのだろうか、新しいグラスにオン・ザ・ロックの液体が揺れている。
「待て待て。子供にオン・ザ・ロックは強すぎる。飲ませるのなら焼酎の果実割りにしろ。
こいつは、俺が責任をもって飲む」と、杉原医師が横からグラスを奪い取る。
戻って来た一団が、俺と岡本組長を取り囲むように腰を下ろす。
カラオケに合わせ、社交ダンスを披露している中高年のカップルがいつの間にか増えている。
この日のために新調したのだろうか、派手なダンスウェアが舞台上に溢れている。
どうやらここでは舞台でカラオケを歌うのは脇役で、ダンスを披露する人たちのほうが
主役として扱われているようだ。
ともあれ、岡本夫妻と杉原夫妻。るみとおふくろを含めた一団が、「カンパ~イ」という
大きな声を何回も上げて、深夜まで酒を飲んだことは言うまでもない。
(94)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
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まぁ呑めと、岡本組長がオン・ザ・ロックを作ってくれた。
オン・ザ・ロックは、氷を入れたグラスにウィスキーを注いだだけの飲み物だ。
アルコール度数の高い酒を飲むための、ちょっとした工夫だ。
氷が徐々に溶けるにつれて、味も風味も少しずつだが変化をしていく。
それを舌で楽しみのが醍醐味だ。ただし、あまりゆっくり飲んでいると氷が溶けすぎてしまう。
ただの水割りになってしまうので、注意が必要になる。
亡くなった親父が大好きだった、ウイスキーの飲み方だ。
「こうやって、お前の親父と良く飲んだもんだ」
カラカラと氷を鳴らして、岡本組長が目を細める。
「男には節目の時期がある。
お前は今、ちょうどその時期にあたるようだ。
たった一日とはいえ、被災地の様子を見てきたお前さんのいまの顔を見て、俺も安堵した。
ちょっと見ない間に、良い顔になったじゃないか。
集金員をしているときの腑抜けた顔とは、まったく別人の顔だ。
と言うことはお前。次にとるべき行動をちゃんとわかっているんだろうな。
お袋の民はお前さんのことが心配でここまで飛んできたが、俺は別の目的で此処まで来た。
被災地の様子を見て、お前さんの顔がどう変わったのか、それを確認しに来たんだ。
目的地の変更にあっさりと同意した杉原医師も、きっと同じ思いでいるだろう。
いいね今のお前は。そういうのをまさに、男の顔というんだぜ」
意味が分からまいまま俺は、オン・ザ・ロックをゆっくりと胃の中に流し込んだ。
何が変わったのか、自分ではまったく気が付いていない。
これから先のるみを守るために、俺が変らなければという決意だけは強くなってきた。
だが岡本組長が言うように、この先で何をすべきかが、はっきりと見えているわけじゃない。
ポカンとしている俺の顔を見て、岡本組長が大きな声を出して笑った。
「馬鹿野郎。たった一日、被災地の様子を見てきただけで生き方が変わってたまるもんか。
俺が言いたいのは、そういう意味じゃねぇ。
愛する女のために、一生かけてそばに居てやろうという決意が、固まっただろうという意味だ。
どうだ、図星だろう。るみのためにこの東北に住んでもいいと考えはじめているだろう。
いまのお前は」
「はい。るみのためにそうすることが一番だろうと、考え始めています。
何が出来るのかはまだ見えませんが、ここへ来てそういう思いが一層強くなりました」
「それでいいんだ。やるべきことはそのうちに少しづつ見えてくる。
それに対して正直に生きることが肝心だ。
男の顔ってやつは、そういう風にしながら徐々に出来上がっていくものだ。
お前の顏には今、そんな決意がみなぎっている。
その顔を、まもなく風呂から戻ってくるおふくろさんに見せてやれ。
そいつを確認したら俺たちは、明日の朝もう一度、佐渡に向かって出発をする」
「佐渡へ向かって出発をする」と言う岡本組長の言葉に、思わず俺は自分の耳を疑った。
「お前さんとるみちゃんの無事な姿と元気な顔が確認できれば、俺たちは満足だ。
そういうわけだから、明日の朝、早めに此処を出る。
なに。佐渡へ渡るのが一日延びたと考えれば、どうってことはないさ。
そういうわけだ。とりあえず、たっぷりと飲め。親父が大好きだったオン・ザ・ロックだ」
と、組長が満足そうに微笑みを浮かべる。
ひとつ聞いてもいいですかと口にしかけた時、バーラウンジの入り口あたりが
がやがやと賑やかになった。
風呂上がりの女たちが、浴衣姿のまま俺たちの席を目で探していた。
おまけに、女たちの背後には、松島の夜景を楽しんでいたはずの杉原夫妻までが現れた。
騒ぎに気がついた岡本組長が、「おう」と仲間に向かって片手を上げる。
「男同士の会話は終わりましたか」とるみが笑顔で、真っ先に駆け寄ってきた。
「おう、おかげさんでな。どうだ、喉が渇いただろう、一杯飲むか?」
いつの間に用意したのだろうか、新しいグラスにオン・ザ・ロックの液体が揺れている。
「待て待て。子供にオン・ザ・ロックは強すぎる。飲ませるのなら焼酎の果実割りにしろ。
こいつは、俺が責任をもって飲む」と、杉原医師が横からグラスを奪い取る。
戻って来た一団が、俺と岡本組長を取り囲むように腰を下ろす。
カラオケに合わせ、社交ダンスを披露している中高年のカップルがいつの間にか増えている。
この日のために新調したのだろうか、派手なダンスウェアが舞台上に溢れている。
どうやらここでは舞台でカラオケを歌うのは脇役で、ダンスを披露する人たちのほうが
主役として扱われているようだ。
ともあれ、岡本夫妻と杉原夫妻。るみとおふくろを含めた一団が、「カンパ~イ」という
大きな声を何回も上げて、深夜まで酒を飲んだことは言うまでもない。
(94)へつづく
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