東京電力集金人 (最終話)俺たちの明日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f8/789620aa2f17d78ca643f6d667f64b37.jpg)
人材派遣業に首を突っ込む展開になるとは、まったく考えてもいなかった事態だ。
だが、俺が次に進むべき道として、もうはっきり腹を決めた。
そしてもう一つ。るみを月の輪酒造の美人女将のもとへ連れていく必要があると
本気で考えている。
高校を卒業したばかりのるみは、自分の将来の姿を、月の輪酒造の女将の中に見た。
だが憧れを現実に変え、月の輪酒造へ就職したるみの夢はわずか1年足らずで破たんした。
壊滅的な被害を受けた月の輪酒造は、いまは浪江町とはまったく別の地で、
仮寝の酒蔵ながら、最初の復活を果たしている。
るみがあらためてスタートするための起点は、山形の地で復活ののろしをあげた
月の輪酒造だろうと俺は考えている。
だがそうなると俺たちは、当分の間を離れ離れで暮らすことになる。
月の輪酒造がある長井市は、山形県の南部にある小さな街だ。
市の北西端には大朝日岳があり、西半分ほどの面積を朝日岳の山地が占めている。
東部にある盆地は長井盆地と呼ばれている。
長井市の市街地のほとんどがこの盆地の中に広がっている。
市の東から流れだす最上川に、飯豊山地から北上する白川と朝日山地から東進する
野川が合流し、水量を増しながら市街地を北へ流れていく。
気候は盆地のため、寒暖差が激しく、降雪量はすこぶる多いと聞く。
月の輪酒造がある朝日岳の麓から、これから仕事場になる岡本組長の事務所までは、
直線にしておよそ200キロ以上離れている。
俺たちが次の生き方を選択した瞬間から、200キロの遠距離を覚悟することになる。
るみも、そのことをすでに察知しているのだろうか。
俺たちは無言のまま、ホテルのモーニングを口にした。
「ねぇ。もう一日だけ、ゆっくり松島の観光をしようょ」
着替えを終えたるみが、笑顔で俺に近づいてきた。
「別に構わないよ。でも、君は本当にそれでいいの?」と問いかえすと、
「うん」と首を縦に振る。
ホテルを出て、湾まで下っていくと、たくさんの遊覧船の案内看板が立ち並んでいる。
「東国から旅をした有名な人と言えば、歌人の松尾芭蕉でしょ。
その芭蕉にちなんで小島の周辺をゆるりとめぐる、芭蕉コースの小さな遊覧船があるの。
小さいから、ほかの観光船が近寄れない穴場も巡るそうです。
ねぇ。いいでしょう、芭蕉といっしょに旅しても」
ナビの検索を終えたるみが、ほどなく見えてきた小さな船と看板を指さす。
芭蕉コースの遊覧船は、まじかで島を見るために水深2メートルほどの浅瀬を進んでいく。
濃緑色の海に白い岩肌と松の緑が映える景色は、盆景そのままだ。
盆景(ぼんけい)というのは、お盆の上に土や砂や石、苔や草木などを配置して
自然の景観をつくり、それを鑑賞する中国や日本の伝統芸術のことだ。
松島湾内に浮かぶ島の数は、俗に808島といわれているが、実際には260島余り。
さまざまな表情を見せる島の間を巡りながら、俺たちは午前中の心地よい潮風に吹かれていく。
水平線を楽しみながら、追いかけてくるウミネコと、明日からのことを忘れてゆっくると戯れる
「前方に見えてきたのが、夫婦島です」と、案内する船頭の声がひときわ高くなった。
「西と東に分かれていても、心変わらぬ~めおと島」うたわれる二つの島で、
右側の高遠島を女島。左側の沖ノ遠島を男島と呼んでいます。
松島は太古の昔。松島丘陵の一部が河川浸食により、いくつもの谷になった。
地殻変動の影響でおおくが海に沈降しましたが、海面より高い部分が島として残りました。
長年にわたる年月が凝灰岩(ぎょうかいがん)の島肌を浸食し、
人工では絶対に作れない妙景や、絶景の島々を作り上げたと言われています・・・」
船頭の快調なアナウンスが流れる中、俺の耳元にるみが唇を寄せてきた。
「いいわよ。これから離れ離れに暮らしても。それが私たちの未来のはじまりだもの。
でもさ。たったひとつだけ、約束をしてくれる。
夜中に私の病気が出て、どうにもならなくなったら電話をするから、
そのときは飛んできてくれる?
それさえ約束してくれれば、私は自分の病気とたたかえる、と思います」
「おう。いつでも遠慮しないで電話しろ。
なぁに俺たちのあいだにある200キロなんか、あっという間だ。
だが、高速道路が使えない一般道ばかりだ。
電話を受けていそいで飛び出しても、着くまでに早くても3時間や4時間はかかるだろう。
そのあいだを我慢できるか、お前は。それだけの時間を」
「大丈夫。きっと我慢する。きっとあたしは耐えて見せる。
だから飛んできてよ太一。あたしのために」
「もちろんだ」とるみの肩を抱いたとき、後ろから船頭が俺たちに声をかけてきた。
「夫婦島を背景に絶好のチャンスが巡ってきたぜ。写真を撮ってあげよう、新婚さん!」
「はい」とるみが笑顔でスマートフォンを手渡す。
「ここを押せばいいんだな」と、船頭が笑顔でスマートフォンを覗き込む。
3回、4回と立て続けにシャッターを押したあと、「最高のものが撮れた!」
とるみに、自信たっぷりにスマートフォンを戻してきた。
なるほど。再生をした瞬間、夫婦島を背景に、最高級の笑顔を見せるるみがそこに居た。
「いい記念になるわね。やっぱり芭蕉は粋な人ですねぇ」と笑うるみの瞳の中に、
俺ははじめて、永遠の愛というやつの輝きを見つけた。
東京電力集金人 完 2014.8/10
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f8/789620aa2f17d78ca643f6d667f64b37.jpg)
人材派遣業に首を突っ込む展開になるとは、まったく考えてもいなかった事態だ。
だが、俺が次に進むべき道として、もうはっきり腹を決めた。
そしてもう一つ。るみを月の輪酒造の美人女将のもとへ連れていく必要があると
本気で考えている。
高校を卒業したばかりのるみは、自分の将来の姿を、月の輪酒造の女将の中に見た。
だが憧れを現実に変え、月の輪酒造へ就職したるみの夢はわずか1年足らずで破たんした。
壊滅的な被害を受けた月の輪酒造は、いまは浪江町とはまったく別の地で、
仮寝の酒蔵ながら、最初の復活を果たしている。
るみがあらためてスタートするための起点は、山形の地で復活ののろしをあげた
月の輪酒造だろうと俺は考えている。
だがそうなると俺たちは、当分の間を離れ離れで暮らすことになる。
月の輪酒造がある長井市は、山形県の南部にある小さな街だ。
市の北西端には大朝日岳があり、西半分ほどの面積を朝日岳の山地が占めている。
東部にある盆地は長井盆地と呼ばれている。
長井市の市街地のほとんどがこの盆地の中に広がっている。
市の東から流れだす最上川に、飯豊山地から北上する白川と朝日山地から東進する
野川が合流し、水量を増しながら市街地を北へ流れていく。
気候は盆地のため、寒暖差が激しく、降雪量はすこぶる多いと聞く。
月の輪酒造がある朝日岳の麓から、これから仕事場になる岡本組長の事務所までは、
直線にしておよそ200キロ以上離れている。
俺たちが次の生き方を選択した瞬間から、200キロの遠距離を覚悟することになる。
るみも、そのことをすでに察知しているのだろうか。
俺たちは無言のまま、ホテルのモーニングを口にした。
「ねぇ。もう一日だけ、ゆっくり松島の観光をしようょ」
着替えを終えたるみが、笑顔で俺に近づいてきた。
「別に構わないよ。でも、君は本当にそれでいいの?」と問いかえすと、
「うん」と首を縦に振る。
ホテルを出て、湾まで下っていくと、たくさんの遊覧船の案内看板が立ち並んでいる。
「東国から旅をした有名な人と言えば、歌人の松尾芭蕉でしょ。
その芭蕉にちなんで小島の周辺をゆるりとめぐる、芭蕉コースの小さな遊覧船があるの。
小さいから、ほかの観光船が近寄れない穴場も巡るそうです。
ねぇ。いいでしょう、芭蕉といっしょに旅しても」
ナビの検索を終えたるみが、ほどなく見えてきた小さな船と看板を指さす。
芭蕉コースの遊覧船は、まじかで島を見るために水深2メートルほどの浅瀬を進んでいく。
濃緑色の海に白い岩肌と松の緑が映える景色は、盆景そのままだ。
盆景(ぼんけい)というのは、お盆の上に土や砂や石、苔や草木などを配置して
自然の景観をつくり、それを鑑賞する中国や日本の伝統芸術のことだ。
松島湾内に浮かぶ島の数は、俗に808島といわれているが、実際には260島余り。
さまざまな表情を見せる島の間を巡りながら、俺たちは午前中の心地よい潮風に吹かれていく。
水平線を楽しみながら、追いかけてくるウミネコと、明日からのことを忘れてゆっくると戯れる
「前方に見えてきたのが、夫婦島です」と、案内する船頭の声がひときわ高くなった。
「西と東に分かれていても、心変わらぬ~めおと島」うたわれる二つの島で、
右側の高遠島を女島。左側の沖ノ遠島を男島と呼んでいます。
松島は太古の昔。松島丘陵の一部が河川浸食により、いくつもの谷になった。
地殻変動の影響でおおくが海に沈降しましたが、海面より高い部分が島として残りました。
長年にわたる年月が凝灰岩(ぎょうかいがん)の島肌を浸食し、
人工では絶対に作れない妙景や、絶景の島々を作り上げたと言われています・・・」
船頭の快調なアナウンスが流れる中、俺の耳元にるみが唇を寄せてきた。
「いいわよ。これから離れ離れに暮らしても。それが私たちの未来のはじまりだもの。
でもさ。たったひとつだけ、約束をしてくれる。
夜中に私の病気が出て、どうにもならなくなったら電話をするから、
そのときは飛んできてくれる?
それさえ約束してくれれば、私は自分の病気とたたかえる、と思います」
「おう。いつでも遠慮しないで電話しろ。
なぁに俺たちのあいだにある200キロなんか、あっという間だ。
だが、高速道路が使えない一般道ばかりだ。
電話を受けていそいで飛び出しても、着くまでに早くても3時間や4時間はかかるだろう。
そのあいだを我慢できるか、お前は。それだけの時間を」
「大丈夫。きっと我慢する。きっとあたしは耐えて見せる。
だから飛んできてよ太一。あたしのために」
「もちろんだ」とるみの肩を抱いたとき、後ろから船頭が俺たちに声をかけてきた。
「夫婦島を背景に絶好のチャンスが巡ってきたぜ。写真を撮ってあげよう、新婚さん!」
「はい」とるみが笑顔でスマートフォンを手渡す。
「ここを押せばいいんだな」と、船頭が笑顔でスマートフォンを覗き込む。
3回、4回と立て続けにシャッターを押したあと、「最高のものが撮れた!」
とるみに、自信たっぷりにスマートフォンを戻してきた。
なるほど。再生をした瞬間、夫婦島を背景に、最高級の笑顔を見せるるみがそこに居た。
「いい記念になるわね。やっぱり芭蕉は粋な人ですねぇ」と笑うるみの瞳の中に、
俺ははじめて、永遠の愛というやつの輝きを見つけた。
東京電力集金人 完 2014.8/10
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