つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(95)最初で最後の作戦会議
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d6/8dbebe8e80fc3217a5836a59c4e89003.jpg)
コンコンという乾いたノックの音が、ドアから響いてくる。
朝7時の定刻に、恵子と多恵がやって来た。
なんとも響きのよい木製のドアも、60周年を迎えた老舗ホテルならではのものだ。
「ようこそ」とすずが笑顔で、ドアを開ける。
「すんまへんなぁ。朝早くから新婚さんの部屋へお邪魔して」と多恵が片目をつぶって笑う。
「6階からの眺めは格別どすなぁ。ウチ等の部屋とは、大違いどす」
先頭で入って来た恵子は、わき目もふらず、カーテンが開け放された窓へ寄っていく。
窓から見下ろす英虞湾の夜明けには、幻想的なものがある。
アコヤ貝の養殖いかだをはじめ、ハマチやタイの養殖いかだが黒い群れをなしている。
東の空が明るくなるにつれて、鏡のような水面に冬の冷たい輝きが戻って来る。
「朝食は7時30分までに済ませましょ。
支度を整えて、8時15分にロビーへ集合してくださいな。
今日は熊野灘に面して走る国道42号線を、ひたすら南下いたします。
42号線は紀伊半島をぐるりとひとまわりして、和歌山市までの海岸線を走ります。
海の見えるどこか綺麗な場所で、ゆっくりと昼食をとりましょう。
最終目的地の和歌山市へは、午後4時頃までに到着すると思います。
本日の予定は、ほぼ、そんなところどすなぁ。
何か質問などは有りますか?」
「完璧なプランだ。それからもうひとつ、実に驚いた。
君の京都なまりはいつも美しいが、標準語の話し方にもなめらかさが有る。
へぇぇ。器用な人なんだね君は。
プランに依存はない。ただひとつだけ質問が有る。
なんで今朝が、最初で最後の作戦会議なんだ。
最初というのは分かるが、最後と言う意味が俺にはよくわからない」
「和歌山市で電車に乗り換えるか、それともフェリーに乗って徳島港へ行くか、
いまだに決断に迷っています。
けど、いずれにしても、和歌山か徳島で私たちは別れます。
あなたたちは新田義貞の弟、脇屋義助の足跡を追って愛媛の伊予まで足を伸ばします。
どちらかであなたたちと別れて、わたしたちは神戸へ向かいます。
今日がわたしたちが行動を共にする、最後の日になる可能性があります」
「よく分かった。で、ついでにもうひとつ、質問が有る。
真珠産地の英虞湾で買い求めず、わざわざ神戸まで出て真珠を買い求めるのには
なにか特別の意味が有るのかい。
そのあたりの事情が、俺にはもうひとつピンとこない。
できたら、いつもの京都のなまりで語ってくれないか。調子が狂う」
「養殖真珠ができた昭和3年頃の真珠は、まだまだ高級品扱いどしたなぁ。
高すぎて、日本国内では普及しませんどした。
そのため作られた真珠のほとんどは神戸港から、ヨーロッパやアメリカへ輸出されたんどす。
養殖真珠の登場によって、欧米の真珠の需要が一気にひろがったんどすなぁ。
真珠輸出の増加により、三重や四国、九州などの真珠養殖場から、地理的に一番近い
国際貿易港の神戸港に、自然と日本中の真珠が集まってきたようどす。
選別・穴あけ・連組みなどの真珠加工業が、神戸北野町付近を中心に発展しました。
北野町付近は、真珠選別に適した北からの光線を六甲山をバックに、
安定して得られたからどす。
英虞湾は養殖真珠の発生の地どすが、日本の真珠の加工と流通の80%を
神戸が取り扱っとるんどす。
世界一の真珠の町。それがウチ等がこれから行く、神戸どす」
「なるほどねぇ。君は何事に関しても完璧だね。
最初で最後という意味も良く分かったし、わざわざ神戸まで足を伸ばす意味も理解できた。
大晦日の夜に聞かせてもらった、太平記の知識も凄かった。
新田義貞の足跡を存分に学ぶことが出来た。
しかも今回の旅の最後は、弟の義助の足跡を追って伊予まで行けと言う。
完璧すぎる君の旅のプランにも、心の底から、脱帽だね」
「完璧やなんて、恥ずかし過ぎますなぁ。ウチかて欠点だらけの女どす。
吉野の秘湯の宿で逢ってもろた女の子。
あれ、実は、ウチが若気の至りで産んでしもうた不遇の子どす。
けど。秋に結婚が決まったそうで、なによりやとひと安心などをしております。
秘密を守っていただき、おおきにはんどす。
今日一日。楽しい旅をいたしましょう、うふふ。ではのちほどに」
ニコリとほほ笑んだ恵子が、多恵の背中を押して部屋から出ていく。
最初で最後の作戦会議を経て、和歌山か徳島港で、4日間の4人の旅が終る。
突然別れを宣告されたような気分だな・・・と勇作が、朝日がきらめきはじめた
真珠の海へ視線を転じる。
(96)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
(95)最初で最後の作戦会議
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d6/8dbebe8e80fc3217a5836a59c4e89003.jpg)
コンコンという乾いたノックの音が、ドアから響いてくる。
朝7時の定刻に、恵子と多恵がやって来た。
なんとも響きのよい木製のドアも、60周年を迎えた老舗ホテルならではのものだ。
「ようこそ」とすずが笑顔で、ドアを開ける。
「すんまへんなぁ。朝早くから新婚さんの部屋へお邪魔して」と多恵が片目をつぶって笑う。
「6階からの眺めは格別どすなぁ。ウチ等の部屋とは、大違いどす」
先頭で入って来た恵子は、わき目もふらず、カーテンが開け放された窓へ寄っていく。
窓から見下ろす英虞湾の夜明けには、幻想的なものがある。
アコヤ貝の養殖いかだをはじめ、ハマチやタイの養殖いかだが黒い群れをなしている。
東の空が明るくなるにつれて、鏡のような水面に冬の冷たい輝きが戻って来る。
「朝食は7時30分までに済ませましょ。
支度を整えて、8時15分にロビーへ集合してくださいな。
今日は熊野灘に面して走る国道42号線を、ひたすら南下いたします。
42号線は紀伊半島をぐるりとひとまわりして、和歌山市までの海岸線を走ります。
海の見えるどこか綺麗な場所で、ゆっくりと昼食をとりましょう。
最終目的地の和歌山市へは、午後4時頃までに到着すると思います。
本日の予定は、ほぼ、そんなところどすなぁ。
何か質問などは有りますか?」
「完璧なプランだ。それからもうひとつ、実に驚いた。
君の京都なまりはいつも美しいが、標準語の話し方にもなめらかさが有る。
へぇぇ。器用な人なんだね君は。
プランに依存はない。ただひとつだけ質問が有る。
なんで今朝が、最初で最後の作戦会議なんだ。
最初というのは分かるが、最後と言う意味が俺にはよくわからない」
「和歌山市で電車に乗り換えるか、それともフェリーに乗って徳島港へ行くか、
いまだに決断に迷っています。
けど、いずれにしても、和歌山か徳島で私たちは別れます。
あなたたちは新田義貞の弟、脇屋義助の足跡を追って愛媛の伊予まで足を伸ばします。
どちらかであなたたちと別れて、わたしたちは神戸へ向かいます。
今日がわたしたちが行動を共にする、最後の日になる可能性があります」
「よく分かった。で、ついでにもうひとつ、質問が有る。
真珠産地の英虞湾で買い求めず、わざわざ神戸まで出て真珠を買い求めるのには
なにか特別の意味が有るのかい。
そのあたりの事情が、俺にはもうひとつピンとこない。
できたら、いつもの京都のなまりで語ってくれないか。調子が狂う」
「養殖真珠ができた昭和3年頃の真珠は、まだまだ高級品扱いどしたなぁ。
高すぎて、日本国内では普及しませんどした。
そのため作られた真珠のほとんどは神戸港から、ヨーロッパやアメリカへ輸出されたんどす。
養殖真珠の登場によって、欧米の真珠の需要が一気にひろがったんどすなぁ。
真珠輸出の増加により、三重や四国、九州などの真珠養殖場から、地理的に一番近い
国際貿易港の神戸港に、自然と日本中の真珠が集まってきたようどす。
選別・穴あけ・連組みなどの真珠加工業が、神戸北野町付近を中心に発展しました。
北野町付近は、真珠選別に適した北からの光線を六甲山をバックに、
安定して得られたからどす。
英虞湾は養殖真珠の発生の地どすが、日本の真珠の加工と流通の80%を
神戸が取り扱っとるんどす。
世界一の真珠の町。それがウチ等がこれから行く、神戸どす」
「なるほどねぇ。君は何事に関しても完璧だね。
最初で最後という意味も良く分かったし、わざわざ神戸まで足を伸ばす意味も理解できた。
大晦日の夜に聞かせてもらった、太平記の知識も凄かった。
新田義貞の足跡を存分に学ぶことが出来た。
しかも今回の旅の最後は、弟の義助の足跡を追って伊予まで行けと言う。
完璧すぎる君の旅のプランにも、心の底から、脱帽だね」
「完璧やなんて、恥ずかし過ぎますなぁ。ウチかて欠点だらけの女どす。
吉野の秘湯の宿で逢ってもろた女の子。
あれ、実は、ウチが若気の至りで産んでしもうた不遇の子どす。
けど。秋に結婚が決まったそうで、なによりやとひと安心などをしております。
秘密を守っていただき、おおきにはんどす。
今日一日。楽しい旅をいたしましょう、うふふ。ではのちほどに」
ニコリとほほ笑んだ恵子が、多恵の背中を押して部屋から出ていく。
最初で最後の作戦会議を経て、和歌山か徳島港で、4日間の4人の旅が終る。
突然別れを宣告されたような気分だな・・・と勇作が、朝日がきらめきはじめた
真珠の海へ視線を転じる。
(96)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
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