落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第30話 

2013-04-06 09:50:24 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第30話 
 「響が生まれた頃」



 
 4回ほど切り返すつづらの坂道を登りきると、杉の巨木たちもようやく途切れます。
上空が急に明るくなるのは、水道山公園の頂上までまでつづく、
この北向きの斜面一帯が、突然として比較的背丈の低い落葉樹の群落に変るためです。
この北向きの斜面では、管理の甲斐もあってつい最近になってから
紫色のカタクリの花が復活しました。
陽の当らない北側の寒い斜面を好むカタクリの花は、3月の半ばを過ぎた頃から
少しずつ紫色の可憐な花を、あちことでひっそりと咲かせはじめます。


 「あら、カタクリが咲きはじめています。
 すっかり絶滅をしたとばかり思っていたけど、随分いっぱい咲いていますねぇ。
 繊細でとても気難しい花だから、ここまで復活させた手間は
 とても、大変だったと思うけど、やっぱりこの花は綺麗。
 カールをした乙女の髪が、風になびいているようにも見えるこの花の形は、
 とても独特で可愛いし、大好きな花のひとつだわ」


 「まるで者になりたてのころの、君のようだ。
 健気で清楚で、それでいて少し妖艶で、まぶしいほど着物も似合っていた。
 そんな君を初めて見たときに俺は、心の底から、
 実に美しい女性だと思った」



 「なにさ・・・・いまさら。
 やっぱりあの時は、素の私に会いに来てくれたのではなく、
 芸者としての清子がお目当てだったようだわね。
 馬子にも衣装だもの。、ましてやあれだけのお化粧をすれば、
 わたしみたいに不細工な女でも、別人に生まれ変われます。
 なんだ。やっぱり素顔の私では駄目だったのか・・・・
 わざわざ湯西川まで追いかけて来てくれたものとばかり想い込んで、
 心の底から、あなたに感謝をしていたというのに、
 あれはやっぱり、今から考えると、ただの私の早合点だったのか」


 カタクリの群落を横目に、清子と俊彦は
なだらかに変わった山頂への小路を、やはり手をつないだまま歩き続けます。
繋がれたままの清子の指先が、俊彦にはこころもちまた汗ばんできたような気がしました。
 


 「調理実習で、転属先の希望を聴かれたとき、
 俺は迷わずに、まっ先に君が住んでいる湯西川温泉を指名した。
 同僚のほとんどが県内の草津や伊香保といった大きな観光地や、
 あるいは、都心の一流ホテルなどを選んだ。
 俺は、君に会いたい一心だけで、やっぱり湯西川を選んだようだ。
 みんな、俺の決断に、不思議そうな顔をしていたよ。
 だが俺にしてみれば、そのへんの有名ホテルや旅館よりのも、
 平家の落人伝説が有って、君のいる湯西川温泉のほうに大いに興味が有った。
 15歳で芸者になると決めて、その道を歩き始めた君にも、大いに興味が有った。
 成人式で再会した時の君は、間違いなく同級生の女性たちの間でも、
 もっとも磨き抜かれた女の一人だと、つくづくと痛感をしたもんだ・・・・
 そりゃそうだ。
 15歳から花柳界で生きてきたんだ。
 俺たちから見れば、はるかに大人に見えたのも、無理は無いさ。
 それからだ、俺も心が揺らぎ始めてしましたんだ・・・・
 あの頃は、君の近くで暮らしてみたかったというのが、本音かな。
 はっきり言えば、芸者になってしまった君は、あの頃の俺から見れば、
 実に遠い存在になりはじめていたし、まもなく文字通りの『高値の花』になるだった。
 それでも、それを承知の上で、君の近くに住んでみたかった。
 俺にも、古くからの女友達や、同級生の女の子たちの知り合いは居るが、
 女としての底知れない色香を感じて、激しく心をときめかせたのは、
 芸者姿の君を初めて見た時からだった。
 転校をしてきて間もないころに、金木犀の花を見上げていた
 幼いころの君を見た時から、おそらく君は、知らない間に
 俺の心の中に棲みついていたんだ。
 ・・・・おそらく」



 清子の指に、すこしだけ新しい力がこもってきました。


 
 「いまさら取り返せないことばかりを、口にするのね、あなたは。
 全部、『そうじゃないさ』と否定をして、都合の悪いことには
 すべて黙っていればいいものを、あなたったら、
 洗いざらい白状をしてしまうつもりなの?
 なんだか・・・・響の突然の家出が、
 わたしたちの生き方までも変えてしまいそうな気配がする。
 じゃあ私も、24年間のすべてをあなたには伝える必要がありますね。 
 死ぬまで秘密にしておこうと思っていたのに、
 響が、それを許してくれそうも有りませんから・・・・
 あなたと別れたのは、わたしだってずいぶんと悩んだ末での結論でした。
 あの時の私は、無二の親友だった同級生の女の子を裏切って、
 あなたとの『半同棲』を選んでしまいました。
 さすがに女として、それには良心が咎めた。
 でも、それと同時に、あきらめていたチャンスが再び巡ってきたことに
 15で芸者になると決めた時から、女としての普通の恋愛はもちろん、
 結婚も、子供も、生き方も全部まとめて、私はあきらめていたはずでした。
 芸者として芸に生きる生活だけで一生を送るはずだった。
 それが思いがけなくたった一年そこそことはいえ、私はあなたと、
 自由に楽しく暮すことができました。。
 別れるためには、もうそれだけでも充分すぎました。
 たくさんの思い出を、そこでたっぷりと溜めることができたのですから」


 
 「その時。もう君のお腹には、響がいたんだろう」



 「一人で産んで育てると、最初から私は心に決めていました。
 幸運にも授かることができた最初の大切な生命だもの、
 なにがなんでも産むと、固く決めていました。
 まして、大好きなあなたの子供だもの、はなから堕ろすつもりなどもありません。
 それでいながら、私は芸者も続けるつもりでした。
 新米芸者の途方もない我がままと無茶な決断に、湯西川の
 花柳界が、上に下への大騒動になりました・・・・、
 そりゃあそうよねぇ。
 二〇歳になったばかりの賭けだしの新米芸者が、勝手に身ごもったんだもの。
 田舎ではかっこうの話題となり、大騒動の種にもなりました。
 それでも最初から、置き屋のお母さんと伴久ホテルの若女将が必死になって、
 こうした非難と騒動の渦中から、私をかばい続けてくれました。
 強い後楯のおかげで、私は、こうして我を通し無事に響を出産することが出来ました。
 私と響はそのおかげで、あいもかわらず湯西川温泉で
 その後の人生を生きてくることが出来ました。
 そういう意味では、湯西川の女たちの優しさと思いやりが、私の
 かけがえのない響を、共に育ててくれたのです。」



 谷底のような吾妻公園から登り始め、杉の木立を抜け、
さらにカタクリの群生地を過ぎると、まもなく水道山公園の山頂へさしかかります。
反対側の山麓から登ってきた舗装道路へ出れば、山頂にある展望台までは
残りが100mほどとなり、足元も直線の坂道にかわります。
清子が、大きくあえいで、道の傍らで立ち止まりました。



 「別れた後、房総のホテルへ転勤したあなたが、
 オートバイで交通事故を起こして、2カ月ほど寝たきりになった事がありました。
 重体だときいたときは、よっぽど私も、響を連れて行こうかと悩みました。
 可愛かったのよ。そりゃあもう、3歳児になった響は。
 私にとっては、かけがえのない宝物でした。
 でもねぇ・・・・連れていくのだけは、何とか思いとどまりました。
 響の笑顔を、貴方にも見せてあげたかったけど、
 病室で突然我が子を見せられても、あなたも面食らうでしょうし、気の毒だもの。
 でもそのことであなたには、たいへんに気の毒ことをしたと、
 私は、今でも後悔をしています。
 3歳児の頃の女の子は、天使のように可愛い笑顔だもの。
 あなたにも、一度でいいから見せてあげたかったわ・・・・
 私は何度となく、その3歳児のころの響の笑顔に救われました。
 嫌な思いをしてお座敷から帰ってきても、響の天使のような寝顔を見るだけで
 あふれるほどの元気と活力をもらいました。うっふふふ。
 もうその頃の響に、私は充分すぎるほどの親孝行をしてもらっています。
 この子を産んで良かったと、私はいまでも、
 心の底から思っています」


 直線で緩やかな登りの舗装道路は、
あとわずかで、山頂にある駐車場と展望台へと到着します。
水道山公園は、桐生の市街地を見おろす高台を中心に、遊歩道などを
縦横に整備をしたきわめて眺望に優れた緑地の公園です。
その名前が示す通り、山の中腹部には市内全域へ水を配る水道施設が開設されています。
大正時代に建てられたという管理棟は、今でも現役のままに活躍をしています。



 一切の障害物が無いために、日暮れから夜景が楽しめる絶好のポイントとして
古くから若者やカップル達に、きわめての人気を誇ってきました。
展望台の最後の階段を登りきって、手すりから身体を乗り出すようになってからも、
清子は、いまだに俊彦の右手からその指を離そうとしません。


 
 「夜景も綺麗だけど、朝のさわやかな空気から見える
 桐生の街の景色も、また、格別ですねぇ。
 あの光ってみえるのが渡良瀬川で、ここから関東平野の雄大な
 平たん地が、南に向かって一斉に広がっていくんだもの。
 関東の奥座敷と言われる意味も、よく解る場所だわね。
 東京まで続いていく夜景の、あの光の帯はとても幻想的で美しいもの。
 まもなく、スカイツリーも見えることだし・・・・
 ああ、いまでも目をつぶると、あの頃の懐かしい景色が甦ってきそうだわ。
 ねぇ、俊彦さん・・・・」


 「あれ。ここで君と夜景を見た覚えはないが・・・気のせいか、俺の」


 「うん、絶対にあなたの気のせい。
 私の男といえば、私の生涯では、ただひとりだけで、あなただけだもの。
 湯西川で芸者修業をはじめてから、早いものでもう30年・・・
 あなたと過ごしたあの一年間から、早いもので、もう25年も経ちました。
 響が生まれて大きくなって。いつもまにか、もう24歳になりました。
 ずいぶんと、年月がけが経ちました。
 歳をとるはずですねぇ・・・・あなたも私も。お互いに」



 目を上げた清子が、名残惜しそうにやっとのことで、繋いだ指を離しました。

(31)へつづく




 ・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/


・連載中の新作小説は、こちらです 

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (63)もしかしたら遭難?
http://novelist.jp/63005_p1.html




(1)は、こちらからどうぞ
 http://novelist.jp/61553_p1.htm

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