東京電力集金人 (18)雪下ろしのコツ、教えます
このあたりで30センチ以上の雪が積もるのは、尋常じゃない。
群馬は中央にそびえている活火山の赤城山を境に、北側と南面で気候が異なる。
日本海からやって来た湿った寒気は、赤城山の北側一帯に大量の雪を降らせる。
水分を落とし、からからに乾ききった日本海からの寒気は一気に1800メートルの山頂を越える。
関東平野に向かってなだらかに下る山肌を、加速をしながら駆け下る。
これが群馬の真冬の名物。上州のからっ風と呼ばれる、「赤城おろし」の正体だ。
これほどの積雪を平地で見るのは、俺も生まれて初めてのことだ。
酒屋のトラックは凍てついた道路で横転したあげく、積み荷を一面に散乱させた。
畑伝いの小路には、いつもの新聞配達のバイクのわだち跡も、今朝に限っては見当たらない。
生垣の北側には、風にあおられてた細かい雪がびっしりとこびりついている。
ところどころには、氷の結晶までが出来ている。
「もう9時だ。新妻を放置したまま、朝まで呑気に眠りこけるとは見上げた根性だ。
雪下ろしのコツを教えますから、早く、屋根の上まであがっておいで」
すでに2つ目の雪玉を手にしているるみは、長屋の屋根の上でハイテンションだ。
「9時!」と言われ、初めて遅い朝を実感した。
雪道への対応ができていないこのあたりでは、積雪が10センチを超えると、
そのとたんに、あっというまに交通事情が麻痺をする。
夏用タイヤしか履いていない車は、通りへ出るどころか、自宅の庭からさえも出られない。
当然の結果として、この時間帯になっても各家庭に朝の新聞は届かない。
るみが着ている青い運動着に、なんだか見覚えが有る。
どうやら中学生の頃、部活動で俺が着ていた、お気に入りの青いジャージのようだ。
10年が経つというのに、いまだにタンスの中に残っていたとは驚きだ。
『さすがに乙女が、朝から屋根の上で、ミニスカートというわけにはいかないからね』
とるみが雪下ろし用のシャベルを片手に、庇の上で笑う。
『俺が160センチしかなかった頃のジャージだ。へぇぇ、お前。160センチしかないのか』
ピッタリとサイズが有っている様子に、思わず、俺の口が滑った。
『大きなお世話だ。いいから、とっととシャベルを持って上がって来い!』
るみが手にした2発目の雪玉を、俺に向かってふわりと投げる。
どうやら本気で当てるつもりは無いようだ。
屋根の突端で仁王立ちしているるみが、盛り上がった青いジャージの胸を
これ見よがしに、こんもりと反らしている。
(あの胸は絶対に偽装だ。一か月少々で、胸の膨らみが復活するはずがない!)
絶対に真相を暴いてやると密かにささやきながら、玄関の前に置いてある雪かき用の
シャベルをつかみ、ゆっくりと梯子を登る。
屋根の上に立っているるみは、傾斜にたいして身体を横方向に構えている。
『屋根の傾斜にたいして正面を向くと危険だ。横に構えたまま、下の足で自分の体重を支える。
自分の足元から雪を取り除いていく。シャベルに乗せた雪は遠くまで放り投げないこと。
軒下にそのまま落とすくらいの感覚でちょうどいい。
まんいち落ちた時のクッションになるからね。以上で講義は終わりです。
何か質問は有るかね。雪下ろしの新米ボランティア君』
るみが青いジャージの胸を、これでもかとばかりにまた天に向かって反らす。
(硬いままだ。ピクリとも動かない。揺れない胸の様子がますますもって偽装っぽいな。
もしかしたら、あげ底仕様になっているのかもしれないな・・・・)などと、
るみの説明をろくに聞かず、胸にばかり視線を集中していたら、いきなり目の前に、
ひょいと3つ目の雪玉が飛んできた。
雪玉を避けるために、慌てて身体を反らしたら足元のバランスを崩しちまった。
あっというまに、身体の平衡を失った。
掴まるもののないない庇(ひさし)の上で、バタバタと俺の両手が空気をつかむ。
空気が、俺を支えてくれるはずがない。
そのままバランスを失って、頭から真っ逆さまに地上へ落ちた。
こんなことで人生が終わるのかと、観念をして瞬間的に両目をつぶった。
(南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、)地上へ向かって落下しているわずかな時間、
口に出来たのはこの言葉だけだ。
思えば短い人生だった。
と自分の人生を回想した瞬間、俺の体が、雪で作られた布団の上にふわりと着地をした。
(あれ、助かったぞ!)屋根から降ろされた雪の堆積の中に、すっぽりと全身が沈み込んだ。
『ほら見ろ。やっぱり言った通りだろう』とるみが、庇の上から俺の身体を
にんまりとした顔で見下ろしてくる。
起き上がろうとしたその瞬間、4つ目の雪玉が、俺の顔面めがけて飛んできた。
「やばい」と直感し、素早く起き上がり身体の向きを変えた。
上手く雪玉を避けたつもりだったが、るみのやつは俺の逃げる方向を完璧に読み取っていた。
ゆるく握られた5発目の雪玉が、ものの見事にぴしゃりと音を立て俺の顔面を見事に直撃した。
『してやったり!』と庇の上で、るみが胸を揺らして大きな声で笑っている。
反撃してやろうと思ったが、いまから雪玉を握っている余裕はない。
脱いだ長靴を手にすると、るみの顔面めがけて思い切り下から投げつけた。
くるくると回る長靴が空しく宙を舞ったあと、屋根にずしりと音を立てて突き刺さる。
狙い済ませたつもりだが、照準が甘かったようだ。
『へたくそ~』と俺を覗き込んだるみが、勢い余って、屋根の上で態勢を崩しはじめた。
『危ない!』と下から声をかけたが、すでにときは遅かった。
足を滑らせたるみが、両方の手をバタバタとさせながら、俺に覆いかぶさるような形で
真上から、まともにこちらに向かって落ちてくる。
受け止めてやろうと一瞬は思ったが、万が一のこと考えて、慌ててその場から飛びのいた。
勢いよく落ちてきたるみは、顔面からまともに雪の布団の中へ突っ込んだ。
『逃げたな、この薄情者!』顔を上げた瞬間のるみから、鋭く右足が飛んできた。
あっとかわす間もなく、俺の身体が足元から刈り取られる。
どさりと背中から落ちた俺の身体の上へ、雪で真っ白になったるみがのし掛かってきた。
『目にものを見せてやるぞ』とるみが両手で、雪の塊を持ち上げたときのことだった。
「こらこら。雪だるまをつくるなら、屋根の雪を片づけてからにしておくれ。
若い者が、朝っぱらからじゃれているとは、まるで盛りのついたそこいらの野良猫と同じだ。
こら、太一。さっさと屋根に上がって雪を降ろしておいで。
まったくぅ。若い者は朝から元気が溢れているから、目を離すとすぐに
イチャイチャとするんだから。現場を監督するのは大変だ。あっはっは」
お袋の出現で、「助かった~」と思った瞬間、るみのやつがお袋の声に驚いて、
そのまま、雪の塊から両手を離してしまった。
馬鹿野郎!・・・・俺の顔の真上で、雪の塊から手を離すんじゃねぇ!。
それじゃ俺の顔の上へ雪の塊が、まともにどさりと落ちてくることになるだろうが・・・。
(19)へつづく
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このあたりで30センチ以上の雪が積もるのは、尋常じゃない。
群馬は中央にそびえている活火山の赤城山を境に、北側と南面で気候が異なる。
日本海からやって来た湿った寒気は、赤城山の北側一帯に大量の雪を降らせる。
水分を落とし、からからに乾ききった日本海からの寒気は一気に1800メートルの山頂を越える。
関東平野に向かってなだらかに下る山肌を、加速をしながら駆け下る。
これが群馬の真冬の名物。上州のからっ風と呼ばれる、「赤城おろし」の正体だ。
これほどの積雪を平地で見るのは、俺も生まれて初めてのことだ。
酒屋のトラックは凍てついた道路で横転したあげく、積み荷を一面に散乱させた。
畑伝いの小路には、いつもの新聞配達のバイクのわだち跡も、今朝に限っては見当たらない。
生垣の北側には、風にあおられてた細かい雪がびっしりとこびりついている。
ところどころには、氷の結晶までが出来ている。
「もう9時だ。新妻を放置したまま、朝まで呑気に眠りこけるとは見上げた根性だ。
雪下ろしのコツを教えますから、早く、屋根の上まであがっておいで」
すでに2つ目の雪玉を手にしているるみは、長屋の屋根の上でハイテンションだ。
「9時!」と言われ、初めて遅い朝を実感した。
雪道への対応ができていないこのあたりでは、積雪が10センチを超えると、
そのとたんに、あっというまに交通事情が麻痺をする。
夏用タイヤしか履いていない車は、通りへ出るどころか、自宅の庭からさえも出られない。
当然の結果として、この時間帯になっても各家庭に朝の新聞は届かない。
るみが着ている青い運動着に、なんだか見覚えが有る。
どうやら中学生の頃、部活動で俺が着ていた、お気に入りの青いジャージのようだ。
10年が経つというのに、いまだにタンスの中に残っていたとは驚きだ。
『さすがに乙女が、朝から屋根の上で、ミニスカートというわけにはいかないからね』
とるみが雪下ろし用のシャベルを片手に、庇の上で笑う。
『俺が160センチしかなかった頃のジャージだ。へぇぇ、お前。160センチしかないのか』
ピッタリとサイズが有っている様子に、思わず、俺の口が滑った。
『大きなお世話だ。いいから、とっととシャベルを持って上がって来い!』
るみが手にした2発目の雪玉を、俺に向かってふわりと投げる。
どうやら本気で当てるつもりは無いようだ。
屋根の突端で仁王立ちしているるみが、盛り上がった青いジャージの胸を
これ見よがしに、こんもりと反らしている。
(あの胸は絶対に偽装だ。一か月少々で、胸の膨らみが復活するはずがない!)
絶対に真相を暴いてやると密かにささやきながら、玄関の前に置いてある雪かき用の
シャベルをつかみ、ゆっくりと梯子を登る。
屋根の上に立っているるみは、傾斜にたいして身体を横方向に構えている。
『屋根の傾斜にたいして正面を向くと危険だ。横に構えたまま、下の足で自分の体重を支える。
自分の足元から雪を取り除いていく。シャベルに乗せた雪は遠くまで放り投げないこと。
軒下にそのまま落とすくらいの感覚でちょうどいい。
まんいち落ちた時のクッションになるからね。以上で講義は終わりです。
何か質問は有るかね。雪下ろしの新米ボランティア君』
るみが青いジャージの胸を、これでもかとばかりにまた天に向かって反らす。
(硬いままだ。ピクリとも動かない。揺れない胸の様子がますますもって偽装っぽいな。
もしかしたら、あげ底仕様になっているのかもしれないな・・・・)などと、
るみの説明をろくに聞かず、胸にばかり視線を集中していたら、いきなり目の前に、
ひょいと3つ目の雪玉が飛んできた。
雪玉を避けるために、慌てて身体を反らしたら足元のバランスを崩しちまった。
あっというまに、身体の平衡を失った。
掴まるもののないない庇(ひさし)の上で、バタバタと俺の両手が空気をつかむ。
空気が、俺を支えてくれるはずがない。
そのままバランスを失って、頭から真っ逆さまに地上へ落ちた。
こんなことで人生が終わるのかと、観念をして瞬間的に両目をつぶった。
(南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏、)地上へ向かって落下しているわずかな時間、
口に出来たのはこの言葉だけだ。
思えば短い人生だった。
と自分の人生を回想した瞬間、俺の体が、雪で作られた布団の上にふわりと着地をした。
(あれ、助かったぞ!)屋根から降ろされた雪の堆積の中に、すっぽりと全身が沈み込んだ。
『ほら見ろ。やっぱり言った通りだろう』とるみが、庇の上から俺の身体を
にんまりとした顔で見下ろしてくる。
起き上がろうとしたその瞬間、4つ目の雪玉が、俺の顔面めがけて飛んできた。
「やばい」と直感し、素早く起き上がり身体の向きを変えた。
上手く雪玉を避けたつもりだったが、るみのやつは俺の逃げる方向を完璧に読み取っていた。
ゆるく握られた5発目の雪玉が、ものの見事にぴしゃりと音を立て俺の顔面を見事に直撃した。
『してやったり!』と庇の上で、るみが胸を揺らして大きな声で笑っている。
反撃してやろうと思ったが、いまから雪玉を握っている余裕はない。
脱いだ長靴を手にすると、るみの顔面めがけて思い切り下から投げつけた。
くるくると回る長靴が空しく宙を舞ったあと、屋根にずしりと音を立てて突き刺さる。
狙い済ませたつもりだが、照準が甘かったようだ。
『へたくそ~』と俺を覗き込んだるみが、勢い余って、屋根の上で態勢を崩しはじめた。
『危ない!』と下から声をかけたが、すでにときは遅かった。
足を滑らせたるみが、両方の手をバタバタとさせながら、俺に覆いかぶさるような形で
真上から、まともにこちらに向かって落ちてくる。
受け止めてやろうと一瞬は思ったが、万が一のこと考えて、慌ててその場から飛びのいた。
勢いよく落ちてきたるみは、顔面からまともに雪の布団の中へ突っ込んだ。
『逃げたな、この薄情者!』顔を上げた瞬間のるみから、鋭く右足が飛んできた。
あっとかわす間もなく、俺の身体が足元から刈り取られる。
どさりと背中から落ちた俺の身体の上へ、雪で真っ白になったるみがのし掛かってきた。
『目にものを見せてやるぞ』とるみが両手で、雪の塊を持ち上げたときのことだった。
「こらこら。雪だるまをつくるなら、屋根の雪を片づけてからにしておくれ。
若い者が、朝っぱらからじゃれているとは、まるで盛りのついたそこいらの野良猫と同じだ。
こら、太一。さっさと屋根に上がって雪を降ろしておいで。
まったくぅ。若い者は朝から元気が溢れているから、目を離すとすぐに
イチャイチャとするんだから。現場を監督するのは大変だ。あっはっは」
お袋の出現で、「助かった~」と思った瞬間、るみのやつがお袋の声に驚いて、
そのまま、雪の塊から両手を離してしまった。
馬鹿野郎!・・・・俺の顔の真上で、雪の塊から手を離すんじゃねぇ!。
それじゃ俺の顔の上へ雪の塊が、まともにどさりと落ちてくることになるだろうが・・・。
(19)へつづく
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