右ハンドル車のウインカーレバーの位置を、ある仮説をもって調べた。
左ハンドル車は、右にシフトレバーが来るので、左にウインカーレバーが操作しやすい。
ドイツやイギリスは右ハンドルだけど、左ウインカーレバー。
シフト操作しにくい。
ネットを調べたら、コストの問題で左ハンドルをそのまま右にしているとのこと。
他には規格だから。
もちろんそれだけではなく、長く使い慣れてしまった左ウインカーレバーの方が操作しやすいとも考えられる。
世界的二輪車のスーパーカブでは、ウインカースイッチは右にある。
左側には、ホーンとライティング切り替えスイッチ。
私の仮説は、この右側ウインカーシステムが、車にもそのまま導入されたのでは?というもの。
ネットだけでは何とも言えない。
その仮説を拡大すると、以下のような仮説も成り立つのかなと。
仮説:本田宗一郎と藤沢武夫は、スーパーカブを維持するために、HONDAを持続させた
戦後間もない頃は、物資、資金、人材、情報も何もなかった。
我々が現在享受している飽和した物資社会に比べたら、一つの舵取りが致命的なミスとなる社会。
我々が3手先を読んだ戦略を立てているとすれば、昭和の創業者は30手先を読む必要があっただろう。
松下やトヨタや三菱も。
将棋を指したら、勝てるはずもない。
スーパーカブはHONDAの世界的大成功車でもあり、また世界的経済社会の向上に大きく貢献した、偉大な遺産とも言える。
さて、本田宗一郎・藤沢武夫両氏がいなくなったあと、誰がそのアフターケアをするか?
本田技術研究所がそれになると考えられる。
「本田宗一郎という天才を複数人で補うため」に本田技術研究所をつくったと藤沢武夫は言う。
新商品の開発もするが、最低限の役割として、スーパーカブの保守ができることが求められる。
スーパーカブに代わる新しいモビリティが生まれ、取って代わるまでの間、とにかくそのメンテナンスと部品を供給するシステムがあればいい。
飽和の時代だから、多少のミスをしても経営が大きく傾くことはないだろう。
日本で「バイク」と呼ばれる原動機付自転車は、ある国では「ホンダ」と呼ばれる。
そのような文化がある限り、「バイクのHONDA」として生き残る。
なんてことを、もしかしたら創業者は考えていたのかもしれないという、仮説です。
証明する手段は、今のところありませんが。
左ハンドル車は、右にシフトレバーが来るので、左にウインカーレバーが操作しやすい。
ドイツやイギリスは右ハンドルだけど、左ウインカーレバー。
シフト操作しにくい。
ネットを調べたら、コストの問題で左ハンドルをそのまま右にしているとのこと。
他には規格だから。
もちろんそれだけではなく、長く使い慣れてしまった左ウインカーレバーの方が操作しやすいとも考えられる。
世界的二輪車のスーパーカブでは、ウインカースイッチは右にある。
左側には、ホーンとライティング切り替えスイッチ。
私の仮説は、この右側ウインカーシステムが、車にもそのまま導入されたのでは?というもの。
ネットだけでは何とも言えない。
その仮説を拡大すると、以下のような仮説も成り立つのかなと。
仮説:本田宗一郎と藤沢武夫は、スーパーカブを維持するために、HONDAを持続させた
戦後間もない頃は、物資、資金、人材、情報も何もなかった。
我々が現在享受している飽和した物資社会に比べたら、一つの舵取りが致命的なミスとなる社会。
我々が3手先を読んだ戦略を立てているとすれば、昭和の創業者は30手先を読む必要があっただろう。
松下やトヨタや三菱も。
将棋を指したら、勝てるはずもない。
スーパーカブはHONDAの世界的大成功車でもあり、また世界的経済社会の向上に大きく貢献した、偉大な遺産とも言える。
さて、本田宗一郎・藤沢武夫両氏がいなくなったあと、誰がそのアフターケアをするか?
本田技術研究所がそれになると考えられる。
「本田宗一郎という天才を複数人で補うため」に本田技術研究所をつくったと藤沢武夫は言う。
新商品の開発もするが、最低限の役割として、スーパーカブの保守ができることが求められる。
スーパーカブに代わる新しいモビリティが生まれ、取って代わるまでの間、とにかくそのメンテナンスと部品を供給するシステムがあればいい。
飽和の時代だから、多少のミスをしても経営が大きく傾くことはないだろう。
日本で「バイク」と呼ばれる原動機付自転車は、ある国では「ホンダ」と呼ばれる。
そのような文化がある限り、「バイクのHONDA」として生き残る。
なんてことを、もしかしたら創業者は考えていたのかもしれないという、仮説です。
証明する手段は、今のところありませんが。