ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

う〜む

2020-06-14 19:01:34 | 日記
土曜日は体調良かったのでいろいろな雑務を済ませたのだけれど、日曜日の今日はいまいち。

頭痛があったので夕方から安静。
熱もあるなぁ。
もう寝る所存。

もっと自由に生きたい気持ちでいっぱい。
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労災は人災

2020-06-14 10:08:52 | Office
労働災害は人的災害なんですよ。

経済的成果を優先して人が軽視される。

生きるために働いているのに、働くために死んでしまう。


自粛して家にこもるとわかるように、行動がないと自信がなくなるし、無力感にも陥る。

なんでもいいから行動しようとパチンコにも行くし、遊びにも行くし、飲みにも行く。

毎日忙しいと、ゆっくりダラダラ休みたいと思うけれど、実際にそれをしていい状況が訪れると、無力感に焦る。

生きるために働いていることがわかる。


ところが労働のために命を削ったり、健康を害するのは本末転倒すぎて。


森光子は仕事に生きた人だった様だけど、放浪記のでんぐり返しをやめて万歳三唱に変えて数年後亡くなっている。

それだけが亡くなった原因ではないと思うけれど、介護福士の基礎教養で、
「他者から見れば、どんなに非合理的なプロセスであっても、当人にとっては長い経験の中で培った儀式的プロセスなので、簡単にやめさせてはならない」
とも習う。

徘徊も無意味ではない。

例えば夕方になると徘徊する女性がいる。

介護する側としては単純に厄介な存在となる。

ところが、女性の中では、夕食の時間になって、帰ってこない子供を探している状況であるとなると、話が変わってくる。

それだけ家事育児仕事が生活の中に組み込まれていて、生きがいになっていたとも言えるのだけど。

介護の仕事の中で、それを分析できるほどの思考の時間的余裕もなかったりするのだけど。


生きることと働くことは密接に関わっているのだけれど、目的と手段が逆転すると全く話が変わってしまう。


それも含めて、今現在を生きるのが死ぬほどしんどいとしても、100歳生きるということ、さらには200歳、300歳生きる前提の社会とは何かはぼんやりと考える。

子どもに長生きする希望を提示できずに、「希望を持って生きろ」と言えない社会で、子どもを増やせもないだろうに。

子どもは社会を映しますよ。
冷静に見ている。
大人に従わざるを得ないのだし。
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悪戯

2020-06-13 23:49:36 | Social
悪戯と書いてイタズラと読みます。

私はイタズラを許す気がない。

基本的に小学生で卒業した。

損失なんですよ。

イジメの根本原因でもある。


それを年齢肉体ともに成人した人が行うと、洒落にならない。

それがわからない精神年齢子供は、許す気がない。


これは逆の立場になると痛いほどわかるのだけど、やっぱり当人は精神年齢が低いので、自分がしたことに気づけない。

そしてそれをするとこちらの精神年齢も下がるし、泥沼になる。

相手にしないことですよ。これも。
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すげー仕事する

2020-06-11 21:09:50 | Office
便利に使われております。

便利にすごく仕事してます。

立場が派遣なのに正社員的な扱いです。

情報は独自入手。

打ち合わせ情報は欲しいなぁ。

打ち合わせ時間はもったいないけど。


そして私は独立するのですが。いずれね。


隙間時間を縫ってマクロも組みますよ。


ハケンの品格?

ドラマ見ないので。

「ヤスコとケンジ」「TRICK」ぐらいは見た。


寝る。
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クリエーターと消費者

2020-06-09 21:32:36 | Technics
消費者レベルを超えないクリエーターもいますが。

私などは芸術に関してはド素人のレベルですが、科学技術に関しては相当なレベルにはいますよ。

培ってきた基礎技術は多岐にわたりますからね。

複数の力が複雑にかかる構造体の変形強度予測とか、多変数のビックデータ整理とか、図面を書き続けた上での幾何学的図形処理能力とか、小さな複数のプログラムから大きなプログラムを作り上げる能力とか、そういった地道なテクニックの積み重ねでは他を圧倒する自信はあるのですよ。

それでも毎日まだ足りないなと精進し続けてしまうものだから、よりニッチなテクニック向上をしてしまいます。

そしてさらに知識技術の裾野を広げていってしまう。

一生勉強ですよね。


一般消費者の意見は、その視野の狭さで、
「広範囲の他の価値観ではそれは成り立たないよ」
というツッコミはよくあってですね。

最近多いのはSNSでのツッコミ。

実際はツッコまないのですが。

キリがない。


Twitterで広範囲なすべての価値観で判断できる量の論説や検証は不可能で。

だから単因子の極論ぽくなってしまう。

限られた文字数で論文のような複雑な現象を論じることは不可能だと思います。

連投すればできないことはないけれど。


同様にFacebookも長文を書けるけれど、編集機能はそんなに良くはない。

引用や誤記修正とかしづらいんです。
てにをはチェックも。


従ってブログを書くというスタイルに落ち着くのです。


YouTubeのコメントも熟慮しないので内容が薄くなる。

いちいち感情逆撫でコメントを拾って対応しきれないとも思う。


クリエーターほど考えてコメントする人はそんなにいないし、当該クリエーター以上の水準を持つ人はコメントできないですよ。


勉強するために消費しているから。

下手にアドバイスできなくもなる。

自分のやり方が正解とも限らないと知ってしまうから。


それでも原理原則を逆に行ったり、そもそもの重要なポリシーが矛盾したりすれば、物事は成立しないことはわかる。


しかしながらそれはなかなか指摘しづらい内容でもあったりするんだよなぁ。
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