雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、
そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、
苦にもされず そういう者に私はなりたい
この詩にはモデルとなる人物が居たらしい。
宮沢賢治がなりたかった人物とは 斉藤宗次郎。
この人は小学校教師でクリスチャン。
当時はクリスチャンというだけで迫害を受け、
その迫害がもとで、いじめにあい 9歳の娘を亡くす。
自分自身も肺結核を患う。
しかしどんな困難にもめげることなくこれが自分の使命だと
信仰を貫いた。
そして迫害を受けてもなお 奉仕の心で、皆の助けになろうと
働き続けた。
1968年死去。
欲望が優先される事の多い日常生活の中で自分の生まれた意味を
知ることは難しいし、使命に気づいたにしても実行することは容易でない。
地位、名声、金。1、2キログラムの脳が考え出した
人生の付録にはなんの意味もない。
斉藤宗次郎のように
質素で素朴であたたかい生活を送りたいものだ。
平凡という幸せが一番難しいとふと思った。
masa