のほほんとしててもいいですか

ソプラノ歌手 佐藤容子のブログです。よろしくお願いいたします!

オペラの生まれ。

2006-06-03 | 『音楽のはなし』
まあ、もう次回がきました。
がんばりますねえ。
では、オペラはどう生まれたのか探検します。

古代ギリシアでは、屋外の扇形の「アンフィ・テアトロ」と呼ばれる階段状の劇場で音楽劇などが行なわれました。

円形の舞台は「オルケストラ」と呼ばれ「オーケストラ」の語源です。

古代劇を復活させようとしたのがオペラの始まりであったと言われる。
オペラはイタリア語ですが、オペレーションの意味があって、作品とか仕事とかいう語意を持つようですよ。

オペラと呼ばれるものは、17世紀はじめから、イタリアのフィレンツェで行なわれるようになりました。

バルディ家のジョヴァンニ伯爵は、芸術家や学者たちを集め、カメラータと呼ばれるサロンを組織して、理想の芸術を探りました。

彼らは、役者が朗唱するセリフの合間に、合唱隊が状況や心理描写を歌う古代ギリシャ劇を再現しようとしました。

初めはギリシャ劇を再現しようとしたんですね。

それが、オペラ誕生のきっかけです。

フィレンツェで始まったオペラは、16世紀末~17世紀頃、ローマ、ヴェネツィアで行なわれるようになります。

貴族の宮廷で演じられていたオペラは、劇場でも上演されるようになります。

神話を原作とする大規模のオペラは、雷や雨の音などの派手な効果音や、光の場面展開など、凝った装置で観客を引きつけます。

また、幕間に挟まれたちいさい劇のオペラ・ブッファといわれるものが人気を呼びます。

イタリアのオペラ劇団は、ヨーロッパ各地に公演旅行に出かけ、オペラを広めてゆきます。

高音の声を保つために去勢した男性歌手のカストラートが大人気を呼び、あちこちでその力が競われました。
この、カストラート、成功すると大金持ちになれたらしいのです。
変声前の小さいときに去勢してしまうのですが、中には歌手としてうまく行かない人もいたらしく、いろいろな問題もあったようです。

18世紀になると、オペラは、スター歌手のテクニックを見せるものとなり、音域は広がり、細かい旋律の難曲が生まれます。

最高の歌唱力の追求からベル・カント唱法と呼ばれる技術が発展しました。

ベル、は美しい、カントは歌、の意味があります。

イタリア・オペラに魅了された各国の貴族たちは、お抱えの作曲家たちに自前のオペラを注文し、オペラはそれぞれのお国柄が表れたものになって行きます。

フランスでは、優れたダンサーでもあったルイ14世(1638~1715)の時代に、バレエとオペラが融合し、19世紀にグランド・オペラと呼ばれる、オペラが生まれました。

また、セリフと歌が共存するオペラ・コミックも発展します。

フランスでは、パリがオペラの中心地で、オペラ・ガルニエ、バスティーユのパリ・オペラ座は有名です。

オペラ・ガルニエの丸天井はシャガールの壁画で、7トンのシャンデリアがあります。「オペラ座の怪人」のお話を生んだオペラ座です。


さてさて、ドイツのオペラはどうでしょう。

ドイツは、バロック時代から小国を治める貴族が権勢を競って次々と大作を作りました。

18世紀後半からイタリア語ではなくて、ドイツ語で書いたジングシュピールという名前の歌芝居が人気を呼び、モーツァルトも、魔笛、という名作を作ります。

ドイツにはルターの宗教改革のような、思想、哲学の独自な流れがあり、19世紀にこれが民族主義と融合してドイツ・ロマン派と呼ばれる芸術が生まれました。

ウェーバー作曲の「魔弾の射手」によって新しい作風が生まれます。

なぜかというと、古代ギリシャ・ローマの題材ではなくて、ゲルマン神話や民話のストーリーで、ドイツ語で歌われるオペラが確立します。

とくに、ワーグナーは、新しい大規模な上演スタイル「楽劇」を生みました。

バイエルン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場が有名です。

ベルリン国立歌劇場の内部は派手なものではなかったですけど、歴史を感じさせる端正なつくりでした。

お客様の入ることのないスタッフだけの建物や練習室は整然としていて、一流の歌劇場であることを感じさせるものでした。

オーストリアのオペラはどうでしょう。

13世紀後半から20世紀にかけて、南欧スペインから東欧ハンガリーまで、勢力を広げたオーストリア帝国、ハプスブルク家は、多くの音楽家をウィーンに呼び寄せました。

17世紀半ばからオペラ上演の歴史を持ち、19世紀にハプスブルク家の宮廷劇場として始まったウィーン国立歌劇場は、20世紀、音楽監督、指揮者に、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、カラヤンらを迎えます。

すごい・・・。小沢征爾も・・。

ウィーン・フィルハーモニーをかかえる、もっとも高い音楽性をもつ、格式の高い劇場のひとつです。


イギリスのオペラはどうでしょう。

オペラの有名な作曲家がほとんどいなかったイギリスは、18世紀以来、ヘンデルなど、他国の音楽家を呼び寄せることで重要な拠点となりました。

第2次世界大戦後、優れたオペラ作曲家ブリテンが登場します。

今日のイギリスは、作品の保存、発掘、研究などが盛んで、とくに古楽器よるバロック・オペラの再現演奏などに力を入れています。

ロイヤル・オペラ・ハウスは、人気の高い劇場です。

アメリカのオペラはどうでしょう。

アメリカは20世紀に、ヨーロッパから亡命した多くのユダヤ人音楽家を受け入れて、クラシック音楽の断絶を防ぎました。

現在は、ショービジネスの経営法をオペラ興業に取り入れるなど、新機軸を打ち出しています。

世界有数の観客動員をする、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場があります。

日本のオペラはどうでしょう。

明治時代の1903年に初めて正式にオペラを上演しました。

音楽学校を創設して熱心に西欧音楽を取り入れてきた日本では、オペラ上演への努力が続けられきました。

1970年代からは海外のオペラ劇場による来日公演が増えて、オペラが良く聴かれるようになります。

新作では、歌舞伎や能など伝統芸能に題材を求めたものも試みられています。

1997年に日本初のオペラハウスとして新国立劇場が完成しました。

二期会、藤原歌劇団、といったプロのオペラ団体が日本オペラ界を牽引しています。


二期会の先生方お世話になりました。

優秀な人達の歌を、しかも同じ曲を何度も聞くことの出来る授業スタイルは、勉強になりました。



は~~、オペラの話は長かったですね。

次回はバロック音楽に行きます。

バロック、は、いびつな真珠の意味がある、とファッション誌で見たような・・・。

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ルネサンス音楽の日本への影響。

2006-06-03 | 『音楽のはなし』
はいはーい。

今日はルネサンス音楽が日本にどのような影響を与えたかをお勉強したいと思いまする。

1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられました。

キリスト教は、同時にキリシタン音楽を日本に伝えた。

グレゴリオ聖歌、ルネサンス音楽。

これらの音楽は、キリスト教が禁止されるまでの半世紀以上、日本でも演奏された。

1601年のイエズス会年報には、日本でオルガンが作製されたとの記録がある。

1614年、徳川幕府のキリスト教禁制によって、楽器や音楽史料などは、ほとんどが消滅した。

今残されている貴重な音楽資料。
1、1605年長崎で印刷されたグレゴリオ聖歌を含む典礼書で、日本最古の2色刷り印刷本でもある「サカラメンタ提要」

2、16世紀末~17世紀初頭に成立した仮名文字によってラテン語典礼文を筆写した「耶蘇教写経」

3、キリスト教禁止令後、長崎県生月島の隠れキリシタンたちが口伝してきた「オラショ」

現在の日本国内では、ルネサンス音楽は宗教とは関係なく、芸術作品として広く演奏される。

合唱作品は合唱コンクール等の課題曲となっている。



グレゴリオ聖歌は、現在残されているヨーロッパ音楽の中で、再現することが可能な最古の音楽らしいです。

5年くらい前でしたかねえ、グレゴリオ聖歌がとてもはやったことがあって、わたしも買いました。

とても美しくて厳かですよ~。

心の平安を求める人にはおすすめです!

ソレム修道院のが、好きです。

曲目は、たとえばこんな感じです!

天よ、上より雫をしたたらせよ (待降節第4主日のミサのイントロイトゥス)
めでたし、めぐみに満てるマリア (待降節第4主日のミサのオッフェルトリウム)
われは思いをめぐらさん (年間の第29週のミサのオッフェルトリウム)
すべての国々よ、主に向かいて歓呼せよ (復活後第3週のミサのイントロイトゥス)
深き淵より (年間の第33週のミサのオッフェルトリウム)
幸いなるかな、心清き者 (聖人共通のミサのコンムニオ)
キリストはわれらのために (枝の主日のミサのグラドゥアーレ)
わが心、屈辱と悲惨によりて (枝の主日のミサのオッフェルトリウム)
主は言いたもう (年間の第3週のミサのコンムニオ)
全地の民よ、主に向かいて歓呼せよ (復活後第5週のミサのオッフェルトリウム)
聖母マリアの無原罪のやどりの祝日のミサ
イントロイトゥス: われ主のうちに大いに楽しみ
キリエ 第9番
グローリア 第9番
アレルヤ: マリアよ、御身すべてに美し
オッフェルトリウム: めでたし、めぐみに満てるマリア
サンクトゥス 第9番
アニュス・デイ 第9番
コンムニオ: マリアよ、御身について栄光が語られぬ
アンティフォナ 《めでたし女王、あわれみ深き母》


グレゴリオ聖歌には関係ないのですけど、スタバート・マーテル、という、悲しみの聖母をなぐさめる歌があり、ペルゴレージ、スカルラッティなど、いろんな作曲家のものがあるらしいのですけど、大学の合唱の時間にドヴォルザークのスタバート・マーテル《悲しみの聖母》 を歌ったときはしびれました!

ぜひ聴いてみてくださいね。

わたしもきょうなにかグレゴリオ聖歌を買ってみよう。 


次回はオペラの生まれでーす。

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