傀儡(これは、操り人形のことらしいです)、という単語を調べていたら、たまたま『貝寄せ』という単語を知りましたので、ちょっと使ってみたくなって、書いてみました
海の上を西から柔らかにスキップしてきたその風は、貝寄せと言われた。
ほんとのところはわからない、ただそう聞いた気がする。
この時期になると、竜神様が難波の浜に貝を捧げる、とか。
風を体に受けると、未知の記憶がよみがえる気がした。
記憶なのに、未知とはおかしいじゃないか、と思うかもしれないが、最近つくづく思うのが、自分の心身は長い引き継ぎの延長線上にあることだ。
こうやって世間を見渡して、自分自身の姿が見え、くすっと顔がほころぶくらいになるまでは、いつも自分のやっていいことを主張したいと無意識に感じていたこともあるし、あったとしても特に意義も不透明な存在意義が、あるか、ないか、と、常に自分の居場所にびくびくしていた気もする。
つながり、とか、家族、とか、そういうちょっと温度のある言葉は、ある時までは手に持ちづらかった。
そういうことが、人として大切にした方がいいことは、わかっていたけれど、そういうことが、同時に自分の髪やちょっとした瞬きを縛る気がしなくなかった。
いまでは、そんな憂いを微量含みながらも、適宜飲み込める、と思う。
話はそれたが、未知の記憶なんて言ったが、ほんとの話、それは、記憶であってくれたらいいなという希望的想像にしかすぎない。
ただ、ある人間の体から誕生したというのなら、ある人間を生んだその先々に広がる過去を、自分の体系として感じたい、と、思う。
人を亡くすと、波が運んでくる風さえ、捧げられた憂いのような気がするから面白い。
ときどき、思っていてもいいですか。
思わなくてもいいんですけどね。
少なくとも少しは、自分は、風が貝を寄せるように、優しさが寄せられたその先に、やっとあることができると、また、できた、と、ありがとうをいう。