いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

昭和27年7月18日

2007年07月19日 | 晴歩雨読夏

 7月18日は…大賀ハスの花が2000年の眠りから覚めた日。
             即ち、大賀ハス開花記念日です。インターネット参照→大賀ハス

                       千葉公園 綿打池


ひらいた ひらいた       つぼんだ つぼんだ              花びらは 
何の花がひらいた        何の花がつぼんだ               開花・閉じるを
レンゲの花がひらいた      レンゲの花がつぼんだ             3回繰り返して
ひらいたと思ったら       つぼんだと思ったら              4回目は
いつの間にか          いつの間にか                  閉じることなく
つぼんだ            ひらいた                        散るとのこと
                        〔わらべうた〕

    記念日の大賀ハス その前日もハス池を散歩した。
 7月17日に、明日咲きそうだと思ったハスの蕾!(下図 この花の蕾の姿です)


    
  I.S.さんとS.O.が出掛けてハスの鑑賞。     こちらは写生した方から絵を借りてパチリ。
写真は参加するつもりだったA.さんに写メールしたもので~す。


前日の台風にもめげず17日に健気に咲いていたハスの花。
少し花びらが乱れてはいるものの何とも言えない花びらの色の素晴らしさ。
 下の写真は生憎の小雨にもかかわらず、団体さんがこの蓮華亭を訪れ、
大賀ハスの鑑賞をされていた。

2000年の眠りから覚めて、今日の私たちに
その美しさを見せてくれたことは、感激に値する。

大賀博士やそのほか関係する皆様に感謝したい。


納得!

2007年07月15日 | 晴歩雨読夏

 楽しい情報集めを学びました。
 F.K.さんに、私の前からの友達とご一緒にとお誘いしていたら、反対に「その日なら…」とF.K.さんに誘われてその計画に乗りました。

 国立劇場の中の伝統芸能情報館で、「映画だけれど文楽を無料で楽しめるの」という。
 外国の方は日本の伝統的な芸能として興味をもち学んでもくださっているのに、列記とした日本人である私が、難しいと敬遠している「文楽」や「能」、「狂言」。イーデス・ハンソンさんは確か文楽に興味をもたれて、人形を扱う吉田某という方と結婚され、帰化して日本人になったほど尊敬に値するひとり…。
 ひどい話で申し訳ないことだったと後悔しているのだが、高いチケットを買っておきながら文楽の舞台をすっぽかした過去もあり、能舞台の花道の直ぐ前の席で眠ってしまったこともある。F.K.さんは「もったいない…!」と呆れ顔。
   
   国立劇場↑       伝統芸能情報館

 
                       情報館の玄関
 お誘いを受けた今回のものは「公演記録鑑賞会」として4月から9月まで、毎月第2金曜日午後2時から先着120名(開演中の入場はもちろん出来ない。)というもの。
 演目は「祇園祭礼信仰記」で〔金閣寺の段〕だけを拝見した。〔爪先鼠の段〕は惜しくも見ずに退席したが、帰ってから検索して調べたら、爪先鼠は姫さまが、爪先で描いた鼠が実際に動き出して結わえられた綱を噛み切ってもらい助けられたと言う話。よかったんだろうなぁ、もう少し粘っていたほうがよかったかな?と思った。
 F.K.さんは最後までご覧になると思ったのに悪いことをしてしまった。私に付き合ってくださって、申し訳ない気持ちが残った。
 〔金閣寺の段〕が始まった時は、全く言葉として掴めない状況だったが、やはり私は日本人だと確信した。だんだん解ってくるのだ。
 信長と秀吉が囲碁を楽しんでいて、秀吉の打ち方は淀みなく一気に人形の手から碁盤にスッと打つが、信長は碁を盤に落として碁石を動かす打ち方で、考えながら打っている表現は指使いの細かさも窺えて見事だ。ついに信長の負けの色が濃くなってきたところで、碁盤をひっくり返す怒り―相手を許せないほど悔しがる。…そんな怖さも感じさせてこれが人形かと思えるほどのチームワークで一糸乱れぬ滑らかさであった。
 映画だからその微妙な部分を知ることが出来たとも言えるし反対に直に見なくては分からないことも多かろう。そこが情報館の目的でもある。
         
 F.K.さんの情報蒐集は、それぞれの施設にあるチラシをたくさん集めて、よさそうな好みに合いそうなものを選択するのだ。大なり小なりには皆さんもなさっているでしょうが、時間を有意義にそして情報を上手に活用され金額もそれほど張らないで楽しめる賢い手段の選択は、畏れ入ったし感心した!!
 真似の少しでも出来るものならと私も集めたが、どのくらい上手にそして貪欲に素晴らしいものを掬い味わうことができるであろうか?
 少しでも真似をしよう、良いことを教えて頂いたと思って、帰ってきたけれど…。


七夕こぼれ話

2007年07月08日 | 晴歩雨読夏


私たちが子どもの頃、七夕様には笹飾りをして
それぞれにお願い事を短冊に書きました。

今ふっと思い浮かんだのですが、これって季節が違いますが
クリスマスのプレゼントごっこと通じているかも…?
子どもが何を望んでいるのか、親の身になれば、
解るいいチャンスです。

あるブログには、子供たちの願い事が全く無い短冊や
切り紙細工が笹に飾ってあるだけだった…とありました。

私が今日見てきました。
ある介護施設の食堂の入り口に、2本の笹が飾ってあるのです。

ここの方たちはどんなお願いをなさったのかしら?

「私はむかし哲学少女…ウフフ 今も楽しいですよ」
「早くおうちにかえりたい」
「もしも私が生まれ変わったなら 丈夫な身体で元気に
好きなことをして過ごしたい」
「カレーライスが食べたい」
「仕事をしたい」
「好きな人とくらしたい」

あ~、色々な願いがあります。
まだまだたくさん…でもメモして来なかったので思い出せるまま。

今コマーシャルで、
「おじいさんの願いは何ですか」と孫娘が聞きます。

おじいさんは何と応えるでしょうか?

おや~?と意外な答えでした。

「もう一度恋愛をしたい!!」

「う~ん」…そうなんだ~。
希望・成就・活動・快楽・工夫・・
何だかわからないけれど、若者のような気持ちで
暮らせば病気も軽くなっていくという
実験結果もあるそうですね。
お年よりは赤ちゃんや幼い子供が大好きです。
こんなところからも、若いエネルギーを思い出しては元気になるのでしょう。


南総里見八犬伝

2007年07月04日 | 晴歩雨読夏

 千葉県が舞台になっての有名な物語「南総里見八犬伝」…申し訳ないけれど子供の頃、この物語にあまり興味を持たなかったのです。
 その昔父は女の子にも、これは面白いぞと薦めてはくれていたのでしたが、とうとう私は読んではいません。仕方がないので、インターネットのお世話になろうと開きました。

南総里見八犬伝
 曲亭馬琴(1767-1848)作の江戸時代後期の人気小説。
 全九十八巻百六冊、日本古典文学史上最長の雄編。
 戦国初頭の関八州を舞台に、犬と夫婦になる悲運の姫君と、
仁義礼智忠信孝悌の文字が浮きでる八つの霊玉を持つ、
八人の若き武士たちが活躍する物語。
 だが今は「読まれざる傑作」となっている。
江戸の人々が熱狂して読んだ人気作品が面白くないのか?
 否、そんなことはない。
 しかし、古典文学人気勝負、東の横綱・武家文学代表「南総里見八犬伝」
vs.西の横綱・公家文学代表「源氏物語」。
どうも八犬伝が負けている感じである。これではいかんぞ~。

 ……てなわけで、"白龍亭"に来たからには「南総里見八犬伝」の魅力を知らずには
帰さぬぞ、なんてね。
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/menu.html
(インターネットより)

我が息子は、少年時代に漫画「ドラゴンボール」に夢中になったけれど、
これは…「土台が八犬伝らしいわ」と感じて「本物の物語を読みなさい」
などと言って薦めてはいたのでしたが…。
 インターネットのあるページに誘われて、
そのうち私も読まなくっちゃ!と決心いたしました。

里見城がある城山公園より海を望む

トンビが画面に入ったと思ったが…  
              

 
 館山城(里見城とも言われる)       城山に葬られた八人の忠臣の墓。
                       里見八犬伝のモデルになったと言われる。
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Tateyama/インターネットから
 

そろそろ今日のコースの終わりに近づきました。養老渓谷です。

 若いグループ・2カップル。
女性がハイヒールを履いて川原を散歩していたのには
「小母さん」は少々驚き!
若いっていうこと!?

昔の私たちも「若さから…」と
年配者を驚かせその理由で片付けられていたことが
あったのでしょうか!?

 
上の写真はお世話になりました、左から、A.Kさんのご主人で住職さん、
隣は二千和会会員のA.Kさん、K.Mさん。
下は、夕闇迫る時刻でしたが、"出世観音"の珍しい「ふたこぶ?の太鼓橋」
渡れば~山有り谷有り?かな~ を感じてしまいました。

「おまけ」で~す!
イワタバコの花が咲いていました。


先日の鎌倉では咲き終わった岩煙草の葉っぱのみを見ました。
たまたま千葉・鋸山ではちょうど"満開の花時"でした。 
 
大変お世話になりました住職さんに心から御礼申し上げます。
また何かよいニュースや、またお知恵などがありましたら
よろしくお願いいたします。

千葉はなんと言ったって!

2007年07月03日 | 晴歩雨読夏

 もし千葉で二千和会が行ってみるなら…?
千葉の代表的な観光地は「鋸山」だと幼いころから思っていた所。
ああ、でもこれは文学面ではなく歴史的観光面での色合いが強い…!!
二千和会候補地コースとしては魅力がないということでしょうか。
でも鋸山も最近ちょっと変わってきましたので
見てくださいね。


日本一の大仏さま(鋸山日本寺)
鎌倉の大仏様=13.350m 奈良の大仏様=18.18m 鋸山の大仏様=31.05m

 
百尺観音の前で ―この二組は同級生同士でした―
我ら戦中派の64、5歳のクラスメイト組、
片や現在81歳の同級生仲間だと言う。

凄い達者なお爺ちゃん組です。
私たちはハンカチが絞れるほど汗をかいて登って来ましたのに。
途中すれ違い、追い抜いてきたその方々…
昔は若かった男性組…お一人は確かにその途中で石段に
腰をおろしてへばっておいででしたが、
果たして我々女性組が16、7年後に
「鋸山へ登ろうよ」なんて思うでしょうか。
きっと息子、娘や孫たちに「いってらっしゃい」と
勧めはするだろうけれど、家で留守番しているからと丸い心で
丸い背中をさらに丸くすぼめて送り出すのが見えるような気がします。


百尺観音から空を仰げば上には地獄のぞきの岩がそりだしています。

地獄のぞきの岩に立つと湿った下界から上がってきた霧が
風に流されてあっという間に向こうの岩も隠します。
まるで天国にいるような感じでしょうか…
そんな気候でもありました。




居並ぶ千五百羅漢様のなかには、自分とそっくりなお顔の姿があるとか…。
限りなく並べられた羅漢様。
密かに、あれが自分に似てるかな?などと思いながら、
濡れている石段を踏みしめて滑らないよう注意して下りました。

そしてお昼!
美味しい海の魚料理(金目鯛、メバル、ムツの煮魚・焼き魚)に
舌鼓を打つことになって…幸せでした。
お刺身盛り合わせも、美味しかった!
皆さんも一度訪れてお味見なさることをお薦めします。


有名人(周富徳・藤岡弘・藤田まこと・阿藤快など)の色紙が
掲げられ、それらの方々が立ち寄っているという
格別に美味しいお店(福喜庵・0470-33-4450)が
見つかったこと、これひとつとっても
運がよい一日となったのでした。
もちろんお天気もよくなって
きましたから!

A.Kさんのご主人が案内と運転役を引き受けて下さったのですが
食欲さえ満たせば静かに満ち足りた表情をする…との
評価を3人はもらってしまいました。

ラッキー!ラッキー!ラッキー!
(↑3人分の叫び声です)


今日は雨降り

2007年07月02日 | 晴歩雨読夏

 梅雨らしく今日は雨だね…しかし鬱陶しいのはごめんだ…
でもね、我々の水源が干からびては大変よ!
 複雑な心境のこの頃です。鎌倉では散歩の半分以上は雨の中でした。
雨を楽しむことに切り替えました。


百日紅の若葉の先に光る雫



葉っぱの先から零れ落ちそうな、でも懸命にしがみついて落ちないでいる。

梔子も明日は開いてくれるでしょう。

蔓性のノウゼンカズラが今を盛りに咲いています。

 


昨年のこの頃は

2007年06月05日 | 晴歩雨読夏

"北総の小江戸"とも呼ばれる佐原の町には、
紫陽花・花菖蒲の頃、訪れました。
 
 

佐原の町のボランティアガイドさんは80歳を少し越えたお姉さま! 
そしてまた!水生植物園組と町内散歩組…、それぞれに別れて佐原界隈を
楽しみました。なんとこの日の午後は町内の夏祭りでした。

町全体の雰囲気はしっとりとした
江戸の風情を残している「いい町」という印象でした。
佐原は小野川とともに今に生きている…

 
佐原の町中の案内板と水生植物園(加工写真)

そしてまた…
その前年の紫陽花のころは松土方面・本土寺、戸定邸(武家屋敷)へ
 
花盛りのいい時期に巡り合えて素晴らしかった!
梅雨時にもめげず、行きましたねぇ。
今年は雨が少ないようです。
鎌倉界隈での我ら二千和会……今年はどうでしょうか?
期待して参加してみましょう!

 


鎌倉下見 「鎌倉文学館」

2007年05月20日 | 晴歩雨読夏

鎌倉文学館 バラまつり  5月12日(土)~6月3日(日) 

文学館の庭園には200株のバラが咲き競っている。







企画展 澁澤龍彦 カマクラノ日々
4月28日(土)~7月8日(日)

         「澁澤龍彦」     澁澤龍彦の墓 北鎌倉・浄智寺  
 フランス文学者、小説家、美術エッセイストである澁澤龍彦(1928-1987)は、埼玉の名家である澁澤一族の本家「東の家」の直系で、武州銀行に勤める武の長男として生まれた(本名は龍雄)。18歳で家族と鎌倉に移り住み終生この地に住んだ。墓所は北鎌倉の浄智寺(写真右)。
 文学の世界では、マルキ・ド・サドやユイスマンスの翻訳者・紹介者として脚光を浴び、澁澤は一方で既存の美術史の枠にとらわれることなく、マニエリスムの時代からシュルレアリスム、近世から同時代の日本の美術家まで多くの美術家たちを彼独自の美的視野のもとに紹介した。
 また、1960年代は三島由紀夫や土方巽、唐十郎など、文学や演劇、美術の先鋭たちがジャンルを超えて緊密に結びつく時代であった。澁澤の周囲には、引き寄せられるかのように芸術家たちが集まり、一種のサロンの様相を呈していたといわれている。そのような交友のなかで、澁澤龍彦が時代をどのようにリードしていたかを考えてみたい。
   両親・父の武は銀行員。母は節子(実業家で政治家の磯部保次長女)
   最初の
妻・矢川澄子(詩人。教育学者矢川徳光の娘) 仏画家矢野眞は義弟。
   再婚の
妻・澁澤龍子
   
妹・澁澤幸子(作家)       ・Wikipedia・チラシなどを参考にした。 
 


鎌倉下見のご報告

2007年05月17日 | 晴歩雨読夏

 先日の運営委員会で次回の下見を5月15日と設定していた。しかし止むを得ない事情ができてしまい、5人参加の予定が3人で実施することになった。
 当日の天気予報は「寒気を伴った気圧の谷が東日本を通過。東北、北陸、関東の所々でにわか雨や雷雨になる。」…。
 肌寒さも感じる気温、天気を気にしながらも、日差しは明るい―用意した帽子を被るくらいの午前中であった。横須賀線の車内で時間・コースの検討・確認をして、江ノ電の長谷駅下車。鎌倉大仏を目指して進み、途中長谷寺、光則寺の場所を確かめながら歩いた。
 大仏を取り巻く喧騒を折り返し、昼食をとる。蕎麦屋に入り食事中に雨が降り出して雷も鳴ったようだった。しかし運の良かったこと!偶然にも雨宿りも兼ねた時をもったのだった。今日はついている……。

 
後方に見えるのが長谷寺の山門        隣接する花の寺 光則寺

 店を出て傘をさして予定のコースを進むうち雨も上がってきた。静かなお屋敷町の路地に入れば、川端康成の記念館があるはずと探したが、現在は開いていないと近くの住人の応え。さらに進み鎌倉文学館にたどり着く。そのプロムナードは石畳の緩やかな曲線を描く坂道で、両脇の樹木から雨後のしずく音が聞こえるような森閑さであった。「澁澤龍彦企画展」開催で入館料400円。急に明るく開いた文学館は旧前田公爵別邸とあって洋館建ての館内も庭園もなかなかのもの。
 次に吉屋信子記念館へと。こちらは純和風家屋で吉屋信子の自宅だったそうだが今日は閉館日だった。ここは年に数えるほどの日数の公開しかしない。そこで、二千和会「第35回鎌倉方面散策」予定日は、下見の結果「吉屋信子記念館」一般公開日に重ね合わせて6月30日(土)に変更致したいと思いますので、よろしくご理解の程お願いします。
 また由比ガ浜駅周辺には虚子の碑があると検索に著されていたので探したがとうとう分からず…。困って付近の店に飛び込んだら親切に教えて下さったが、通りすがりの住人でさえ知らないような分かりづらく膝下くらいの小さいものとの話。

雨が上がってさわやかな午後の光に樹木の葉が映える
 
鎌倉文学館のバラ園から館を望む         芝生でお弁当も可能とのこと

 
由比ガ浜駅近くには鎌倉彫の寸松堂  和田塚駅にある和田一族の墓所

 平成14年3月31日に北鎌倉駅から建長寺~天園コースをハイキングしながらお花見をしたが、このたびは鎌倉駅経由江ノ電を使って長谷駅下車、鎌倉大仏などお寺や季節の紫陽花などを観賞することも織り交ぜての文学散歩コースということになります。どうぞご期待ください。