1ヵ月前にお誘いのあったミニクラス会。駅前の波奈でお昼を頂こう!の呼びかけに、14名が顔を揃えるという。お昼の母の食事介助は私の役目で、この寒さもあり心配な様子だったので、手抜きはせずにおこうと予定していた。けれど、おとといあたりから少し良い方向への兆し、母の微笑みも見えてきたので、自分自身のことに早速切り替えて、ヘルパーさんにお願いしてクラス会へ出席してみた。
この集まりは、いつも Isokoさんが連絡を取ってくださって、都合のつく方が集合する。彼女がマメにやってくださるからで、たびたびこのような機会がもてるのだ。友達と過ごせる時があることの幸せを感じている。
私たちの集まりのメニューは、食事会からカラオケ、そして夕方からはアルコールも添えた食事と楽しいおしゃべりに、どんどん若さ溢れる雰囲気に移行していくところがミソというもの。
カラオケには若い頃、“職場の花”で歌っていらしたんじゃないかと思わせる方、音楽的才能のある方、今もその方面で実際に活躍なさっている方…など多彩。聴かせてくださる。
“Forever Friends” なんだと、実感する。 竹内まりやの作詞・作曲にあるがそうだねと頷く部分が多い。(歌詞は次のとおりです。)
♪ どんなに長く ごぶさたをしてても 電話ひとつかけるだけで 学生に戻れる
懐かしい場所で 待ち合わせをしたら 思い切りはしゃぎながら ドライブに出かけよう
それぞれに抱えてる悩み 打ち明けなくたって 瞳を見ればすぐわかる 恋のゆくえくらいは
だって 彼よりもっと心許している
そんな仲間 永遠の友達 いつまでも友達
―(以下略)―
今まで何度か会っているのに、共通の歌を歌うことは稀! “共通”とは、一番に校歌だ。
先日母校のホームページを開いて校歌をクリックした。歌詞と同時にピアノでの旋律が流れてきた。思わずひとりでそれに合わせて歌っていたら、涙が出るほどに感極まってきたのだ。歌おうよ!と呼びかけた。卒業以来歌っていなかった人も、歌えるか心配の方もいたが、みんなで歌ったら不思議に歌えた!と、いう方もいらした。
現在も歌われ親しまれている、朧月夜〔菜の花畑に入り日うすれ…〕紅葉〔秋の夕日に…〕故郷〔うさぎ追いし…〕日の丸〔白地に赤く…〕春の小川〔春の小川はさらさら流る…〕などの歌を作られた、作詞家高野辰之と作曲家岡野貞一のコンビが、我ら母校の校歌を作られたのである。
作詞 高野辰之
作曲 岡野貞一
編曲 山田礼子
1 月の桂は手折るとも 言葉の花はかざすとも
千葉野の松は色変へぬ 操あらずば何かせむ
2 袖ヶ浦を漕ぐ船の おごらずうまず怠らず
おのがつとめに励みつつ 御国の民と世に立たむ
文語調で、内容も古めかしく思うかもしれない。しかし、女性のあるべき姿、人として生きる姿を謳っていると思う。誇らしいことと思う。この精神はいつの世にも生きて行かねばなるまい。そしてこの思いを無意識ではあったが、胸に抱いて生きてきた半生を思うと感激に震えてくるのだ。
校歌を歌わなくても、共通の気持ちに帰れるけれど、さらに校歌を一緒に歌えば…それこそ、“校歌の効果”である。
「○○年度第○回卒業生同窓会」とか「クラス会」とか単語を並べ立て長々しいから、ひと言でその固有な年度を示す良い名前が欲しいと提案したいと思う。
「千松会せんしょうかい」響きも意味合いもいいな!千葉と変わらぬ松の色と…素敵じゃないかなぁ。
「淡竹会はちくかい」これは学校文集の名前を貰ってみた。
「月の桂会」「言の花会」「月華会」「桂樹会」「燦き会」…
「・・・・・・」 あ~私の浅知恵では良いのが浮かばない。何か無いかな?…と言ってみて、おや?私は会の名前などを考えるのが好きなんだなぁと振り返って思う。実はこの文学散歩会が西暦2000年に出来た会だからと、「二千和会」と提案、命名したのは私だったじゃないの!
(でも…名乗るも照れてしまう「セレブ会」は賛成はしたのだけれど、私の案の範疇にはない。念のため。)
夕方西の空を見上げると、キラッと大きく光る星が見える。いつも、カメラに収めたいと思いながらも、私のコンパクト・デジカメでは無理だろうな…と諦めている。
今夕は少し暗みかけたときの帰宅で、洗濯物がまだ軒先に乾したまま…。慌てて取り込みながら、バッグの中にあったカメラを取り出して、撮ってみようかと挑戦してみたが、果たしてこの画像でわかるだろうか?
上の写真を拡大したが、やはりブレも拡大されてもいるが…宵の明星!
夕方の西の天空に見える星。幼いころの思い出。
“一番星見~つけた” などと言いながら、つい友達の家で暗くなるまで、遊んでしまった帰り道、妹と肩を並べながら空を見上げて、うきうきと楽しみの余韻を温めながら見上げたっけ。暗い道を余計元気な様子で「そこのけそこのけ」の勢いで歩いた思い出。
その少し前の、空がまだ明るんでいる時間なら、勿論 “夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る~” の歌を、声高らかに歌いながら家路に急いだ思い出が、星を見上げて浮かんできた。
夕方の金星は「宵の明星」、明け方の東天に見える金星は「明けの明星」。
星の煌きは遠い郷愁を呼び起こす。
この写真の空にポツンと白い小さな点が、金星なんだけれど…。
昔は「子どもは太陽が沈む前にお家に帰るように…」とか、「暗くなって外を出歩くな…」「暗いところで一人で居ると神隠しに会うよ…」、「幽霊が出るぞ~~!」と、子どもが怖がるような幽霊話をまことしやかに話してくれる大人たちもいた。脅かされながら子どもは用心深くなって育った。幼かった私たち姉妹は幽霊の脅しには、科学的ではない話だから…なんて親の受け売りだが怖がらなかった。しかし、「人間の怖さ・悪いのは人間なんだ。」とはよく聞かされ、よくよく注意するようにと教えられていた。
いまだ解決しないが、可哀想な話…早くなんとかならないかと胸が痛む「横田めぐみさん」のことを思う。そんなころの話だったか!? もう少し後の話だ。子どもをさらっていく悪い大人たちが暗くなると出没したのだ。そんなふうに具体的には親も言わなかったけれど、戦後の不安定な時代は、それなりの怖さがあった。今も世の中は、別のたぐいの物騒な話が蔓延しているんだけれど……。
金星の“煌き”で夢のような話をしたかったが、こんな具合に発展か!?
横道に反れてしまったが、これも許して下さるかなぁ?
お寒いなか、皆様は如何お過ごしでしょうか?
この度の「七福神めぐり」も楽しいうちに終わり、昨年末の総会の件も記事にまとめて、会報の編集に取り掛からねばならない時期になりました。
何人かの原稿は頂戴していますものの、会員皆様からの原稿を頂戴したく募ります。どうぞお寄せ頂きたい、「七福神には参加できなかったけれど、私は健在よ!」と元気なお顔を会報に登場願いたいと思う次第です。
実は先ほど、メールアドレスをお持ちの方には原稿依頼のメールを発信いたしました。メールアドレスを持たないでこのブログに訪問の会員の皆様には、是非ファックスや郵送で、作品をお寄せいただけますよう、首を長くしてお待ち申し上げております。
会長を初めとして、運営委員会では全会員のお声や反応を、相互にご覧になって更なる交流を深めたいという心づもりでおります。原稿募集のご案内方々、お願い申し上げます。
記
投稿締め切り期日…2月7日(土)
内 容 …「575・交歓広場」 575のリズムで俳句・川柳・一行詩、または短歌・詩など。
近況・七福神(参加・不参加で、思うこと)・心に留め置きたいこと、など自由に。
*例によって「575」のリズムに踏まえて、今の気持ち・思いを自由にお書きくださってお寄せ頂きたいと願っています。
絵手紙ではないけれど、「下手がいい」「下手でいい」「上手く画かなくてもいい」という精神を尊んでいます。どうぞよろしくお願いします。
会報は会員みんなのもの。少しでも自分を前に出して、楽しんでくださいね。
お待ちしています!!!
昨日は氷雨に見舞われた。一日中、降り続いて今日の昼過ぎまで小雨模様。
これまでは朝早い運転に、冷えたハンドルを握って車の中が温まらないうちに目的地に着いてしまったので、手のひらが、つ~めたく指先が氷のようにカチカチになって困った。昨日もエアコンが効くまでの間が長く感じられた。
そう、1月20日は大寒。寒いはずだ。
その20日から3日経った今日、午後から雨が上がり、お日様が顔を出した。あぁ、和むような暖かさ。実感として受け取れる体感温度に、心もほぐれる。風景も暖かそうな、一雨あるとその分春に近づいて行っているような今日の景色。いやいや、立春までまだ少しある。風邪のひきなおしをしないように、気をつけよう。
おとといアップした椿の花が、今日雨が上がったころは雨粒を湛えながら美しく咲き出していた。椿の花の名前は「浅香姫」?「桜里」?「不老庵」? ネットで調べましたが判明しませんでした。椿の名前は「侘助椿」または「侘助」と判りました(26日追記)。
私は花を綺麗に撮りたいと思いながらもなかなかピントが合わずに出来が悪くて、なんとかならないものかと、自分でも思っていた。そんな写真でも言葉が詰まったブログの1ページに、撮った写真を織り交ぜて目休め程度の変化を期待して、載せていた。
でも、今日の椿の写真は一昨日よりもよく撮れたと思う。コンパクト・デジカメだから一眼レフのデジカメのようにはとても撮れないと諦めの風情でいたが……。あれこれと撮りながらの研究?で、ついに、まあまあか!と自己満足ではあるが花の綺麗な写真が撮れる様になった。偶然の強みもあるけれどね。
ピントもボケないでカッチリ! 露の丸みの中に薄桃色の花びらが見えているではないか!…感激。
実はこの椿、直径10センチ足らずの小輪咲きで色合いも優しくて、品種改良もされない野生のごとくの目立たない花。咲き方も蕾のうちは上を向いているのに、咲き出すと恥じらいをみせるような静かな咲き方で、だんだん下向きになる。ラッパ咲きというのだそうだ。
母が植えた小さな薄桃色の椿が一段と陽射しの加勢を受けて綺麗に見えた。花の姿を見つめ素敵な花だと、そのかわいらしさ、愛らしさ、いじらしさを表現したいと思いながらカメラを向けると、ちゃんと花は応えてくれることを発見した。
ちょっと嬉しくなってきた。
双子のきょうだいの気持ちが揃わないのも別々に育ったから仕方ないか…とか、日本髪が似合わなかった舞妓さんの姿も、なんだかねぇ…と視聴者に思わせてしまったし。大体、東京周辺の方々は関西方面の話とか喋りが、いまいち乗り切れないし、その気持ちが測り知れない―理解できないという弱さもあるらしい…ようだと別サイドから見ていると、そんな風に見えるが…? 真相は謎・・わからない。
その「だんだん」の話題は、双子のきょうだいが人気歌手として売り出すプロデューサーのテクニックと方針に乗れないこと、その路線で歌うことに疑問を感じてる姉の方と、舞妓として商業ベースで生活していた妹の気持ちのずれを、修復しようと「いのち」というオリジナルソングを自分たちで作って新たに挑戦しようという、今日の話だった。
寒いこの頃、病と闘っている方々には辛い時期。「いのち」を脅かすような気配さえする。
我が母は、いまようやく峠を越すことが出来て、また以前の老健施設に戻ることが出来た。YGさんのお母様も、我が母とひとつお若いというだけの同世代で、最近患われてしまったので、介護に対応する問題が出てきてしまった。気になる環境条件として娘の立場では放ってはおけない状況となっているのだという。ブログどころではないのだろう。
私自身は、こうしてブログをアップロードすることで気持ちの整理(…?)や、気分を昇華させて心を広く保てるような(?)効果があると自己診断している。そのため、このブログを書き上げることは、私の環境を見回すことや一点に問題を絞らないで興味関心を他に向けられて悲観的に陥ることにはなり難い…など、精神衛生上 かなり役立っていると評価しているのだが…?どうだろうか?
いま生きている誰にでも、「死は訪れる」ことで、これは紛れもない真実。どのように生きていくかも一人ひとり違うように、どのような過程を辿って死に至るかも違うのだ。
“生き方”は自分で変えることが出来るけれど、“死に方”は天の思し召すままというか、運命としか言いようが無い。私は父の亡くなったとき、お坊さんが諭された言葉を胸に大事に仕舞い、事あるごとに思い起こしては自分の人生の指針にしている。“一生懸命に生きた人は一所懸命に素晴らしい死に方ができる”って。
きっと、そうだよね。その言葉を宝にして今を一所懸命に生きているつもりだ。
そろそろ、おでんの大根も柔らかく味が芯まで沁みてきて透き通るような飴色になってきた。夕ご飯の用意も整いブログも完成としよう。
この頃考える。昨日はNHKスペシャルで「男と女」第3回の放送があり興味をそそられた。
男の脳と女の脳は、同じことをしていても働く場所が違うようになっている…という。
女は一度の経験は、細かい部分まで記憶し、男は些細なことは記憶しないようになっているのだという。
男女の脳には狩猟採集時代の遺物とも言えるが、無意識のなかに深く根ざして性差に表われているのだという。生き延びるために、例えば女性担当の「子育て」にあたり“怖い”とか、“危険”とかはしっかりと覚えていないと、経験を生かして大事な子どもを成人させることが不可能になるし、男性は家族を養うために狩猟する役割を担っているので、その時危険なことにも勇敢に挑まなければ目的が果たせなくなる。だから、次のチャンスに出遭って、危険ということをかっちりと記憶していると、怖くて手が出せなくなると困るから、なるべく忘れるように出来ているのだという。
女は地図が読めないとか、一度に違うことが出来るとか、男にとって不都合なことをよく覚えているとか(性差←クリックして見て!)…これは女性が家族を守るためなど、男とは違う分野の脳が働いているためだという。
男と女の性を決定するのはXX遺伝子か、XY遺伝子かである。
男はXY遺伝子をもっているため男性となる。父と母から貰い受ける遺伝子で、性を決めるY遺伝子は、母からは貰うことが無い。父(男)しか持っていないY遺伝子を貰って、男が誕生する。
何かの拍子にY遺伝子に傷がついても、母からの遺伝子で補うことが出来ないので、傷ついたY遺伝子を受けてしまう。女性は例え傷ついた遺伝子があったとしても、父からのX遺伝子と対になって補えるのだ。
男は対の遺伝子は母からは受けられないため補うことも出来ず、次の世代も傷を持ったままのY遺伝子を受け継ぎ、遂には男のY遺伝子は弱い存在のものしか存在しないことになってしまうというのだ。
男が存在しない時代がくるということを、昨日のNHKスペシャルでは言っていた。
(最新科学←クリックして見て!)男が居なくなるということは生殖不可となり、人類が滅亡するかもしれないと…?
ところが、今動物の世界で爬虫類だけれど雌だけで子孫を残す生き物があるのだという。昔は雌雄別だった生き物なのだ。もっとも、下等動物には雌雄同体という生き物もあるのだが、その存在とは全く別物!
さて、今後の地球上の生物体系はどうなっていくのだろう。
先日の七福神めぐりの際に、歩きながらとか、ご苦労様会のときの話題の中で「なるほど!好いこと聞いたわ!」という種があったので、ここに記しておきたい。
それは、ひとつは『蛍の光』の歌詞で「♪~さきくとばかり 歌うなり~」という言葉。その〔さきく〕は二つの言葉の結合された言葉で、〔幸(さき・さち)〕と〔多く〕、〔つつがなく〕ということを表した言葉で、病気にもならないで幸せが多いようにとの内容なのだと Itoh さんから教えて頂いたこと。
もうひとつは、この会の最高齢者・今年87歳の Miuraさんのお話。
「何故にお元気で、歩くときも何の支障も無く、またお酒をそんなに美味しそうに頂けるのでしょう?」との質問に、
「それは、自分で食事に関することを管理しているからでしょうね。普通女性は男性よりも長生きです! 女性は、家族の健康を気遣いながら台所を担当しているからですよ。まず自分が食べたいものを選んで、作っていて、食べられるからですよ。私は自分で作ります。食べたいと思うものを自分が要求している量を食べていますから。」
いま86歳の方がお料理しているんです。感心と感動です。
“う~ん!それも一理あり”と、頷いてしまいました。
街角の道案内図を見入る会員。「中華人民共和国大使館、麻布中学・高校の前の道を通ってカタール国やマダガスカル共和国大使館からアルゼンチン共和国・スロバキア大使館前の道…こんどは大法寺、いよいよあと二つだね。」 確認しながら、指差しながら…。
文学・歴史的な視点でこの度の七福神めぐりを見てみましょう。前にも出て来たことですが、赤坂氷川神社では、赤穂浪士のゆかりの立て札で案内されていました。
ここ赤坂の氷川神社の境内に浅野土佐守邸の址だそうです。木札には「浅野内匠頭夫人の幽居していた里方で“南部坂雪の別れ”として喧伝された所なり 昭和18年3月 東京都」としてありました。
ふと見上げると、寒緋桜?桃の花?が、咲き始めていました。
ここ氷川神社の築地塀に立つ Ishigamiさん。
下は南部坂(久国神社の近く)の写真です。
大法寺で甘酒を頂き、坂を下りていくと、小さな広場があります。“きみちゃん像”がポツンと立っています。
きみちゃんは、「赤い靴」(野口雨情作詞 本居長世作曲)の女の子のモデルだそうです。女の子の名前が岩崎きみ。ここ麻布に、鳥居坂教会の孤児院(明治10年から大正12年)がありました。宣教師がきみちゃんを引き取って幼女にしたけれど、女の子は肺結核を患い、アメリカまでの長旅にはとても耐えられないと判断されて、宣教師夫妻はきみちゃんを鳥居坂孤児院に預けて母国へと帰って行かれました。
きみちゃんは肺結核を患ったために、わずか9歳で亡くなってしまいました。そのため歌のようには異国には渡らず、この孤児院で短い生涯を閉じてしまったのです。
きみちゃんに関するパンフレットが向かいの店にあるというので、参加者人数分頂戴しましたが、この店の主人が好意でボランティアをしてきみちゃん像を守り、またユニセフに寄付をしていると話されました。募金をせずにはいられませんでした。
(佐々木至作)
横浜の山下公園に、赤い靴の女の子像がありますので、この港からあの歌詞のように船に乗って異人さんに連れられて行ってしまった…とばかり思っていましたが、もっと哀しい事実が在ったのですね。(アーメン…かな?)
大黒天・七番目の大法寺で。甘酒を頂いてほっこり暖かになってふと空を見上げると桐の花柄が、面白い画像を見せてくれました。
さて最初の七福神までちょっと戻っての話題です。
赤羽橋駅に程近い宝珠院です。弁財天が祀ってありますので、懇ろにお参りしてのち、FuriyaさんOkadaさんの指差す先を見ました。珍しく蛇の石像でした。どのような意味があるのでしょうか。傍にはお百度石なるものもありました。
そこで、面白い?ものを見つけましたので、石造りのものに注目しました。
狛犬が台座から外されて向き合っていました。多分これから、氷川神社(麻布)は、改築を始めるのではないでしょうか。そして本日の最後の神社は、十番稲荷神社です。そこの階段下、通りに並ぶ位置に蛙の石像。脇には蛙の由来が記されておりました。
蛙のお守りをお財布に入れると、お金がかえる、…お守りを身に着けて持っていると、若返る、蘇る、お家に帰る…やや、私の思いつきで“かえる”を並べました部分がありますが、M.I.さんは考えた末、やっぱり“お守り”をと、引きかえって求められました。いいお話でしょう?
先に述べた“甘酒のお振る舞い”の大法寺。門先で皆さんが頂いております。疲れた足も少し腰を下ろして回復しました。ついでにお寺の奥さんにカメラのシャッターを押して頂き、記念の写真を撮りました。次号の会報には、次にあげる集合写真が載るのでしょうか?または…? まだ思案中です。
これは、じつはカメラマン本人を添付貼り付けをした、加工した写真です。もとの写真は参考までに下に載せますので見比べてください。
赤坂の氷川神社。今回の七福神には、麻布の氷川神社を廻るのですが、Kadoyamaさんのかつての散歩道、淺野内匠頭・忠臣蔵での由緒ある神社でもあるそうで、そちらにも寄ってみました。ここはかつて山田先生にもご案内いただいたところでもありました。
道筋とは相前後しますが、下の写真は久国神社(布袋尊)での皆さんの和み風景。
楽しい食事風景…東京ミッドタウン地下1Fにて
“とろっとろの特製玉子どんぶり”¥1200で、美味しかろう、高かろうとの、ミッドタウンの予めのイメージがあったようでしたが、それを打ち破って、お手ごろの値段にかかわらず、美味しいと皆さんの評価。
「参加者が一堂に集まって食事を楽しく賑やかにしましょう!」という、御要望にも応えられて良かったのです。…あれ!?一人居ないよ!
それは、Kojimaさんです。氏から、プランを提供して頂きました。さらに年末の忙しい時期にもかかわらず、下見を率先してやって下さって頼りになる有り難さが身に沁みます。「下見時にこのお店に行ったので、今日は僕好みの美味しいラーメンを食べて来る。」と、近くのお店に食べに行っているのです。Kojimaさんには、本当にお世話になり有り難いと、会長はじめ参加の皆さんは、特に感謝しつつの散歩です。
この度から、会旗も追加になり風邪で急遽不参加になられたAsadaさんに代わりKojimaさんとしんがりを勤めてくださったKadoyamaさんが、旗を持って下さって、一人もはぐれないで揃って行って来られました。
もうひとつ坂の案内で写真を撮らなかったものに、「行合坂」も印象的、なんとなく文学的香りが漂う坂の名前でした。以前、山田先生と歩いて坂の多い街と記憶していますが、この辺で今回は通らなかった「鐙(あぶみ)坂」という名の坂も、覚えていました。急坂で、馬も鐙を使わないと登って行こうとしない…との説明があったことを思い出していました。
南部坂は大内内蔵助が討ち入り前に浅野内匠頭の未亡人瑶泉院を訪れる「南部坂雪の別れ」(ただしフィクション)で有名な坂でそのような説明が記してありました。
毎年の七福神めぐりです。ちょっと視点を変えたいと思いながらも毎年のごとくで、これは“歩かなくては面白くないのでは?”“やっぱり散歩しなくてはね!”と、感じながらも昨年のようにアップロードしています。
東京タワーが間近に見える地点の交差点で、青信号待ちの皆さん。
右は下見時の風景。立体駐車場?上は首都高速だったか?暮れに下見をしました。
洋菓子老舗の泉屋関係のビル群。ホテルなどずらりと…。そのビルの合間に豪勢な日本家屋が陽を浴びてゆったりと。中ではどのような生活が繰り広げられているのでしょうか?想像だにつかない私たちです。ビルを見上げ、冷たいビル風に、髪を乱されながら、次の地点に移動します。
「祓え給い清め給え 神(かむ)ながら守り給い幸(さきわ)え給え」と唱えながら、神に祈ります。
「え?、さきわえ?」「ほら、今や卒業式に歌わなくなったところも多いけれど、“蛍の光”の歌詞にあるわよ。」「え?」「♪さきくとばかり~…とあるわよね。」「なるほど!さきわえ・さきく…」「詳しい用法は、かっちり説明できるほどは解らないわ」
また、久国神社の額の字は勝海舟の筆に依る物と言われているそうです。
参照:「蛍の光」
蛍のひかり 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は別れゆく
止まるも行くも限りとて かたみに思う ちよろずの
心のはしを一言に さきくとばかり歌うなり
稲垣千頴作詞 スコットランド民謡