いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

K子さんの教室―はがき絵作品展

2011年11月11日 | SO-Color

 

会報でいつもお世話になっています。会員の皆さんもK子さんのはがき絵の挿絵を楽しみにしています。
彼女のお教室も、今年で13年目。生徒さんもず~っと続けて居られて、年長者は80歳をこえているとのことです。
彼女は、その方より10歳もお若い。

実は車で来たのですが、駐車するのに3時間は見てくれというのですが、30分くらいで駐車できて
9F会場に合流できました。

 
K子先生の作品です。東北への支援・応援も表しています。

ひとことメッセージを書こうとボールペンを持たれています。

100点ほども展示されています。

 


K子先生、作品展のご盛況、おめでとうございます。

来場記念にどちらかの絵をお選びください…とのこと。
私たち運営委員の者は、どちらを選んだと思いますか?

答えは↓

「こんな時こそ手をつなごう」…5人揃ってお芋の絵でした。

↑クリックして見てください。


集合写真・・・玉堂美術館で

2011年06月28日 | SO-Color

参加者の記念撮影をしました。

ちょうど、この時から雨粒が空から落ちてきました。
1時間に1本の、バスの時間が気になります。

交代してカメラマンになったTabutiさんだけを張り付けて完成と思いました。

ところが…だれかが居ないとご指摘がありましたが、一体誰?
メンバーは少し焦っていました。あまり人数には気に掛けずに
取り敢えず集合写真を撮ったので、こんな結果となってしまいました。

なんとお二人が欠けていました。
当日のスナップ写真を見ましたが適当な画像がありません。

 

仕方なく、過去の写真を引っ張りだして張り付けることにしました。
こう、書くと簡単な作業のように思えるかも知れませんが…。

結局3日がかりで(…他にも用事があったので)完成させました。

どうやら、これで会報の1ページ目は飾れることになりました。

お願い!

ぼちぼち、奥多摩の感想やその他の原稿を
編集部宛にお送りください。
次号は9月1日号としていますので、どうぞよろしくお願いします。

 


春休み

2011年03月28日 | SO-Color

 

春休みです。 孫たちを伴って N市にきました。 4Fくらいの高さに、オアシスと称する水の広場があります。
この水のゆらぎが1Fの広場に映り、オアシスの気分が募る癒しの空間効果もあって、なかなかのデザインだと思います。


  

4Fの高さのオアシス面に居ます。
でも、この空間に、この度のような巨大地震が近くに発生したらどうなるのでしょうか。
工学的には緻密な計算がなされ、安全な設計だと識者は言うのでしょう。そして…、
何かあったら、「想定外の…」なんて言うのでしょう。


向こうはNoritake本社のショウールームも見えます。左側には県立美術館も見えていますし、
NHKのビル、TK.TVの本社や、私の少ししか知らないのですが、結構主な会社が集まっています。

   

こんなご時勢…、人の出も少なかろうと想像していたのですが、ここ地下街はたくさんの人がショッピングなど
用事を抱えてお出かけの模様でした。

  

折角の孫たちの訪問です。科学館へ来ました。
おとなの方が意外に多くてちょっと驚きました。その訳は、19日にプラネタリウムが改装され
オープンしていたのです。これは内径35mで世界最大だそうです。
プラネタリウムドームは残念ながら、入場整理券は取れませんでしたので、展示館を巡りました。
そこもやはり大勢の人たちで埋まっていました。
パンフレットを見て、小1のKちゃんが竜巻のメカニズムが見たいと、それを目指しました。
3~4Fに渡っての展示です。
生命館、理工館、天文館と分かれていて、一日中楽しく遊べるような空間でした。


地震被災お見舞い

2011年03月12日 | SO-Color

東日本太平洋沖地震・被災者の皆さん、お見舞い申し上げます。

昨日は大変なことでした。
大きな地震でした。大変な経験をしました。

ちょうど下総中山のお友達の家に、8人の女子会で楽しんでいました。
「お正月は“はば”という海苔を入れて食べるの。」「はばって海苔?聞いたことがないし見たことも無い。」

以前、話題に乗ったこと。そのはばをChiekoさん(Togane)がご持参下さってお雑煮を頂いた。

 

画面左にあるのが“はば”。焼いてあるので、やや色が悪いが、じつはかなり緑色だとか。
この一袋が1000円。高級品だ。それを、青海苔と鰹節も一緒にしてはばを揉んで、お雑煮にふりかけて食べるのだった。
Masakoさんが、搗きたてのお餅を用意された。 美味しい…。素朴な味。 昔はそれほど高価な食品では無くむしろ、今は季節的で、その時期も品薄であるため、あまりお目にかかれなくなったらしい。

そして右の写真はMasakoさんのお孫さん。現地の新聞に載ったのだと、息子さんの奥さん(お孫さんのお母さん)が送ってくれたのだそうだ。「特に子どもが記事になったのではないの。写真に撮られて載ったから送ります。」っていうお手紙を添えて。珍しい現地NYの写真に思わず集まった皆さんが、見せて、見せて…と。

その辺りまでは本当に久しぶりのお喋りで嬉しく楽しく座を囲んでいました。

2時40分すぎ、「あ、地震?」…様子を見ていたがなかなか揺れが止まない。だんだんひどくなる。ガラス引き戸を開けて準備。Ayaちゃんがまず外に出る。でも何かにつかまらなくては立っていられない。次に私がつっかけを履いて外に。でも更に揺れる。とうとうSetuちゃんが靴下のまま飛び出してよろよろと転びそう。思わず手を差し伸べて私はフェンスに掴まる。何かにつかまっていなければ立っていられないほど物凄い揺れ。大地が底から揺らしているのが判る。地震体験車のように、これでもか、これでもかと揺れが治まらない。

部屋では人形飾りケースが転げ落ちてガラスが割れた。Kinueちゃんの手の甲にケースの角が直撃。飾り棚の人形たちもみんな転んだ。どのくらい揺れていたのだろう。かなり長く感じた。近所の方々も電柱に掴まったりして様子を見ている。止まっていた車がそろりそろりと大地の揺れに逆らわず動いている。

ようやく静かになったがその後も余震が度々。テレビでは三陸沖、茨城沖とか言っている。周りをみると、ブロック塀が倒れたり叩きや玄関アプローチの石畳が盛り上がったりひびが入ったり…。大変な被害に一同、びっくり!

落ち着いて見ると、さっき靴下で飛び出した彼女は、バッグから厚手の上着ですっかり身支度して震えていらした。
もうノンビリとお喋りタイムとはいかない。救急車や消防車が駆け付けてきた。ガス臭い。地面の中の管から洩れている様子。

 
 

こういう時は高速道路は危険。多分封鎖されていると一般道路を帰る。東金のChiekoさんの車に同乗して来たので帰りも乗せて頂く。1時間で辿り着くのになんと4時間、7時過ぎに家に着いた。

家では1メートルくらいの高さにあった大理石のスタンドが床に落ちてコードが丈夫だったようで石が引きちぎれていた。スタンドだからすこし薄くしていた部分が弱かったか。土台がしっかりしすぎてバランスが悪かったか?
父のコレクションの一つ。あ~あ…。

ひごろ居宅室として使っていた方はあまり被害がなかった。せいぜい、会報の試し刷りや校正のために用意した紙類が上の棚から落ちていたくらいだった。

 


お勉強とおしゃべり三昧

2011年03月10日 | SO-Color

  

参加してもいいよ…とのMさんからのお許しがあり、徒歩7分の近くの大学へお勉強に。
私は、心に刻み込まれるようなお話が聞けたと喜んで戻ってきた。
こういう聞き応えのあるお話はまるで大学の授業のようで好きだ。

   

主に私の心に残っている事柄は、ボランティアの心。
ボランティア…人の為にしてあげることと、思い勝ちである。けれど、人の為という字は偽りという字に表されているように
人の為じゃないということを、ボランティアに携わるときに肝に銘じたほうが良いということである。
なぜならば、人の為と思って喜んで奉仕するのだけれど、実は全てが自分の為になっているということが
多く潜んでいることを知っているべきだ。

ボランティアに関わることによって、その仕事に深みが増したり、その奥行きから自信にも繋がっていく。

芸術家(画家・書家・作家)等は、その仕事を完成するために没頭する幸せがある。
なぜ、没頭できるかというと、それは作品を発表できること。
人びとがその作品に触れて、もしか感動してくれるかも…大変な評価を受けるかも…との
期待が心の片隅にあるから没頭できるのだ。

その人びとの目に触れて表にさらしてこそ、その作品の役立ちが見られる。
そして、創造した作者は満足するのである。
満足感は、役立ち感と没頭感の上にあるということ。

私が会報を作り上げていることにも、通ずることなのだ。
ばかばかしい時間を要し完成度を高めていくつもりなのに、時にはアッという落とし穴~
~ミスが見つかってがっかりすることも多すぎるが、誰かがこれを待っていると思うからこそ携われるのだ。

そして究極の「生きる」ということは「死」と言うものを意識して初めてその実感を味わえる。
死を直視してこそ生が輝く。
暗闇に入ってこそ星のきらめきが美しいことを知る。
暗い中を通ってこそ、星のきらめく様子の綺麗さ、素晴らしさを知る…のだね。

それなりのことは分かっているつもりだが、講演を聞きその筋道を通すことによって
自分の心が整理されていく、スッキリ感があってとてもよかった。

そして、女同士のおしゃべりの中にもそれなりの収穫があるわけで、おしゃべりも大好き。
今回はお二人にお会いし、また収穫の手応えを実感できた。

 

どんよりとした日。友と別れた後に氷雨が降ってきた。
年を重ねるということの重みを感じ、少しずつその支度を意識するしないに関わらずにしているんだという
ことを氷雨の中を散歩しながら、反復して帰った。
またひとつ教えられ考えさせられ、何とかしなくちゃという余韻を味わった。

  

河津桜が開花している。こちらの方とのおしゃべりは、時間があったので…でも、お母さんのお話とか
これからの自分の生き方などを模索するいい機会を話の中で与えられていた。

 


会報42号発行

2011年03月06日 | SO-Color


 

待ちに待った会長からの巻頭の言葉を戴き、「10周年記念号」の42号が完成。4日版下ができたので、
16ページ組みの6ページ分(コピー3枚となる)をカラーコピーした。
そして5日は、市の施設ハーモニープラザでモノクロ印刷した。今回はYGさんが都合がつかず、
会長にお手伝いをお願いして3人の要員となった。

10年の記憶の中で、今も鮮明にある東京文学散歩について触れて居られたので、
記念の集いの会場に持参させてもらった大内さんのアルバムから
画像をいただき、皆さんも懐かしいに違いないと、ここにアップする。
会長の文を一部コピーさせてもらうことにする。

“本郷では偉容を誇った木造アパート「求道会館」(本郷6丁目)の姿はいつの間にか消えた。
今にして文学散歩を通じて、遥か歴史の痕跡に接しえたことは数少ない貴重な記憶となろう。”

上の画像がそれ。雨が降っていた当時の記憶が蘇る。山田俊雄先生もお元気だった。

“まだ当時としては耳新しかった「東京文学(歴史)散歩」という講座名に惹かれたことである。”

“明治・大正・昭和と、いまや薄れゆく歴史の空気、そこに生きた作家や作品の主人公達が時代に
翻弄された生きざまに想いを寄せる先生(故山田先生)の心情が伝わってくる。”

Itoh会長の心情も想いはかられて、これを読む私も感傷的になって来た。

何故に編集者をいじめるかというような、原稿の遅さ…どうしても編集時には素直な気持ちでは
会長の文章に対して感動とか心を察して読むなどは程遠い気持ちのみであった。
期日も過ぎているのに、未だ原稿がこない…という焦る気だけが強くあるだけ、
さらに頂いた原稿はこちらで予想し依頼したものよりはるかに長いものだったので、
既に、会長の文を載せるだけで出来上がりという体制が出来て待ち構えていたのに、
全く崩れてしまい、殆ど始めからやり直すようなモノ。

そのような状況だったので、こちらもその文を間違わずに入れることに集中するのみ。
こうして今、一字一句読み返すように見始めると、懐かしく思い始めてきた。
10年の月日…結構覚えているし、また遠い過去だったような気にもなる。

“失われつつある街のロマンの彼方には、かの樋口一葉が作家デビューの頃(明治25年)当時から
現存していた本郷菊坂下の馴染の「伊勢屋質店」(本郷5丁目)も取り壊され、少女時代の借家跡の路地奥には
使われた『井戸端』が名残りを留めるのみ。”

“二千和会がこれから参る道は険しかろうと、皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである。”

う~ん。
会員皆さまの心に深く食い込むような書き方で会長の心持を表現されて居られる。
散歩中の会長のおみ足は、10年前とは違い、
“散歩の一歩を進めるなかで足の筋肉は悲鳴をあげ…”
ということですから、知る楽しさや会を運営なさる楽しさ・辛さと共に、
身体的にはお辛いことでもあると察しられる。
みんな平行移動で年を重ねる訳ですから…。

とにかく…皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである…だよね。
気を付けて出来るだけ長持ちするように、ただそのことに心がけて行きましょう。




春よ来い

2011年02月10日 | SO-Color

少しずつ春になってくるのは間違いないだろうけれど
明日は雪が降ると天気予報は予想していた。なるべく早く春になって欲しいものだ。
ちょっと庭に出て春の兆し、お花を撮影したが、我がデジカメは接写に対応しきれない。

  
 

侘び助。茶花として喜ばれる。なかなか趣きがある椿である。
白い花は、山茶花。八重咲きだがこの木には毛虫が良くつくので、小さく火をつけて
焼いて退治したいが、毛虫…糸を引いて仲間と共に繋がって地に落ちて人から逃れる。
だから、どこかに虫食いの跡がある。

  

これは何て言う名前の梅か?小さい花を付けるのだが、梅の木は好い。
香りも良いし、しばらくすると身を結ぶし、その実で梅ジュースや梅酒が作れる。
梅ジャムも良いね。種から離すのが手間だけれど。

  
薄桃色の椿と白い色の山茶花。

 
この花の中では一番大きく咲いてくれる。絣模様の椿。

椿は字のごとく春の木、春と知らせてくれるはず。
春を手招きしてくれるはず。

でも、明日は雪ね。凍えないでほしい花びらたちよ。

 


散歩しながら…

2011年02月08日 | SO-Color

   

ここは地下鉄の駅。何故だか知らないが、地下鉄線の一部から地上に出ているその駅だ。
駅舎も兼ねて、音楽演劇など芸術発表の場にする施設が出来ている。

駅でだから人が集まる。自転車の駐輪場も備えている。
何処でも不法に駐輪され邪魔な自転車は、持ち主に断りなく撤去される。
撤去された保管場を、この散歩コースに入れようとその辺りにも行ってみた。

  

全景を写さなかったが、大体いつも満車御礼のようす。

たまたま、その付近で「学割の定期券」を拾った。
きっと、自転車を貰い受けに来て、ほっとしながら自転車で帰ったのだろう。
定期は10日までのものだったが、あと1週間は使える。
近くの交番にその定期入れを届けた。
女の子のものの様子で赤系の使い込んだような古さがあった。もう卒業か?

おかげで随分に、たくさんの距離を休みなく歩いた。
上肢辺りが痛む。すぐその効果を身体が知らせてくれるなんて
期待してはいなかった~。

きょろきょろと、辺りを観察しながらの散歩は
いつの間にか長い道のりを面白がりながら歩いてしまうものなのね。

折角ダイエット効果をも狙ったのに、そのご褒美にD.n.sで、苺大福を食べてしまった。
美味しかった~。

 


朝の散歩

2011年02月03日 | SO-Color

今日は何て書いてあるかな? ここに戻っての楽しみはかつて訪れた
相田みつを美術館で求めた日めくり。

 

うん、私は頭に○○が付くくらいに…自分で言うのも変かも知れないが
正直で素直に表現してしまう嫌いがある。
まさしく‘はだかのにんげん’なのだが、
そうしてしまうと、後悔することも多々あるのも事実。

ちょっと散歩してこよう。
いつも用事で訪れる区役所脇の神社に寄ってお参りしようか…

自分でもこれは心がけがいいよって褒めてやりたくなるような気分で。

ここはどこでしょう。では種明かし。

日吉神社です。詳しくは知らないので、由緒を写しておきましょう。うん、うん、なるほど…。

さらに帰り道ではこの文化小劇場を眺める。
これが出来るようにと、PTA活動に熱を入れていた時期に、少しだけれど基金した思い出。
そんなことを、PTAのお母さん方に呼びかけたりして、こんなに立派な劇場や
他に併設のレクリエーションルームなどを構えた施設が建ったのを見上げたりした。

 

区内での芸術家や劇団、バレー団などの活動の場を援助する意図で、
またPTAの区内活動のコーラス発表や講演会の場になってますます盛んになっているのだろうなぁと。
残念ながら、これが出来たときは私はこの地を留守にしていたので、その後のことはあまり知らない。

そしてお昼。家に戻って家族で食事を楽しむ。
…と言っても、いつもの食事なんだけれど、久しぶりに食卓を囲んだのだから楽しい気持ちである。

…で、そのあとは~、お約束の彼女との待ち合わせです。
ゆっくりお話ができるファミレス荒らし?を自認したくなる私と、その友達と。

 

お食事の後だったけれど、イチゴ大福を頼んで美味しい話題と
お勉強もして、知識満載。
さて、お楽しみ。


え、え何がでるのかな
実は種も仕掛けもあるのですよ。
実はこの仕掛けを教えてもらったのです。
面白いでしょ?!


さあ、上の空間をドラッグしてみてくださいね。


gogo会(同期会)

2011年01月29日 | SO-Color

     

どの場合でもそうだけれど、開催の準備には長い時間かかるのに、
開かれてみるとあっと言う間…。この準備に対して参加の方はどうだったか、反応が気になる。

アルバムを作成しているから、それをお土産にお持ち帰りくださいと案内はがきに印刷した。
すぐには出て来ないかも知れないあの時代の写真…それを見ているだけで
あのころを思い出せる材料になる。

今日、その反応としての絵手紙が私の手元に届いた。
やっぱりかなりの時間を費やして出来上がったものなので、皆さんが喜んで下さることだけを想像していた。
そのアルバムへの感想が、私は期待していた通りで嬉しかった。

  
  

ご馳走は食べきれない。
それぞれのご自身の発表なさる事、思い出と繋がる今の事、小学校という時代は無邪気だったからか、
それがなんでも素直な気持ちで摩擦が決して起きないような、自然体…。
中学生時代はもう大人の感情から行動することもあるので、小学校時代とは違うのだと、
今こうして居ると分かってくる。男性の場合は女性とは少し違うかも知れないが。

  
  

楽しく懐かしい時間が持てた。
話さなくてもお顔を見ていれば、幼い時間がなんとなく戻ってくる。

あんなによくお話しする恩師だったのに今日は少し違って見えた。
気持ちはお若いのだけれど、教え子への配慮よりご自身のことに触れておられる。
私たちの先生…今このようにして私たちは先生の後を追いかけて年を重ねるわけだけれど…。

     

「どうしてもクラス会を開こうよ」「Saさん、骨を折ってくれよ」と、今回の開催に大いに背中を押してくれたShinちゃん。
彼は開催することが決まって1か月も経たないうちに病気で倒れた。虫の知らせがあったのか??
用事で電話をかけてその急変が分かった私は、リハビリに力を入れて絶対にクラス会には出てね…、
クラス会に出ることを目標にして頑張ってね…と励ましたのだ。
幸いにして言葉や記憶の部分が傷んではいなかったので、救われた。

膝など、不調で畳に座れない人がチラホラいたことは残念なことだけれど、
マイナス面を見るよりも、みんなに逢いたいと思って、ここに出席されている。
私はそんな時にはそうせねばと、心に誓う。

このアルバムも、昔のものがあちらのアルバム、こちらのアルバムと
分散せずにこうして一冊にまとめられたから、安心だと思っている。

「24の瞳」の、戦争で視力を失ってしまったソンキ(あだ名)が、大石先生と写した
1年生の時の記念写真がすっかり頭の中に残っていたので、見えない目で「これはマッチャン、これは泣き虫・・ちゃん」
などと言い当てていた映画のシーンが蘇ってくる。

脳の新しい気質はこの先だんだん衰えるが、古い気質がそれに比して残っているそうだから、
そんなときに、このアルバムを開いて脳を活性化できないものかと、期待している。 
あ~、前向きに生きなくっちゃ…ネ。