いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

クラス会の余韻(友達の撮った写真)

2011年01月31日 | 会報お役立ち

  

会が始まる前に受付でアルバムを手渡されました。
懐かしい写真に頭を寄せ合って見ています。

多分、「これは誰だろうか?」
「きっとKちゃんよ。」
とか、「…すると、今前に座っている方が、彼かな?」
とか、「昔の思い出とようやく繋がった」とか…。

そして、乾杯の前の神妙な気持ちの皆さまです。

会が終わりに近づいて、
アルバムのタイトルにもした「おさななじみ」の歌を
みんなで歌いました。

 
 

「おさななじみ」の歌詞をアルバムの最後に準備してあります。
それを皆さんが歌っています。
なんだか、ホンワカとした昔の頃を思い浮かべて…。

おさななじみ 

詩・永 六輔 

曲・中村八大 

 

おさななじみの 想い出は

青いレモンの 味がする 

閉じるまぶたの そのうらに

おさない姿の 君と僕

 

お手手つないで 幼稚園

つみき ぶらんこ 紙芝居

胸にさがった ハンカチの

君の名前が 読めたっけ

 

 

小学校の 運動会

君は一等 僕はびり

泣きたい気持ちで ゴール・イン

そのまま家まで 駆けたっけ

  

にきびの中に 顔がある

毎朝かがみと にらめっこ

 セーラー服が よく似合う

君が他人に 見えたっけ

 

出すあてなしの ラブレター

書いて何度も 読み返し

あなたのイニシャル 何となく

書いて破いて 捨てたっけ

 

 

学校出てから 

ぱったり会ったら ふたりとも

アベック同士の すれ違い

眠れなかった 夜だっけ

 

 

あくる日あなたに 電話して

食事をしたいと 言った時

急に感じた 胸騒ぎ

心のきりが 晴れたっけ

 

 

その日のうちのプロポーズ

その夜のうちの 口づけは

おさななじみの 幸せに

かおるレモンの 味だっけ

 


あれから二年目 僕たちは

若い陽気な パパとママ

それから四年目 おさな子は

お手手つないで 幼稚園

 

 

長い歌です。堂々巡りになりそうな歴史的な要素も埋め込んで…
永六輔のイメージが、私たちそれぞれの心にも何となくダブってきます。

先日のクラス会の余韻もありまして、

近くにおいでになる友達から写真を頂いたので、またその想いに浸りました。

 

お付き合い戴いてありがとうございました。 

 

 

 

 


gogo会(同期会)

2011年01月29日 | SO-Color

     

どの場合でもそうだけれど、開催の準備には長い時間かかるのに、
開かれてみるとあっと言う間…。この準備に対して参加の方はどうだったか、反応が気になる。

アルバムを作成しているから、それをお土産にお持ち帰りくださいと案内はがきに印刷した。
すぐには出て来ないかも知れないあの時代の写真…それを見ているだけで
あのころを思い出せる材料になる。

今日、その反応としての絵手紙が私の手元に届いた。
やっぱりかなりの時間を費やして出来上がったものなので、皆さんが喜んで下さることだけを想像していた。
そのアルバムへの感想が、私は期待していた通りで嬉しかった。

  
  

ご馳走は食べきれない。
それぞれのご自身の発表なさる事、思い出と繋がる今の事、小学校という時代は無邪気だったからか、
それがなんでも素直な気持ちで摩擦が決して起きないような、自然体…。
中学生時代はもう大人の感情から行動することもあるので、小学校時代とは違うのだと、
今こうして居ると分かってくる。男性の場合は女性とは少し違うかも知れないが。

  
  

楽しく懐かしい時間が持てた。
話さなくてもお顔を見ていれば、幼い時間がなんとなく戻ってくる。

あんなによくお話しする恩師だったのに今日は少し違って見えた。
気持ちはお若いのだけれど、教え子への配慮よりご自身のことに触れておられる。
私たちの先生…今このようにして私たちは先生の後を追いかけて年を重ねるわけだけれど…。

     

「どうしてもクラス会を開こうよ」「Saさん、骨を折ってくれよ」と、今回の開催に大いに背中を押してくれたShinちゃん。
彼は開催することが決まって1か月も経たないうちに病気で倒れた。虫の知らせがあったのか??
用事で電話をかけてその急変が分かった私は、リハビリに力を入れて絶対にクラス会には出てね…、
クラス会に出ることを目標にして頑張ってね…と励ましたのだ。
幸いにして言葉や記憶の部分が傷んではいなかったので、救われた。

膝など、不調で畳に座れない人がチラホラいたことは残念なことだけれど、
マイナス面を見るよりも、みんなに逢いたいと思って、ここに出席されている。
私はそんな時にはそうせねばと、心に誓う。

このアルバムも、昔のものがあちらのアルバム、こちらのアルバムと
分散せずにこうして一冊にまとめられたから、安心だと思っている。

「24の瞳」の、戦争で視力を失ってしまったソンキ(あだ名)が、大石先生と写した
1年生の時の記念写真がすっかり頭の中に残っていたので、見えない目で「これはマッチャン、これは泣き虫・・ちゃん」
などと言い当てていた映画のシーンが蘇ってくる。

脳の新しい気質はこの先だんだん衰えるが、古い気質がそれに比して残っているそうだから、
そんなときに、このアルバムを開いて脳を活性化できないものかと、期待している。 
あ~、前向きに生きなくっちゃ…ネ。

 


小学校時代のクラス会の準備

2011年01月24日 | SO-Color

 

懐かしい時代のメンバーの小学校時代の写真の数々
あまりに古い時代の写真

みんなお顔が変わってしまって、誰が誰やら…
そこで、それぞれの方々の名前を友達に尋ねたり、記憶をたどって写真に埋め込んだ。
もちろん、一人ひとりテキストボックスを挿入して全員の名前を書きこんだ。
ただ、用務員さんは苗字しか分からなかったけれど。

「この方は何て言う名前の?」
「女の子は何となくわかるけれど、あまり遊んだ記憶の無い方はねぇ~?」
「男の子は目立った子しか分からないわ」
「私の生家は結婚してからだけれど、火事にあって何も残っていないの」

いろいろな方が居られる。
幹事だけの話だから、みんな集まったらどんな反応だろう。
パソコンを駆使して、その時代のを集めて新しくアルバムを編集した。
インクもあっという間に使ってなくなってしまう。

 

全部で26ページ。
参加者だけにお渡しすると、ご案内はがきに明記したから、
出席者24名分を用意すればいいのだけれど、ワードに組み、言葉(小さなコメント)を入れたりの
結構大変な作業で何時間もパソコンの前に座った。
昨年クラス会の話が纏まってからボチボチ取りかかっていたので、丸1カ月は…いや、意外に時間は
掛かってしまって目や肩の疲れもあるけれど、それ以上に満足感・達成感を感じている。

印刷して後は幹事が集まり協同作業でアルバムを完成させる。
クリアファイルに写真2ページずつ差し込んだが、クリアファイルの袋が開きにくかったり
あとで点検作業をしてみると、あるページが前後して組んであったとか、なかなか完璧は難しい。
どこかのページが足りなかったとか、インクが間に合わなくて印刷できなかったページが
あるとか、クラス会当日までの宿題もまた出来た。

いよいよ、明後日はクラス会。
これを見た皆さんは、どんな顔をするか、楽しみだ。
恩師もお二人お出かけ下さる。

下の写真は、ことにみんなが喜ぶだろうなと、期待しているのだが、果たして…???
楽しかった、無邪気な想いが画面いっぱいだものね。

12p目 
13P目


寒い日が続く

2011年01月16日 | SO-Color

今朝雨戸を開けたら、なんと庭はうっすらと雪化粧。
最近は寒く冷たい日が続くと思っていたが、とうとう夜のうちに雪を降らせていた。
車の上に乗った雪は7mmくらいの厚さではあったが、サラサラの雪で
本当に寒い時しか見ないような細雪。牡丹雪ではなかった。

長野の親類は、去年も一昨年も雪と言う雪ではなかったが
昨晩の雪は冷たい雪だった、40~50cmは積もった…。この雪が
融けきらないうちにまた雪が降ると、これが根雪となって厄介なことになる…と話された。

千葉では9時半ごろには、太陽が輝き雪は走る車の屋根に
乗っているくらいで、道は濡れている程度というものだった。

これは昨年2月18日に積もった雪。
今回よりも積もっているが牡丹雪で、水気の多い雪だった。

窓は外気の寒さと家の中の温度差で、結露となった。

 

寒い時は赤い色が、心を和ませる。暖かさが増してくるような気分となる。

 


また、音楽チューブ

2011年01月15日 | 雑記自由帳


実は辛島美登里の歌もよく聴いていました。

今日はお友達Risaさんと電話で長々としゃべっていました。
柔らかい、温かなきもちになれることは
人の心の大事な支えともなります。

なぜか、この歌を聴いてみたくなりました。

別の楽しみ方など、広がる気持ち…
素敵なやさしさやキラキラと輝く気持ちになれるような~~
言葉の海でおよぐような~~
そんな詩を書けたらいいと思うけど、なかなか…
やはり気を若く、いつも青春…ということを忘れないようにしたいね。

平原綾香 威風堂々

 


スカイツリーを追って

2011年01月12日 | 七福神めぐり

 

七福神巡りをしつつ、ところどころに今話題のスカイツリーが顔をひょっこり出してくれます。
そんな目線も面白かったと言えましょう。

 

ここは百花園。少しだけ春の気配を見つけます。

  

百花園の梅の花「みちしるべ」 下は白髭神社

 近くで言問団子を求める。名物の桜餅もお向かいのお店に。

 

10月さくらと、ふゆさくらが隣り合って咲いていた。

 
女優木の実ナナに縁が深いらしい、長命寺。

そろそろ、スカイツリーの間近になって来ていました。

 

       

  

アサヒビール吾妻橋ビルの壁面にスカイツリーが映る。向かいには勝海舟の銅像。

墨田区役所 スカイツリー アサヒビール吾妻橋ビルはアサヒビールの琥珀色と上の方に泡を表現したもの。
その隣の不思議なモニュメントはフランス人のデザイナーフィリップ・スタルグによる“炎”を象徴しているとのこと。

 

午後の翳りの中で。吾妻橋には東京新名所とされるスカイツリーを撮影する人でいっぱいでした。

 


隅田川七福神めぐり

2011年01月09日 | 七福神めぐり

 

1月8日(土)は快晴
隅田川七福神めぐりをする。東武電車の鐘ヶ淵駅から出発。
まず、多聞寺に。
何をしげしげと御覧になっているかと言うと…
これは「映画人の碑」である。
新藤兼人さんの名前、あ…その横に音羽信子さんの名前がある。
新藤兼人の方は赤く字を染めてあるが、存命だから。
などなど…と。

この古い門構えの前で皆揃って記念写真をとりましょう!

  

はるか向こうにスカイツリーが見える。次は七福神ではないが、
木母寺へ。このお地蔵さまは身代わり地蔵と言う。

 

謡曲に取り上げられている梅若丸の像。母と子の悲しい物語。
「訪ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消えぬと」
その母と梅若丸という子を祀ってあった。

 

陽だまりの暖かさで蝋梅が咲いていた。右は都営のマンションで、隅田川に沿ってずらりと続く。
このお天気の良い日にお昼時とぶつかると皆が一緒に
食事をとれないからと、少し早目に「天狗」和食レストランに座を占めた。

 
 

そちらのお席は食事が運ばれるのが早いですね…こちらは、うどん、そば、温かいの冷たいのと
注文が別れてしまって、膳が運ばれるのが遅くて、待ちぼうけ状態。

 

百花園では福禄寿が祀ってあります。今年初の紅梅が香っていた。
ここに、春の七草を展示。そして日本橋の「ギボシ」を頭に付けた石の支柱も園内に展示されていた。

少し端折って今日最後の三囲(みめぐり)神社。
ここには、故山田先生のお話がよみがえる。Ogawaさんが「温故知新を楽しみたい」
と、参加のお返事はがきに書いたと言うが、しみじみ昔を振り返る。

神社の裏庭に冨田木歩の句碑があったことが蘇る。

夢に見れは死もなつかしや冬木風

句碑の裏に「大正拾参年九月一日の一周忌に於て冨田木歩君慰霊の為建之 友人一同 亜浪書」

墨田公園の出入り口付近には
「冨田木歩 終焉の地」と書かれていた。
碑を読むと、向島に生まれた俳人木歩は非常に貧乏で、生まれてまもなく足も不自由となり、
女兄弟は遊郭に売られ、次々結核で死に別れながらも、俳句に目覚めていく。
…というような内容が書かれていた。最後、関東大震災の時に、枕橋が木造であったため焼け落ち、
逃げ遅れ、非業の死を遂げたと書かれていた。

 

ここの神社に三越のライオンが鎮座していたが、映画「ローマの休日」の
オードリーへプバーンが驚いたように、「ちょっと手をライオンの口に持って行ってよぉ~」と
仲間のお一人Yさんにお願いして パチリ!
え、顔も撮ったの?…ご本人は驚き、SOはお茶目に笑った。ごめんね~。

それから牛島神社に手を合わせて今日最後の集合写真。

 
 

アサヒビールのビル壁面にスカイツリーが映る。これも東京新名所となってしまった。

 


嬉しい…第2弾

2011年01月07日 | SO-Color

なんと出来るようになったのです。(嬉しいこと)
これは、彼女のお陰です。最初は教えられた通りに試みてもアップ出来ない…。
私の思い違いだろうか?
間違って解釈しているからだろうか?
気になって、更に彼女と電話で確認しました。

確かに教えられた第1弾では出来なかったのです。
ところが、C.さんの凄いところは、その2,3時間後に
「できましたよ」と、メールで教えて下さったこと。
その通りにしたら
出来た! …うれしい。
縁あってお会いできたから、うさぎ跳びのような飛躍…もう一度「うれしい」と言わせて…。

中島みゆき 誕生 

 二千和会の皆さんが“お疲れ会”の
時に、カラオケを楽しむことがよくあります。
その時に私が熱唱(?)する歌を載せましょう。
だんだんに声が出て歌えるようになった歌、
そしてみゆきの詩にいつも注目して歌いたいと思っている私。

最初にアップした歌は、言葉がはみ出し噛んでしまいそう…やっぱり難しすぎる。
歌えそうもない。だから入れ替えます。
(うん、これからは自由自在…Cさん=jujuさんのおかげです。)

中島みゆき本人の歌を聴いていただきましょう。
格段に素晴らしい歌。
少しウルウルする気分の時もある、この詩…。
母の介護の合間に色々な想いが交錯して、私が歌うのを
家族がしんみりと聴いてくれたこの詩…
聴いて、聴いて。

jujuさん ありがとう!


嬉しいこと!

2011年01月05日 | SO-Color

 

相田みつをの日めくりカレンダー。
「お!」と私を戒めてくれたり、気づかせてくれたり、
納得するようなことがあったり…で、毎日の言葉に期待をもってめくっている。
今日4日は、ウキウキするような予定が入っていた。…でもね、
「自己顕示」で、そして多分「自己嫌悪」になったりするようなこともあるかもしれないと、警告している。

そして日を改めて5日となった。
「ただになれない人間のわたし」…か。

4日は、一昨年(?)あたりから訪問しているお気に入りのブログ設営者に「会いたい」と
その心を投げかけて気持ちが一致したようなので会うことに…お約束の日だった。

Ngy滞在期間に、彼女のブログを訪れると、プロフィール、名前のことが記載されていた。
何かとても惹かれて会いたい気分が募った。
ちょうど細かくは分からなかったが記事の上からお近くらしいということで、
メールでお誘いすると、快く会う方向に話がトントン拍子…。

 

家から徒歩で30分圏内の場所で。これは、ブログ設営者C.さんにも都合よい所だろうなと
予測してのお誘い。こちらのブログも以前にお知らせしたこともあり、初対面でも分かってくださるだろうと、
期待もしていたが、何よりC.さんの似顔絵が私のなかにインプットされていた。

    

優しい笑顔、従順なお人柄のようす…お見かけして似顔絵の通りですぐ分かった。
「C・・z.さんですか。」ドンピシャリ。

嬉しかった。昔から馴染んでいた懐かしさを感じた。こんなこともあるのね。
私の最初の彼女へのアクセスはyoutubeのブログアップへの仕方を尋ねたこと。
でも、半分は分かったのに、アップできなかった。
そのことを、直に教えてほしかったのだ。
丁寧なご説明。私は埋め込みコードをリンクできるアイコンに張り付けたから
思うようには行かなかったことが分かった。
その他いろいろお詳しい。コメントの発信元も簡単に分かる術も知った。
それら技術の知識99%くらいは独学で得たようだ。
たまには「こんなことがある」と人からのヒントもあるが、それをパソコン上から掘り下げて研究~
ご自身のものにされている。何でもご存知。
パソコン教室を開いてくださればいいのに…とお勧め(?)したが。

  

やはり惹かれるものって、自分と共通する何かがあるのだと思う。
彼女のベターハーフと私は同窓生。3年先輩~キャンパスですれ違っていたかな?
趣味や仕事の話、住まいのことなど、二人の話題はどんどん広がって重なり始めた。

私はもうミシンを出すのも億劫になっているが、ちょっと前まではよくしていた。
彼女は5台もミシンをもっていらっしゃるし、何でも間に合いそうなものが詰まったお部屋がおありだ。
プレゼントをくださった。感激。
銘入り刺繍のティッシュ入れ&紐のついた小物入れ。
それも今年の干支うさぎの模様も洒落て気が利いている。
たまたま今あまり生活に密着していない場所からの私は
プレゼントの手持ちがなかったが、辛うじてリボンの組み紐があった。
それを持参したが出すのも恥ずかしいほどで「ストラップに使ってね」というものであった。

女のおしゃべりはなかなかのもの。
男の方が過去のことと決別して新しい土地に生活圏を持っても
「死んだ魚よ。」「そう、女の人はどこでも生き生きと暮らしていこうとすれば出来るのに」
まあ、昔生育してきた所への生活圏の移動は
それほど大変ではないだろうが、それでもなお、全く新しいところなのだと思うべき。
現在のような感覚で生活していたくても、今に匹敵するような期待感や自分の張り合いもなくなる。
新しい住民になったときには、周囲の人びとの彼に対する関心はもう薄くなっているし、
今寄せられているような期待に対して応えられるという役目も回って来ないから自分が発揮できない
生き甲斐だったものも、新しくは生まれづらいよね…と。
「そうね、そうだわね。」と頷く。
老人という立場……納得せざるをえないナァ。残念なことだけれど。


迎春

2011年01月01日 | 七福神めぐり

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1月8日は、吉例七福神めぐりですね。皆様のお顔もそろって…
今年は「隅田川七福神めぐり」です。

11年目の七福神めぐりの場所は、故山田先生にご案内いただいたところです。

雨の降る中、4人で下見に出掛けました。
そのときに思いました。11年前のことが、不思議なことに、
思い出として、いろいろなシーンが登場してきました。
あの時、皆さんの後を風景見ながら散歩し、おしゃべりしながら歩いているので、
どの道を通ったということはあまり覚えていませんでした。
そのお寺や神社、桜餅を買って隅田川を眺めたことなど
地点、地点は懐かしく覚えているのですね。

そのときの皆さんの笑顔、会話まで想い出されて感無量の心地となりました。
みなさんもどうぞお楽しみに…。
今の時点で参加者は21人ということでした。

なお、この冒頭の富士山は、よく撮れているでしょう?
娘一家が、Nagoyaに帰ってくるときに、その夫の助手席から撮ったものです。
何年も、そして何度も、私は富士を撮るために
富士をねらうのですがシャッターチャンスを逃しています。
東名道路の富士は近すぎて
(好い姿だな)と思っているうちにあっという間に視点が変わっていくのです。
こんなに良く撮れた富士山を見て、幸せな気持ちになりましたので、
皆さんにもお裾分けです。 どうぞ…m_ _m.