家族で生活していた時父母は、私があまり話さなくても、分かってくれていた。しかし結婚してから…、子供が生まれてから…は、話す相手は私の夫。あまり細々とも、また何でも話すわけもなくなったが、要らぬことと思っても喋って欲しかったんだ、父はきっと寂しいと思ってくれたんだと思う。「言わなきゃ分からないんだよ」とボソッと言った。特に人に褒められたとか好いねと言われ嬉しかったとかの話は大好きだったのに…。自慢になるからと万事控え目だった私の態度に物足りなかったのだと、あとで気がついた。日常を知らないから、分からなかった…だから今頃 言っている自分…後悔しても追いつかないね。
このたびは、会報でも7年間何も言ってはいなかったことを書いた。事実だが自慢ととられると嫌なので、他愛もない話しかしていない私だった。友達もこの会報の記事で初めて知ったわけで、それがどんな反応か気にはなった。
私の気持ちがツーカーと察してくれる方だ。彼女は「話すということは自分から離すことにも通ずるのよネ。」と。そうです。今までず~っと自分の中で温めて?居た事柄を話すのですから、話したことは、私の中から出発して放たれたことでもあるのだ。
そこで、一昨日の話題。絵を描きたい…けれど描けなくなった…ということ。昔描いたものが写真として保存していたので、独り懐かしくアップすることにした。。(以前アップしている作品もあるけれど。)
それまでは花などを描いていたが初めて挑戦した人物作品。もう30年近くも前のもの(娘ふたりがまだ小学生のころ)。愛知県立芸大の当時講師だった方、布施伸介氏から教えを頂いた。
麻紙に岩絵の具を使って彩色する手法。鹿膠を煮溶かして、膠で岩絵の具を麻紙のキャンバスに、のせる様、または糊付ける様に彩色する。使い方も試行錯誤。12Fの大きさという理由もあり、膠の濃度の差が斑だったりで、ひび割れがおきてきた。その部分の写真はトリミングしてしまったが…。
この「花帽子」は、東区民展に出品したのだが「中日新聞社賞」を頂いて、マリーローランサンを髣髴とさせる爽やかな作品だと評を頂き、副賞にセーラーのステンレス製で細い洒落たボールペンをもらった思い出がある。大して高価では無かったのかも知れないが記念の品として大事にしていた。その絵もしばらく仕舞ってあったので、黴がポツポツ出ていて驚いた。日本画は特に、湿気と乾燥の微妙さが大事なところらしい。美術品は総じてそうなんだけれど…。
日本画はこの湿気がある日本の風土に実にあっているという。布施先生は日本画をヨーロッパやアメリカに持っていくと、絵の具がだんだん剥がれて行くということを指摘された。欧米の乾燥気味の気候風土には向いていないのだと。「え!そうなの?」…微妙な絵具材を使っているんだと改めて見直した。
そしてこれも東区民展に出品。今度は区から奨励賞。上の作品とどちらが格の上の賞か忘れたが、どちらが好きかというと、「花帽子」の方が、この「りんどう」より好き。多分心地よくあまり悩まないで描いたからだろうと思っている。
なお、東区は県立芸術文化センター(美術館など併設)、テレビ局やNHK放送会館など文化的施設が多くあり中央区と隣接区で文化人も多く住んでいる場所であった。