いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

北国の春 その③

2008年03月31日 | YG-World

芦ノ牧温泉   今宵のお宿は『大川荘』


   季節を先取り、お節句飾りです。

   露天風呂 『四季舞台 たな田』
                        空中露天風呂       
 もちろん両方制覇してきました。
 到着して一風呂、寝る前に一風呂、朝起きて一風呂・・・
 ぴっかぴかに磨きあげてきた つ・も・り・

おそらくバス一台分(50人ぐらい)のお客さんのお部屋ではないかと思われますが、私たちは20人ですから、部屋が広い・ひろい。

お食事はこんなものですが飲むほどに飲むほどに、話が弾みます。
気心知れた人たちと飲んで、食べてお風呂に入って何て幸せなひとときでしょう お部屋割りはくじ引きの4人部屋。皆、仲良しさんなのでいつまでも話がつきません。


北国の春 その②

2008年03月30日 | YG-World

            大内宿

一度訪れたいと思っていた地です。
まだ雪が残っていて足元が危うかったのですが、急斜面の階段を上ってきました。
皆、『ハーハー』と息を切らしていましたが、目の前に広がったこの宿場の景観(*^_^*)
絵葉書の世界が広がっていました。

『塔のへつり』から山道をくねくねと登ること数分。
『大内宿』にやって来ました。

昔ながらの宿場町が残っています。



            こちらは『町並み展示館』 
本物の囲炉裏に火が入り、年代物のお雛様が飾ってありました。
(ずっとお雛様だと思っていましたが、違っていますね?)


囲炉裏の煙にむせながら『雛』に負けじと皆さんよいお顔で

雪解け水で青菜を洗っていました。
エシャロット? 「あざづき」と言われたのですが何だかわかりません??
ごめんなさい東北弁は苦手なものですから。
『あさつき・胡葱』でした。
会津の春はもう少し先になりそうです。
さあ、私たちは温泉が待っています。


北国の春

2008年03月29日 | YG-World


『塔のへつり』
お天気も最高!! すばらしい自然美です。

こんな『字』を書きます。

一年おきに息子関係のお友達と一泊旅行に行きます。
今年は会津方面。大内宿、塔のへつり そしてお泊りは会津の奥座敷『芦ノ牧温泉』
昨年からこの日に行くことに決まっていました。
ですが、ちょうど一ヶ月前に香港に行ってしまいました
なぜか、私は外からは『跳んで・跳ねて・・・』しているように見えるらしいのですが・・・
今回の旅行はお断りしていました。
『嫁』の立場を考えるとまだまだ両手・両足を引っ張られ、肩にもずしりと重いものをしょっているのですよ(ー_ー)!! じつは


なあ~んて事を言いながらも結局、行くことなりました。(夫は留守番)
総勢20人。家族ぐるみでもう15年以上の付き合いになる人たちです。
実は香港行きはかなり疲れてしまったので、今回は本当に気持ちも体も休める機会になりました。
左に映っているバスガイドさん、一昨年の旅行(磯辺温泉泊)の時と同じ方です。
それも驚きですが、一昨年のことなのにどこへ行ったか等よく覚えていること


3月22日・土曜日 8:30 千葉駅前出発
関東地方は「桜だより」が聞かれるころになりました。
まだ福島は寒いのだろうなと、真冬の衣類を用意しました。
わき道にはまだ雪が残っていますが、暖かくて最高のお天気(*^_^*)
次は『大内宿』に向かいます。
では明日。 


下見体験から感謝の心…!

2008年03月29日 | 桜花応援

 佐倉をぐるり回るという下見に、初めて参加されたお二人…KinuちゃんとAyaちゃんの感想は、「集合時間に合わせて参加、あとについて行くだけで楽しいものだったけれど、こういう下見があってこその文学散歩だったんだと初めて分かった!」「大変なことよね!」「役員さんのご苦労に感謝しなくちゃ!」
 コース・散歩の道筋の選択、時間配分、食事処(今回はお弁当持参だから、もし持参してない方のためのコンビニを確認など…)、トイレ休憩のこと、全体の体力的なこと、見所は掴んでいるか、その他に計画の下準備、とか…「決めるのは大変なんだねぇ。」
 

      
  
 観光協会で頂いた散歩資料(参加人数分を整えた) 武家屋敷(上右=旧但馬家の藪椿が満開 下左=大屋敷の旧河原家 下右=旧武居家)
 
 武家屋敷から更に進むとひよどり坂。他にはちょっと無いようなお気に入りとなりそうな坂。竹やぶの笹が手作りの階段に降り注ぎ、足にその柔らかさがやんわりと伝わって来る感触…。


上の桜は、千葉県総合体育館の桜(3/29撮影)  下は佐倉3/27の桜並木

   
 いよいよ佐倉城址公園。桜はほんのり色づいてこれからを期待させる3月27日(木)。今回の下見は、真ん中の地点でお好みの方向へと行くことが出来る「佐倉市立美術館」前を下見会の集合場所に。
 そこから町並みの雰囲気を肌で感じながら通りを歩き、堀田邸へ。さくら庭園で持参の蜜柑を食べてから、JR佐倉駅の付近を回って武家屋敷に。前出の急坂を上り、そろそろお腹が空いたと言いながら歩き続けて、出発から4時間後に佐倉城址公園に到着。
 公園の東屋で昼食を摂った。公園内の散策は当日の楽しみとして、試行錯誤で廻ろうとなった。みんなヘトヘト。かなり疲れての翌日は、お疲れ休みをとらずには居られなかったという。同級生3人の私たちは、それを報告し合ってちょっと安心。体力的に同レベルだったと言えるのかな??よかったぁ。

おまけ
29日(土)良いお天気で、県スポーツセンターへふらりと出かけました。


 
 今が満開で見ごろのソメイヨシノの桜。4月6日は「散っても桜…」というところか!

 


「下見?」「大変なのね」

2008年03月28日 | 桜花応援

 4月6日(日)は観桜会。場所は県下でということになって佐倉の城下町で桜を愛でるということになった。
 そこで古くからの友達の馴染みの土地でもあるし、下見に付き合っていただくことになった。

 全国で大名屋敷が公開されているところは、松戸の戸定邸、佐倉の堀田邸、そしてもう一つは九州でしたか?3箇所しかないということを、以前戸定邸を見学かたがた本土寺のアジサイを観に行った時に伺った。写真はその大名屋敷の旧堀田邸。どことなく戸定邸と似ている風情。
  

 

  天気がよくお花もそろそろ咲こうかと準備中。白木蓮は花が大きくて見事。枝垂桜はもう3分咲き。6日には散りかけているだろうと思われる。
 戸定邸との違いは囲まれた見事な庭園ではなく開放された堀田邸の「さくら庭園」。もっとも入館料を払って観れば、奥のお庭が整えられているのかも知れないが、ここは起伏を利用して開放的…。
 
  
 温かく南向きの桜は今週末から来週半ばが見ごろだろう。花時はなかなか当てられないものだ。今回は見事に外れてソメイヨシノは赤っぽいガクだけが残って散っているのかも知れない。(ヒヤヒヤ)
 気を紛らわせてスミレやタンポポ、ボケなどにカメラを向けていた。 一見してカンヒザクラ?寒くないしこの満開の桜は枝垂れ桜!それも先程見たものより日当たりがよく、紅枝垂だ、きっと! また、坂の途中で足元に目を落とすと珍しい白いスミレがか細く咲いていた。

 なかなか勾配のきつい薬師坂に差し掛かる。通りがかりの自転車を押して坂道を上がるお婆さんに「武家屋敷はこちらの道でいいですか?」と尋ねてみる。
 82歳だというお婆ちゃん。偶然にも小一時間前に地図を持っている我々に声を掛けて下さった割烹着姿のご婦人のお姑さんらしい。間違いない!そのご婦人は「家に来て、トイレを貸してと頼まれて…」など佐倉市に公衆トイレが少ないことを嘆かれる。彼方此方にトイレを設置して欲しい…などと話し「観光協会に行くなら言ってください」と我々に頼まれる。その方と人懐っこさがそっくり!お嫁さんだと言う。長く一緒に暮らしていると似てくるのね。
 気の良いお婆ちゃんは我々に寄って行けとお誘いになった。
    
  この急坂を自転車を引いて上る…目が回ってクラクラとしたと気持ち悪そうだったので、Ayaちゃんが思わずお婆ちゃんの背中をさすってあげたから?か。「家に寄ってお茶して行きなさい」と誘ってくださる。何となくみんなが誘われるままにお邪魔してしまった。

 そんな土地柄の人たち…良い人たちです。お殿様が良いとそこに住む人たちも心がけの立派な方々になるというが、誘われた人もやはりこの地方で育っている。きっと、そうなんだな~と密かに思った。


訃報です

2008年03月26日 | 会報お役立ち

 ご報告申し上げます。このたび、驚きとまるで本当のことかと疑いたくなるようなお知らせとして受け止めました。

 実はいつも元気で居られた印象で、張り切っていらっしたお顔しか浮かばないのです。
 いつも二千和会を影になり日向になって応援してくださった大事な存在、
我ら二千和会の役員共の兄貴的存在であった、
楠重夫様(4月6日が誕生日でした。行年76歳)が急逝されました。

 今はあまりに当方のショックが大きく、
気持ちも落ち着かず何を申してよいか分からない状態です。
気持ちが少しでも前向きになりましたら、後日アップしたいと思いますが、
今回は手短に事実だけの記録といたします。
             

3月19日 吐血により稲毛病院に入院加療
輸血するも下血の症状から抜けられず、止血叶わず
3月22日 22時胃潰瘍の失血でそのショックによる「心不全」で急逝
3月24日 18時セレモ稲毛駅ホールにて通夜
3月25日 12時告別式
御戒名「重功誠睡居士」 (合掌)ご冥福をお祈りいたします。


お彼岸に思う

2008年03月22日 | SO-Color

 今日は東京をはじめ各地で、桜(ソメイヨシノ)の開花宣言が出た。
 
  左の写真はスポーツセンターの河津桜、右の写真は同じ日に撮った平和公園のソメイヨシノ、こちらはまだ固い蕾だ。
 平和公園からの帰り道、高速道路の側道を走った。赤信号で止まったので、ふと沿道に目をやると土筆がた~くさん生えているのを見つけた。土筆も昨日の雨ですっかり伸びてしまったのか?

 土筆のほろ苦い味、また蕗の薹もほろ苦いし、菜の花のお浸しの辛さや独特の風味…あぁ、これぞ春の味という持ち味で「春の命」「春の到来」「春の香り」を頂くような有り難さとともに、たまらなく好きな味と思っている。
 土筆の伸びやかさ――もう春なんだよ、と野原から声をかけられているような気がした。

 お中日に父のお墓にお参りに行こうと思っていたが、あいにくの雨と風で寒かったから、一日遅れてお参りに出かけた。まだ少し寒く風も吹く日ではあったが、お参りに来るのを待ち望んでいる父を思った。お墓を綺麗に磨き、お花を供えお線香を焚いて来れなかった親族の祈りまで籠めて掌を合わせた。お参りを終えてふと遠くを眺めた時、真新しい墓石が目に入った。

 建立者の銘がそれぞれ苗字の違う女名。きっと三姉妹が、亡くなられたご両親?またはどちらかの親御さんのお墓なのだろうか。墓碑銘は「ありがとう」…と。カスミソウの絵を施して墓石も丸みを帯びた形。そう思って見ながら帰ると、帰り道にもう一つ、よく似た墓石の形に出あった。

 そういえば、父はいつも将来性を考え、過去よりも未来へ見通しながら生きてきた。世の中の移り変わりを真正面から受け入れていた。例えば家制度。戦後の民法の下に家制度は廃止。結婚も家と家のものではなく、個人と個人の結びつきだから、○○家と△△家と結婚式場に表示されているが、あれはおかしいね、この頃見かける○○さんと△△さんの結婚式と表示するのが、新しい民法の下の結婚の形だ…と40余年も前、私の結婚の頃に言っていた。
 墓石も然り。○○家の墓と刻むのが一般的だが、それでは無い「ありがとう」とか父の墓に「寂静」と刻んだり、また他の言葉・血族に相応しい言葉を刻んで「家」では無くその胎から、その肉親の墓として尊敬して祀れば良いとの考え方だと解釈している。

 柔軟な姿勢と精神だった父。お彼岸だから父の思い出を語りたくなった私。
 私もこの頃年を取ったことを認めて少し頑なな考え方をするようになったと…、若い頃のように柔軟な考え方をしなくてはならないのではないか?と今の自分を振り返った。

 


言わなきゃわからない…

2008年03月20日 | SO-Color

 家族で生活していた時父母は、私があまり話さなくても、分かってくれていた。しかし結婚してから…、子供が生まれてから…は、話す相手は私の夫。あまり細々とも、また何でも話すわけもなくなったが、要らぬことと思っても喋って欲しかったんだ、父はきっと寂しいと思ってくれたんだと思う。「言わなきゃ分からないんだよ」とボソッと言った。特に人に褒められたとか好いねと言われ嬉しかったとかの話は大好きだったのに…。自慢になるからと万事控え目だった私の態度に物足りなかったのだと、あとで気がついた。日常を知らないから、分からなかった…だから今頃 言っている自分…後悔しても追いつかないね。


 このたびは、会報でも7年間何も言ってはいなかったことを書いた。事実だが自慢ととられると嫌なので、他愛もない話しかしていない私だった。友達もこの会報の記事で初めて知ったわけで、それがどんな反応か気にはなった。
 私の気持ちがツーカーと察してくれる方だ。彼女は「話すということは自分から離すことにも通ずるのよネ。」と。そうです。今までず~っと自分の中で温めて?居た事柄を話すのですから、話したことは、私の中から出発して放たれたことでもあるのだ。

 そこで、一昨日の話題。絵を描きたい…けれど描けなくなった…ということ。昔描いたものが写真として保存していたので、独り懐かしくアップすることにした。。(以前アップしている作品もあるけれど。)  
 それまでは花などを描いていたが初めて挑戦した人物作品。もう30年近くも前のもの(娘ふたりがまだ小学生のころ)。愛知県立芸大の当時講師だった方、布施伸介氏から教えを頂いた。
 麻紙に岩絵の具を使って彩色する手法。鹿膠を煮溶かして、膠で岩絵の具を麻紙のキャンバスに、のせる様、または糊付ける様に彩色する。使い方も試行錯誤。12Fの大きさという理由もあり、膠の濃度の差が斑だったりで、ひび割れがおきてきた。その部分の写真はトリミングしてしまったが…。


 この「花帽子」は、東区民展に出品したのだが「中日新聞社賞」を頂いて、マリーローランサンを髣髴とさせる爽やかな作品だと評を頂き、副賞にセーラーのステンレス製で細い洒落たボールペンをもらった思い出がある。大して高価では無かったのかも知れないが記念の品として大事にしていた。その絵もしばらく仕舞ってあったので、黴がポツポツ出ていて驚いた。日本画は特に、湿気と乾燥の微妙さが大事なところらしい。美術品は総じてそうなんだけれど…。
 日本画はこの湿気がある日本の風土に実にあっているという。布施先生は日本画をヨーロッパやアメリカに持っていくと、絵の具がだんだん剥がれて行くということを指摘された。欧米の乾燥気味の気候風土には向いていないのだと。「え!そうなの?」…微妙な絵具材を使っているんだと改めて見直した。

 そしてこれも東区民展に出品。今度は区から奨励賞。上の作品とどちらが格の上の賞か忘れたが、どちらが好きかというと、「花帽子」の方が、この「りんどう」より好き。多分心地よくあまり悩まないで描いたからだろうと思っている。
 なお、東区は県立芸術文化センター(美術館など併設)、テレビ局やNHK放送会館など文化的施設が多くあり中央区と隣接区で文化人も多く住んでいる場所であった。


つかのま

2008年03月18日 | SO-Color

クリックするとリンクできます。
 
 この時期になると、女流日本画家の小倉遊亀(1895.3.1~2000.7.23)の作品「つかのま」を思い起こす。上の図に示される見事な梅の花。つかの間と言いたくなるような、その花の下には花弁が五枚はらりと落ちている。

あぁ花は今美しく咲いているが、こうしてその美しさに感動して描いている暇にも、はらりと散る…。遊亀は105歳の生涯で死ぬまで現役の画家であった。
 NHK教育テレビで、以前製作中の姿、様子をドキュメントしていた。もう、その時は既に100歳を過ぎていた。絵の具を溶き、絵筆を換えたりの細々した注文に応じて助手のお孫さんは、遊亀画伯の気持ちを汲んで良く動く助手ぶり。この方が居てこそ病気もあったのに絵の製作が続けられたのだと思った。


   
上左図は、105歳、遊亀の絶筆作品。
 鎌倉八幡宮(8月立秋の前日から9日間)の雪洞祭の奉納の絵。なんて力強い筆致だろう。105歳の方が描かれたなんて思えないくらいだ。
 また、右図は昨年6月30日二千和会が鎌倉に行った時に、ちょうど見ることができた群生のハンゲショウ。ちょうどその時期のハンゲショウを描かれたことが検索して分かった。

 画家は長生きの方が多いようだ。絵は心が諸に反映する。素晴らしい絵は見る側を心地よくさせるが、その心地よさは画家の気持ちでもあると言える。心地よい状況を長く保ちながら絵を描くから、精神衛生的にも良いのじゃないかと思い込んでいる私である。

 絵を描きたい!と思いながらも、それはちょっと億劫なのである。決して怠け心からくる億劫さではない。気持ちが揺れるとすぐにその製作中の絵に出てしまうのである。悩んだり迷ったりすると、彩色がすっきりせず、濁ってくるのである。そして行きつ戻りつを繰り返すことになる。
 これを三者的に見れば、心を浄化し迷いを沈殿させるとも言える。そして、濁りを澄ませてしまうのであると言うのが、私の持論。
 

 だから、心が落ち着き気持ち良く、頑張って生きていけるのだと思う。ここで、億劫とは…と疑問?
 気を澄ませるまでの行きつ戻りつのプロセスが大変なのだ。そこを抜ければいいのだが!! そこで今はとても簡便に美しさを表現できる“デジカメさん”に助けてもらい、その欲求を少しは紛らわしてもらえるのである。

 


絵葉書じゃないから面白い

2008年03月17日 | SO-Color

 友達から「台北の旅」をメールに添付して送って下さった。
 
 私の胃の心配をして下さって、暢気になりなさいというお気持ち?かも知れない。(検査しましたらセーフでしたので、他事ながらどうぞご安心を!ネ。)Akiさんから台北の旅の写真を見ながらちょっと余裕を頂いた。有難う!
 そこで、ここをお訪ねくださった方にもご一緒にどうぞ!と、アップしました。
 上の写真・左は、マンションの窓のようすで台北の方々を想像して見ます。右の写真は、端に居る女性がひざまずき、何を見ているのか?祈ろうとしているのか?
 
     整然としていますね。みならいたいと思いました。
 
 レストラン?見本の献立を並べて店先に。  《台北の夜店、雑然とした雰囲気のなかに妙味がありました。》
 《食べ物は美味しかったわよ。日本が50年も統治していた国だからでしょうか、味付けがシンプルで(日本料理の影響?)素材の持ち味がよくわかり、美味しくいただきました。》
 
      市場風のブースで。
 
 素敵な観音様?仏像です。江の島の弁天様を思い起こすような…!
《あちこちの寺院で若者が祈っていたのが印象的でした。》…という事です。
    以上《 》内はAkiさんの印象です。
 
  九頭竜? 中国では数字の王様は九だと尊重されていますが、日本では九は苦に通ずると嫌われている傾向です。 右写真は初々しい乙女像。しかし画面の右端の体型が崩れたようなあの彫刻は?あれも正面から見たかったなぁ。「見てどうする?」「そりゃぁ、私みたいな人も彫刻に耐えられるんだ!と安心したかったのよ!」