いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

台風と選挙

2009年08月30日 | SO-Color

   
 台風が近づいています。今日は選挙です。
 
 選挙というと、私が住んでいた地区の区役所に区の選挙対策本部が敷かれ、そこからいつも臨時職員の依頼が参りました。
 選挙人名簿と個々のはがきと、ご本人かの確認のために誕生日をお尋ねして照合印を押す仕事です。
 私は小学校PTAの母親代表と副会長を兼ねて任務したことも関係していたのか、その依頼があって後、母の介護に入る前までずっと選挙の度にお引受けしてお手伝い致しておりました。
 俳優の竹下景子さんのお父上・端正な紳士が、私たちの学区に住んでおられましたから、日頃はお会いしなくてもそんな時は、さりげなくお顔やお姿を確認できました。
 学区の中でも地区別にしますから、受け持ったところがたまたま合った訳です。大和田伸也・獏兄弟や、音無美紀子の実家も同じ学区やすぐ隣の学区にありましたっけ。そうそう、ザ・ピーナッツの立派な茶色のレンガ造りのご実家も近くで、それぞれ片道10分程度で到着出来るくらいの散歩圏内でした。

 
        (これらの写真は、話題の住まい付近とは関係ありません。)

 他に投票箱の前に、町内会長(区政協力委員長)、その他町内役員さんなど男性たちが7,8人椅子に腰かけてズラリ並んでいました。投票する皆さんを何気なく監視している訳ですが、私の夫もその一群の一人として、今日も一日中頑張ってくれているはずです。

 早朝から8時きっちりまでその仕事をして、投票箱を厳重監視付きで本部に運ぶ方々と、そのほかの役の人は会場であった小学校の一部屋を現状に戻すまでの後片づけをして帰りました。

 

 今日は私は不在者投票もせず棄権してしまいました。

 台風が近づいています。たった今大阪の叔母が命を引き取ったという知らせがありました。この夏は…身内の者が次々に亡くなりまして、なんと3人目です。夫関係の方の義弟(7月20日)、義姉(8月3日)、そして私の仲良しだった叔父の妻(8月30日)。
 先の会報36号を纏めながら、こんな時もあるんだ…と頭を低くして、そうっと身動きも出来ないくらい静かにおとなしくしていました。気が紛れると思い、ただひたすら会報のみを纏めて居た…という感じでした。
 傍目には《それでも活動していたじゃないの…》と見えたかも知れませんが、自身は心の奥底でその打撃を受け止めて実は耐えていたのです。

 

 上の小さいサイズの写真「蘇鉄」は、また、頭の上に花の蕾を持ちました。私の記憶ですと、数年かまたは数十年に一度花が咲き、咲くとその木は枯れてしまうと思っていました。
 この花の準備に気づいたのは、2,3か月前で、それが徐々に大きくなっています。

 次はインターネットからです。
 ソテツ(蘇鉄) は、樹高2~4mの半耐寒性常緑低木で雌雄異株の裸子植物です。

 幹は古くなった葉を落としながらどんどん伸びて茎先に羽のような大きな葉を輪生状につけます。花期は6~9月で雄花は縦に伸びた花長50~70cmの細長い1本の円柱の形をしています。雌花は山伏茸を大きくしたような白い球状をしています。9月下旬頃に赤い実がなります。

 全草が有毒で特に種子部分を大量に食べると吐気や痙攣を起こすといわれます。公園などに植えられています。

 これによると枯れないらしい。けれどこの庭でもっと大きかった株が花と実をつけた後、元気がなくなり枯れて無くなってしまいました。他の条件で枯れたのでしょうか。

 今年の異常気象が、生き物の生き方を変えていくのかも知れません。不安を感じるこの頃ですが、この選挙によって、今より生きやすい社会になって行くようにと祈らずにはいられません。


自然界の出来ごと

2009年08月28日 | SO-Color

  春または初夏に咲く梅花ウツギのふっくらした白い花が春よりも小ぶりでたった一輪ですが、炎天の下、咲きました。完全に狂い咲きです。

 

 左は咲きだしたことに気づいて、朝の時間に撮りました。右は昼過ぎに撮ったものです。花びらが大きく開いています。

 良く見ると、青い、か細い蜘蛛が見え隠れしています。

  
                             
 その24時間後、母の昼食介護が済んで、玄関に咲いている
梅花ウツギの方に眼を移しました。
すると…昨日の青い蜘蛛は獲物を捕まえたようで、
口元にもう死んだ小バエをくわえておりました。

 お互いに知恵を使いながら生きているのですね。生存競争が、生き物の食うか食われるかだけではなく、人間は、理性や愛情などの感情や教養のお陰で、感情むき出しのままの惨ささえ感じられる自然界域から比べ、優しさの情景が観てとれる現状を見廻して、ほっとしていることを感じました。

 昨晩、ご機嫌で家に帰りました。
 日頃から言いたい事を言い、言われ、家族的なよい仲間たちと、少し時期的には遅いかな?と思われる「暑気払い」とやら銘打って、有志11人が集まりました。そして飲めるようになったビールと、サワーで心地よく酔って来たところでした。

 さて、夜具を整えて、寝ようかと押入れの扉を開けました。何か近くで動くものの気配……や~だ! 10センチ足らずのあまり見かけない姿。
 やはり、これから寝ようかと思っている部屋で、相手をよく知らない生き物と同室するのは、拒否したいところです。
  
 いっぺんに酔いも覚めました。
 画像検索してみましたら、やはりヤモリで間違いなさそうです。そして、家で見つけたら縁起がよいらしい。
 でも、でも…。どうして?

 ちょくちょく見かけていたなら、同居人として認めてあげても良いけれどね。。 (T_T) 
 やっぱり気持ち悪い。暗闇にして寝ると、私に近寄って来るといけないからと、一晩中灯りをつけっぱなしで寝ました。
 お陰で、今朝は早く起きましたが、早すぎたともう一度寝なおしたり、起き出したり、また寝たくなったり…。お布団をあげる時は、もう朝の涼しさから暑くなり出したような時間となっていました。

 すみません。ヤモリ(屋守・守宮)の画像を、デジカメで冷静に撮影したものの、最初は載せましたが余りにも気持ち悪くて、編集し直すことにしました。あしからず。
 見たい人は申し出て下さい。またはグーグル画像検索で観てください。

 


クリーンスパ ICHIKAWA

2009年08月26日 | SO-Color

  お母さん泳ぎに行きましょう!…と娘たちに誘われて、プールがある施設に遊びに行きました。

 以下プールでは、カメラは持ち込むことを遠慮しましたので、インターネットの画像を、お借りしました。

 
  
 

 孫は12歳から6歳まで、4人。一番小さいKarenちゃんも、水を怖がらずに、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちに保護されながらも武者ぶるいするようなつもりでついて遊びます。誰に似たのでしょう。頼もしい限りです。
 小さいKarenは子供用プールに入らずレジャープールで、足が届かないのに犬かきのような泳ぎ…パパに上手に教えてもらったから浮くことを覚えたところだそうです。
 競泳用のスイミングプールでは、6歳の子を除いては小学生や中学生なので25メートルは一気に泳ぎます。



 海岸沿いのこの場所は、昔は海水浴場でもあったのでこの辺りも賑わった所です。太陽の下で一日泳ぐと、皮膚は真っ赤に焼けて背中や腕、日頃太陽に当たっていない太腿など火照って軽いやけど状態になります。触ると痛くて、着ている布さえも痛くて哀しいほど…翌日は少し落ち着くのだけれど皮膚は火ぶくれのようになり小さな水泡を作ります。やがて3,4日すると皮膚の下にあった水もなくなり、今度は面白いほどに、皮が剥けて来るのです。まるで、よく熟れた桃の皮を手で剥くように、姉妹で背中の皮など少しずつ剥いたりしましたっけ。
 そんな思い出もあった夏。ここは室内だから陽に焼ける心配も無いので、じっくり2時間プールにいました。もちろん50分間経つと、ホイッスルが鳴ってみんな水を上がります。10分休憩してから、また元気に泳ぐのです。おじいさんもおばあさんも、お母さんもお父さんも、そしてお姉さんもお兄さんも…みんな仲良く遊泳です。 もちろん、幼稚園児も小学生も中学生も。

 ここで気に入ったのは、レジャープール。子供たちが水の中で遊んでいる傍に、ジャグジーの場所があります。かなり強い水流が吹き出ている囲いのところで、大人はお腹や背中、脹脛に水流を当てている間、周りで遊んでいる子供たちを目で追いつつ、それとなく見守ってあげています。子供は、キャッキャッと喜んで遊んでいられて、この設計はかなり上出来と、感心しました。
 Karenちゃんに、私のゴーグルを子供の顔に合う大きさにゴムベルトをつめて使ってもらいました。青い眼鏡に濃いピンクのベルトが色白のKarenちゃんに良く似合います。彼女も大変気に入っている様子でしたから、プレゼントしてしまいました。
 そしてその後は館内のお休み処で食事となりました。ここは焼却場の余熱を利用した温泉も楽しめます。

  
 この日は大気が不安定でした。食事を済ませて外に出ると、道路が濡れていました。にわか雨が激しく降ったようでした。

 
 その後は、子供たちが曲にうまく乗って楽しむカラオケにいきました。今の子たちはなんて音感が良いのだろうと感心します。また昔話ですが自分自身も子供時代はもっとリズムに乗れて調子よく歌えたのに…と、年を取ったことを自覚しもどかしく思いました。
 いつも「恋するニワトリ」をリクエストしてくれますが、私が乗りきれていない部分を孫たちは、合唱してカバーしてくれます。それが、実はうれしいのです。みんなで歌うと、とても素敵なハーモニーなのです。

  
 娘たち久しぶりにピンクレディーになって「UFO」を、振りもなんとなくつけて歌っていました。親の私は歌えないけれどこの歌は懐かしく聞きました。孫はアニメの主題歌(崖の上のポニョ・ドラゴンボール・・・)や、おませな歌詞の歌を選曲(例えば嵐の『One Love』はお得意)。しかし、こんな幼い子がちょっと大人びた歌詞を歌うのも、おやっ?と、驚かせながら、やがて聴き惚れる可愛さがあるのです。リズムが良いので軽やかに、透き通るような澄んだ歌声でなかなか良いと思います。私も歌ってみたいけれど、その真似を試みることさえ、無理なことですね。
 ワンテンポ遅れたりリズムが取れない、太い声音、時々リズムを忘れ自分で作曲してしまう…最悪なカラオケ・イスト(?)です。


残暑

2009年08月25日 | YG-World

1月から体調を崩している実家の母のご機嫌伺いに出かけました。
市川駅に降り立ちます。
朝晩は過ごしやすくなったとはいえ日中は日差しがあります。
「さあ、日傘を・・・」と思ったら傘がない!!!!! 電車に置き忘れてしまいました・・・さあ~~どうしよう(;一_一)(続きは最後に)


 高校時代の頃ですが、タクシープールの右側・『SEIKO』の看板の見える前あたりから右側に入ると、細い路地にたくさんの小さなお店がありました。
戦前、市川の菅野に住んでいた永井荷風が、傘を持って歩いていたと言われています。


 母は家にいるときは、この川沿いを少しだけ歩きます。




     いつの間にかこんな物が出来ていました。
      後ろを向くと こんもりとした緑の中に『戸定邸』が見えます。


     左の方に目を移すと『伊勢丹』 もう、駅前です。


私が子供の頃は『ドブ川』で知られたこの『坂川』も随分きれいになりました。







 カモの家族も住んでいます。

さて、問題の『日傘』です。 

どうしようかなと思ったのですが、お気に入りの日傘です。
少々の階段を上り、駅改札口に戻りJR職員さんに電車内に傘を忘れた旨を話しました。
どんな傘??・何色?・取っ手は木製?・車両は何号車?・前・後?・右・左?・・・
差し当たりの質問を終えるとすぐに電話してくれました。
後3分で、錦糸町に着くので駅に着いたら探しますので少々お待ちをと言うことです。
急ぐものでもないので待つこと数分。
『それらしき物』がありましたとの連絡。
錦糸町駅に26日まで保管しておきますとのこと。


      錦糸町快速ホームにある事務室
ホームにこんなのがあるのは知っていましたが、そこに『お忘れ物承り所』があるのは初めて知りました。
市川駅もここ錦糸町駅のJR職員さん達もとても親切です。 


  これはごく普通の日傘 


     無事手元に戻ったお気に入りの日傘
ちょっと変わっているでしょ?
色と形がとてもおしゃれです。
これをさして歩くと、とてもエレガントなレディの気分になれます。

『よかった・よかった』と思っていたら、今日、いつもお世話になっている近くの公民館に寄ったら、呼び止められて『傘』を忘れていませんか??と言われました。
ビニール傘です。確かに私の物です。名前を書いてテープで貼ってありますから。
記憶の端にもありませんでした。
我が家の玄関に納まらない程にあふれているビニール傘は何の苦もなく戻って来ました。
放っておいたらお気に入りの傘は手元に戻って来なかったでしょう(+_+)
人生こんなもんかなあ~~~
 


今日もまた

2009年08月23日 | SO-Color

 蝉が残りわずかな暑さを謳歌しています。

 
 百日紅も満開です。
 今年は鋏をいれる庭の手入れが、時期的にずれたため、他の百日紅よりうちのは遅いようです。

 
 ミソハギ。
 デジタルマクロで焦点を合わせたつもりですが、ピントが合っているのはどの小花? 下の右向こうの花のようですね。失敗ですが、夏のお花ですので顔見世です。

  
 夏の暑さで写真がうまく写せません。デジタルマクロで撮るともっと素敵に撮れると思って挑戦するのですが、こちらの思い描くほどは巧く表わせません。もう少し研究しなくては…と思いました。
  
 秋海棠。 ベゴニアより草丈が高くて一枝切り花にして飾ると意外に風情があります。

 あ~、やっぱりもう少し研究しなくては!
 以前思いのほか巧く撮れた、雨に濡れた“侘び助”(←クリック)の花のようには、なかなか撮れない!
 あれはマグレで、撮れたのかなぁ? それとも、最近カメラが狂ってきたのかなぁ?

 


二重の虹 (メール通信から)

2009年08月21日 | SO-Color

 古くからの友だちAkikoさんから、久しぶりにメール通信がありました。ここしばらくお会いしていない…そう言えば、Tosikoさんともご一緒に会いましたね。名古屋中区栄の感じのいい喫茶店で交友を温め合ったのは何年前でしたっけ?!
 こちらでの切羽詰まった用事に流されて、名古屋には行っても“とんぼ返り”の、余裕のない時間を過してきています。
 そんな日常にポッと温かさの写真メールでした。
 
 8月7日の夕方6時に見事な虹が架かったとのこと。 蓼科高原でのことで、珍しい二重の虹!

 そう言えば、昨年同級生のグループ8人で北海道に行った時、やはり二重に見えた虹に出会うことがありました。
  
 知床半島を遊覧船で突端まで就航するコースをとって、その戻る時でした。お天気の変わりやすい時間帯でした。晴れていたと思っていたのに、降ったり、そしてまたやんだりの霧雨状態の雨に見舞われて……。その時、時間差で何度も別の虹を見る機会がありましたっけ。左の虹の写真は上の部分に二本目の虹がありました。写真ではうまく捉えていませんでしたが、そう言われれば、微かに見えるでしょう?

  
 彼女はとても優雅に行動していらっしゃる。この車は御主人の?

 Akikoさんは黒のフォルクスワーゲンでしたものね。よもぎ台の我が家から歩いて5~6分くらいの場所に、輸入雑貨や新鮮な食品を求められるマーケットがありました。そのお店を利用するためついでに我が家の前に車を止められて、私をお誘い下さったことがちょいちょいありましたね。ある時は貴女の車に乗せて戴いて香嵐渓に行ったりもしましたっけ。
 このところ、パソコンを替えたついでにアドレスも替えて、忙しさに紛れて新しいアドレスを知らせなかったことに気づいて慌てましたこと…ありました<(_ _)>。。。

 
 日本なのにどこか異国情緒が漂う雰囲気のホテル。
 蓼科の……詳しいことを知らないけれど、もし行けるような気持ちのゆとりが出来たら、彼女に教えてもらって行ってみようかな?…なんていう気にさせる清々した広々感のあるところです。
 この暑い最中、きっと涼しいことでしょう。

 

 

 日本のアルプス、日本のスイス…なんとも涼しげな雰囲気です。

 

 

 


ラマダン前

2009年08月19日 | YG-World

『ちょっといいですか?』とお呼び出しがあり今日はお出かけです。

 
                     お気に入りのネックレスをつけて

お兄さんの奥さんの~~の(*_*;~~の(+_+)で(よくわからない関係なのですが)出産祝いを届けたいというのですが・・・お付き合い。
運転手&子守&付き添い
出かけるのは構わないのですが、彼女と私では生活の感覚が違います。
今日行くというのにこれからプレゼントを買いますと言う

そんなこんなだから、都賀まで行くというのにそれだけで1時間以上費やしました。



 
   この子のママ 女主人です。          ハンサムなお兄ちゃん


  生まれて2週間の男の子
残念ながら、目を開けてくれませんでした。でも鼻は高いし、多分目もぱっちりでしょう。


 こちらは8ヶ月になる女の子ちゃん



『さあ、帰るよ』と玄関を出て、『ちょっといいですか?』と隣りの隣りの家でピンポン。
出てきたのがこの人たち。まぁ~~っiたくRihanaちゃん達のコミュニティはどんなになっているのかさっぱりわかりません。
ここに一人写っていない女性がいます。出産のお手伝いに来ている身内の方だと思ったらどうも違うようでした。
『あの人は誰?』と聞いたら、『Servant』とこともなげに答えました。
なあ~~るほど!!彼ら達のお国での生活振りをみたような・・・
今年は明日から『ラマダン』に入るそうです。
まあ、体に気を付けてとしか言えません。 
 


夏・高校野球

2009年08月17日 | YG-World


夏の甲子園が始まっています。
プロ野球で活躍している選手たちも原点はここにあります。
我が家の息子もかつては高校球児でした。



もう、10年も前のことになりました。
マリンスタジアムでの開会式。
ごく普通の県立高校ですから結果はおのずと知れています。
ですが、親も3年間、十分楽しませてもらいました。


中学では市内大会で優勝。
館山での県大会には子どもたちは宿泊ですが、私たちは『4時起き』をして3日間、館山に通いました。
今となっては懐かしくもあり、その時一緒に行った一人のお父さんがその後、癌で亡くなったりして忘れられない3日間です。


さて、もっと時代をさかのぼって思い出のアルバムを出してみました。
少年野球は学校のクラブ活動ではないので、親もそれなりに協力しなければなりません。






必ず役員をしなければなりません。最後の年、役員が回ってきました。
ほんの2・3回のつもりでB4用紙1枚の『きまぐれ通信』を出しました。
(どこかで聞いたことある??って??・気にしない・気にしない)
「次はいつ発行かしら??」と言われ続けて1年間。
最後はキャプテンの書いたイラストを表紙にして製本テープで綴じました
後から読み返してみると子どもたちの成長がよくわかります。


最後の年は『卒部アルバム』を作ります。
メンバーは11人、お母さんたちが全員集合で何度も集まりアルバム作りをしました。 


 


    1年生から6年生まで全員での夏合宿
銚子に2泊しました。そう言えば、あの時はすご~~く疲れたっけ(+_+)



子どもたちはそれぞれに違った道を歩んでいます。
その親たちはと言うと、同じ小学校なので近隣に住んでいることもあり、近所のスーパーで会えば長々とした立ち話に花が咲き、何かと言えば飲み会・食事会と親睦を深めていました。
とは言え、月日が経ち半数が引越して行きました。
それでも、一声の号令で集まります。
これも子供たちが与えてくれた『縁』でしょう。感謝・感謝です。
 


戦後64年 演劇「東京原子核クラブ」

2009年08月15日 | SO-Color

 
ちょうど、広島原爆記念日の前日に、俳優座劇場・プロデュース公演を観賞した。
演目は「東京原子核クラブ」
出演者も馴染みがないし、あまり期待してはいなかった。
観終わってから、よくこんなややこしいテーマを演劇にされた!と感心した。
そして、思い巡らすきっかけを多く作り、しばし黙考……になった。

あらすじは…昭和初期。
風変わりな住民ばかりが集う本郷の下宿屋「平和館」が舞台。
若い原子物理学者・友田晋一郎(朝永振一郎がモデル)が、
海外の研究者に論文の先を越され、自分の研究の道が閉ざされようとしていたので、
郷里の京都へ傷心の気持ちを抱え帰ろうとしていた。

青春群像コメディーに仕立てている劇の内容。確かに笑いを誘う要素を織り交ぜてはいる。
いろいろなエピソードを絡ませて……、しかしテーマは原子物理学者の苦悩だ。

 

研究はすれども、研究に掛ける国の援助費用は、海外の国と日本の場合を比べたら、
問題にならないほど、日本は貧弱だったろうと思う。
研究がいいところまで行っても大抵は海外の研究者に先を越されてしまう。
能力の差ではなく、研究費の問題…
その友田の上司・指導者の姿勢(これは後で判るが)も対応に遅れをとった。
どうにもならない日本の現状と現実を抱えていた。
“目の前真っ暗状態”は手違いが原因だと判って、東京に留まり研究を続けることになった友田。
そして徐々に戦争の気配が濃厚になって、やがて…。

ご存知、「原子爆弾」が新型爆弾として発明、完成された。
広島や長崎にこの恐ろしい爆弾が使用される結果、終戦となるのだ。
その時も友田たちの研究の方が遅れを取ったという。
日本も原子爆弾を作りだそうとしていたし、研究途上であったのだと。

そうだったのかも知れない。
友田物理学者は、その研究が例え人間を滅ぼし自然を破壊したとしても
研究に没頭して発明、発見に情熱を燃やすだろう、と吐露するのだった。
2時間50分もの長い上演だった。

科学者は自分の研究に勤しみ、追究するところに情熱を傾け、その力を実際に試してみたくなる。
ノーベルは固い岩を爆発により、トンネルや岩石採掘などに役立つように
岩石を爆破させるダイナマイトを作ったのに…。
平和に、人の役に立つと思って研究したのに人を殺す凶器になったことに研究者の罪を感じ苦悩した。
自分の研究成果が爆弾として利用されることに深い悲しみを覚えたのであった。
変な「例え」になってしまうが、オーム真理教に若い優秀な研究者達が、
「なぜ?賢い人でしょうに誰もが狂っていると思われるような、非常識な道に走ったのだろう…?」と
疑問を持たれた方も多く居られた。
自分の研究成果を実際に試す行為、どんなに危険性が考えられたとしても、
試す行為は、ある面では自然な流れだったと見る方も居られた。

今日は終戦記念日。
戦争の体験者特に上官だった人が年老いて90~100歳以上となっている訳だが、
テレビで最近、今しゃべらないと分からなくなってしまうから…と、最後の踏ん張りみたいに、
「戦争とはこういうものだ」と知らない人間に伝えてくれていた。

経験者には思い出したくもない過去、苦しい人殺し(これが戦争!)の現実を伝えようとしていた。

私の叔父も海軍兵の過去をもっている。過酷な現実には遭遇しなかったようだが、
叔父の軍隊生活の名残りとしては、子供心に感じて思ったこと…
それはご飯を掻きこむように忙しく食べていたこと。
そんな行為は軍隊の集団生活に欠かせない姿勢だったようだ。
今はそんな習慣は消えてしまったが、2、30年はそんな感じだった。

 
私が2つ、3つくらいの時の思い出を、よく話題に出される叔父。
「トンブグン、ジョウホウ、コワイヨォ(東部軍情報とラジオが言っているが恐い)」
多分異様な飛行機の音とラジオの切羽つまったアナウンサーの声が
私に感じさせたのだろう。
「防空壕は好き(美味しい甘いものが蓄えてあったから)」
私は記憶にはないが、いつも叔父は私に会うと、そう言ったと思い出しては私に話した。

今日は、昨年12月に亡くなった叔母の新盆に出かけた。
今日の夕方は送り盆であった。



何事も無し…!?

2009年08月14日 | SO-Color

 身辺がざわついて……いました。
 何事も無しと言いたかったのですが、人力の及ばない域のこと、諦めるしかなかった事態でした。
 これは言っても仕方ないことです。

 気を取り直して、ちょっと明るい話題!
 映画の試写会を応募していました。当選しましたので、東京での試写室に友達を誘って観てきました。

 
 
 
 60代のおばさんにぴったりの映画です。
 …と言ったのですが、実は私は途中うつらうつら…半分しか観ませんでした。
 プロローグで、女の子は男の子を、いつも誤解するように躾けられてしまったのです…という下り。 
 意地悪する男の子は、その女の子に興味や関心、ひいては好きだからです…こう大人に慰められて女の子は大きくなりました。ここから、男の子に対して誤解が始まるのです。
                ~~ネ!?
 そこで、この映画の結論が見えてしまったのです。
 昨日までの疲れが少しずつ出てきていました。眠りそう…と思った途端眠ってしまったのですね。ときどき目が覚めて映画を見ました。
 友達は結構おもしろかったし、頷くことが多くて可笑しかった…との感想でした。幸いなことに捨てることも無かったし、捨てられることも感じなかったので、まあ、これで良かったのだと自分に言いわけをしました。
 観終わったあとで、お茶でも…と言いながら、同級生の二人はワインで乾杯して、映画と同調した部分など感想をお聞きしました。

  
 また、別の日。
 庭にはびこっていた草を取りました。朝少し早起きして涼しいうちに草を抜きました。3日間は我ながら良く頑張ったと感心いたしますが、蚊に刺されないように蚊帳のような被り物を購入して、それを着ていたしました。
 耳元でブンブンと蚊が鳴く音がしても刺されなかったのは幸いでしたが、気持ちの良いものではありませんでした。蚊は大っ嫌いですから。誰でも好きな人はいませんよね。

 3日目は疲れがでて、朝少し遅くなりました。終わる頃には陽が少し高くなって暑くなってきていましたので、御覧のように汗タラリ、シャツは濡れて…でも気持ちの良い汗でした。アゴの下に汗の粒、目の下にも顔中、玉の汗が…思いっきり流したという感じです。お化粧っ気もなく、ただ汗にまみれ蒸気した顔を出す勇気…随分面の皮が厚くなってきました!!
(しばらくそのままでしたが、やっぱり皆さまに不快な思いをさせては申し訳ないので、モザイクやぼかしを入れることにしました。)
 草取りの時間は、延べ5時間30分。だから、すっかり綺麗になったという訳ではありません。日頃の手抜きが祟っていますから、表面的に片づけたとしても、まだあと半分は残っています。

    
  

 孫のペット、ハムスターを預かりました。その間大きな地震があったりしても、ハムちゃんを守らなきゃ!なんて、気を使いました。
 守ってあげなければならないものがあるのは、張り合いが一層でるものです。
 私の、ガンバリストは生来のものかも…なんて、ひとり悦に入っていました。