いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

ユートピア(夢みる)

2009年11月30日 | SO-Color

 ご案内の文に目がとまる。

 叶うわけがないと思っていた夢も、イメージしているうちにどんどん引き寄せられ、いつの間にか叶ってしまっていた。…(略)
 夢みることや、こうありたいと願うことは、私たちに生きる喜びを与えてくれます。(以下略)

 
 二千和会メンバーのTanakaさんからプレゼントのチケットで、運営委員のいつもの3人で出かけました。本当はもう1人お誘いしていたのですが、時間にお見えにならなかったので、結局3人で。
 出光美術館では、特に頭陀袋を枕かクッションかのように凭れて幸せな眠りに着いている布袋様が印象に残った。「しあわせ~」っていうお顔はこんな風なんだね…と納得させられる。
 ちなみに、私たち仲間の新年恒例、七福神巡りだけれど、七福神というのはそもそも〔何を守って、叶えてあげよう〕と、なさる神様なのか…あまり意識せずに、七福神という一括りに考えて毎年神仏に手を合わせて、気持ちが落ち着いていた。…あ~、もっときちんとお参りせねばーという反省もした。

 福禄寿と寿老人…混同しています。はっきり区別できますか? 
 実はそこで勉強しても何だかイメージ的に釈然としてない、私の頑固な頭…あ~、ユートピア!になって、頂戴ませ、ませ。

 
 
 一通り鑑賞し終わって、この眺めの良いロビーで「お茶など召し上がれ」
 皇居参観の日を想い出しながら、真正面に見えるのが桜田門で、私たちは桔梗門(画面右方向)を通って、二重橋を皇居内から眺めたことがあった…など思い出していた。
  
 “夢みるタイム”を引きずりながら、冬のそろそろ暮れなずむ街へと出た。
 Yokoさんは、ご家族の待つお家へと急ぐ気持ちともなって来る時間だから、やたらお誘いしない。きちんと割り切って考えられる方だし…ネ。

 折角有楽町まで出たんだもの、ちょっと師走になろうとする東京っぽい風景を見ましょうか…と、Yoshikoさんをお誘いして案内して戴く。快く同意されて「銀ブラと洒落ましょう」と言って下さる。
 いつもなら稲毛の「天狗」に寄ってから帰ったりするのだけれどね。
 
 ぼちぼちイルミネーションが輝きだす銀座の街並み。

 銀座四丁目の服部時計店という方が私にはピンとくるのだが、Yoshikoさんは「WAKOよ、ちょっと寄ってみましょうか?」とお誘いくださる。

 今までも遠くから時計を眺める方が断然多かったのだけれど、一歩店に入ると、別世界。ここもユートピア!
 ここで大きなオルゴールが目にとまった。¥619,000の値札タグがついている。木製の艶やかな象嵌細工の模様。ちょっと輝きすぎて、手でやたら触ることは出来ないと感じた。
 お店の隅に立っている綺麗な店員さんにお願いした。
 「音を聞かせて下さい。」

 
 
 快く、しかし丁重に、手袋をはめて捩子を静かに巻いてくださった。
 イタリアのオルゴールメーカー「リュージュ」。イタリアの作曲家、プッチーニの生誕150年を記念して3曲入っているオルゴールを聞かせてもらったようだ。凄いものを聞いてしまった。
 リュージュの得意とする見事な象嵌細工がほどこされ、3階で沢山展示しているとの案内があったが、とても買えるような余裕はない(当たり前か!?)ので、そこまでは行かなかった。

 私は、明治生まれの父が欧州旅行で、スイスから大事そうに抱えて帰ってきたオルゴールを連想していた。
 そのオルゴールはやはり特別だった。オルゴールにしては、大きな弾くような音色でスイス製…イタリア製だったのか定かではないが。)は、さすが違うわ…と感心した。木製の箱の蓋には象嵌細工も施してあった。

 ドラムの長さやそれに伴うピンの数は、さすが3曲も奏でるような長さとは違って、父のオルゴールは三分の一から四分の一くらいの大きさだった記憶だ。しかし、ドラムのピンの密度は負けぬくらい多かったと感じている。
 だってポロロロン、ポロロロロ~ン…と複雑に演奏もしてくれて、響くような音色でもあり、うっとり聴き惚れた記憶だったから。

 この高い値段のリュージュのオルゴールは当然、店内の雑音の中でも大きな素敵な音色だと判別できた。

 このオルゴールを買って家で一人で楽しむのなら、多分その音に酔い知れて聞き入っても聴きいっても飽きないだろうね。あ~ユートピア。


  
 その後も、うきうきしてユートピア気分。

 「行ったのよ~。 Yoshikoさんと、銀座ライオンに!」

 サラダや牡蠣フライ、ジャガイモとソーセージのふかふか、カリカリの食感…ビールも、みんな格別の味がした。さすがドレッシングひとつ取っても味が違う…お・い・し・い~。

 最後までユートピア。楽しいお話も い~っぱい!でした。               


賑わいの酉の市

2009年11月27日 | 会報お役立ち

  
  11月24日(火)は、二の酉であった。例年のごとく、二千和会の分科会として位置する酉の市に出かけた。
        
 酉の市は脈々と続いている江戸の雰囲気を残すお祭り。
 もう江戸っ子ではあるまいと、若い世代は思ってみるが…。もう東京っ子という世代というものでありましょう…なんてつぶやいてみる。 
 文学散歩では江戸っ子と粋がる方も多いように見受けられる。第一、故山田先生のメールアドレスは、edokko-yama…とかいう言葉を選んでいたような記憶である。このことにこだわったのは、「江戸っ子だい!」と言っているようなお祭りの印象だからだ。

  
   
 
 ハンドマイクで、「混雑しています。スリ事件が発生し被害がでました…」と注意を促す。混雑ぶりにはぐれないように、手をつないだり、仲間の洋服の端をつかんで繋がったり、みんなで気をつけた。押しつぶされそうな境内。貴重品入りの鞄の口にも注意して連なって人の背中を追う。
 太鼓が勇ましくドンドンと叩いている音…お腹に響くようだ。

 
 この上の櫓舞台で和太鼓をうっている人を見れば、女性だった。打つ音力強く、男性が撥を振っているように聞こえて来ていた。

 
  提灯が途切れているところが、神社の賽銭箱とその向こうは御本尊様。念入りに拝み…と言っても気持ちだけ。押されているので手を合わせるのがやっとという状態である。

 
 昨年も参加されたKojimaさんと、Saitohさん。今年は何をお願いしたのかな。みんなの幸せと家内安全、商売繁盛?健康長寿など?

  
  Tabuthiさんは初参加。鷲(おおとり)神社の隣り合わせの長国寺にもお参りする。
 そして境内をぐるりまわって、「かっこめ熊手」を買い求める雰囲気を味わう。この限りでは、景気は良さそう。折しも宝くじが売り出されたので、ここでお祈りして買おうと思うと、Tabuthiさん。
 「3億円当たったら、1億円でいいから、二千和会にちょうだいね」その言葉を聞く限りでは、大きな話だとびっくり!
 また大きな気で応えられる。「そうだね、1億円というより、半分こにしてあげるから、当たるように祈ってよ。」「うん、お安いご用ですよ。」
 あちらこちらで、「いよーっ、シャンシャンシャン…」 熊手を買いあげたお客さんに景気づけの手拍子。賑やかな雰囲気に溺れそう。

  
 このお兄さんの口上が面白い。毎年ここに足を止めて聞き入ってしまう。辛いのがお好きなメンバーでもあるからね。
  
 七味唐辛子の大辛をSaitohさんが求めた。「え、ご主人が辛いのがお好き?」「九州には柚子胡椒というのはあるけれど、こういうのが無いから、郷里に土産物にしようかと思って…」
 張り切って口上するお兄さんは唐辛子をおまけ、おまけと盛り加えて、激辛仕上げとなってしまう。それを、紙袋に移した。見ているだけで、口が曲がってしまいそう…息が出来ないほど辛そう…。
  
 この帰路は夕食に。浅草観音様の傍の「三定」で、疲れた足を休ませ天婦羅の「吾妻橋」とか「・・橋」と名付けられた定食を戴いた。お腹がいっぱい…と、なった。

  


佐伯チズ・トークショー

2009年11月24日 | YG-World

『参加すれば今すぐもっとキレイになれる!!!』かしら???
お誘いを受け佐伯チズさんのトークショーの行われる椿山荘に出かけました。



9:30開場
入場券があるとはいえ、先着400名様という事で私たちも『気合い』一杯で早起きをして出かけました。
9時前に到着したのにもうこの列です。


 もちろん女性限定。
私たち世代が多いのかしらと思ったら意外と若い子たちも多かったようです。

満席です。入れなかった人もいたようです。


さあ、チズさんの登場です。
『こんにちは・コンニチハ・皆さんこんにちは』と元気ハツラツで場内を回って来ました。


  『美肌師』 佐伯チズ先生です。
『手』は道具ですから、握手はできません。
でも、『顔』はパンフレットです。どうぞ触ってください。


 という事で演台を降りて客席を歩く度にみんながお顔を触ります。
「お~~柔らかい…」です。
           るおい
           めらか
           り 
           んりょく
           っしょく     
そのためにはきちんと食べること、そして意識すること。
日替わりの恋でいいから『ただの美容液』 『アドレナリン』を出しましょう!!
チズさんのお話はストレートです。
いつ行くかわからない旅行のために化粧品サンプルを取っておいてはダメ。
ダイエットは明日からでもいいけれど『キレイ』は今からやるのよ!!


この日は冷たい雨の椿山荘です。
お天気だったらお庭の散策をしたかったところですが、残念でした。

  

『キレイ』ってなんでしょう??
チズさんに元気をもらい帰宅したら、まさに絶妙のタイミングで携帯がかかってきました。
夏の間、外でテニスをしていたら『シミ』が出来てしまったので「レーザー治療」を受けたとのこと。
でも、後がひどくなって外に出られない状態らしい。
顔を見ていないからどんな状態かわからないが、以前から「整形」にも興味を持っていた彼女。
「シミ」があってもいいじゃない。「しわ」があってもいいじゃない。
年をとればしょうがないわよ。要は中身がきれいであればいいでしょう。
と言うと、でも顔もきれいならもっといいでしょう。
と言われるからこの話はいつも平行線。

何かに打ち込んでいる人はチズさん曰く『アドレナリン』が自然と出てきて輝いているのだと思う。
でも、外側からのお手入れも必要なのかしら??
休日に息子の所に行って、佐伯チズさんのトークショーに行って来たと言ったら同居の彼女が私、チズさんの本持ってますとのこと。
彼女の影響力はすごいのですね。
見せてもらいました。貸してもらいたい所でしたがそうもいかず・・・かと言って買ってまで見る気もなく・・・
万事適当なところで手を打っている私です。

 


お気軽に中国へ④

2009年11月22日 | SO-Color


 
 
 今日はリニアモーターカーで上海空港に向かい、帰国の途に着くのみである。

  盛りだくさんであったから、こんな3泊4日の旅にかなりの時間を要したようにも思える。
 同室のChiekoさんと、人民元のお札を並べて撮影。なんとか使いきれそうねと。
 実は私はすでに人民元は無い。でも、日本円はそのまま元として換算して使えた。


 
 リニアモーターカーが滑るようにホームに入って来た。いよいよ帰るという実感だ。

  
 左は車内のシートカバー。この水色の車内が日本では見られない感覚であった。右は7分30秒間のあっと言う間の乗車時間で空港駅に着いてしまった降車時の場面である。

 
 折角だから、最高の時速になったその表示をカメラに収めた。その速度になるまでの速さをあげて行く段階は、まるで飛び立つ前のジャンボジェット機のようだった。翼があるなら「これから離陸するから加速するよ、準備は良いかね…」という感じ。そしてこれからスッと地上から離れる瞬間がくるような感覚であった。

  
 上海空港で。現地ガイドの陸さんは、皆が予定の飛行機に乗るチケット交換から、搭乗ゲートをくぐるまでをつきあってくれた。
 我がメンバーの良い所は、その時にポチ熨斗袋が誰かの鞄からすーっと出てきて、50元(皆の共通財布から)を、お礼に陸さんにお渡し出来たこと。ほんのお礼の気持ちなんだけれど、そんなことができる日本人女性の奥ゆかしさ…いいですねぇと、我らは自画自賛という境地に。
  
 13:20上海発ANAの機内食は、お蕎麦もついた献立。実は、行く時もこの献立だった。それなのに中華のお料理を4日にわたって食べ続けたので、機内食のさっぱりめの味付けに、やっぱり日本食は食べ慣れているから、美味しいものだと、感じた。
 たった10回分の旅先での食事。郷土料理・毎朝のホテルバイキング・蘇州料理・広東料理・点心料理・上海料理などを食べてきただけなのに…。何日でも日本料理を戴かなくても平気…と思っていたのに、これでは国際人にはなれないらしいね。 

 ジェット機の小さい窓から、日本の夕焼け空を見おろした。日本着陸は17時、第1旅客ターミナルビルに到着となった。
 ご一緒した紅組さんのお仲間が、機内窓際に座っていらしたので、その姉妹の方にシャッターをお願いする。素晴らしい日本の空を機内より撮影して、この度の旅を終わる。

 


お気軽な中国へ③-b

2009年11月21日 | SO-Color

 上海博物館。石の造りは立派である。大理石の床、柱も石、合成の石は使ってないようで?、詳しくないので、きっぱりとは言いきれないのだが。
 博物館内を自由に観賞する 1時間半を与えられた。はじめに4Fの書の観賞を。王義之の書体が良いと日頃思っていたので、さぞかし沢山あるだろうと期待したが、1点しか見つけられなかった。次は絵画の階に。墨絵、南画、彩色画…この階は見応えがあった。そして、磁器の階は、もっと、もっと素敵だと感じて観賞させてもらった。

 
  
 お昼は点心料理。これは今回の旅の中で一番軽い食事だったと思った。とにかく我々8人グループは、一つのテーブルを気心知れた仲間で囲めるので、和気藹々。主にTaekoちゃん持参の割箸(それぞれ少しずつは持参したのだが、皆さんと同じく割箸を戴いてしまった。)が配られ、掴みにくく重たい箸を、各々の取り箸に使って、遠慮なく戴いた。割り箸は心地よく使い勝手がよいので、中国へ行くならそうすると良いと思う。
 女性だけのグループのせいか、いつの日もお料理は残っていた。中国のマナーでは、残した方が良いと、以前聞いたことがある。残してしまうくらいお腹がいっぱい…と、中国では、美味くてたらふく戴いたけれども、食べきれないほどのご馳走だったと解釈してくれるらしい。
 反対に綺麗にすっかり食べてしまうと足りなかったのかと、亭主側は考えるらしい。まずかったから食べられなかったとは、考えないらしい。お国柄というものだ。

 
 上海料理を食べ終わって、満足…というシーンである。
 食後は、オプションであるが、雑技鑑賞をする予定。JTBのお客は広い劇場の20列目辺りの、比較的前の見やすい席が用意されていた。
  

 まるで棒にお皿が張り付いているようにも感じられる皿回し。回しながら、更に肩に乗って人間ピラミッド。
 右は青いリボンを腕に巻いて、または体に巻きつけて宙に昇ってラブシーンのような、題してロミオとジュリエットか、タイタニック号の二人のラブロマンスかのように空中で舞いを演じた。

 
  
 
  ショウが終わってスターと見物客が、舞台に上がって記念写真を撮る。中国のショウってこんなこともするんだ…と、ちょっと驚きであった。写真を撮ったからって撮影代を求めるわけでもない…。 でも、あとで、「なーるほど!」と頷けるシーンがあったのだが。


お気軽に中国へ③

2009年11月20日 | SO-Color

 贅沢なことにアップして記事にすることも、多分これを読む人も、毎日盛りだくさんの観光で少々辟易となさっているかもしれない。残すこと、この一日で、あとはリニアモーターカ-で、上海空港から帰るだけとなっている。
 今日も盛りだくさんなメニューである。
  
 今日は上海市内観光である。朝は雨も降ってはいないが、北京で雪が降ったと言う。そのせいか昨日よりも寒く感じた。朝、お勤めに向かう自転車だろうか?
 以前行った時よりも、自転車は断然少なくなっていて、代わりに自動車の混み合う道路に変わっていた。また、交通マナーの悪いこと!横断するのにも、青信号などお構いなしに自分で命を守れとばかりに、自動車は勝手に進んで来る。
  
 豫園と豫園商城(ショッピング)に自由参観。
  
 
 中国茶を淹れて、説明をしながら味比べをする。変わったところではジャスミンティーが固く乾燥され、茸状になっている。それをお湯にしばらく漬けておくと花のように開いて飲める。香りだけではなくその開いた形も花のようになって面白い。これは中国だ~と思い、お土産に良いかなと感じた。
  
  以前YGさんが中国のお金持ちさんから戴いたという、プーアル茶(普茶)、鉄観音茶のセットで、2000元と店の棚に飾ってあったので「お、意外にお高いこと!」と驚きとともに眺めた。
 呑み慣れないこともありお茶自体の味や色合いが、ただ薄くて日本茶の美味しさを、改めて認識した。美味しいというよりお茶を飲む効用が重宝にも感じられて飲用しているのかも知れない。でも美味しく飲みたい目的なのだから、プーアル茶を体の調節として飲むなら価値があると思った。一応「お値打ちです」と店員が勧めてくれたものをおしるし程度に求めた。

 
 池には無数の鯉が泳ぐ豫園。
  
  塀の飾り瓦。皇帝だけが使える「龍」ではあったが、これは龍ではないとだと詭弁を使う。龍は爪が5本だが、これは3本だから龍では無いと。
 そう言えば「菊のご紋」も、一般には使ってはイケない事になっているが、似せて花びらの数を多くしたり少なくしたりして誤魔化して使っている心に似ている。
  
  
 
  新天地散策。ここは「所謂中国だ~」っていう感じではなく、ひとつの新しい中国の雰囲気を出している。建物も西欧化したものや、大きな鉄骨ビルがあったり、映画館があったり、外国人がもっている中国ではない近代的な広場が出来ていた。
 


お気軽に中国へ②-c

2009年11月19日 | SO-Color

   
 平江歴史地区散策。東方のベニスとも言われているここは平江の蘇州運河。
 《生まれは蘇州、遊ぶは杭州、食は広州、死ぬは柳州》って中国では言われているそうだ。死ぬは柳州っていうのは、この地の木の質が固いから棺桶が丈夫なんだそうだ。
 
 その平江歴史地区見物で、Chiekoちゃんは、昨日足首をくじいた部分が痛みがひどくなり不安が募って、バスで待機すると言われた。彼女をひとまず陳さんに任せて、私たちはガイドの陸さんの後に従った。

 昨日高速道路サービスエリアの薄暗いトイレ(どこも薄暗く感じているが。)を使い、出る時にドアのすぐ下が階段になっているとは思わなくて躓いて両手をついて転んだという。足首ねじれたようになったのだろうか? だんだん痛みが激しくなったと言う。ちょうど、バスを降りるときそのことを聞いてMasakoさんが用意されていた三角巾で、靴と足を支えるように縛って固定したので、彼女は大分楽に感じたようだった。

  
  ここは運河のほとり。二千和会で、こことよく似た千葉県佐原を散策したが、見どころは佐原の方があった…とKinueちゃんは評価。
 またそこで、少し離れたトイレットに5人の方が行ってしまったので、Ayakoちゃんと二人で待っていたひととき、ガイドさんにデジカメ・スイッチを押してもらった。あまり皆がゆっくりだったので私は皆の様子を見に行き、Ayaちゃんひとり取り残された。
  
 その時にAyaちゃんがちょっと恐かったのだそうだ。それは現地の方が両方から怪しく近づいてきて危険を感じる空気に、皆の居るトイレット方向へ逃げて難を逃れたと、怖そうに話された。やはり一人と見ると、何やら狙って、近づいてくるようだ。言葉が通じないし不気味さが倍増することもあるよね。

  
                                    
  夕方は上海で「広東料理」。“上海蟹”を戴く。はじめに蟹を食べた人は勇気がある、食べて美味しいものと発見することを解いたから蟹としたとガイドさんの説明。フィンガーボールのお湯はお茶の葉が入っていた。生臭い匂いを消すのに大変効果的と実感、「日本に帰ったらその知恵戴き!」

  
 夕食後外灘からの夜景を観賞して一旦ホテルへ回り、オプションの黄浦江ナイトクルーズに参加する。
 右の写真の左端、す~~っと上に真っ直ぐ伸びたビルが〔森ビル〕。刀剣のような形と中国人は噂していると言う。 
 テレビ塔、この丸い建物は国際会議場、そして森ビルも、古い諸外国の立派な銀行の建物も林立していて夜景に煌めいていた。その夜景の見事さ、美しさ…船の上から見るとりどりの明かりがまばゆく煌めき、とっても綺麗だったが、空模様があやしかった。とうとう船から降て待っていたバスに乗る頃には、本格的に雨が降り出した。
 そのあとバスに送られて、希望者は足つぼマッサージの店に出向いた。
 
 女王様気分で、足をぬるま湯に漬けてから足の裏を丁寧に揉みほぐしてくれるので、それは心地よい。揉みの施術者はお客の私たちに、三言四言、片言の日本語があちこちに飛び交っている。一番多く聞かれた言葉は「Daijoubu(大丈夫)?」「Itai(痛い)?」「Kimothi ii(気持ち良い)?」「Arigatou Gozaimasu(有難うございます)」
 足裏を丁寧に揉みほぐし、仕上げに両腕のもみほぐしと背骨の調整をして終わる。
 不幸なことに最後の背骨のマッサージで私は「痛い!」と悲鳴。 だってマッサージ嬢の膝小僧を、私の背骨に当てて背中から私の両肩に手を置いて姿勢を反らせる…ちょっと痛かったので「痛い!」と言うと「A,Gomen-nasai (御免なさい)」で終わった。

 このせいか? 3日後、日本に戻って車に乗って市川から戻ったが、運転席から降りる時、腰が変だと思った。翌朝布団から出ると、背骨が痛くてぎっくり腰の感覚のようになっていた。足裏は本当に気持ち良かったのに…。
 


お気軽に中国へ②-b

2009年11月18日 | SO-Color

 

 この表情がなんとも言えず素敵です。寒山寺の回廊を巡って出会いました。


 道路の半分は舗装を修理中。ぱらつく雨の中を足元に気をつけて歩きます。
 




      
 聴鐘石の前で。後ろは素晴らしい音色の鐘撞堂。歩いていると、誰かが撞いている鐘の音が聞こえてくる。きっとその前にある石は素晴らしい鐘の音で、石の芯まで吸いこみ染まっている様子だ。

  

 
 お御籤の文字が見えます。お御籤も知らない西洋人はどのように理解するのでしょうか?
 上右の写真は解脱門。解脱とは…と、解説があった。悩みや迷いなど煩悩の束縛(ぼんのうのそくばく)から、解かれて自由の境地に到達するという意味です…と。すなわち悟って行くこと。もうここは出口です。
 

 ここはシルク専門店。観光客向けの国営の店。1Fは繭から紡ぐのを見せて、2Fは真綿製品。真綿の掛け布団シングル500元。手の温度だけで温まって何とも言えない優しい温かさ。3Fは服飾製品を販売。

さらに5Fがレストラン。ここで昼食を戴く。今日はあまり辛くないが、やっぱりいわゆる中華料理。脂っこいが、不思議に太らないようなすっきり感がある。
 そう言えば、中国の方には、馬鹿に太ってメタボリックシンドロームのような方は日本ほどは見当たらなかった。お茶のせいだとか、何だとか…なんだろう、この差は?

    
  
  胡弓の演奏に合わせて、細い歌声が聞こえる。テーブルを回ってリクエストに応える、いわゆる“流し”だ。
 いろいろ物売りなどが回ってくるが、「不要 フーヨウ」と言えばよいと、陸さん。マフラーを巻いている娘さんが、カメラマン陳さん。

  
                    蘇州運河めぐり。
 
 
 運河を巡ってその石の組み方や、人々の生活の様を垣間見える。雨が降っていて視界が悪いが、前のガラス戸を開けてくれると、外気が入って、まだ寒いとは感じなかった。しかし、翌日は北京で雪が降ったとかのニュースで、寒くはなったのだけれどこの日はスタンドカラーだったせいもあって汗ばんでもいた。

  
  次は世界遺産「留園」に。蘇州には富豪たちが造った庭園が数多くあり、「留園」はその中でも「蘇州4大名園」の1つと呼ばれている。創建は"明"の時代(16世紀)で、"清"の時代(19世紀後半)に改築されて現代に至る。
 建物の中に入ってまず目に付くのは、掛け軸の「書」。これだけでも見事な物。
  
  
  
 

 シルク商人の働きで、こんな生活を欲しいままに。
 男性客女性客用に整えられた部屋。

 

 

 

 
  これは鹿を形作っている。鹿はロクとも読むので、あちこちに隠れながら飾られている。福禄寿の禄=鹿となって、幸せが舞い込むようにと願っているのだと言う。
 (福=お金、禄=しあわせ、寿=言祝ぐ)



 このあと平江歴史地区散策があり、上海で夕飯を食べた後、オプション参加で、黄浦江ナイトクルーズ(230元)、そしてこれもオプション(200元)の、足裏マッサージ。両方とも、話の種に参加することにした。
 前の日もそうだったが、10時過ぎるまで、一日をめいっぱい遊ばせてくれる感じだ。日本ではそうそう出来ることではない。ガイドさん「辛苦了(シンクーラァ)」=お疲れさまでした。ありがとうございました。…の意味。

 


お気軽に中国へ②-a

2009年11月17日 | SO-Color
 
 来年中国で万博を開催するので、上海虹口世紀大酒店(ホテル名)のロビー玄関口に、「海宝」と呼ばれるマスコットを設置。このマスコットは、至る所で見かけた。
  
 今回のプランはこのホテルで3泊するので、荷物をホテルに置いて出かけられることは、嬉しい。
 ホテルには、フェイスタオル、バスタオル、洗面用具、スリッパ、靴磨きなど日本のホテルと変わらないサービスだが、寝巻は備えていないし、生水も飲まない(ミネラルウォーター2本はサービス)、トイレは紙を流さない方が無難、という点がまだまだ。
 右の2つの写真〔バスのバックミラー〕を見てください。
 車体より横にみださないよう、両手を前に延ばしたみたいな形…車に乗って驚くことは、お互いの車がすれすれの位置で接近して来ること。横断歩道を渡るのも青信号なのにのんびりはできない。歩行者が居ても、其処のけ其処のけお馬が通る…のように、車が通ると、人に突っ込んで来る感覚である。とても私は中国では運転できないと思った。
 強い口調で叱りつけるくらいの気持ちでなければ何事においても負けてしまいそう…。現にKinueちゃんは、警告ベルを鳴らして走りぬける自転車運転の婦人に「青信号だよ!そちらが気をつけるべき!」と怒鳴ったら首をすくめて誤魔化し笑いで通り過ぎて行った。
  
  
 整備された街並みと、来る万博の準備で道路から建物など、建築中のものも多い。朝の通勤は自転車。昔北京では車が走るのではなく、自転車集団が蟻の大群みたいに固まって走っている風景を見ましたっけ。
        
 YGさんがその国のお札をこのブログで見せてくださったので、SOも人民元のお札を写してみた。中国でも¥の記号。日本は中国の真似をしたのかも知れない。元(げん)ではなくてYUANと発音するのだから、〔¥〕の記号が当然だ。すると日本は円がなぜ〔¥〕なのかの疑問が持ち上がった。YENと世界に表しているのは、なぜかしら。漢字を取り入れたのと同様、お金の単位も頂いたのかしら。
 右の写真はトイレ表示。洗手間と漢字でトイレット。絵表示ですぐ分かるけれど…他にトイレは男(女)盥手室とも表示されていた。

 
 今日もはっきりしないお天気だが、私たちがバスを降りて移動する時は比較的小降りか、止んでいるかで、助かった。Kadoyamaさんの「いちよう」投稿にも登場した寒山寺。
 
  
 あの紅いリボン…谷中の赤札地蔵をお参りしたことがあったが、ここのリボンはお御籤なんだそうだ。
 
 ご本尊の頭上に紅い玉があるが、ご本尊の毛の生えてない皮膚の部分だそうだ。今「天地人」に登場の徳川家康がこれよりは目立たない大きさだが、頭上に瘤のようなふくらみを表現している。家康はお釈迦さまと同じようにあのような瘤があったのだという。
 

 張継(中国の中唐時代の詩人)。

楓 橋 夜 泊

月 落 鳥 啼 霜 満 天

江 楓 漁 火 対 愁 眠

姑 蘇 城 外 寒 山 寺

夜 半 鍾 声 到 客 船



 中国の学生は、みな学校で習い覚え、そらんじて抑揚をつけて吟じることが出来るそうだ。 陸さんは日本語で読み、解説をして、そして原語を一本調子で詠んで、また節をつけるようにも詠んで下さる。この有名な漢詩を拓本にしたものを、200元で求めた。






お気軽に中国へ①-b

2009年11月16日 | SO-Color

 杭州のレストランで夕食を摂る。本場の漢字は省略されて変わってきているが、推測しながら読んでみると、意味が何となく通じてくる。陸さんは、日本は漢字の化石、漢字の歴史を習うなら、日本へ留学すると良いと、滑稽さを披露するように紹介した。

  
 このレストランで。  お飲み物は? ビール?紹興酒?
      中国に来て戴くのは、勿論紹興酒ですね。
 なんて言いながら、8人で1本戴きました。「甘いもの、お砂糖をいれて戴くのよ…」という、物知りさんのおかげで、テーブルにあった砂糖漬けの乾燥梅干しをお酒に入れて、甘味が溶け出してから戴く。初めてにしては飲みやすいが、美味しい…というほどではない。飲み慣れていないからかも知れないが。
 はじめに乾杯の口を付けただけの5人の方と、空にするまで戴いた3人の方…。二千和会メンバー8人なら、少なめに見ても3本は空にするだろうね。
  
                
 レストランは比較的大きな場所で、郷土料理と称しての料理を戴きましたが、今回初めての中華料理。どれも、これも辛くて…辛いのが嫌いなひとは6,7人(殆どです。)なので、この後の食事が想いやられて気が重くなった。
 それでも、この笑顔ですね。
 そのはず、そのはず。取り皿もスープもお料理もまだ口にはしていないで前菜をつまんだ所でパチリだったわけだもの。
  
 食後は河坊街散策。日本の浅草というところか?
 屋台のようなチャチな店が軒を並べている。我ら8人はトイレを求めて、皆と離れて公園のような遊園地のような方向に向けて歩を進めた。トイレ心配性の部分と身体的理由で、今回の旅はトイレに困った方が居られた。最後まで「トイレ」、「トイレ」と気に掛けずには居られないような印象も残ったが、仕方がないね。何事も無かったことが何よりも幸いと思わなければ、と感じている。
  
 明るいと言ってよいか、暗いと言うべきか?
 中国は広い。広いから明かりも隅々まで行かないのは当然というべきか?
 このような歩道が広くなっているところで、午後8時過ぎに曲に合わせて日本で言うなら盆踊りのように踊っていた。「これは曲はゆっくりだけれど、マンボのステップですよね!」と、解析してくれる仲間も居る。
 

 公衆トイレも本当に薄暗い。ガイドさんの説明では夜だし分かりづらいので、その辺を歩く二人連れの女の人に聞いて、ようやく分かった。少し遅れて用事を済ませたCさんは、一人だけかと怪しげな人が近寄ってくる気配だったが、それとは知らず皆が大きな声でタイミング良く名前を呼んでくれたのでホッとしたと、言われた。
 夜だし増してや外国だし、中国の照明は暗い。皆が一団をなしてかたまり寄れば恐くないと、力強く感じもした。
  
 杭州の駅。 ただ、形式的?な、セキュリティ・チェックがあり手荷物は金属探知機をくぐらせて改札口を通過した。
 ここで高速列車「中国新幹線」に乗る。上海へ約100分だが、それほど速くはない感じだった。
 

 上は、杭州駅で高速列車の待ち合わせ風景。 

   
 上海駅に到着。駅前は、車が混雑しているからと、200メートルくらい歩いて、バスが止まっているところまで移動する。
 それは駅を出て、エスカレーターで2階へ。そして陸橋を渡って少し重いスーツケースをガラガラと引いて歩く集団は、この辺では見慣れているのだろうか。

 駅のまん前で青い回転灯(日本なら赤だが。)を点けて、マイクで怒鳴っている声は、どうも交通整理のためのパトカーらしいが、その荒げた声には公然としゃべるような声ではないので、ちょっと異様に映った。