いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

秋の花たち

2010年09月22日 | 会報お役立ち

 
酔芙蓉が咲きだした9月21日。お彼岸。
今年は時期的に酔芙蓉にとって嬉しくない剪定をされてしまった。
だから、まともに花は見られないと案じていたが、いつもと同じ頃に花を見せてくれた。
この花は咲き始めの朝は真っ白で、陽が射してくるとだんだんに赤く染まり始めてくる。
上に写っている花が12時を回ると、下のようにうっすらと赤く変わり始めた。
このような変化が生きている~って感じる。

 
 
逆光と順光の花。剪定したがやはり高い位置に咲いた。
脚立に乗って写したいくらいだが、これは手を伸ばして何とか撮った。
こういうときに、デジカメは画面をのぞかなくてもシャッターを押し、
確認して写し直すことができるので、有難い。
 
そしてその夜に凋んだ花を観察…すっかり小さく丸まって赤くなっていた。
 
翌日の朝日を浴びていたのは、昨日咲いた花である。

芙蓉・酔芙蓉の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」「富貴」「微妙な美しさ」などとある。
他にも「芙蓉の貌」「芙蓉の顔(カンバセ)」。
いずれも「美しい、しとやかな顔立ち」をいい、美人にたとえらる。

また、酔芙蓉を詠んだものを下記にあげてみる。

    白き芙蓉あかき芙蓉とかさなりて児のゆく空に秋の雨ふる  与謝野鉄幹
    反橋(そりばし)の 小さく見ゆる 芙蓉かな             夏目漱石
    草とって 芙蓉明らかに なりにけり                河東碧梧桐
    枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな               松尾芭蕉
    霞雨の空を芙蓉の天気かな                    松尾芭蕉
    ゆめにみし 人のおとろへ 芙蓉咲く                久保田万太郎


ところで、今年の夏は例年にない猛暑であったので、ハワイでよく見る
レイにする花・プルメリアがこの近くで咲いた。
主は初めてこの地で咲いたと喜んでいたし、私も珍しいことだと写させて貰った。
 

花言葉は「恵まれた人」「風刺」「内気な乙女」「情熱」「熱心」「気品」
英名は「テンプル・ツリー(お寺の木)」と呼ばれ、
インドでは墓地や寺院に多く見られるそうだ。

 プルメリアは熱帯アメリカ原生のキョウチクトウ科プルメリア属の植物。
ハワイではレイに使われ、バリ島では儀式やお供え物などに使われ、リゾートやスパやレストランの、
アクセントとして使われている。


VIPルーム(野球観戦)

2010年09月08日 | SO-Color

久しぶりの雨。それも台風に依ってもたらされた雨でした。
それにもかかわらず、予約診療めぐりの一日でした。
ぐったりと疲れて、家に落ち着いたらウトウトしてしまいました。
おっと、しまった…と、目覚めると翌日の未明かと一瞬思って時計をみても
はっきり掴めないほど、時間的な混乱を起こしました。
そしてまだ、思っていたほどの時間の経過はなく、慌てることはないと覚りました。
そこで、暇を作れたとばかりに
より自然な合成写真をつくってみたくなりました。

  
二つとも、ソフトを使って二枚の写真から人物を切り抜いて背景の写真に貼り付けて合成したものです。
左は一人の張り付け、右は実は二人の切り抜きから出来ています。
どちらが、より自然でしょうか?
当事者が一番気になるところでしょうね。


おまけです。

                              おや?誰でしょう。       私たちが利用させて頂いたVIPルーム

      

お部屋で陣取って居られるところを写真に納めたいから、
動物園のお猿さんみたいにガラスに近づいていてくださいね…と、
頼んだのです。
みんな、おサルさんみたいに…と、譬えられて笑ってしまわれただけで、
私の意図する意味が掴めなかったのでしょうネ。
外から写真を撮りたいと思いますからと言ったのですが。

でも、私の要求通りにして下さっても、部屋のガラス面と私のカメラ位置の
角度がピッタリと合わないから、外の風景が映り空が反射してしまい、中の様子は撮れませんでした。
とにかくVIPルームなんて、なかなか入って観戦できる機会がありません。
珍しいので、写真に納めて置きたかったのですけれど…残念でした。

 


第5回運営委員会と野球観戦

2010年09月06日 | SO-Color

 バス旅行「結城市方面」への検討もそろそろ詰めないとという心づもりもあって、委員6名がマリンスタジアムの BallPark Roomへ、Asadaさんの有難いご招待のおかげで、集合となった。

  

 千葉ロッテマリーンズ vs 北海道日本ハムファイターズの試合。

 ロッテは1回裏、福浦の適時打で先制。2回にも西岡が2点適時打を放つなど、4回までに5点を奪い主導権を握った。先発・コーリーは5回1失点で3勝目。その後は4人の継投で得点を与えなかった。敗れた日本ハムは10安打を放つも1得点と、好機にあと1本が出なかった。 5X:1 ロッテが勝った。

 球場の3F貴賓席。クーラーの中で試合観戦なのだが、バス旅行の話題もあり観戦に集中出来なかったね…との、感想もあったので心残りのある部分がファンとしてはあったに違いない。

  

 バス旅行の話題の最後に「ところで、記念パーティはなにをやるの?」との会長の発言に、戸惑った。なぜなら、この話題は2月19日第2回運営委員会の時にすでにどうする予定かを内容はどうするかを話していた。
 思いのほか総会をくっつけてやろうとの案が上った。「愉快に賑やかに楽しむ」部分の10周年記念パーティに、「総会」を付ける?…私は合点がいかなかった。ハテナマークが、その後の運営委員会での話題を登場させる度に大きくなって行った。何を考えているのか分からなくなっていて、中心でお世話するには気持ちがどうしても動かないまま、この9月に入った。 

 この文学散歩は1999.9.3に、山田先生のもとに開講した。
 そして二千和会となって自主運営に旗揚げしたのが、その年の12月3日である。記念すべき第1回は、全くの自分たちの手で行った自主的活動だった。2000年の4月8日(日)花曇りの雰囲気に溢れての「市川真間から江戸川沿いの散策」が記念すべき始まりとなった。

 国府の台駅~手古奈霊堂~弘法寺~商科大脇の桜~昼食・里見公園~野菊の墓文学碑・西蓮寺~矢切りの渡し~葛飾帝釈天(解散)

 目をつむると絵に浮かぶ情景だ。これを思い出しながら、会報を引っ張りだして確かめる作業。裏方を務めてその活動を、ある面では細部に及ぶ思い出に彩られる。

 


 そうして積み重ねた軌跡―「10年間の長き道程」を一緒に歩んできた友達と、振り返ってみようとの記念パーティだ。そのテーマだけで盛りだくさんだ、充分だと思うのは私だけなのだろうか?
 今までも、何度か節目と思われる時に、記念パーティをしようと持ちかけた。けれど会長は乗らなかったので、おとなしく会報の紙面だけのパーティ…過去を振り返る記事で埋め尽くして、「お祭り騒ぎ」に代えて皆さんの意識を誘っていた。

 会長の「それで何やるの?」の意味がやっと解けた。集まってお祝いの気持ちで楽しく食べたり飲んだり思い出話に花を咲かせたり…で一杯なのに、それにくっつけて「記念講演」または「記念旅行」そして、それが無いなら「総会」を付けて、会員の皆様に来ていただく…あぁ、「来ていただく」なんていう考えだから「何やるの?」は、人寄せのイベントを加味せねばと、思っていらっしゃるのだとわかった。

 これは「来ていただく」ものではない。「記念の節目」に、皆さんの懐かしみの心をひとつにして、ますますの親睦を高め、この集まりの意図するものとその方向性を各自が確認し合う…そんな場をつくるのに、委員会はお手伝いをしましょうとの、心の発露があるのみ、その他の何物でもない。
 記念パーティをやらねばならない…場を作ってあげるのが委員の義務ではないか?と、考えているのに、「水と油」 とても一緒くたには出来ない代物なのにそんな考えが潜んでいたのか?

 「水と油」で思い出したのは…マヨネーズ。酢の中に油が分散しているので、「水中油滴」型の食品で、水(酢)と油を仲良くさせているのが
 
 どうも、会長と会報編集長の私は水と油なのかも知れない。しかし卵の役割をしているのが、会報「いちよう」で、それがあるから、ゆるぎなく二千和会が存続しているのかも知れないと、密かに思ってしまった。
 まあ、どちらが油か水かははっきりとさせない方がよい。ある時はその役割が反転することだってあるのだから。そして、記念パーティと、総会も水と油。性格が全く違うものなのだ。判ってくれているのかな?

 あぁ、すっかり言ってしまった。野球観戦のあとでのコーヒーブレイクは、かなりブレイクしてしまったが、結論はその開催時期。結局煮詰め足りない部分、不消化な部分、不完全燃焼の部分があり、その辺りがすっきりするまでという考えも浮かび、来年の1月末~2月ごろが適当な頃だと、私も考えの焦点を定めた。
 初めての行事で、掴めないところが多々あるらしいとも思った。


温度差

2010年09月06日 | SO-Color

 「10周年記念パーティ」について、または「二千和会」に対して、どのように思っていらっしゃるのでしょうか…と、思います。

 ←Keiko T.画

 肩を並べてきたつもりの委員の方々の中にも、やはり温度差があるとご自身を診断なさっている。あっても仕方ないが、それを感じたら、何とか協力していかねば…と思って下さっているので、許される言葉と、笑っていられる。

 意志の疎通を図る機会が少ない全会員を押し並べて見渡すなら、確かにかなりの温度差があってしかるべきことではある。当然のことではある。
 人それぞれ、生きている姿勢・生き方、生かされている意識の有無、今の環境などにより、特に、趣味であり、生活と離れていて、それほどは濃厚に関わってはいない活動の選択には、それぞれに違って当たり前だと受け止めている。

 委員が頭を寄せ合って、次回の行き先やコース、その下見など準備をする時間、労力を考えてみると、「よくやっている…」と、委員は自己評価してもいいと思う。




 なるべくシビアな考えや目で見つめるようようにしてはいるが、皆さんはどのように思われているのであろうか。それぞれの自分の時間を割きながら、二千和会活動が潤滑に運営できるように委員それぞれが心をはらって歩んで来たのが現実だと思う。
 それを吹聴するつもりはないが、黙々と10年間をある面呆れられるかもしれない情熱で継続して来た。特に委員間にも温度差があると自己診断しながらも、活動の火が消えないよう、それぞれ努力して頑張ってきたと評価(自画自賛?)しても間違いはないと思っている。

 ボランティア精神で、活動するために自分を奮い立たせ、嬉々として事にあたっているんだと自分に思いこませたり、またある時は、委員同士で少しの楽しみと親睦をはかりながら、そして積極的に委員を支援する友が、歩調を同じに励まし合ってきたつもりだった。
 それを「温度差」という言葉で、一歩も二歩も下がったところで、立ち止まって「自分は別」という態度で眺めていて良いのだろうか?
 確かに企画しても、一会員の立場でなら自分の状況次第で「参加」「不参加」の態度を気楽に出される。自分が参加しなくても次回に行けば良いだろうと思って決定してしまうかも知れない。
 こういう場合は確かに運営委員と会員の立場は微妙に違うし、温度差は生じるのは致し方ないと、許容してしまえることなのだが。
 しかし、割り切れない気持ちが起き上がってくる。金銭的利益がある訳でもないこのようなボランティア活動は、常にお世話する幹部の情熱にかかっている。それが燃えて続いていくよう、願う。続くようにとの思いは、心身ともに健康でいればこそであり、そのようなの活動だと自覚しながら、進んで行くしかない。
 そこで、記念のパーティで、二千和会の心・忘れかけた初志を表現しながら、委員と会員の心もひとつになって、理想的に「歩んでいけるきっかけ」としてのパーティは、必要とも言えるし考えてもいいと思うのである。
 


いちよう40号

2010年09月04日 | SO-Color

 

いちよう40号は9月1日発行です。
はじまって以来のこととして、今号は発行日より約1週間早く出来上がり、印刷した日に
発送の手続きを取った。皆さんのお手元に、早く届けられたはずである。

会長は「出版物は…『○月号』と言えば実際の月より、半月から1週間は早く出すのが当たり前のことだ」と、
言いながらいつも発行日ぎりぎりに、練って推敲を重ねたであろう原稿をお寄せになる。
(実際は単に取りかかるのが遅いだけかも…。そんなに練ってないと微かに声が聞こえた気がしたが?)
編集の仕上げは、それからのことだから、寝ずに仕上げたこともあったりして、
少々遅れ気味が常だった。

前々回は「太宰治について」であり、前回はお茶を濁されて…
今回「向田邦子について」だった。
生意気な言い方だが、興味をそそる内容の取り上げ方や書き方は流石だと、編集者の
立場で、また一会員・読者として喜んでいる。

また、「飛鳥Ⅱ・乗船記」も、世界一周に近い3か月に渡る船旅の体験の記事…
6回シリーズ(1年3カ月間)で体験記をご紹介戴き、なかなかの大作の読み物だが、
この40号で完了となった。
今度は何を書いて下さるのかを心配しつつ、きっと何かを書いて下さるだろうと
期待している。

また、いつも長編、労作の大家はKさん。
本の読後感やそれに纏わるお話の展開で、会報をリードされて
おいでになられるが、大病をなさって、もう原稿をお書きになるのは無理かと
一時は案じられたが、それでも徐々にリハビリを兼ねてと言われて、書き続けられ
今や再来年くらいまでのボリュームで私のパソコンにストックされている。

いちよう39号が、アメリカ旅行記や初めて方の原稿など、思いのほかたくさん集まって、
編集者は嬉しい悲鳴。いつもより、ページ数も多くなった。
お陰で、Kさんの「原稿がちょっと長いね」との声が聞こえて、1編を2回に分けて掲載との仕立てとした。
その書き物は、『夢・うつつ・幻の墨絵 「風の盆恋歌」』であった。

そして思い出したのが、家の酔芙蓉。
今年は多分咲かない。時期が適してない頃に庭の手入れをしたため、
伸びて大きくなりすぎ、蕾もたくさんついていたのに、剪定してしまったから。
下の写真は昨年の酔芙蓉。私の誕生日頃に満開になる花である。

  

朝咲いた真っ白な花を写した。
真っ白な花は今朝咲いたばかり。赤く凋んでいるのが、昨日の花。
その白い色からだんだんに赤くなっていく様を私は愛しいと思いながら眺めている。
因みに私の誕生日の花は「コスモス」だということだ。 
今月末にはひとつ年を重ねる。


 


9月です。

2010年09月03日 | 会報お役立ち

 相変わらず、9月にカレンダーを改めても、猛暑と呼んでもおかしくない陽気が続いています。

まだ、二千和会だよりが検索を押してみると、関係の無い所までこれが
リンクされてしまい、会の記事に興味がもたれれば芋づる式に引っ張りだされてしまうのです。
迷惑な話です。
その管理元にメールしました。
アクセスするためには、まずそのトラベル関係の会員に登録しました。
そして削除を要求しました。
ようやくそのページから1週間かかって、二千和会にリンクできる部分を削除することを完了しました。

しかし、gogle検索からは削除できません。
しばらく様子を見るしかありません。
他は、自衛手段で、検索にかかっているページを取り敢えず非公開にしました。
でも…
完璧にはしません。してしまうと、もうこれは終わりにすることしか手はありません。
部分的に非公開にしただけです。

これは、悲しいけれど内部会員の方がしている要素も多分にあるのだと思っています。
非公開が容易く公開のページにするには、
この非公開ページを見られる方が、「好意を持って」にせよ公開できるような
道筋をつくったのかも知れないということが考えられるのです。

または、記事の単語がgoogleの優秀な検索技術に捉えられたか?

結論としてはブログは、広く一般にも公開したい場合に適しているということです。
私の知っているPCグループでは、GoogleBazuに移行しています。
全くのグループしか観ることができません。何方が見ているか、
仲間同士で互いにフォローし合い、許可し合って皆が気楽に投稿し、情報を交換し合えるものです。
限定公開という制限でしています。
仲間は知り合いから、何方を紹介したなども一目瞭然、
悪戯書きもされないのです。
チャットとかツイッタ―という感じの気楽さではあります。
ブログより画面が小さいのですが…文字も写真も好きなだけアップできます。
非公開設定が公開されてしまったことへの不安と不満……
問題はgoogle検索にもありますね。