いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

街歩き IN 香港その④

2008年02月29日 | YG-World

22日の夜、Aさんの現在の日本語の先生 Tさんがやって来ました。
やっと日本語で会話できる人が来てくれてほっとしました。
23日は、女性軍で街中に買い物に出ました。   
地下鉄に乗っていきます。どこからどこまでかさっぱりわかりませんでしたがチケットの買い方はやさしそうでした。(一人8.5HKD) 
              
      待つことなく電車はやって来ました。


ダブルデッカー・ 2階建てバス
             重慶大厦  チョンキンマンション

繁華街のど真ん中にある複合商業ビルです。しかも、メイン・ストリートである彌敦道(ネイザン・ロード)沿いという一等地に建っています。外観は香港のどこにでもあるような古い雑居ビルなのですが、他とは大きな違いがあります。ビルの中には一般の住居や会社の事務所だけでなく非常にたくさんの安宿がひしめき合い、それを目指して世界各国から旅行者やビジネスマンが集まり世界有数の安宿集合ビルとなっています。 香港の暗黒部の象徴であった九龍城砦が取り壊された今、重慶大厦はその後継者とも言われていますが、実際には意外???に安全かつ便利で使い勝手のいい雑居ビルです。

とても怪しげな雰囲気の一角。
インド人らしき人が多い。なぜAさんがこんなところで両替するのか後でわかりました。レートが良いそうです。

横浜の中華街でもおなじみです。

                     まだまだ街の中はお正月が終わっていません。
菊の花と『金柑』の飾りつけ。暖かい国だからでしょうか、我が家の庭の金柑よりずっと大きな実です。香港ではこの金柑を飾るそうです。

Tさんがチャイナドレスを買いたいと言うので寄ってみました。
日本でよく見るのは細身で脇にスリットが入ったワンピース型ですが、さすが本場には種々のドレスがありました。買うつもりは無かったのですが、あまりに安いので一枚買ってしまいました。お遊びでいつか来て行きましょう(*^_^*)
その後で地元の人の行くデパートへ行ってみました。デパートといっても『そごう』や『三越』といったタイプではなくもっと雑多な感じの所ですが、そちらの方が質のよいのがあったのですが時遅し。たくさんの中国人がいましたが、Aさん曰く、中国服は着ないそうです。と言うことはこれだけ買い求めている人はいつ着るの??それにしても中国人はうるさい。

                                        長々引っ張って申し訳ないもう1回続くかな。


中華 IN 香港 その③

2008年02月28日 | YG-World

            
       有名なお店だそうです。『喜記』 これはネットから取りました。
       ホテルで一息ついてから連れて行ってもらいました。
       夜中です。当然回りは真っ暗。連れて行かれるがまま・・・
『何だこれは??』 『カニ』です。 活きています。 動いています



この店の名物料理 『蟹の唐辛子炒』
たっぷりのガーリックに、グリーンオニオン・レッドペッパー・チリペッパー
いろいろ説明してもらいもらいましたが、とにかく辛い・辛い・・・

『Stomach is fire!!』 『胃袋が火事!!』 なぁんて表現していましたが本当にぴったり 
いつもならこの時間は体も胃袋もお休みタイムなのですが・・・ 目が覚めました。
日付は22日になっていますが、21日からず~~と起きていての夜中2時ごろでしょうか。
事前学習全くなし。
み~~んなお任せでやって来ました。
デジカメのパッテリーが切れてしまいそうなので、翌朝フロントで両替ついでに充電を頼みました。当然充電満タンかと思ったのに、全く写りません。「ノーバッテリー」
22日は一日、カメラが使えませんでした(ーー;)
と言うわけで画像はなし
この日は『飲茶』で珍しい食事がたくさん出たのですが残念
香港の地元の人の食事なので、これは貴重な体験です。
とにかくお茶を飲みます。お茶がなくなると急須の蓋を少しずらします。そうするとすぐに、新しいお茶を持ってきてくれます。湯飲み茶碗に入れてもらうと、指でテーブルを『トン・トン』とたたきます。『サンキュー』の合図。真似して見ましたがタイミングが悪くてうまくいきません。帰る日の朝も飲茶をご馳走になったのですが、すっかりそれをすることさえ忘れていました。
                 今日はこれまで。もう少しお付き合いください。


IN 香港 その②

2008年02月27日 | YG-World

『アイランド・シャングリラ』 47階の部屋から外を見ました。


ちょっぴりセレブ気分でも、あまりにも日常生活と離れすぎてよく眠れませんでした。

                       中国風生け花と     


                どういう訳かこの歳になってもらってしまったお年玉

こちらはバスルーム・広すぎて一回でカメラに収め切れません。
左側に溺れてしまいそうなバスタブ・右側がシャワールーム トイレと言うには広すぎて落ち着きません。

画像が鮮明ではありませんが真ん中に写っている山に『お兄さん』の豪邸があります。ここで『日本式お茶会』&『中国式お茶会』&『着物パーティ』をしました。 
                              更に続きます。


お疲れ・IN・香港 その①

2008年02月26日 | YG-World

2月21日(木)  18:00 発 NW1 香港に向けて飛び立ちます。


成田空港もだいぶ日が暮れてきました。
旅慣れていません。おまけにこんなお誘いに乗ってしまっていいのだろうかと不安感が付きまといます。でも、ここまできたら行くっきゃない!!

緊張感一杯のはずなのにお腹がすくのはなぜ???
日本のスチュワーデスさんとは全くかけ離れた黒人のごつい男のフライトアテンダントの方が運んできました。
香港着は日本時間11時。しっかりいただきました。

中国の春節は2月7日 お正月は明日までらしい??
学校も会社も始まっているのに。
干支は日本と同じ今年は『子年』 去年は日本は『猪』 中国は『豚』でした。

ついに香港にやって来ました。
空港内はまだお正月です。後ろの木は梅。赤い札がたくさんついています。これは中国のお年玉。(縁起物か?)

一緒に来たのは香港人のAさん。彼女に誘われてやってきました。正確には彼女のお兄さんですが・・・チケットはAさんが取ってくれました。チケット代は彼女に払ってもらうわけにはいかないので、払いました。ホテル代その他は皆、お兄さんのご接待でした。空港へベンツを飛ばして迎えに来てくれました。

  『アイランド・シャングリラ』 56階建ての超高層ホテル
 16階分に相当する吹き抜けの壁面一杯に描かれた山水画』 
 47階の部屋の前から撮りました。すごいです!!
私は今まで入ったことが無いからわかりませんがこれが『スイート・ルーム』
ウェルカムドリンクとフルーツが用意されていました。
まずはシャンパンで『乾杯!!』
この時、すでに12時過ぎ。お風呂に入って眠りたいところでしたが・・・・
「香港人はいつ寝るのかしら?」 この滞在中の疑問です。

初めての香港なのに観光旅行とは全く違う香港人の世界に入ってきました。
次に続きます。


文学散歩じゃないけれど!

2008年02月23日 | 会報お役立ち

 原点は文学散歩に通ずると思って足を止めた。わずか面影が残っていたのに…消えていくんですから…。
 ここはお馴染みの稲毛駅に行くバス通り。かの有名な千葉高女から千葉二高、千葉女子高と名前こそ変わったが、ここは千葉大生の関心を集めた女子校生と千葉大生のかよった道であった。

 そのころ駅を降りると、女子高校まで13分くらいの道のりを、ぞろぞろと通って行った道。あのころにしては、しゃれたデザインで明るい紺のスーツ型制服に可愛いネクタイをつけて、先輩後輩なく校舎までず~っと歩いて行った懐かしい道。
 
 その通りを歩いていて驚いた。「この樹を伐ってしまうのですか?」
 くすのきの芳香性のある風が私の鼻に届く。その太いくすのきの枝を落としていたのである。その下で小母さんが工事の青い制服を纏い、旗を振って通行人を誘導していた。思わずその人に質問してしまった。
「これは枝を落とすだけですよ」
 良かった…と胸をなでおろした。銀杏の太い並木がいつの間にか伐られてしまって、もうかつての面影を無くしているのだ。昔ここは千葉大の文理学部があった。門から学舎につながった銀杏並木。学部事務を受け持つ学生課につながる厳かにも感じられたあの道は、高校生だった私はとおったことが無い。高校に通う途中見ただけだったが…。
 大学受験は亥鼻学舎で受けた覚えがある! 幸せなことに国立二校から合格通知をもらったあの時、愛知の大学に行かず、ここの大学生になっていたら…? 人生が変わっていたろうな…?
 人はみんな、どこかで、そしていくつもの人生の分岐点があるものだ。

 立派な楠だ。青いポリプロピレンの紐は何の印だろうか?伐ってしまう樹か、残すつもりの樹か?
 イメージチェンジは嫌いではないけれど、やはり昔の姿が消えていくのは寂しい。そう感じるのは、長く生きてきた証拠だ。思い出をいっぱい蓄えている証拠だ。もともと稲毛に住んでいた人はもっと感慨深いことだろう。


 見えていない右側の部分はYGさんが以前アップした小中台公民館がある。その公民館の境の立て看板に小さく千葉大学とあった。この先には大学女子寮や職員宿舎として使われているそうだ。

 向かいの中華料理屋さんは昔は「若菜」と言ったのではないかな? 千葉大生のお兄さんに聞いた覚えがあるが、可愛い看板娘がときどき手伝っていた…というような。それが二高生だったとか…。憧れの眼で語っていたような微かな記憶…。

 中華の店のちょうど前の所が下の写真。ここがいわゆる千葉大学文理学部のメインだったと思う。


 ここを学び舎として通った学生の皆さんは懐かしいだろうと、カメラを取り出して残さずにはいられなかった。この写真の先は一番最初に登場の弧を描く建物「稲毛図書館」や交番、小学校。みんな千葉大の敷地だった。母校の千葉二高の敷地にぶつかるまで、広大な土地が大学であったのだ。
 けれど、その当時、東京大学生産技術研究所が西千葉の東側駅前にあったが、そこが千葉大学に換地し、千葉大は一箇所に統合された。
 別に受験して蹴っただけの千葉大なのに、この感慨は何だろう!冷静に見れば年を取ったということだけだったのか?!
 
 大学構内の、かつては道だった所に植えられていた雑木が二列に並んでいた。だからここは道だったのだとわずかにわかった。それも伐られていくらしい。
 
 立派な楠が、リフトに乗った伐採の工事人に枝を落とされようとしている。伐られる樹もあれば、新しく道路が出来て新しく植えられる小さな細い木もあれば……。
 なんとか長く生きてきた樹たちよ、うまく生き延びてそれを囲む人たちにたくさんの思い出をもっともっと温めてくれたらいいな…と密かに祈ってしまっていた。


青葉の森公園

2008年02月22日 | 会報お役立ち

 ちょっと良いカメラスポットでしょ? これは自分でもまあまあ満足という感じです。水温むより先に雨水というのですって?天から降るものが、雪ではなくて雨になるから…なんでしょうか。(青葉の森公園の入り口付近

  

 西洋庭園から青葉の森ホールを望みました。「水温む…」けれど、右手の噴水までは楽しむ気にならないのか、池はすっかり枯れていました。けれど、この時期は少し空気も優しくて体をほっかり包むように感じられ、散歩日和でした。ふと上を見上げると、プラタナスの実が、綿毛に包まれて空に旅立とうとしていました。

 もっと高い位置に目をやると白い昼の月が浮かんでいました。美術館のときに見たよりも丸くなっています。それも道理です。昨晩は暗くなってから車で移動したので、夕方の空に真ん丸いお月様が黄色く輝いて光っていました。夜は昼間に比べると、「私の時間です!」というように自己主張をしていました。

 千葉県の県花「菜の花」が今花を咲かせています。

 でもこれは「はな菜」です。
本当の菜の花は菜種油が取れるあの菜の、花なんですよね! 

 はな菜は、お浸し(オヒタシ)にして、辛子の入った酢味噌和えにすると美味しいですね。私は「春を頂いた」というイメージで、大好きなもののひとつです。


観劇の楽しみ

2008年02月22日 | SO-Color

ちば演劇を見る会 101回例会 「薔薇の花束の秘密」TPT公演


このごろは演劇も見に行けなくなってきている。100回の記念公演があって、          
仲間を増やすキャンペーンということで、友達に誘われた。

以前、二千和会の仲間YGさんに、誘われたような、ご案内を頂いたような…?
いいえ、なんとなく誘われてはいないような気もしていた。
我武者羅タイプの私が、そのときは既にお仲間として纏まっておられるところに
入ることは、気後れめいた気がしないでもなかった。
今回は、会員を増やすというキャンペーンでもあり、運の良いことにそのグループは
昔の顔なじみの方々が仲間を作られていたので入会することに決心した。

「薔薇の花束の秘密」は2時間半をたっぷり越えるようなお芝居で、出演者は
安奈淳と毬谷友子のふたりだけで演じるものだった。
お芝居を効果的に運ぶため…と、照明は場面が変わる度に、真っ暗になる。
小さい灯りすらまったくない暗闇の幕間。
そして、過去など時間や場所・場面を変える場合は、バッと突然に光や音や、とてつもない
悲鳴だったり、見る側もかなり緊張して拝見した。
もっとも、新入会員は今回だけ優遇されて、私とKYさんは
4列14、15席を頂いていたからVIPな待遇で、
演者のキラッと光る涙も、皺さえも見えた。
舞台装置、美術担当が朝倉摂。センスが抜群だと思った。
最初は真っ白な何もかも。壁、ベッド、患者、付き添い婦の
衣装から脱色の髪の毛まで白くある!
そんなところへ、場が変わるごとに小物の色合いが加わる。
素晴らしく感じの良い赤色が見事で、薔薇、肩掛け、ガウン、バッグ…など。
あのような赤色の肩掛けが欲しい…なんて思った。
照明の効果もあるのだろうがとても品の良い、そして元気な赤。
その赤色配分量もまた周りの白にマッチして効果的な、すこぶる感じの良いものであった。
役柄が変わった象徴に、衣装も変えて黒のつば広帽子や紺色のロングコートなどの衣装も良いなと思った。
しかし、このお芝居は見る側もかなり疲れる……。
演じるお二人は、勿論もっともっと疲れるだろうに…長い台詞にも感心する。
そして、落語で一人何役も演じ分けるように、彼女たちはそれぞれ三役くらいは演じ分けたりする。
ただ、それを客席が理解するのも軽くはない。
私は“疲れる”なんて贅沢な、勿体無いような感想を
述べてしまっていることは恥ずかしい!のではあるのだが…。


安奈淳も毬谷友子も宝塚出身だということを彷彿とさせるように、
目を耳を楽しませてもくれた。
最後に壁がパラリと外れ、後ろから現われるものは…!!!
なかなか効果的で洒落ている。良かったぁ、満足でしたぁ。
  
YGさんも私とは日程がずれているけれど、ご覧になられるはず!
ここにきっと感想をアップされることと思う。彼女はどんな感想をもたれるか楽しみである。


水温む…か!?

2008年02月21日 | SO-Color

 良い天気になりました。冷たい空気の中にも、ちょっぴり春を感じられましたので、友達と青葉の森公園を散歩しました。
      
 もやっとした春の気配のする梅園です。
  
 さすが、紅梅!しかしピントが後ろの方に行ってしまいました。きれいに写そうと接近しすぎたのが原因です。さて白梅は、巧く撮りましょう!

 張り切った割にはピントが甘い…イメージとしてはもっと素敵に撮ったはずでしたが、思うようには参りません。修行が足りないのです。

   ピントに自信が持てないので、仕方がありません。画像を小さくすれば、少しは誤魔化しが利くかも…と思いました。(誤魔化すなんて、すみません。写真は下手ですが、春の兆しをお届けしたいのです)

 やはり梅は三分咲き位が美しいです。これから咲く蕾がたくさん見えている方がきれいな気
がします。花がたくさん開いていると、梅の花自体が小さな花ですので、先に咲いた花は今咲いたばかりという花には負けてしまいます。

この蘭の花は、公園センターの建物の温かい部屋で咲いていました。適した温度の中で守られた蘭たちは、ゆうゆうと穏やかに咲いていました。



     



   






 ブーゲンビリヤの白い花が苞に囲まれてちょうど咲いていました。この小さな白い花と斜め上には小さな蕾が見えました。珍しい小さな花。
名前はメモすることを忘れ、わかりません。
   


いきいきと

2008年02月19日 | YG-World

花見川いきいきプラザ

                  
千葉市内には各区ごとに60歳以上を対象とした『いきいきプラザ』があります。
年度末なので発表会があると言うのでお誘いを受け出かけました。

正面玄関から入ります。
左側がプール・右側がプラザエリアです。

本日はプールはお休み、と言うことで館内の方たちの平均年齢は高いです。


   皆さんの力作が並んでいます。


            
皆さん『芸あり・才あり・能あり』の方々です。
まさに『いきいき』としています。
『子供泣かすな来た道じゃ』『年寄り笑うな行く道じゃ』という言葉があります。
どのような『行く道』になるかはわかりませんが、「いきいき&はつらつ」と行きたいものです。

 


第2回運営委員会

2008年02月19日 | 桜花応援

 3月下旬~4月第1週あたりは、恒例のお花見と文学散歩のテーマである。
17日(日)に、「今年の目的地はどこにしようか」、「見所は何か」との話し合いをするために委員会を開いた。

    06.4.8小石川植物園で


 
 二千和会では今までに7回のお花見を重ねた。最初が千葉だったので、そろそろこの辺でまた千葉に…ということで、佐倉周辺にお花見と歴史散歩のような形にと話がまとまった。実施日は4月6日(日)。

 
 06年は小石川植物園の桜を堪能。その年の実施日は、ソメイヨシノはもう咲き終わり八重桜が満開となっていた。
 印象深い花見だった。ちょうどお昼の宴を開こうとしたときに、雷鳴…やがて大粒の雨で一同東屋に逃げ込みながらも、互いにこれ美味しいよ、食べてみて!など薦めあいしてお弁当も美味しいと思った。そして少しのアルコールも持参の方は旨し旨しと頂いた。
        

 そして割りに早く雨があがり、芝生に腰を下ろしてひと時を楽しんだという具合だった。雨上がりの桜は格別に美しかった。あ~2年前なのに、今思うと若かったなぁ!


 そして07年。一昨年の06年はソメイヨシノの時期には遅かったため、3月31日に「鎌倉の桜」を愛でようと設定したのに、その年はまだ桜は硬いつぼみの状態だった。探しながら歩いて一枝ほころびかけた蕾が目に留まったくらい! 花時を当てるのはなかなか難しいものだ。
 さて今年08年の桜はどうなるか?ピシャッと当てたいものである。
 
 思い起こせば最初の年の花見は、自主運営となり「二千和会」と名づけての初めての活動であった(2001.4.8)。
 万葉の歌の通りを通って雰囲気を醸し、市川の弘法寺(ぐほうじ)や、真間の手古奈の伝説などを訪ね、伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台を訪ねた。そして矢切の渡しを渡って、「男はつらいよ」寅次郎のふるさと東京都葛飾区の柴又帝釈天まで訪ね解散した思い出深い散歩だ。
 
 ちょうどそれは4月8日のお釈迦様の日で、弘法寺で甘茶がふるまわれた。枝垂桜が見事であった。お昼は里見公園の桜の下でお弁当を広げ、これまで忘れかけていた久しぶりの円陣の楽しさに、何か言葉のアルバムを残さねば!と、会報「いちよう」の誕生となったのだ。
 しかし、問題の第一は原稿が集まるか?で、写真にしても当時はデジカメもなく、昔からのカメラで撮ってそれをコピー機で写真印刷して切り取って版下を作る…思い返すとよく取り掛かったものよ、と結構大変な作業にも関わらず楽しんでやってのけた。若かったからこそだった。

 その会報も8年目、次回発行で30号という号を数えることになった。そろそろ、会報編集への情熱の燈火も、ひところに比べると勢いが落ちてきたと感じている。風を起こし油を足さねば…と思う。