東日本太平洋沖地震・被災者の皆さん、お見舞い申し上げます。
昨日は大変なことでした。
大きな地震でした。大変な経験をしました。
ちょうど下総中山のお友達の家に、8人の女子会で楽しんでいました。
「お正月は“はば”という海苔を入れて食べるの。」「はばって海苔?聞いたことがないし見たことも無い。」
以前、話題に乗ったこと。そのはばをChiekoさん(Togane)がご持参下さってお雑煮を頂いた。
画面左にあるのが“はば”。焼いてあるので、やや色が悪いが、じつはかなり緑色だとか。
この一袋が1000円。高級品だ。それを、青海苔と鰹節も一緒にしてはばを揉んで、お雑煮にふりかけて食べるのだった。
Masakoさんが、搗きたてのお餅を用意された。 美味しい…。素朴な味。 昔はそれほど高価な食品では無くむしろ、今は季節的で、その時期も品薄であるため、あまりお目にかかれなくなったらしい。
そして右の写真はMasakoさんのお孫さん。現地の新聞に載ったのだと、息子さんの奥さん(お孫さんのお母さん)が送ってくれたのだそうだ。「特に子どもが記事になったのではないの。写真に撮られて載ったから送ります。」っていうお手紙を添えて。珍しい現地NYの写真に思わず集まった皆さんが、見せて、見せて…と。
その辺りまでは本当に久しぶりのお喋りで嬉しく楽しく座を囲んでいました。
2時40分すぎ、「あ、地震?」…様子を見ていたがなかなか揺れが止まない。だんだんひどくなる。ガラス引き戸を開けて準備。Ayaちゃんがまず外に出る。でも何かにつかまらなくては立っていられない。次に私がつっかけを履いて外に。でも更に揺れる。とうとうSetuちゃんが靴下のまま飛び出してよろよろと転びそう。思わず手を差し伸べて私はフェンスに掴まる。何かにつかまっていなければ立っていられないほど物凄い揺れ。大地が底から揺らしているのが判る。地震体験車のように、これでもか、これでもかと揺れが治まらない。
部屋では人形飾りケースが転げ落ちてガラスが割れた。Kinueちゃんの手の甲にケースの角が直撃。飾り棚の人形たちもみんな転んだ。どのくらい揺れていたのだろう。かなり長く感じた。近所の方々も電柱に掴まったりして様子を見ている。止まっていた車がそろりそろりと大地の揺れに逆らわず動いている。
ようやく静かになったがその後も余震が度々。テレビでは三陸沖、茨城沖とか言っている。周りをみると、ブロック塀が倒れたり叩きや玄関アプローチの石畳が盛り上がったりひびが入ったり…。大変な被害に一同、びっくり!
落ち着いて見ると、さっき靴下で飛び出した彼女は、バッグから厚手の上着ですっかり身支度して震えていらした。
もうノンビリとお喋りタイムとはいかない。救急車や消防車が駆け付けてきた。ガス臭い。地面の中の管から洩れている様子。
こういう時は高速道路は危険。多分封鎖されていると一般道路を帰る。東金のChiekoさんの車に同乗して来たので帰りも乗せて頂く。1時間で辿り着くのになんと4時間、7時過ぎに家に着いた。
家では1メートルくらいの高さにあった大理石のスタンドが床に落ちてコードが丈夫だったようで石が引きちぎれていた。スタンドだからすこし薄くしていた部分が弱かったか。土台がしっかりしすぎてバランスが悪かったか?
父のコレクションの一つ。あ~あ…。
ひごろ居宅室として使っていた方はあまり被害がなかった。せいぜい、会報の試し刷りや校正のために用意した紙類が上の棚から落ちていたくらいだった。