いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

春休み

2011年03月28日 | SO-Color

 

春休みです。 孫たちを伴って N市にきました。 4Fくらいの高さに、オアシスと称する水の広場があります。
この水のゆらぎが1Fの広場に映り、オアシスの気分が募る癒しの空間効果もあって、なかなかのデザインだと思います。


  

4Fの高さのオアシス面に居ます。
でも、この空間に、この度のような巨大地震が近くに発生したらどうなるのでしょうか。
工学的には緻密な計算がなされ、安全な設計だと識者は言うのでしょう。そして…、
何かあったら、「想定外の…」なんて言うのでしょう。


向こうはNoritake本社のショウールームも見えます。左側には県立美術館も見えていますし、
NHKのビル、TK.TVの本社や、私の少ししか知らないのですが、結構主な会社が集まっています。

   

こんなご時勢…、人の出も少なかろうと想像していたのですが、ここ地下街はたくさんの人がショッピングなど
用事を抱えてお出かけの模様でした。

  

折角の孫たちの訪問です。科学館へ来ました。
おとなの方が意外に多くてちょっと驚きました。その訳は、19日にプラネタリウムが改装され
オープンしていたのです。これは内径35mで世界最大だそうです。
プラネタリウムドームは残念ながら、入場整理券は取れませんでしたので、展示館を巡りました。
そこもやはり大勢の人たちで埋まっていました。
パンフレットを見て、小1のKちゃんが竜巻のメカニズムが見たいと、それを目指しました。
3~4Fに渡っての展示です。
生命館、理工館、天文館と分かれていて、一日中楽しく遊べるような空間でした。


今年の観桜会は…

2011年03月15日 | 会報お役立ち

東日本巨大地震が3月11日に起こりました。その大きさはマグニチュード9、計測史上初めての巨大な規模の地震です。

その後の津波たるや、前代未聞。なんと残酷な仕業でしょうか。被害者はなんと万単位の人数にのぼるということでした。
そして、またこの余波というのでしょうか。まだまだ地球の岩盤(プレート)が落ち着くまでに何度もの地震が群発的に起きるようです。小さいものだけとは限りません。

そこで、今日運営委員会を急遽開きました。今年の観桜会の計画は、4月2日に千葉・成田方面へということで、皆さんへもご案内を出して、お返事もチラホラ頂いていますけれど、見直し検討しようとのことです。
現地ボランティアなどもあらかじめお願いしていました。
こんな時期に、花見で浮かれては居られないのではないか、またもし地震災害に遭わないとも限らない不安定な時期の真っ只中です。

今年は、観桜会は取りやめと決定しました。

楽しんで花を愛でる…そんな心境にはなれません。無理ですね。
そういうことで、どうぞ会員の皆さまご承知ください。

せめて、去年、一昨年のお花見の写真を見てそのころを思い出して、お茶を濁そう?ではありませんか?

  
  
 
  

中山法華経寺を中心にその歴史的な建物や話題に、身近なあまり知らなかったという部分もありました。
また、このようなサークルがあってこその体験もつめたのは、競馬場に入ったこと。(2010.4.3)
戯れに100円で、馬の番号にお金を積み10倍になって戻ってきたことは奇跡的なことでした。

  

その前の年です。浜離宮恩賜公園散策から水上バスで隅田川を遡り、墨堤公園まで。(2009.3.28)
そしてこの年は寒くて未だ桜はほころびかけのピンクがかった蕾を見ただけ。浅草から河童橋までの散策でした。
いろいろな春です。

今年は見送るとして、また次の年ね~~~。

 

 

 


地震被災お見舞い

2011年03月12日 | SO-Color

東日本太平洋沖地震・被災者の皆さん、お見舞い申し上げます。

昨日は大変なことでした。
大きな地震でした。大変な経験をしました。

ちょうど下総中山のお友達の家に、8人の女子会で楽しんでいました。
「お正月は“はば”という海苔を入れて食べるの。」「はばって海苔?聞いたことがないし見たことも無い。」

以前、話題に乗ったこと。そのはばをChiekoさん(Togane)がご持参下さってお雑煮を頂いた。

 

画面左にあるのが“はば”。焼いてあるので、やや色が悪いが、じつはかなり緑色だとか。
この一袋が1000円。高級品だ。それを、青海苔と鰹節も一緒にしてはばを揉んで、お雑煮にふりかけて食べるのだった。
Masakoさんが、搗きたてのお餅を用意された。 美味しい…。素朴な味。 昔はそれほど高価な食品では無くむしろ、今は季節的で、その時期も品薄であるため、あまりお目にかかれなくなったらしい。

そして右の写真はMasakoさんのお孫さん。現地の新聞に載ったのだと、息子さんの奥さん(お孫さんのお母さん)が送ってくれたのだそうだ。「特に子どもが記事になったのではないの。写真に撮られて載ったから送ります。」っていうお手紙を添えて。珍しい現地NYの写真に思わず集まった皆さんが、見せて、見せて…と。

その辺りまでは本当に久しぶりのお喋りで嬉しく楽しく座を囲んでいました。

2時40分すぎ、「あ、地震?」…様子を見ていたがなかなか揺れが止まない。だんだんひどくなる。ガラス引き戸を開けて準備。Ayaちゃんがまず外に出る。でも何かにつかまらなくては立っていられない。次に私がつっかけを履いて外に。でも更に揺れる。とうとうSetuちゃんが靴下のまま飛び出してよろよろと転びそう。思わず手を差し伸べて私はフェンスに掴まる。何かにつかまっていなければ立っていられないほど物凄い揺れ。大地が底から揺らしているのが判る。地震体験車のように、これでもか、これでもかと揺れが治まらない。

部屋では人形飾りケースが転げ落ちてガラスが割れた。Kinueちゃんの手の甲にケースの角が直撃。飾り棚の人形たちもみんな転んだ。どのくらい揺れていたのだろう。かなり長く感じた。近所の方々も電柱に掴まったりして様子を見ている。止まっていた車がそろりそろりと大地の揺れに逆らわず動いている。

ようやく静かになったがその後も余震が度々。テレビでは三陸沖、茨城沖とか言っている。周りをみると、ブロック塀が倒れたり叩きや玄関アプローチの石畳が盛り上がったりひびが入ったり…。大変な被害に一同、びっくり!

落ち着いて見ると、さっき靴下で飛び出した彼女は、バッグから厚手の上着ですっかり身支度して震えていらした。
もうノンビリとお喋りタイムとはいかない。救急車や消防車が駆け付けてきた。ガス臭い。地面の中の管から洩れている様子。

 
 

こういう時は高速道路は危険。多分封鎖されていると一般道路を帰る。東金のChiekoさんの車に同乗して来たので帰りも乗せて頂く。1時間で辿り着くのになんと4時間、7時過ぎに家に着いた。

家では1メートルくらいの高さにあった大理石のスタンドが床に落ちてコードが丈夫だったようで石が引きちぎれていた。スタンドだからすこし薄くしていた部分が弱かったか。土台がしっかりしすぎてバランスが悪かったか?
父のコレクションの一つ。あ~あ…。

ひごろ居宅室として使っていた方はあまり被害がなかった。せいぜい、会報の試し刷りや校正のために用意した紙類が上の棚から落ちていたくらいだった。

 


お勉強とおしゃべり三昧

2011年03月10日 | SO-Color

  

参加してもいいよ…とのMさんからのお許しがあり、徒歩7分の近くの大学へお勉強に。
私は、心に刻み込まれるようなお話が聞けたと喜んで戻ってきた。
こういう聞き応えのあるお話はまるで大学の授業のようで好きだ。

   

主に私の心に残っている事柄は、ボランティアの心。
ボランティア…人の為にしてあげることと、思い勝ちである。けれど、人の為という字は偽りという字に表されているように
人の為じゃないということを、ボランティアに携わるときに肝に銘じたほうが良いということである。
なぜならば、人の為と思って喜んで奉仕するのだけれど、実は全てが自分の為になっているということが
多く潜んでいることを知っているべきだ。

ボランティアに関わることによって、その仕事に深みが増したり、その奥行きから自信にも繋がっていく。

芸術家(画家・書家・作家)等は、その仕事を完成するために没頭する幸せがある。
なぜ、没頭できるかというと、それは作品を発表できること。
人びとがその作品に触れて、もしか感動してくれるかも…大変な評価を受けるかも…との
期待が心の片隅にあるから没頭できるのだ。

その人びとの目に触れて表にさらしてこそ、その作品の役立ちが見られる。
そして、創造した作者は満足するのである。
満足感は、役立ち感と没頭感の上にあるということ。

私が会報を作り上げていることにも、通ずることなのだ。
ばかばかしい時間を要し完成度を高めていくつもりなのに、時にはアッという落とし穴~
~ミスが見つかってがっかりすることも多すぎるが、誰かがこれを待っていると思うからこそ携われるのだ。

そして究極の「生きる」ということは「死」と言うものを意識して初めてその実感を味わえる。
死を直視してこそ生が輝く。
暗闇に入ってこそ星のきらめきが美しいことを知る。
暗い中を通ってこそ、星のきらめく様子の綺麗さ、素晴らしさを知る…のだね。

それなりのことは分かっているつもりだが、講演を聞きその筋道を通すことによって
自分の心が整理されていく、スッキリ感があってとてもよかった。

そして、女同士のおしゃべりの中にもそれなりの収穫があるわけで、おしゃべりも大好き。
今回はお二人にお会いし、また収穫の手応えを実感できた。

 

どんよりとした日。友と別れた後に氷雨が降ってきた。
年を重ねるということの重みを感じ、少しずつその支度を意識するしないに関わらずにしているんだという
ことを氷雨の中を散歩しながら、反復して帰った。
またひとつ教えられ考えさせられ、何とかしなくちゃという余韻を味わった。

  

河津桜が開花している。こちらの方とのおしゃべりは、時間があったので…でも、お母さんのお話とか
これからの自分の生き方などを模索するいい機会を話の中で与えられていた。

 


会報42号発行

2011年03月06日 | SO-Color


 

待ちに待った会長からの巻頭の言葉を戴き、「10周年記念号」の42号が完成。4日版下ができたので、
16ページ組みの6ページ分(コピー3枚となる)をカラーコピーした。
そして5日は、市の施設ハーモニープラザでモノクロ印刷した。今回はYGさんが都合がつかず、
会長にお手伝いをお願いして3人の要員となった。

10年の記憶の中で、今も鮮明にある東京文学散歩について触れて居られたので、
記念の集いの会場に持参させてもらった大内さんのアルバムから
画像をいただき、皆さんも懐かしいに違いないと、ここにアップする。
会長の文を一部コピーさせてもらうことにする。

“本郷では偉容を誇った木造アパート「求道会館」(本郷6丁目)の姿はいつの間にか消えた。
今にして文学散歩を通じて、遥か歴史の痕跡に接しえたことは数少ない貴重な記憶となろう。”

上の画像がそれ。雨が降っていた当時の記憶が蘇る。山田俊雄先生もお元気だった。

“まだ当時としては耳新しかった「東京文学(歴史)散歩」という講座名に惹かれたことである。”

“明治・大正・昭和と、いまや薄れゆく歴史の空気、そこに生きた作家や作品の主人公達が時代に
翻弄された生きざまに想いを寄せる先生(故山田先生)の心情が伝わってくる。”

Itoh会長の心情も想いはかられて、これを読む私も感傷的になって来た。

何故に編集者をいじめるかというような、原稿の遅さ…どうしても編集時には素直な気持ちでは
会長の文章に対して感動とか心を察して読むなどは程遠い気持ちのみであった。
期日も過ぎているのに、未だ原稿がこない…という焦る気だけが強くあるだけ、
さらに頂いた原稿はこちらで予想し依頼したものよりはるかに長いものだったので、
既に、会長の文を載せるだけで出来上がりという体制が出来て待ち構えていたのに、
全く崩れてしまい、殆ど始めからやり直すようなモノ。

そのような状況だったので、こちらもその文を間違わずに入れることに集中するのみ。
こうして今、一字一句読み返すように見始めると、懐かしく思い始めてきた。
10年の月日…結構覚えているし、また遠い過去だったような気にもなる。

“失われつつある街のロマンの彼方には、かの樋口一葉が作家デビューの頃(明治25年)当時から
現存していた本郷菊坂下の馴染の「伊勢屋質店」(本郷5丁目)も取り壊され、少女時代の借家跡の路地奥には
使われた『井戸端』が名残りを留めるのみ。”

“二千和会がこれから参る道は険しかろうと、皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである。”

う~ん。
会員皆さまの心に深く食い込むような書き方で会長の心持を表現されて居られる。
散歩中の会長のおみ足は、10年前とは違い、
“散歩の一歩を進めるなかで足の筋肉は悲鳴をあげ…”
ということですから、知る楽しさや会を運営なさる楽しさ・辛さと共に、
身体的にはお辛いことでもあると察しられる。
みんな平行移動で年を重ねる訳ですから…。

とにかく…皆さまが楽しまれ元気でおられること、願いは一つである…だよね。
気を付けて出来るだけ長持ちするように、ただそのことに心がけて行きましょう。