いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

豪華なお誘い

2009年12月25日 | SO-Color

 辺りはすっかり冬げしき。ケヤキの木は葉っぱを落としても立派な姿。
気高くさえ感じます。
 
 風景を見まわし、愛しんでいるところへ、
なんと二千和会の友達、私の幼友達でもある方からの、豪華なお誘いです。

友達の弟さんがよくアメリカへ旅をするのだそうです。
割に気ままに、レンタカーを利用して、自由自在に。

ちょうど春ごろ、彼が旅行計画しているところへ、
私たち4人の女性がご一緒させて戴くお誘いです。
そんなチャンスはあまり無いことです。
この際、お誘いを受けたからには…と、
その友達AKさんと仲良しのKMさん。私SOにもどうぞと、
お誘い下さった。
そろそろ、体に変調を来たす年頃、今のうちに行動を起こさないと!
一生行かれないことになってしまう…ネ。



手作りの旅行です。魅力的です。良いとお思いでしょう?
行かれるお友達募集中です。
ただし、あと一人というところです。

実は私はグランドキャニオンや、ラスベガス方面、
メキシコにも少し足を踏み入れたことがありました。主に西海岸寄りです。

本音はフランス、イタリア、オーストリア、イギリス辺りに行きたいのだけれど…。

 凄いね。知識では知っているけれどデスバレーにも、行くんだね。

日本とは全くスケールの違う広大さ。
車でさえ、行けども行けども変化のない道…ただひたすら何百、何千キロを走る。
キャンピングカーで旅したという妹たち夫婦の話を聞いているけれど、
あれは20代くらいのころだったね。

こんな、ご老体で大丈夫だろうか?
少し心配…。
こういう迷いの時間を乗り越えて出発に漕ぎつけるということに、
普通はなるんだね。

 
あ~、でもしかし…。期間が長いね。8泊10日。
まず自分を説得して納得させて、母のことも思惑に入れて、
家族のことも、考える。
若かったら、全く心配はしないだろうのに、
長時間の車の旅での移動は心配ないだろうか?
「老婆心ながら…」とよく言うけれど、もう私は立派にROUBA…。

たまたま、今日スポーツクラブで
「自分は年なんだ…という自覚が無くてはだめよ」、
って「穴川のSC」からお付き合いして戴いていた T I さんに
偶然“パウダー・コーナー”でお会いして、ご注意を受けたばかり。

あぁ~、行きたいけれど行けないかも……悩む時間があるね。
KMさんは海外は嫌だと言っていたが、ふっきれたんですね。
十分乗り気な感じが伝わって参ります。
海外はこりごり…なんて言われないだけでも、よかった……。

 


いちよう37号 ②

2009年12月20日 | 会報お役立ち

 

 皆さんのお手元にそろそろ、会報いちよう37号が、届く頃かも知れない。これは表紙の写真ではあるが、もう一枚のスペアだ。会員の並びやその脇を通る人、背景が少し変わっている。「間違い探し」の画像みたいに比べると面白いかも?
(教室へと急ぐ東大生に、少しお時間に余裕があるかとお尋ねしてから、シャッターをお願いした。)

 会長の巻頭の言葉をお読みになって、この9年間の散歩を懐かしく思い出される方も多いと思う。
 会報に掲載の写真は編集部としては、カラー写真はやはりカラーで、白黒はもっと鮮明に掲載したいとは思っているが、なかなか思い通りには行かない。そこで、このブログで再度登場させて不満足な部分を解消してみることにしよう。

 
04.03.28 飛鳥山でお花見をした時のもの

 これは、いちよう37号、2ページ掲載の写真。ここに写ったメンバーの顔触れを見ると、お引っ越しや、作品制作など多忙で退会された方が2名、惜しくもお若くしてお亡くなりになってしまわれた方3名。創始会員が割り合いにたくさん居られて、楽しんでみえることは素晴らしいことだし、誇れることと思う。
 しかし、わずか5年前の写真である。お元気な方々、随分若々しい活力が垣間見えるけれども会の平均年齢は…???

 

 これは今年の写真。東大キャンパスにお邪魔して学生食堂を利用させてもらった。

 駒場公園内、旧前田侯爵邸の洋館を背景にして。

 全員集合写真を撮るためには、周りに通りかかった見ず知らずの方に、デジカメのボタンを押してもらっている。グループの人間が撮影班だと、あとでそのシャッターを押した方の姿を切り取って、もう一枚の画像に張り付けなければならない。その加工は少々大変だから、出来るだけ他の方にお願いしたいのだ。
 なお、2004年の飛鳥山のお花見 (前出の記念写真) には、撮影者の会長をアークソフトを使って張り付けた。どこか変だが自然になるように影まで気を使って、かなり凝ったつもりではある。

 これは、右端に赤い洋服の、歩くのが楽しくなり始めの頃の幼児が写っているが、その子のママに撮ってもらったのである。

 撮影をお願いする時は、大体お若い人、女性より男性、重たそうな本格カメラを携えている方に目星をつけて、お願いしている。大体失敗なく撮れるから。
 この方の場合は、やんちゃをしそうなお子さんも連れてみえるし、少し心配だったが、よく撮れていて安心したことを、ここに明かす。
 若いママは自分の子供の成長を記録する機会が多いから、デジカメに慣れているという認識を、私の固い頭にこの際、刷り込んでおいた。
 (そう言えば私の娘や、デジカメに興味がある小2の孫娘は、私より撮り慣れていますし、上手ですワ。)

  
左は旧前田邸・洋館の内部で。 右は代々木八幡宮。階段を上って右手に平岩弓枝の生家がある。

  
現在もお住まいのようだ。門扉には「平岩・・」の表札と「猛犬に注意」の札がついていた。

 今回は会報で見づらい写真をここに紹介しようと思ったが、直木賞作家平岩弓枝のお宅は、掲載しなかった。それより、印刷が鮮明ではない白黒写真を…と思いつつ、焦点がぼけてただ載せてみただけ…という感じに終わってしまったことを悔いもするが、この辺で。



 

 




いちよう37号

2009年12月16日 | 会報お役立ち

 12月の声を聞いたと思ったら、もう15日を過ぎようとしていた。
 総会までの忙しさ、それ以後会報を纏めるまでのせわしなさ…、一人ではどんなに頑張っても出来ないことである。 

 会報の内容は、記事の投稿(総会の纏め・散歩の報告など)、そして肝心なのは「巻頭のことば」。
 最初の文章は、その号の顔である。会長は回を重ねるごとに、頭を悩まされることになるのかも知れない。ともかく、これが無いと恰好が取れない。 

 編集担当の私が纏めるところは、巻頭の記事を除いてすべて、完璧!と思って準備していた。…巻頭の部分の記事のスペースさえ空けておけば、編集は終わり…と思って準備していた。

 その記事を、用意されたスペースに嵌め込めば完了だと…。
 ああ、思い通りには行かないものだ。
 結局記事が校了されて、いざ完成という段になったのに、会長の巻頭の記事を入れたら、全体のバランスが、ダ、ダ、ダ、ダッと、あまりに見事に、情けないほどに崩れてしまった。

 始めからやり直す方が、後悔しないで済みそうだと観測した。
 なんとか会報を纏めて、集まれる役員の皆さんに声をかけさせてもらって、16日に校正をする。助かった!

 冒頭に述べたようにこれは一人では絶対に出来ない仕事なのだ。協同しながら、纏めていかねば、本当の会報にはならない。頑張っても、頑張っても…。
 そしてようやく、「12月15日号」が、今日16日にやっと完成。
 版下が出来上がった。   「ほっ……。」

 何はともあれ、見通しが立った前日には打ち上げ前夜祭をした。会報には関係のない娘一家に用事があったのを幸いと、ワインを持参で出かけた。
 賑やかしに、とりどりのワイングラスを登場させて…ネ。それだけでも賑やかであった。一人こっそりと祝うことが出来たのは、せめてもの編集子の我がまま。
 さあ、編集部分を任せて戴き、一人でレイアウトに苦労した会報の完成…、一人で祝っちゃおう…。
 乾杯!乾杯…と、このことに関係のない娘を相手に…ちょっとネ。
 なぜ、乾杯なのかは知らなくても良いのよ。気持ちの良い酔いを戴いてぐっすりと休めた前夜祭だった。

                

 総会以後、毎晩、2時から、遅い時は4時ごろまでパソコンと取り組んできたのだもの。準備段階でも、全部の記事が集まってからも暴れ出す写真などレイアウトが思うようにはいかなかった。これは毎度のことなのだが。
 しかし、編集子の今の「生き甲斐」とも言える、会報の編集。
 困難なのは当たり前。
 一筋縄では行かないところに、纏める意義・重さがあるのだ。
 自分勝手なパソコンはワードで編集しているから、尚更大変。負けるものかと、闘って、なんとかその癖は飲み込めてはいるつもりなのに、ページごとに違う。
 ピョコピョコ勝手に動き出すやんちゃな坊や、困った子ちゃんはこのページ、あのページになんと沢山居ることだろう…。
 そいつらを制覇する時が、一番「やったぁ~」と、喜びに感ずるところだ。

 この会報37号は、17日午後にY.Kusunokiさん、Y.Gomiさんと共に、ハーモ二―プラザ(男女協同参画施設)で印刷して発送する段取り。
 18,19日には皆さんのお手元にとどく筈である。

   

 マンリョウの赤い実…一つ所に3つも4つも手をつないでいる。あ~私たちの会報みたいだ。
 今回はボヤキも漏らしてしまってけれど、とにかく完成した。ボヤキの元は、あれこれ、事が片付かない、そんな時なんだと身の回りを見まわした。
 どうもすみません。ボヤキはこっそりするものなのに、言っちゃったネ。

 お届けはなるべく早くするようにいたします、ハイ。


Thi.演劇を見る会

2009年12月12日 | SO-Color

 12月例会です。大いに笑いました。

 
ちょっと小さい写真ですね。
このメンバーで今年の社会風刺コントをオムニバスに展開されました。
テレビでお馴染みの方たちですが、演者の皆さんは、
その素顔にちょっと手をくわえて、さる有名人に変身されるのです。

 
誰が何方に変わっているのでしょうか?
あまり似ていない…?
そんな場合もあるのですが、表情、手ぶり、そぶりで、似て来るのです。
さらに、本人に似せてしゃべる訳ですから。

役者の誰が演じているのかがわからなくても、誰を演じているかがバッチリ判るので、
そのセリフが笑わせるのです。お腹の底から揺さぶられてしまいます。

 

日々変わるニュースに対応して、新しいネタも登場したり、
その取り上げが面白い。
例えば、この日、最寄駅からこの会場までの道のりを「その通り!」に風刺します。
微妙にしかし、自分でも何故か判らない部分も言いきっちゃうから、笑えるのです。
「やっぱり…そうなんだ!」なんてネ。

大事な部分でしょうから、それはここには発表できませんが、巧い!です。


 
  

そのコントを聴きながら、その演技を見ながら…
まるで、赤ちゃんが「いないないばあ」をしてくれる大人を見ている、
その心境に似ているんだろうなと思いました。

笑う態勢が出来ています。次はどんな?と期待しながら、待ち構えています。
笑わない訳がありません。
そんなひとときを持って年忘れの2時間余りを過しました。

1年の演劇鑑賞の機会は6回あります。
そのどれか1回だけですが、会が円滑に運営できるようにお手伝いします。
なんだかんだで鑑賞する6回のうち2回は欠席しましたが、
同級生4人グループの一員にくわえてもらい参加できるのもミニクラス会となって、
楽しみの一つです。




平成21年度総会

2009年12月08日 | 総会爽快

 前日まで寒くて、雨も降っていたのだったが、総会当日12月6日(日)は、風もなく暖かい佳い日に恵まれた。

 審議事項を無事終わって、花束?贈呈。
 総会の締めは、例年のごとく役員が勇退する場合や、喜寿の方には花束をお渡しして二千和会から、お礼(感謝)または、お祝いをするということになっている。
 今年度の該当者は総会当日がお誕生日で「喜寿」になられたAsadaさんに。
 彼は会の副会長。運営委員会で「総会について」の話し合いの時に、「オレ花は要らないよ」と、つぶやかれていた。(そうね、そうでしょう…)と、買い物係は気を利かせて、Asadaさんの好物、アルコールを贈呈したのである。メッセンジャー係りはGomiさん。

 お堅い総会を閉めて、次は懇親会から、二次会へと続く。
 「二次会と懇親会はどう違うの?」と、くだけた質問が飛ぶ。
 懇親会は場所を同じくして、総会のきちんとして纏めの部分と、会員相互の懇親の意味をもつお楽しみ部分を、同じ会場で開くこと。
 二次会は、総会の時とは違い、場所を替えて主に飲食店で、一年を振り返りアルコールも添えてお話を展開すること…と勝手な解釈であるが、ここのルール。

 

 このメンバーで一年を司りました。会長脇の席はもう一人の副会長兼会報編集部兼カメラマンの私メの座席です。この6名が気を揃えてどうやら無事に二千和会が滞りなく進行できました。そして、来年度も引き続き役員を務めさせて戴くことが承認されました。

               
 にこにこと和やかに懇親会が始まる。
 … と、その前に編集部の方から一言。現在、次号 会報37号を編集中で、記事として提供されたTanakaさんの投稿で、珍しい体験談。
 ベルリンの壁が閉鎖された当時に、ドイツで研究員として留学中だった34歳当時のTanakaさんの写真を皆さんにご披露願った。
 編集のOsadaだけが、拝見するには惜しいと思ったからだ。快く、先ほど編集部からTanakaさんにお返ししたばかりの写真と、更にベルリンの壁の石(これは壁が壊されたそのかけらだが、最近またドイツに訪れて記念に求められたという。)を、ご持参なさって、皆に回して手に取らせて戴いた。

  
 「この石は通常のコンクリートとは違う配合で、かなり固く出来ています。」と、Tanakaさん。この珍しい本物の壁の欠片とご自身のハイデルベルクでの研究生活の一端をご披露しておられる写真を、間近に拝見させて戴いた。
   
   
  Katou(M)さん、Saitouさん、Takahashi(K)さん。手に取ってベルリンの壁だった石のかけらを眺めて、ベルリンを身近に感じて見入っておられた。

 それから、素晴らしいTabuthiさんの謡のご披露。「邯鄲かんたん」という題名でその内容を書いたプリントを出席者全員が見せて戴くなか、Asadaさんへのお祝いの気持ちも籠めてと、朗々と詠われた。
 なんと感嘆の声を皆さんあげておられた。謡を始めて10年になられるそうだ。心に沁み渡る喉を聞かせて戴いた。

  
  ここのところ体調を崩されていたOouthiさんは、若い時はサントリーにお勤めだったということを、それとなく伺っているのだが、Tabuthiさんのご持参のワインを率先して開けて下さった。
 お隣は会の最長老87歳のMiuraさん。お元気です、皆さんと並んで矍鑠として歩かれてアルコールが大のお好き。それでお元気なるか?…なぁ。

  
 そしてビンゴで楽しむ。ちなみにOsadaは、始めのうちは全然開かなかったが、いつの間にか一番に開いて「ビンゴ!」。 家でその景品(Savon3種と入浴剤)を撮影してご披露しますね。次はKatouさんが当たり。

  
皆さん、思わぬプレゼントににこにこ笑顔。共にこちらも嬉しくなってくる。
 
  
  Takahashiさんは何だったかしら? そしてAsadaさんは、ワインの手提げ袋だったが、中身はおダイコン。丁寧にも袋からはみ出した先には金色のリボンを結んで…まさかのお野菜であった。だから、この笑顔!いいね~~。

  
  Takahashiさんは、あの可愛い袋はジャガイモであった。そして、JALエプロンはTanakaさんがあたったが、ジャガイモとエプロンをお互いに交換されたよう…それでこの姿を記念に一枚。

 おしまいのメニューは、みんなで合唱。気を揃えて、「かえるのうた」の3グループに分けて輪唱を歌ったり、「ふるさと」をしっとり歌って、最後は三本締め。
 これがまた面白い。人さし指一本で、二本指で、三本指で、…と最後はてのひらで3・3・7拍子を元気に打っておしまい。
 このお楽しみの担当はGomiさん。毎年嗜好を凝らした出し物で、皆さん十分に楽しめたと思う。出席できなかった人も次の年には何とか出られますように。
 日頃のお顔ではない皆さんに会えますよ。

 上の写真は歌詞カードを見ながら、輪唱をしている風景。
 そして最後はこの会場で記念写真。総会はいつも全員でのショットは撮らず仕舞いですごしたけれど、今年度は忘れないで残すことが出来た。



 


ハッピー・バースディー

2009年12月03日 | YG-World

12月になりました。
カレンダーも最後の一枚になりました。



 
雑多な我が家の台所・こうして写真で見ると更にそう思います。 主婦しています。

   
           競馬ではありません。 モンゴルの馬  
朝青龍も乗馬するとか聞いたことがありますが、ごく普通の人が「私も馬に乗ります」と言うからフゥ~~ンです。
さて、話は変わりますが、昨日の日本語教室に「あいうえお」しか読めないという超の初心者が3人やってきました。
さあ、自己紹介ですという時、、若いインドネシアの女性2人は「housewife」と書いて、日本語で何と言うのかと聞いてきました。
「しゅふ」と言うと、二人は何度も「わたしはしゅふです」「わたしはしゅふです」と繰り返して覚えようとしていました。
実は『しゅふ』というのはとても言い難い言葉です。
「わたしはしゅふです」 そうです『私も主婦です』

私に定年はやってくるのかしら???
私に『年休』をちょうだいよ!!!と思っているのですが・・・
自己申告をしないとダメなようだから、最近は『ちょっと出かけてくるわ』とさっさと自分の自由時間を確保することにしています。

 
さて、本日(12月2日)は私の誕生日です。
さりとて、我が家の男どもは気の効いたプレゼントなどするはずもなく・・・
いつものより、少しグレードアップしたワインで乾杯です。 



白ワインですが、ゴールド色に輝いています。
キリリと冷えてとてもおいしいワインです。
誕生日が来てひとつ歳を重ねたとはいえ、昨日の続きの今日であって何ら変わらない生活です。
ですが、変わりのない生活こそが『幸せ』なことなのだろうと思います。
「自由」と「孤独」は背中合わせといいます。
毎日、自分だけの自由な時間が手に入るという事は、同時に「孤独」を背負うのだそうです。
毎日縛られているのではなく、私を必要とする人たちがいるんだと思っています。
制約された時間は貴重なものです。
より一層いとおしいものとなり、嬉しさ・楽しさも輝きを増します。

バースディー・メールもいただきました。ありがとうございました。
いつも気にかけてくれるだけで嬉しいです。
歳を重ねたら『しわ』も増えます。
でも同じ分『キラキラ』も増えればいいじゃないでしょうか?
来年の今日も良き誕生日を迎えられますように