いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

13の会

2008年05月31日 | 会報お役立ち

 楠会長が企画されていたという「鎌倉文学散歩」に二千和会から、Yoshi.K,Chi.S,Syk.Oの3名がゲスト参加した。(鎌倉文学館へのアプローチのトンネルと開催中のバラまつりの庭園)

 
 昨年二千和会で実施したときとは、逆のコースとなっている。鎌倉駅下車、町を北進して「吉屋信子記念館」に。ここは一年に数回しか開かないので、開館時に合わせての13の会開催。作家、信子女史の書斎が素晴らしい。北向きの落着いた雰囲気で視界が静かに広がる大きな窓、藤棚を通してその先の木々の緑や山々が借景にもなり思考が限りなく広がっていきそうな…、私はこの部屋が気に入っている。
 13の会と二千和会に所属の、立派な方がお出でなのに「いちよう」のためには、原稿をなかなか寄せてくださらない。「この文机に座って書いてください」などと、冗談めかして、本音を述べて笑った。
 

 文学館では、企画展・田村隆一~詩人の航海日誌~を開いていた。プロローグには彼の詩が写真とのコラボレーションで表現。言葉が胸にジーンと来た。

   心が眠りたいのに 肉体が眠っていない
   肉体が眠りたいのに 神経が眠っていない
   神経が眠りたいのに……(…精神が眠っていない?だったかな…)

 あとずっと続く詩だが、しっかりとは覚えていない。それを読みながら「そうよ、そうなのよ…」と、YKさんと頷く。そういう似た体験はあっても、言葉でうまく表現できない。とくに短詩系文学はズバリその個性で、真似は決してゆるされない表現法で、その感覚を煌かせながら言葉にする訳で、作るのは難しい。読み取る方は、心の奥底で鑑賞できるし、しみ込んでくる言葉たちだった。
 ここの芝生でお弁当を頂く。鳶がゆっくり飛んでいる。…と、私のそばで鳶の羽音。急降下して、隣の方の卵焼きをさらおうとしたのだ。鳶は惜しくも卵焼きを落として飛び去って行ったが、獰猛という言葉が浮かぶほど怖いと思った。
 
 「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におはす夏木立かな 晶子」
 確かに確かに…。
 
 前回は6月中旬だったので、ハンゲショウが見ごろだった光則寺。重兄が素敵に写真に収められたけれど、今回はニオイバンマツリが、寺中を芳しい甘い香りに包んでいた。
 長谷寺、成就院、極楽寺を回って帰路に着いた。二千和会と大きく違うところは長い距離を、すべて乗り物に頼らないで歩いたこと。家に帰って足を見たら、ソックスのゴムがきつかったせいもあると思うが、膝から下が浮腫んで更にゴム跡付近の一部が鬱血?内出血というべき?!
え~っ。こんなこと初めてだ!日頃歩いてないのがよく判った。いやいや、メタボリック防止でガードルの締め付け?の影響もあるかと独り反省した。
 
 所々、故楠重夫氏の在りし日の思い出が蘇ったシーンがあった。四十九日法要も終わって、もう極楽に辿り着いたのでしょうか? きっとあちらでもニコニコなさっていることでしょう。(合掌
 
        上:長谷寺のお地蔵様群・そこからの眺望  下:成就院、極楽寺
 紫陽花で有名な寺・寺だがまだまだその花時には早い時期。けれど、道すがらの可愛い花が賑わいを添えていた。


ヤマボウシ

2008年05月30日 | 会報お役立ち

 
 周囲は初夏の気配だ。山法師は満開。アメリカハナミズキ(下図)から比べるとやや、地味な様子だが…。

 おなじ白い花を見せる樹には“ひとつばたご”があるが細い花びらの割りに、目立つ花木の姿。
 山歩きをしていたお殿様が家来にあの樹は何じゃ?と尋ねたという樹である。家来は知らなかったので“なんじゃもんじゃ”の樹です…と応えたという、あの樹の花は5月連休の頃が満開だったとの記憶。

                                       ひとつばたご
 明治村のそばに一本ヒトツバタゴがはえていた。樹齢が日本一?自生の樹では最古の樹だったか?何だか知らないが有名らしい。立派な姿で季節でもないのに白雪を冠ったような咲き具合であった。新聞に今、そのなんじゃもんじゃの樹が花盛りとあったので、友達を誘ってわざわざ見物に行ったことを思い出した。(このインターネット画像の説明によると、偶然にも、まさにその樹であった。)


 この樹は東京歯科大のアプローチに植えてある樹で、山法師の樹。画像が小さいので、葉なのか白い花?なのかがはっきりしないのはお許し願おう。
 白い花に「?マーク」は花に見まごう、実はガクなのである。
 その真ん中に小さい姿の花が見えるのだ。
 だんだん季節が移行していき時間は立ち止まらない……。



 昨日、「いちよう 31号」と、40回目の散歩のご案内を会員皆様に向けて発送してきました。
 今回は参観者名簿を宮内庁に提出しなければならず、電話で出欠のご意向をお尋ねして、皆様にはご存知のことですね。「皇居一般参観」を企画実施の予定です。参観希望者は26名となりました。1ヶ月先のことですが、どうぞ、お楽しみに!

 


つばめ

2008年05月26日 | SO-Color

 つばめのオスは『チュビチュビチュビ チュルルルル』と比較的大きなさえずり声で鳴く。(鳴き方が可愛いね!)
 さえずりは日中よりも早朝から午前中にかけて耳にする機会が多い。
 泥と枯草で巣を作るが、民家の軒先など人が住むにぎやかな環境に営巣するという習性がある。これは、天敵であるカラス等が近寄りにくいからだと考えられている。

 日本においては、水稲栽培で発生する害虫を食べてくれる益鳥として古くから大切にされ、ツバメを殺したり巣や雛に悪戯をする事を慣習的に禁じていた。
  以上はインターネット検索で得た知識である。

 

 ぶらり散歩していたら、つばめがせっせと、スマートに飛んでいるのを見つけた。


 どこに巣があるかと思いながら、ふと足元を見たら…これである。





 ガソリンスタンドの軒先。はじめに、インターネットから得た知識によると、とにかく人の出入りが激しいところが、つばめの巣をかける場所として最適らしい。

 あら!まだ巣を作ったばかりらしいわ…随分静かだこと!


 しかし…この糞の量は、住民? こちらの住民は居心地良く住んでいるらしいねぇ…!?


さ~~っと鳥影が視界に入った! カメラでは捉えることができなかったけれど…。

 眼を凝らして巣を見つめると…いた、いた! 可愛い口が三つ見えた。
 このガソリンスタンドは、人の出入りが多くて繁盛していると、“つばめのお墨付き”ということなのね。


  そういう判断をされたら、糞を片付けるのが汚い仕事だなんて言ってはいられないね。良かったんじゃない?つばめも居心地が良さそうだしね。

 撮った写真を拡大して見ると4羽のくちばしが見える。

 

 同日、大体同じ時に生まれる人間の双子(双生児)ちゃんは、同じ誕生日にはなるが、きょうだいの上の子と、下の子という順番で届けられて、兄とか姉と呼ばれる羽目になる。

 日本は母親の胎内に長い時間居たからその子が上の子、時刻的には早くこの世に生まれても、胎内に居た時間が短いから、下の子と、区別されると聞いた。
 欧米はそんな捻くれた考えではなく、早く生まれれば上の子、後から生まれれば下の子! 

 そんな話を聞いた覚えがあるけれど、今も日本の事情、判断はそのまま活かされているのか? 現在の事情ではやはり地球規模で、所変わっても、同じ判断基準にするということに変わっているのだろうか?
 自分で調べればいいのだけれど、誰か教えてください。
※どうでもよい質問だったかな? (5/28追記)
    「ウィキペディア」で調べてみました。以下はその写しです。(一部)
 日本では後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習があったが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっている。


梅の花

2008年05月24日 | YG-World

私の周りにも定年を迎えた方が増えてきました。もっとも身近なところでは我が夫ですが
さて、今日は息子がお世話になった方が定年を迎え「慰労会」&「同窓会」が行われました。

 本日のお食事処『梅の花』 豆腐料理店です。
 しっとりとした落ち着いた雰囲気の女性好みのお店です。

 『どの人が定年になった人???』 昔から若々しくて今も変わらず素敵な人です。
お店の人が玄関前で写真を撮ってくれます。そして帰りにはプリントした写真を人数分いただけます。(サービスです)以前、このサービスを受けました。今回何も言われないので、私が催促してしまいました 皆さんに好評です。
                               
                新緑ランチ(2600 円)                   


  『和』を基調にしたインテリア      こちらは洗面所  ここからも庭が見えるようになっています。このランチメニューだとお座敷を予約出来ません。部屋が空いていたら個室をお願いということだったのですが、あいにく今日は椅子席です。個室に入るととっても落ち着いて話が弾みます。そうでなくても一時半からの食事で4時近くまでの長居をしてしまいましたけど。何せ20数年振りに会う人もいたり、記憶をたどりたどり話は尽きません。


第30回 日本新工芸展

2008年05月23日 | 会報お役立ち

 いままでは「上野の森美術館」で発表されていた「日本新工芸展」。二千和会会員(ただいま休会中)の松岡さんが、例年のように彫金作品を出品され入選されたというご案内で作品を鑑賞させていただいた。
 このたびの会場は黒川紀章デザイン設計の国立新美術館に、文学散歩ならぬ美術散歩に、二千和会女性運営委員トリオが出かけた。

  
  松岡さんは、以前の話だがお忙しくて、そしてお父さんの介護で作品製作に集中出来ずということで、嘆いていらした。あんなに一生懸命に父君の介護をされていたけれど、昨年残念なことにお亡くなりになられた。製作することは集中する時間や心のゆとりがないと出来ないものだ。
 この作品の題名は「みなものステージ」。彼女は題名のつけ方にも拘りを持たれる。これは当たり前かも知れない。作品の題名は作品の命とも言えると考えている私でもあるからよく判る。初めて拝見させて頂いた頃の作品では、万葉集の歌をヒントにつけたとか凝っていらした。木蓮の花と蕾をテーマに彫金作品を作成されたその作品は「“蓋”と書いて“きぬがさ”と読むのよ…」なんておっしゃっておられたが、私はとても読めなかった。その時「流石に伊藤会長は、読めたんですよ。一応あの時読めたのは伊藤さんだけ…」だと、後で耳にした。
 しかし今度の題は「みなものステージ」 、「水面の…」となぜ漢字表記しなかったのだろう。きっと彼女なりの拘りがあるのだ。今度お会いしたら尋ねてみたいと思った。

 オニバスの葉の上に、蛙たちの演奏会。今回は打楽器だったが、フルートなどの吹奏楽器や、ピアノが蛙たちの演奏する楽器に選ばれていた。その画像から耳を澄ますと音が聞こえてくるような物語性があり、楽しい作品に仕上がっていた。
 ご案内や招待券を頂いて鑑賞の機会…ありがとうございました。



 さて その帰り道は、食事と楽しみな寄り道…!!


ミッドタウンの地下にあるオブジェ。上からの柔らかい光は自然光。
オブジェは地球の胎内だそうで、あの中心の丸い穴に抱かれることを
試みていいそうである。それにしても足が疲れたぁ!

 食事は大体の店の前で客が並んで順番を待っていたが、ミッドタウン・ウェストの「東京ミッドタウン 今井屋茶寮」で、“ぴゅあぴゅあの玉子どんぶり”という名前だったか?美味しくて¥1200であったから、これはお勧め! 
 何より良いことは、お食事がすんでコーヒーまたは紅茶、オレンジジュースをお好みで頂けるのは当たり前のなかに入るが、ここでゆっくりおしゃべりも出来たことであった。
 お腹も満たされて、今日のお天気は「午後からにわか雨」らしいから、そんなにゆっくり出来ないね…と言いながらも、折角だからミッドタウンを探検しましょうと…。

 YGさんはこの前、ここのガイド嬢を雇って案内をお願いしたとかで、彼女に、“雇ってお願い”ではないのだけれど、その方から案内されたツボの所を案内していただいた。儲かっちゃったかも!

 左図は3階のお箸の店。
若狭塗りのお箸が、なんと一箭3万円台の目を見張るような高価さ。NHK朝のテレビ小説・前シリーズの「ちりとてちん」のセカンド舞台は、この若狭塗りの箸を作っている職人さんを、ヒロインは父にもつ設定。
 塗り重ねて磨いて磨いて、本物になるんだということを箸を作る職人さんの作業を通してテーマにしていた。
 お箸の上に賑々しく見えるのは、吊るし雛や郷土人形。お話の種にここのお店もお勧めです。
 心がけのよい3人組は、雨に降られないで稲毛に無事到着となったことを報告したい。(SO)  


尊敬

2008年05月21日 | SO-Color

  

 退官して久しいのだが、94歳と82歳になられた鈴木教授ご夫妻は、夫の職場関係の先輩。いまはつくばみらい市にお住まいになっている。このたび、預かりものの優勝杯(鈴木達也盃)をお返しに上がった。
 当時の仲間は、鈴木教授が一番の先輩で、40年も前に、同じ「S学教室」のメンバーが、「合歓の郷」のヴィラに集合、一泊の「家族ぐるみ・楽しみ会」を何年か続けていた。
  

 

 公園に面してこざっぱりしたテラスハウス。うっかりお花が一杯の南面は会って歓談できた嬉しさに、ついカメラを取り出さなかったのは失敗!あとの祭りだった。
 お住まいの北面、駐車場からしか写さなかった。

 

 

  

  その、家族ぐるみの集いでは初めての参加が印象深い。鈴木教授夫妻は子供は大きいので連れては来なかったが、子供の年齢を考え合わすと記憶の薄れた点がはっきりしてくる。M教授のご長男は6年生と4年生のご長女。うち(当時は助教授)の娘が幼稚園の4歳児と2歳。T助教授のご長男が4歳。H講師は(助手だったか?)はまだ結婚していなかった。
 そんな仲間で、賢島辺りの魚屋さんに買い物に出かけ、新鮮な魚を求め野菜を調達して、奥さん方が協力して夕飯作り…楽しかったし知らず知らずに何かしらを学んでもいた。
 あの頃は色んな面で、みんな接近して仲良しにしていただいた。
 夫や先生は以前の同僚だった先生方の近況を話し合っていた。私たち女性は、あの合歓の郷の話に盛り上がった。

 4歳の娘が、幼稚園や音楽教室、テレビで覚えた歌をそれは、次から次へと、持ち歌が尽きないくらいに歌った。大人たちは盛んに「うまい、うまい」と煽てるから、さらに得意になって歌うと、何ヶ月か娘より下の4歳児(男の子)は「僕も…」と思うが女の子には敵わない。さらに器用に覚えが早い女の子の歌に大人たちが注目・感心すると、男の子は焦れて相手構わず突っかかり乱暴しだす。庇われてさらに男の子はご機嫌斜めに…そんなことがあったなぁ…。
 母親の私はそれをはっきり覚えていたけれど、楽しくて適当な話題に興じながら、マスクメロンにフォークを入れていた…。

 尊敬してしまうのは、20歳以上も夫と年が離れている先生が、もう若いとは言えない私の夫と対等に歓談していること。自分たちの専門分野の学問について、現状と未来の展望などの話に花が咲いていること。医学者の日野原先生とは、まるでこんな点が同じなんだろうと、推察していた。
 (嬉しいこと!こんなにしっかりときちんと年を重ねているなんて!)とお二人を感心し、私が80歳を越えたときには奥様のように健康でそのうえ賢い年を積んでいられるだろうか、そうありたいと願わずにはいられなかった。

   

 玄関先でおいとまするつもりだったのに、1時間半もおしゃべり、旧交を温めた。「あ~、好い目標を拝見させていただいた」「20年先の私たちは、鈴木教授夫妻のようになりたいものだ」と充実感いっぱいになった。帰路は夫が市が谷で会議があるので、トロトロと車で走っていると間に合わなくなるかも? …の心配が出てきて、途中から「つくばエキスプレス」の駅に立ち寄って、夫を東京に向けて見送った。
 …ということは、帰りは私ひとり車を走らせて地理不案内の土地を走ることになったのだ。来た道を帰るだけだと軽い気持ちだったが、景色が違うし、地図上ではこの道を走っているつもりだったが、一本西側の道を走ったのだと帰ってから地図を確認したら分かった。(ナビつき車だと良かったのに!残念なり…)
 しかし、ここで欲張って市川の娘のところにも立ち寄ったので、今日の走行距離は150キロ。私にしては上出来だと、自己評価した。(ウッふっふ!)


小さい花 可愛い話

2008年05月15日 | SO-Color

 メッセージカードに、気の利いた言葉を書こうとするとなかなか書けないものだ。
 先日の母の誕生日祝いの会に、メッセージを書いたひこ孫たちがそれぞれ読み上げたその言葉に感心した。

 まず、11歳3ヶ月の姉が、曽祖母にメッセージ
   
      ちゃーちゃんへ 

   89才のお誕生日、おめでとう   (花束の絵が彩りよく描かれる。)
   いつまでも元気でいてね。
   Rioも、ちゃーちゃんみたいに、
   元気で89才をむかえられると
   いいな。               Rioより

 (この呼び名は彼女がまだ幼児語時代に自身で考えた。ちゃーちゃんは、Rioママが私の母をおばあちゃと呼んでいるのを真似てちゃぁちゃんと。なお祖母である私をあーちゃんと区別して呼んでくれた。まだまだ若かったから、周りの大人も、私を「お祖母ちゃん」とは言えず、この子のママがおかさんと呼んでいたのを聞いていて、孫は、私をあぁちゃんと呼んだので、それがニックネームとして定着。)

 そしてさらに傑作なのは6歳6ヶ月になる次女。字もこの年頃にしては綺麗でしっかり書けている。(ババ馬鹿という勿れ!)

      ちゃーちゃんへ
   89さいおめでとう
   まだまだながいきしてね。
   Saraの赤ちゃんもみてね。

(ちゃーちゃん…と書いて、若い可愛いちゃーちゃんの似顔絵。ウインクしている。) 

 周りにいた大人たちは、意表をつかれた。
 6歳の子が、この先成長して結婚して、赤ちゃんを産んで、その赤ちゃんを見て欲しい…と言う。
 その先の長さがかなり具体的に表現されている「凄い!」と思わず感心してしまう。
 今や、老人保健施設で介護されながらも、生活している人たちの中には100歳もそんなに珍しくも無い。冬から春にかけて大丈夫かと案じた私にはとても考えられなかったことだった。
 「そうだよね。頑張ればそういうお年よりは結構いるんだよね。」とひとり納得して、明るい気持ちになっていた。  
   


贈ります

2008年05月11日 | SO-Color

 
二人の娘たちからの母の日プレゼントが届いた。
一つは、こちらに。一つはあちらに。
メッセージが今年は振るっている。

「偉大なる母に感謝!」…(う~ん、恥ずかしいな。)
毎年「いつも素敵に張り切って…」とか「可愛くて自慢の母でいてね」
など自分の希望像を描いてのメッセージだったのに今年は大きな変化!
「前期高齢者」とレッテルを貼られたから?なんて少し気を回したりしてみた。
もう一つは携帯添付メールの写真なので、メッセージは読めないけれど、
お菓子つきで、家族の皆へも心配り…。あちらにと言っても私宛で、
果たしてこの日はどちらに滞在しているかを考えて贈ったと言う。
気を使わせてすまないことだが、今の状態では仕方が無い。

今日の私の母への感謝のしるしは、やっぱりアレンジメントの花籠。
写真はうっかり撮らずに贈ってしまったけれど赤と色違いピンク2種の3色カーネーション、
緑の葉っぱも木立ベゴニアの小花も添えて手作りの花籠。
そうだ!明日写真を撮って来よう!
加えて、ドラ焼きを昼食後に4階の談話室で食べてもらった。
 
あれ?ちょっと贈った時と違うスタイルに変わっている?
今日は夕方の介護に出かけたのだが、夕べ嘔吐したという。
看護処置のために少し触れたりして崩れてしまったのか?(12日追記)

「明日は、母の日ね。お花を持って来ましょうね!」と昨日
話しておいたので、何となく別の期待もしていたのかも知れない。
また最近、お食事時に眠さがきていたのに、今日は眠ってない。
看護婦さんが、「朝からず~っと眠らずに何かを話したげの様子でした」と。
別の期待…また自宅に帰れるかと思ったのかな?
すみません!
私では如何に車は動かせても、母を車に移し乗せるのは無理です!
出発時の施設では手伝って貰えるけれど、家に着いたら?
やはり男手が必要です。がっしりと母を抱いて車椅子から自動車へ移動する…
無理ですよ!敬老の日?か、秋のお彼岸にと心積もりをしているのです。
次への期待を持つことは大事なことです。


ヒューマンドラマから

2008年05月09日 | SO-Color

 このごろ、私はあまりテレビドラマも見ないのだけれど、今日は松山善三・原案、単発ドラマ(フジテレビ)とあったので、腰を落ち着けて観ることにした。
 
 孤独な社長(75歳)と少女(15歳)が友情を深め、生き方を見いだす姿をさりげなく日常的に描いたドラマ。
 何も無いところから立ち上げた会社を、年を取って時代に乗っていないからと息子に無理やり社長解任させられ、生きる目標を失いかけた主人公の元社長と、浅草の中学3年生の少女・小さなお店の孫娘と話をするようになった。

 その少女の祖母が死の床にあって、見舞いにきた元社長と祖母は話す。

「始めがあれば終わりがあります。生きるとはそういうことです。」
「生まれたところに戻るだけです。」
「食べないでいれば、余分に生きることはなく迷惑をかけずに死ねます。」

 下町の気風の良いお祖母ちゃん。生と死について達観している。なかなか言い切るなんて難しいことを、台詞にしている。

  




 元社長は鯨、少女はメダカだと孫娘が言うと、元社長は少女を励ましながらも自分の生き方を見つめ反省しているのだ。

「目の前の不安や、孤独で寂しいときは、もがいてもいい。必死に激しく泳ぐんだ。なお、激しく生きろ!」
「鯨にはなれるはずもないメダカであっても、泳ぐことには変わりが無い。必死に泳ぐんだ!」

 鯨とメダカはどちらが幸せか?
「どちらも少~し不幸で…… どちらも少~し幸せだ。」

「生きる」ことは死を意識して生きなければならないのだ…。
このドラマの結論は分かっているつもりだった…自然な流れで終わっていくのだろうと思っていると、やがてエンディングのテーマソングが流れ出す。
 う~ん。当たり前な終わり方だな、と評価していたら
「二宮茂(役名)75歳、私の人生はこれからだ…!」と力強くつぶやいた。
 そうだよね!
 終わることを意識しながらも、未来を、将来を、希望の実現を信じながら生きていくべきだよね!と、自分自身をも励ます姿勢で、ひとり納得していた。
 


バーベキュー

2008年05月06日 | SO-Color

 連休で少しのお楽しみと息抜き。 
 妹のところで筍掘りと小川遊びをこの時期には毎年楽しませてもらっている。特に楽しみに待っている家族もいる。こちら私の一族が押しかけて、恒例の筍料理とバーベキューを味わい楽しませてもらった。


白木蓮の葉っぱは新鮮な緑色に。この樹の下で集いました。

 

 バーベキューの準備が整うまで大縄跳びをして喜ぶ小学生3人と4歳の園児。
 大縄跳びは小学校のお姉ちゃんやお兄ちゃんたち(小6、小2、小1)のように、4歳の子は縄に入れなくて、そのうち悔しい…というようなふくれ面、やや泣きべそ顔。
 なかなか見所あるよ、次の機会にはきっと真っ先に跳ぶね!とあーちゃんは思う。



 

  薪に火を着け炭火を起こす。庭の落ち葉も、少しずつ加えて火起こしに加勢する。煙も立つけれど、それさえ私世代は懐かしく嬉しい。煙に涙して咳き込んでも…!
 そして分厚い鉄板が徐々に温められてバーベキューの準備完了。

 黒毛和牛、豚の厚切り、ソーセージ、ハンバーグ、味噌だれ味付け肉に野菜を焼く。そして去年初めて味わったが、焼き芋ならぬ焼き筍が、いままで味わったことがなかったもので、ほんのり甘みさえ加わり、旨みが筍の中で凝縮しているような味わい! 少ししかないだけに更に旨い!!
 筍料理は筍ご飯、筍旨煮、味噌汁にも筍とわかめ、筍の鰹節含め煮、そしてセリの胡麻味噌和え、極めつけは筍の木の芽和え。すべて筍料理は妹の手による。初めて参加だった Koi夫婦の旦那さんの感想は、「筍を美味しいとは思ってはいなかったが、今回は筍って美味しいものだなぁと、思った」と。主催した妹夫婦は、「それは、良かった!」「甲斐があるわね。喜んでくれるのが何より…」と逆に喜んでいた。

 野外で食べる味はいつもの食事とは全く違う味わい。大人はその炭火の火起こしもガスで簡単に料理するのではない。炭をつついたり、ひっくり返したりして火力を調整するのも、変化のある良い時を与えられる。面白い!楽しい!美味しい!

 ちょっと多すぎるかと思った肉も、カボチャ、キャベツ、玉ねぎ、人参、椎茸などが思いがけないほど、売れ行きがよくて、それぞれのお腹の中にどんどん入っていく。

 母の誕生日祝いはこの前日だったが、そのときにメタボリック症候群の話がでて、男性は腹囲85センチ女性は90センチ以上は、メタボリックです…と、メジャーを出して計りながらの話の展開があった。もちろん我ら夫婦はメタボ夫婦なんだけれど…ね。
 そんな話題がちらちらよぎるのに、今日はいつもよりもたっぷり食べてしまっている。


 

 食べ終わって焚き火をしながら、後片付け。食べた紙皿もコップも火の中にくべて周辺が小奇麗になった。
 左手前に並んでいるのは彼らの収穫、筍たち。「もう無いかも…」と言っていた筍が昨晩雨が降ったので随分たくさん掘れて「掘り隊組」も満足。筍掘りは掘る向きがあって、その方向から鍬を思い切って入れるとポロリと掘れるというが、やってみるとなかなか難しい。 

 その後もう一つのお楽しみは、水温む小川でザリガニをスルメで釣る遊びだ。子供だけではなく大人も昔を思い出して楽しんだ。
 しかし、始まりが予定より遅かった。競馬開催日に当たっていたため大変な渋滞に巻き込まれて到着が遅くなった。だからザリガニ採りは暮色が一面覆う頃まで続いてしまった。名古屋からの「夜行運転組」は、かなりお疲れ~という結果にもなったけれど、満足した一日であった。