いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

ホリデーにっぽん

2008年04月29日 | SO-Color

 NHK・TVを何気なく付けていると、ふと耳に飛び込んでくる言葉が、気になってきた。
 番組表で確かめてみると「夢を追いかけたあの頃」とあった。そしてテーマの副題は「昭和親子ものがたり」。

 奈良岡朋子のお父さんは、画家。朋子も画家になりたいと考え美大に就学のため上京して、勉強の傍ら舞台の裏方のアルバイトをしていた。そのうち舞台芸術に興味が沸いてきてあるきっかけで俳優になった。父親は、そんなことでは画家にはなれぬと厳しく叱り、援助も断ち切ってしまわれた。その厳しさがバネになって今となっていると思うと、既にもうこの世にはいない父を思い起こすにつけ、当時はわからなかった父親の心を受け取れたと感じさせるように、しみじみ語った。 


 他に記憶に残っている方の話にはあき竹城という俳優の話。東北弁がどうしても直らなくて苦労していたが、開き直って東北弁を使って舞台で演じたら、それが思いがけずその女優の特徴と面白さとして人気が出たという。彼女の母親が癌で亡くなる前に「強く生きるんだよ」と言ったという。不遇に見舞われてくじけそうになると、その言葉が自分を励まし頑張って来れた…という。ふるさとの住宅跡に立って、当時を思い出すと涙が自然に浮かんできてしまうと目を押さえていた。
 また「きもの作家」という職業の男性。名前が思い出せないが、子供の頃おとなしくて女性的だったそうだ。少年期になったある日、自分の女っぽいところが親として恥ずかしいとは思わないか?と母親に思い切って尋ねたら、その少年の心に勇気付けられ支えとなった言葉が返ってきたそうである。それは「ちっとも!全然気にはならないよ。むしろそれは、個性となって輝くだろうよ」と。誰しも基本的欲求に、「承認の欲求」があるのだが、まさしく親には認められているという安心感、心の安定がその人の人生の成功に導いた言葉であろう。

 そして男性のダンカンというタケシ軍団の中の人。父親がとても冷たく厳しく自分をないがしろにしていたので、早く父親から独立したい、「おやじをいつかはやりこめてやるんだ」と心に誓っていたという。ところが不治の病に倒れた父親は、凄く優しい今まで会った事の無い、お父さんになっていた。今までの対抗する気持ちがすーっと無くなってしまった。ふるさと産の「ゆず」の匂いをいとおしむかのように両手で宝物のように包み持って嗅いでいると、その匂いは悲しい気持ちを呼び起こしてしまうという。そしてだんだん温かい心に変わってきて和んでくるのだという。聞いている私は彼の気持ちがわかったような、涙を誘うような喉の奥がグッと熱くなってくるのを感じた。

 思い出に繋がるそれぞれの両親への深い思い…ほろ苦いけれど、優しい感情がこみ上げ温かいものに通じてくるような切なさ…どこにも同じものはない親子のふれあい。けれどなぜか判るような共通な想い。
 『世界一短い手紙』という小さな本にあった言葉が思い出される。
“遠くで思うと涙が出る。近くで見ていると腹が立つ。お母さん、大好きだよ!”


誕生

2008年04月27日 | YG-World


人生のむなしさを感じて、お通夜に参列した数日後新しい生命が誕生しました。
ママに似た目鼻立ちのはっきりした男の子です。

                こちらがパパ&ママ
 かなりお疲れのパパです。出産に立ち会いました(エライ
かたやママはと言うと、ひと騒動(ー_ー)!!
予定日より2週間早い7日の朝、出血したからと電話があり、すぐに駆けつけました。パパはオロオロ。彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら着替えていました。少量の出血で陣痛もないようなのですぐ産まれるということはないので、落ち着いて病院へ行きましょうということになりました。

     稲毛パースクリニック
昨年、どこか産科医院はありませんかと聞かれて、ここへ連れて行きました。
本当に昨今は出産できる病院が少なくなっています。選択肢がありません。
おまけに彼女はイスラムなので男の先生の診察を拒否してこれからどうなることやらと心配しました。

初めての出産は誰でも不安なものです。ましてや異国での出産ともなれば不安も倍増するでしょう。すでに破水しているという診断で即入院。その間、彼女は「こわい・こわい!!」と泣きじゃくるばかり 『大丈夫、みんな最初はこわいのよ。でもママになるんだからね』と抱きしめました。
ベットの入ってからはさすがに覚悟を決めたようですが、それでも時折ボロボロ泣きます。励ましたり、なだめたり陣痛が来る度に腰をさすってあげたりと私も容易ではありません。
2日後、無事出産ほんと~~によかった・よかった。

本来は彼女のお姉さんが手伝いに来てくれることになっていますが、ビザの関係でまだ来ていません。それまでは友達が手伝いに来ることになったようですが・・・
無事、退院の翌朝「Help me!」の電話。
お風呂の手伝いです。病院で練習してきたというので私は下働き。
お湯は41度です。 『ハイ』
温度計は縦にしないで横に入れてください。 『ハイ』
石鹸ください。  『ハイ』  
大事な大事な跡取り息子ですからね。慎重に慎重に

手伝いに来たお友達もこんな小さな子連れです。
この子の本当に本当に可愛いこと。思わずツーショットを撮ってしまいました。
買い物に行きたいというので「ウェルシア」から「パシオス」・「ダイソー」とこの子のママと3人で回りました。私がもっぱら子守り役です。カートに入れると嫌がるので抱っこしました。周りの人が一様に「可愛い!!」と言ってくれます。事実誰が見ても可愛い。最初は良かったのですが、彼女ののんびりした買い物にだんだんと腕がしびれてきました。「孫」を見るのも大変なのね。たぶん・・・

バースクリニックの待合室 2階が入院病棟 全部個室です。
思わぬ体験をしました。
息子ばかりなので出産にはそんなに関わらないと思っていました。今回はちょっとした予行練習??ってそんなことないか。
ここでは出産した日を『0日』と数え5日目に退院するそうです。
5日間の部屋代は5万。退院時の支払いは約41万。35万戻ってくるので差し引いた分を払っていました。
入院中よりその後が大変です。何度も電話がかかってくるし、行きがかり上彼女の家に通いました。
やっと、お姉さんがやってきました。やれやれホット一安心(*^_^*)


歯の治療

2008年04月24日 | SO-Color

 まだ乳歯が生えていた頃の話から始まる。戦時中のことなので周囲は甘いものが不足していたし、糖類が大変貴重品で一般家庭はなかなか手に入らなかった頃のこと。

 幸いというか、悪かったというか!
 その貴重品が、国の省庁・医療機関に勤務していた父親は高給取りだったようで、糖類も容易く手に入る環境にあった。故に甘い嗜好品も身の周りにあって豊かな食生活のなかで育った。ところがそれがあだになって、私の歯は虫歯だらけという訳だ。
 同じきょうだいでも終戦直後に生まれた子は食糧事情も悪く、糖類は手に入りにくい環境のため、虫歯にはなりにくかったようで、歯は私よりず~っと良い。甘いもの好きになってしまった私は、歯磨きをしても歯が悪くて弱くて苦労している。当時歯も磨かない子でも丈夫な歯をしている子が多かったから、糖類が如何に歯に悪いか物語っていると言えないだろうか?

 ず~っと私は歯医者とは縁が切れないのだ。ここから遠い愛知の大学病院が如何に良くても、ちょっとの不都合がヘルプに時間がかかり大変なので、近隣の東京歯科大の病院へ移って治療ということにした。
 そうすれば時間的にも助かる…早く治療が終わるだろうと期待していたが、そんな悪い状態の私の歯で、食事のたびに厄介になっているわけで、こちらは治ってもその間無理に働かせた歯が悪くなる…ということで治療が長引いている。
 治療中の歯の周りの歯肉にポツッという赤みがなかなか消えない。こちらは痛くは無いのだが、先生はこれを治さないと次の治療に入れない。歯根にひびが入っているようだと診断なさった。 
 ひびをレントゲンで確認して1週間後、問題の歯根を抜き「歯牙保存液」に浸してから悪いところを、私の体から離れた短い時間に治療してまた元の位置に植え替えるのだ。
 「歯を植え替えるのです!」聞いたこともなかった治療法…。以前人工の歯根を埋めて治療するという方法が、取れるようになったというニュースは新聞で読んではいたが、自分の歯そのものを植え替える…凄い時代になったのだと思った。

 「新しい治療方法ですね!」施術前の説明の時に、中川教授に問いかけたら、「これはもう何年も前からやっている方法ですよ」とおっしゃる。(そうかなぁ?まあ最近歯医者には行ってないけれど…? まだあまり一般的には知られていない方法みたいだな~。でも自分の歯がまだ活かされるのだということは嬉しいことだわ)と内心思っていた。
《検索と教授のお話を交えて解った情報は、その保存液の研究期間が8年、実際手術をするようになって6年の歳月を踏んでいる。》

     
 上の写真は以前治療していただいた愛知での大学歯学部の付属病院エレベーター入り口の案内プレートと5F待合室。

 下は今お願いしている東京歯科大学千葉病院、4F待合室窓から入り口付近駐車場を見下ろす。初診の時は、雪がちらついていた寒い日だった。
 愛知でご厄介になった中村教授の紹介状を持って、不安な気持ちも少し抱えて待合室に居た…。そこへ東京歯科大の中川教授は「昨日雪の中、東京で理事会がありましてね、中村教授にお会いしましたよ、SOさんあなたのことを聞いていますよ。」と親しげに話しかけてくださったので、気持ちがほぐれた。
 歯の治療はとっても苦痛に感じているので、やわらかに安堵する気持ちに変わっていった…。
    
 手術室ではインターンの歯医者さんの卵?助手?も、顕微鏡をのぞきながら勉強の一つとして参加されていた。この手術という細かい仕事に…私は怖くてず~っと目をつぶっていた。
 術後の痛み止めを麻酔が切れる前にのむようにとのご指示があった。
「私のおんぼろ歯の、根っこが活かされて大変嬉しいです。有難うございました。」と感想とお礼を申し上げたら、
「この歯牙保存液は中川先生の研究によるものです。」と女性の助手が教えてくださった。 
 その晩は3時ごろ歯が痛くなって、2回目の痛み止めをのんで休んだ。今日も少し痛いが、確実に軽くなっている。月曜日は抜糸ということになっている。歯医者は医学界のなかでもあまりめざましい発達はないね…なんて、歯科助手の奥さんを持つ旦那さんが言っておられたけれど、なかなか素晴らしい!
 患部を持ち、困っている者にとっては、途轍もない朗報で大いなる味方だと感じた。
 


放医研の施設一般公開

2008年04月21日 | 会報お役立ち

 稲毛区にある、立派な施設の放射線医学総合研究所の施設が一般に公開されると、浅田さんが教えてくださった。昨年は行きそびれたこともあって、今回は放医研に訪れてみることにした。
 ホームページを検索してみると下記のようなインフォメーション。
 死亡原因第1位は癌(がん)。がん治療の決め手は放射線です…の言葉が飛び込んできた。
 1998年(平成10年)に全国で、28万3,827人が亡くなられた。その30.3%ががんで、3人に1人は癌だったということになる。
 がんは働き盛りの人の命を奪うことが多いため、その社会的影響は、はかり知れないものがある。癌の撲滅は今や最大の関心事であり、その日が一日でも早く来ることは、私たちの願いでもある。

 本当に先端の医療研究で何とか癌という悪役をやっつけてもらいたい。優秀な頭脳で、技術を取り入れこの世に折角与えられた命を、なるべく傷まないで長持ちさせていきたいものである。


 この先に見える薄い茶色の建物が医療棟。手前を左に曲がると…「重粒子線棟」であった。真っ赤な石楠花が目にも鮮やかに咲いていた。

 入棟許可証を見せて建物に入ると、精密機械が多くあるので手を触れないで、順路に従って進んでくださいとあちらこちらに張り紙がある。

  
  

 重粒子治療室はなんと、20メートル地下にある。柏崎原子炉の見学時を思い出すような機器、施設が並んでいる。
 これで、患者の患部に合わせて、重粒子を通すための分厚い真鍮の塊に穴を開けたり、患部だけのがん細胞をやっつけ、破壊してはいけないほかの細胞を守るためにも大掛かりな装置。確実に闘う今の技術!
 あ~、それにしても癌には取り付かれたくはないなぁというのが(ごめんなさい)、正直な感想でした。
 
 他にⅩ線や γ 線、β 線などの違いや子供にも楽しめるようなゲーム性のあるガイガー計量器をつかって放射能を発している箇所を当てるような場所や工作室などがあったが、その辺は駆け足で廻りました。
 建物の外に出ると放医研・敷地の風景は今、八重桜が満開で優しい雰囲気を醸していたし、パンジー、ムスカリや芝桜が花盛りでその彩りが素敵な花壇もあり、ほっと安堵の息をしたのでした。


 


池田満寿夫展で

2008年04月20日 | SO-Color

 光ファイバーに切り替えて、少しトラブル…まあ、予想してはいましたが、癪に障ることです。今まで順調だったのに、全くインターネットは繋がらないし、メールは出来ないしで、私自身も切り替えてしまいました。

 編集の方に目を向けて、先日の観桜会の紙上吟行会の募集などに興味を注いでいました。 でも、やっぱりブログって楽しい! 
 …という訳でインターネットの宇宙に戻ってきました。メールなどはまだトラブル未解決状態ですが、何とか通ずるようになっています。

 5月18日まで千葉市美術館で池田満寿夫―知られざる全貌を開催中です。
満寿夫の奥様、佐藤陽子さんの「トーク&ミニコンサート」があるというので応募しました。美術館1階さや堂ホールで150名が、満寿夫とのことや絵に関すること、交友関係やその楽しさを拝聴し、彼女のバイオリン演奏に陶酔しました。勿論池田満寿夫展を見てからの、午後2時から始まりました。
     
 芸術家同志のご夫婦は、個性が強いはずですから、円満に長く続かないとか個性のぶつかり合いが激しく、傍から見ているよりは難しいのだというのが通説です。

 おそらくそんな面もあったのでしょうが、池田満寿夫との思い出は「良い事しかありません…10年経ってようやく涙無しで語れるようになりました…」と語っておられました。池田の絵を拝見しても陽子夫人をモデルにしていると思われる作品が何点かあり、充分に幸せだったろうと受け取れました。
  

 版画の分野で、リトグラフ、ドライポイント、エッチング、メゾチントなど、その技法はいまいちはっきり掴めてはいませんが、芸術も模倣から始まり自分なりの世界、誰も入り込めない「池田は池田の持ち味(個性)」に確立していくまでの過程は凄まじいものが伴うこともよく分かりました。今回の展示では、その辺が如実に現れているように感じました。

 そして後半は音楽家、佐藤陽子のミニコンサート。しばしの間うっとりと聴かせて頂き、至福のときを持てたことは私自身にとって大変豊かな満たされた気持ちで、すぐには帰りたくないと思いました。 


  コンサートも終わって、陽子さんの若い頃に演奏されているCDを求めました。CDとその解説パンフレットにサインを書いてくださっているところを、カメラで撮らせて頂きました。
 大沢さんにも会場を出て、信号待ち時にバッタリ会いました。
しばし帰りたくない……と思ったのに、終わるとすぐ現実が待ち構えていました。現実には走って帰ったのでした。
 一緒にお誘いした友達には駆け足の伴走です。折悪しく雨も降って来たので、まあ仕方なかったのですが…! ご一緒にコーヒーの清しい香りのなかでその余韻を楽しめたのに…ネ。残念……。 


佐倉で桜

2008年04月14日 | YG-World

ブログは新鮮さが命だと思っているのですが・・・
もう桜も終わってしまいました。
佐倉行きから一週間も経っているのですからね。とはいえもう少し余韻をお楽しみください。


  枝垂桜も今が盛り     でした。

                        『いいもの見っけ
                この風呂敷包みの粋なこと。
                美男・美女に美酒あり。

懐かしい獅子舞
佐倉囃子保存会とありますが、皆若い人ばかりでした。

        こちらは『ハニカミ・ピエロ』さん

昼食後ほとんどの方は『堀田邸』に向かったのですが、私はこの日は所用があり家路に向かいました。来た通り帰れば良いのですが、体育館の前に『佐倉駅→』があったので、→に従いました。
途中、素敵なお家を見つけました。

  『書店』&『黒猫堂』  アンティーク・リサイクルと書いてありsす。
  おしゃれな雰囲気で、ちょっと興味をそそられましたが急いでいましたので。

こちらは、午前中訪れた『武家屋敷』に通じる道。『ひよどり坂』と書いてありました。
竹に囲まれて、薄暗くとても一人では怖くて歩けそうもないけど。
この『ひよどり坂』を左に見て『佐倉駅』に向かいます。


のどかな田舎道ですが、人っ子一人いません。少し不安になってきました。

やっと、朝通った川に出てきました。駅前らしいビルが見えます。


散る桜 残る桜も 散る桜 良寛

2008年04月10日 | 桜花応援

 二千和会第39回の活動は、佐倉で観桜会を兼ねて文学歴史散歩。

  今日の参加者は21名でした。一眼デジカメで撮影。

               一応お寛ぎの皆さん! コンパクトデジカメで撮影。
 花もちょうど見ごろでした。人の賑わいも混みすぎず心浮き立つような雰囲気をみんなで醸すような周りの状況で大変よかったと、胸をなでおろす一日でした。
 
 3月下旬に、突然楠重夫さんがお亡くなりになってしまい、それぞれの胸に、厳かで神妙な気持ちを秘めて、静かに乾杯!
                     
 そんな気持ちを表して先輩の田中さんより、1升瓶の差し入れがありました。それは健康を守ってくれるという、金粉入りの特級酒で、門山さんのご持参品は故人がお喜びになったというにごり酒。そして浅田さんは缶チューハイを何本も。
 お花見にはお弁当と飲み物が付き物です。飲み物は皆さんに振舞われて乾杯をしました。

 そしていい気分になったところで、一句を!と所望。自宅療養加療中でお休みでした、大内さんが久しぶりに詠んでくださいました。
“花吹雪 一瞬人と融け合いて” 大内 靖夫
“空に満ち地に敷く花や美し酒” 田淵 一郎

  それから4日後の今日、雨に濡れて人っ子ひとり居ない近所の小さい公園をウォッチング…春の息吹が漲っていました。


 6日(日)以後の、春の嵐…冷たい雨と強い風、桜を振り落としてしまうような無情さで吹き荒れました。下の写真は10日の夕方、この日も雨が冷たく降りましたが、近くの桜を撮りました。                 
  新入学の児童も8日の強い風の中、お父さんお母さんに守られて小学校の門をくぐりました。そして今日10日も冷たい雨に見舞われながら、幼稚園児が元気良く入園する姿を見ました。
 若葉のような元気な可愛い姿を見るにつけ、こちらも年だとか老いだとかを言ってはいけないよ、と励まされるようでした。


  


ルーブル美術館展

2008年04月05日 | SO-Color

 会期が4月6日(日)までのルーブル美術館展に行ってきました。1月24日から開かれていましたので、この長い会期と思うとつい油断して後回し。ようやくあるきっかけが出来まして妹と出かけました。
 
 
 数々の展示品はパンフレットからです。
 直にフランスでルーブル美術館を訪れていた妹も、内部が広すぎて、建物を見ているだけでも満足できるし、さらにテーマを持たずに行くと、大まかの捉え方で受け止めてしまいがちだけれど…と、今回は「フランス宮廷の美」というテーマで美術品が展示されていましたので、テーマを絞っての展示品を喜んで観て廻りました。
 ただ東京の美術館は人が多くいるといつも感じます。私は海外では、アメリカしか美術館は訪れてはいませんが、広々とした空間で人たちも少ないし、気に入った展示の前では心ゆくまで観ていられるし、フラッシュ撮影まで許されていたのに…なんて喋りながら、見せて頂きました。
 
 美術館を出るといつも遊んでみたくなるオブジェがあります。以前、二千和会のY.K.さんともここで同じように写真を撮ったことがありましたっけ! 今それを探して並べようと思って見つけたけれど、見当たらないのです。
 写真の整理の仕方もなかなか巧く行ってないと反省しながらも前に歩くしかないのだと諦めのていでそのままでおります。(哀しい習性です、トホホ)
 ところで上野の桜です。きれいです。ソメイヨシノはもう満開を過ぎて桜吹雪の下を知らぬ方々と行進しました。 下の写真は枝垂桜。
 

 枝垂桜は風情をたたえて午後の日差しに、霞むように咲いていました。通りかかる皆さんもカメラを取り出し撮影会のようでした。

 咲くのも桜、散っても桜・・・これも日本人の血が流れているせいでしょうか? 桜が咲いている季節、桜を見ると感激してしまいます。ならんで富士山に対しても同じ心持ちで感激し、良いことがある兆し…なんて勝手に思っているのは私だけではないと確信しています。
  それで敢えて日本人の…と言ったわけですが、異邦人の方々も日本の桜を見ると同じような感激を覚えてくれるのでしょうか?
 確かに異邦人の方がカメラを携え、写していましたが、花を見て「美しい!」と思われるのは同じかもしれませんが、日本人の特有の思い、潔さとか咲いた、散ったかのそわそわ心や武士の精神にも通じるような思いはしていないのではないかしら???
 散るも桜で~す。肩に頭に降り注いでいました。
 
 


4月

2008年04月03日 | YG-World

     4月 そして 桜   草野水路沿いの桜

4月になりました.新年度のスタートです。『市政だより』を見ていたら「妊婦健診の公費負担を5回に」と言う記事が目に入りました。スリランカ人のRさんは4月21日が出産予定日です。3月までは公費負担が2回でしたので、今、母子手帳を持っている人はあと3回分を請求できます。1回の基本健診は5,000円です。これは知らせねばと思ったのです。私が代わりにやってあげてもいいかなと思ったのですが、本人か夫でなければいけないと言うので、彼女を「小中台保健センター」へ連れて行きました。

お天気が良いので、近くを歩いてみました。
右はインド人のPさん。少しホームシックになったようなメールがきたので誘ってみました。彼女二人は仲良しです。二人は共通語「タミール語」で、話せます。

「稲毛パーク・ハイツ」の前の桜並木、まさに見ごろです。
パークにお住まいのY子さんに「今、下にいるのですが、3分ほど一緒にお花見しませんか?」と電話しました。

お忙しいことと思いましたが、少しは気分転換されたでしょうか?

  私の娘たちといってもいいような彼女たちと一緒に

イスラム教は一日5回のお祈りがあります。
3時・5時・11時・3時・7時(正確ではありません。大体こんなもん)3時のお祈りの時間が迫っていたのですが、我が家でお茶をしました。彼女曰く「今日はいいです」というものですから。
二人ともとても几帳面な正確です。
部屋に入ってすぐにリビングの電話台の下に雑然と入っていた本をきれいに整え始めました。「見て!!」と言われて見ると「さすが!!」きち~~んとなっています(*^_^*)これが姑にやられたらムッと来るところですが
まだ「嫁」はいませんが、もしかしたら私、結構「いい姑」になるかも知れないと思った一瞬です

           西千葉の来迎寺
ちょっと気を良くして知る人ぞ知る桜のきれいなお寺に案内しました。

千葉大の裏門から少し入ったところにあります。お墓の中にとてもきれいな桜があります。



イスラムの世界の教えでしょうか、妊娠中はお墓に入ってはいけないそうで(見るだけはOKらしい)彼女は外から眺めていました。そう言えば、フィリピーナ達は妊娠中の写真を撮ってはいけないといっていました。
何はともあれ元気な赤ちゃんを産んでください。きっととっても可愛い男の子でしょう。(男の子で名前ももう決めているそうです)


あなたはだ~れ?

2008年04月02日 | SO-Color


 少し痩せた母…私が痩せるならいいのだけれど…。
 そこで預かってくれているリハビリ担当の女史の言われるまま、低反発のクッションを求めにホームファッションと看板のある店に行ってみた。低反発とは、体のオウトツのままにへこんだり突出したりして、成すがままになって、離すと静かにゆっくりと元の平面に戻る素材だ。健康な方でも枕やベッドなどに使われているもの。座ってみるとなかなか快適。介護用専門店で求めると3~4倍の値段になってしまうというが、ホームセンターなどに行けば、今はお手ごろで買えるし使い心地も悪くないとのこと。
 その素材の物を手に入れての帰りに、かなりマニアックな道を通って帰ってきた。その道に、簡単な屋根をつけただけの小屋で「野菜どれでも100円」などのセールが出ていたので、ほうれん草、長葱、菜の花、搗き立て餅を求めた。

 そんな道草をしてふと道端に目をやるとひっそり小さな花をつけた草たちが目立たぬように佇んでいた。
 

 “小さい花、ハコベの花、お母さんの花…”そんなフレーズで昔、一年上の学年生が学芸会の劇の挿入歌として歌っていたのを、なぜか不思議にその部分だけ、メロディーも口ずさめるくらい残っている、あのハコベの花だ。何故強烈に残っているんだろう? ハコベってどんな花と疑問を持ったことは確かだ。そしてそのテーマがきっと気にいったのだろう…と思われる。
 

  名前もしらなかった草たち。このヒメオドリコソウや八重葎、オオイヌノフグリなどは、これも何となく覚えてしまっていた草の名前ではある。
 ヒメオドリコソウは笠を着けた乙女の姿になぞらえたようですね。
 昭和天皇が雑草と片付けてしまっては草たちに失礼だ、みんなそれぞれ名前があるのだから…と言われたそうであるが、その頃反省もあって頭に入れなければと思えたのであったのか?

 これはナズナ。春の七草にあるから知っていますよね。……あれ!?ナズナは別名ペンペングサ。特徴のあるハート型の種をつけて、少しずつ下へ引いて長くした茎枝を回すと可愛い音を出すあのナズナでしょうか? まだ種をつけてないので、自信がなくなりました。どなたか教えてください。

 ヤエムグラ…これは間違いない。

 オオイヌノフグリ。空色の可愛い花が一斉に太陽の明るい方に顔を向けているところがまた可愛い。それにつけても何も大犬だなんて…! 可愛いフグリではありませんか!?

 蒲公英の周りは明るい…。ほっとするね。写真にしてみたら花びらの高さよりも高く、おしべが曲線を描いて蝶々を待ち受けている姿をしていたんですね。感激です。