NHK・TVを何気なく付けていると、ふと耳に飛び込んでくる言葉が、気になってきた。
番組表で確かめてみると「夢を追いかけたあの頃」とあった。そしてテーマの副題は「昭和親子ものがたり」。
奈良岡朋子のお父さんは、画家。朋子も画家になりたいと考え美大に就学のため上京して、勉強の傍ら舞台の裏方のアルバイトをしていた。そのうち舞台芸術に興味が沸いてきてあるきっかけで俳優になった。父親は、そんなことでは画家にはなれぬと厳しく叱り、援助も断ち切ってしまわれた。その厳しさがバネになって今となっていると思うと、既にもうこの世にはいない父を思い起こすにつけ、当時はわからなかった父親の心を受け取れたと感じさせるように、しみじみ語った。
他に記憶に残っている方の話にはあき竹城という俳優の話。東北弁がどうしても直らなくて苦労していたが、開き直って東北弁を使って舞台で演じたら、それが思いがけずその女優の特徴と面白さとして人気が出たという。彼女の母親が癌で亡くなる前に「強く生きるんだよ」と言ったという。不遇に見舞われてくじけそうになると、その言葉が自分を励まし頑張って来れた…という。ふるさとの住宅跡に立って、当時を思い出すと涙が自然に浮かんできてしまうと目を押さえていた。
また「きもの作家」という職業の男性。名前が思い出せないが、子供の頃おとなしくて女性的だったそうだ。少年期になったある日、自分の女っぽいところが親として恥ずかしいとは思わないか?と母親に思い切って尋ねたら、その少年の心に勇気付けられ支えとなった言葉が返ってきたそうである。それは「ちっとも!全然気にはならないよ。むしろそれは、個性となって輝くだろうよ」と。誰しも基本的欲求に、「承認の欲求」があるのだが、まさしく親には認められているという安心感、心の安定がその人の人生の成功に導いた言葉であろう。
そして男性のダンカンというタケシ軍団の中の人。父親がとても冷たく厳しく自分をないがしろにしていたので、早く父親から独立したい、「おやじをいつかはやりこめてやるんだ」と心に誓っていたという。ところが不治の病に倒れた父親は、凄く優しい今まで会った事の無い、お父さんになっていた。今までの対抗する気持ちがすーっと無くなってしまった。ふるさと産の「ゆず」の匂いをいとおしむかのように両手で宝物のように包み持って嗅いでいると、その匂いは悲しい気持ちを呼び起こしてしまうという。そしてだんだん温かい心に変わってきて和んでくるのだという。聞いている私は彼の気持ちがわかったような、涙を誘うような喉の奥がグッと熱くなってくるのを感じた。
思い出に繋がるそれぞれの両親への深い思い…ほろ苦いけれど、優しい感情がこみ上げ温かいものに通じてくるような切なさ…どこにも同じものはない親子のふれあい。けれどなぜか判るような共通な想い。
『世界一短い手紙』という小さな本にあった言葉が思い出される。
“遠くで思うと涙が出る。近くで見ていると腹が立つ。お母さん、大好きだよ!”