子供づれの親子が今日は目立ちました。絵本の中の新幹線と実際の新幹線を見せてあげようと若いお母さんと2,3歳の子供がホームを歩きまわっています。駅のアナウンスはお子様の手をつないで見守ってください。危険です…と、何回も放送しているのが聞こえています。
私がバッグからカメラを取り出す頃には、近くでふらふら、ちょこちょこしていた何組かの親子連れはもう帰ってしまいましたが、若者が3人列車を熱心に観ている姿が写っていました。
これはのぞみ号700形。
のぞみ号とひかり号が並びました。
最後尾の乗務員が見えます。止まる位置や時計を見たり、チェックには指さしをして確認していました。もう帰ってしっまったけれど、小さい男の子は憧れの目で見つめて、さらに乗務員の行動が非日常の「指さし」を恰好よく見えたのでしょう。指を立てて真似をしていました。
息子が小さかった頃に、走って来たパトカーを、高い位置で見せてあげたくて思わず抱っこしました。
たまたまパトカーは緊急な用事ではなくパトロールしていたのか、ちょうど赤信号で止まった時だったか? ちょっと小さくサイレンを鳴らしてくれました。
「サイレンは子供へのサービスで鳴らしたんだよ」とサインするかのように、乗務する警察官がにこやかな顔を、子供へ投げかけて行き過ぎました。私たち親子は何だかホットな心になりました。
そんな思い出がよみがえりましたけれど、新幹線の乗務員は小さい子供には目もくれず、ただ安全第一に真剣に確認を繰り返していました。
世の中はずいぶん変わったことを感じました。
ちょうどこの辺は富士山が見える辺りですが、残念ながら梅雨空のどんよりと重い雲に覆われていました。
新幹線自由席、1号車。私が乗る頃の列車はいつも適当に座席も選べるくらいに空いています。
だんだん東京に近づいています。辺りの風景が違って見えます。
ゴーギャンの絵ではないけれど、“我々はどこから来てどこへ行って、そして行きつくところはどこなのだろうか?”
ここまで移動してきた私が、生きているってことは…? こんな日常を繰り返していることであり、喜ぶべきことなのだと思います。
昔、父か母かが切り抜いた新聞記事が時々記憶に鮮やかによぎっていくことがあります。
記事には、そのころ100歳か100歳を少し超えていた頃だったかの、清水寺のお住職、大西良慶(1875-1983)さんの言葉が記されていました。多分お経の解説をしていたような言葉だったかも知れません。
「人間が生きて行くこと、それは川の流れの水のごとく(歌詩は、ことによると、これからヒントを得て作詞されたのかも?)、一時も同じ所には留まっていない。大きな道を歩く人の流れと水の流れは同じように見えると思います。
生きているこの一瞬一瞬が流れているのです。今の今は今しかない。全て過去へと流されているのです。永遠は“無(む)”なのです。無いのが永遠で今有る“これ”は奇跡と思えば、間違いないでしょう。」
多分こんな内容だったので、般若心経を説いていたのですね。こんなことを言われるお釈迦様はやっぱりただ者では無い、偉人なんだ(当然過ぎて今さら言うのも変かと思いますが。)と、感じます。
仏教を、特に深く学んでも居ないので、間違っているかもしれませんが…?
上記のようなことをいつも思いだしては気をつけたいと思うばかりで……。
“明日があるさ!”と後へ後へと延ばしているだけの“反省”を繰り返しています。
「温泉とは言うけれど、普通のお風呂につかる場合とあまり変わらないわ。私濡れるのは好きじゃないし、寝ていたいから皆さんお風呂に行って来てください。」
私は翌日の早朝、眠っている方が好きだからと、布団にもぐっていた。でも、一緒に行こうとのお誘いに渋々布団から出てバスタオル、フェイスタオルを持って6階のロイヤルルームから2階のバスルームに降りた。
朝風呂…面倒がりやの性質からだけでやっぱり入れば気持ちがいい。眠たいと言っていたのに、温泉つかったお陰ですっきりと目が覚めた。良かった!
檜風呂、ジャグジーのお風呂、外気が爽やかな打たせ湯と鉱泉…全てちょっとずつ入っては出てお風呂巡りを一通りしたが、朝食には30分も間があった。1階ロビーに移り、鯉に餌をやって競って食べるところを観たり、ロビーのソファーでの小さい声でのおしゃべり…そしてやっと朝食。早起きは午前中が長い。これも日常とは違う良さ!!
ソファに座って、裏山を望む。
昨日の午後はこの中庭の崖から滝のように水が流れ落ちていた。
その下の池には大きい鯉が悠々と泳いでいた。
夜から朝の時間は滝は落とさずに鯉だけが彩りを添えるのみ。
~~静か~~。私たちの声をひそめたおしゃべりだけ。
お風呂にも入ったし、和食の凝った朝ご飯は食べたし…。
バスの発車時間までしばし部屋でくつろいだ。
顔ぶれ?モザイクをかけようとも思ったが…モザイクは何だか感じ悪いとか言われ、
でもインターネットは不測の事態があるかも知れず…
なんて初めは恐かったが、限定した方にしかこのブログは見せてはいないし…??
でも、何らかの方法で検索された場合は見知らぬ方にも見られている…場合だってあるが、
悪いことはしていないし姿を消さねばならぬ人もいないし…。
帰りの車窓の景色。飛騨川の水の色が翡翠色で、何とも言えない深い色。
私は頑張って参加したが、これも良い思い出。なかには、逢った途端に来年もみんなで行こうね…と、言ってくれる人も居られる。
本当に来年も行こうと、誓いあう。来年は長野とか、マロニエのホテルを巡るので、今度は内海で逢おうよ…とか。
名古屋で遅お昼を食べて解散。
それから、Taekoさんから戴いた切符で、名古屋ボストン美術館(金山)に立ち寄った。大勢の方が会場に集まり入場制限のなか、静岡に帰られるMisakoさんと、「ゴーギャン展」を駆け足で観賞した。
そして私は名古屋の自宅へ、彼女は東海道線で揺られてご自宅へと向かう。Taekoさんありがとう…と言いながら二人は金山駅でお別れした。
「ほんとうに来年も逢おうね…」と。
名古屋ボストン美術館 「ゴーギャン展―我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか―」
天下の名湯、下呂温泉を一望できるホテルの6階からの眺め。私とMisakoさんは遠いので、このホテルに初めて泊まったが、他の仲間はもう2~3度目という。ちょうど私が母の許に行った頃にいらっしているようだ。Misakoさんもまた、郷里の静岡に居を構え落ち着かれた頃だったのか?
子供たちがまだ幼稚園の頃から、同じ公務員合同宿舎に住んだこともあって、だんだんお付き合いが濃くなっていった仲間なのだ。夏には子供11~14人、親たち6~10人程度の団体ができた。みんなで根の上キャンプ場や、川遊びに野外バーベキュー、浜名湖で海水浴を楽しんだり、船で篠島や日間賀島などに渡ったり下呂など観光地を巡り、夏休みの絵日記の上でも多彩な盛り上がりがあった。
御近所で団体を組んで、別に“○○会”という後ろ盾があるわけではなく、父親抜きでの行動であったが、よく纏まって行動したものだ。この子供たちのひとつの共通点は“小さい公園”でよく遊んだ仲間ということもあった。
その昔、この下呂温泉のKKRにも泊まった。屋上の露天風呂が気に入ってその後も家族で来てみたりしたことがあった懐かしい土地。
何年続いたのだろう。徐々に子供たちも大きくなって親たちだけの仲良し会となった。名前はこんなに長く続いているのに、まだ無い。私だけで名付けるなら「マロニエの会」とでもしておこう。
名古屋駅からトイレストップがあるだけで、殆どノンストップの飛騨の観光バスが下呂の特定ホテルの泊まり客を運んでくれる。
片道3時間の道のりで往復2500円。格安な交通手段で利用しやすい。最近の私たちは、メンバーになっておられる方のお陰で、いつも“オテル ド マロニエ”のチェーンホテルを利用している。湯の山、内海、下呂が楽しみの場所となる。
全くの昔は、それぞれの家がお宿になって、気分よくおしゃべり会をして暗くなるまで延々と続けたものだった。これは女性の特徴なのか?おしゃべりだけで満足して帰ったものだった。だから今も観光地までの道のりを楽しみ空気を楽しんで、あとはお風呂と眠くなるまでの間の“おしゃべり会”となっている。
ホテルの玄関ロビー。
今回のメインディッシュな話題は、Misakoさんの旦那さまの叙勲に伴うお話だ。皇居の「春秋の間」にて、天皇陛下のお目通りがあったとのこと。これは国事なので、美智子皇后さまはお出でになられなかったことや、消防関係者がたくさん叙勲の対象になっていたこと。彼女の素敵な着物姿や皇居での記念写真、スナップ写真を御披露戴いた。
旦那さまMiyosiさんは、写真を持って行って見せたりは止せとかおっしゃったそうだが、なんの、なんの。私たちの仲間は男性同士の仲間とはちょっと違うのじゃないかな?その話で盛り上がった。
「美しいね。」「うん。綺麗でしょ?!」「Misakoさんの夫唱婦随がいいのね。」「そうでもないけど、お互いに健康に気遣うと思うよ。毎日一万歩をを実行してるし…。」「素敵なご夫婦よね。」「でも御主人は初めてまじまじと拝見できたわ。」「こんなお顔していた?」「ちょっと違う印象なんだけれど…。」「年月が経ってしまっているからね。」「それにつけてもMisakoさんはお変りにならないわね。」
写真を肴にどこまでもお話は続く。
「そうね、ここは温泉なんだから、お風呂に入ってきましょう。」「温泉に来たのなら少なくても三度は入らなくっちゃ!」・・・・・。
あ~、有難いこと。でも今回は帰るまでに二度入って満足、というところに納まったのだったが。
17日は大変忙しく動き回った。私の年齢で以下のように予定のことを時間を区切って出来たことは、少々自信が出たというか、やれば出来るんだね…と自分を褒めてあげたくなっている。
実は、大阪に住む叔母(70歳)が癌を患っているのだ。7度の入退院を繰り返し、3度の手術をしながら病気と闘っているが、つい最近退院して今は小康状態にあると言う。医者からは余命○カ月などと区切りを告げられている。息子Hirokazuクンから、母親の状況に一喜一憂しながらの報告メールがこちらにも送られている最近の状況下で…突然のニュース。
それは、ビックリ仰天! 突然二人がこちらに来るという知らせであった。
16日昼過ぎに、大阪を出発。はるばる千葉まで長男(49歳)の運転で東名高速を走って来ると言う。耳を疑った。
大阪から約12時間かけて千葉県北部に当たる叔父(叔母にとっては義兄)のところまでたどり着けたわけである。患者の叔母は「大変なのはHirokazuで、私は座っているだけですもの…」なんて言ってのける。信じられない意志の強さだ。
関西育ちの美しく優しさが魅力の叔母は、痩せて一気に歳を取ってしまったが、このことは写メールで時々送ってくれていたので、逢った時は写真よりも動いているだけお元気にも見えたし、そんなには驚かなかった。
何を言って笑わせたのか、私が撮った写真だ。みんな朗らかに明るい表情で、大阪からの旅路を癒されることを願い、励ましの心で近くに住む親類が集まってきた。
私の前からの計画は、35年来の遠く移り住んでしまった昔の友達5人が集合するというものだ。5人が互いに調整し合って1年ぶりの1泊の旅が目前に待っていた。18,19日の下呂温泉行きがあったのだ。
しかし、これは何を置いても、大阪の叔母に歓迎の気持ちを表さねば私の気持ちがおさまらない。片道22キロくらいの道のりはものともせずに会いに行かなくてはなるまい。
手順よくしないと、私の前からの下呂行きが狂ってしまうのである。友達にも迷惑な話だし、そうなってはまずい。旅の準備として、まず、ジパング倶楽部に入会しているので駅の「みどりの窓口」へ出向く。
この窓口は5時までしか営業していないのである。次に叔母、叔父への手土産を求めて駅付近の名店ショッピング街にて買い物。
そして真っ直ぐに老健施設に居る母のもとへ。母のお昼の食事介護をしてから後に、小一時間マイカーを飛ばして叔父の家まで駈けつけ、しばし歓談する。そして5時半にはおいとまして、小一時間の運転後、母の家まで戻り、バスで駅へ、また行くという強行軍。
今日はどうしても大阪の叔母Chikakoさんと逢って、そして予定通りに、私は名古屋まで行きたいのである。(欲張りの実行? 叔父も無理は禁物だよ…とは言ってくれたのだが…。)
無理をして駈けつけて逢うことが叶ってよかった!
思ったよりきちんとされて、そして今も昔の美しさがにじむ叔母Chikakoさんとお話出来てよかった!
あ~、ライセンスを持った有難みがこんな時に実感する……車に乗れてよかったぁ!
マイカーのおかげで時間の短縮が出来、予定のことが全て完璧に為し得た。 21時21分名古屋着の新幹線を使い、あとは地下鉄で自宅まで20分かかるので、乗り継ぎ時間を入れて22時頃には自宅に到着した。二日分も三日分も動いた充実感を味わえた。
友人から『デジカメ写真展』の案内をもらいました。
『千葉市民ギャラリーいなげ』に向かいました。
いつもきれいに手入れをされているお庭です。
さあ、中に入ってみましょう。
これもメンバーの一人の作品とか(気が遠くなりそうな精密さ)
友人の作品 こちらは女性
こっちは男性の作品
これは下の写真を画像処理したもの(レタッチ)
デジカメならではの楽しさかも
市民ギャラリーの隣りは浅間神社
車が走っている国道16号線は昔は海でした。
何故か阪神ファンの息子がいます。
離れて暮らしているのですが、セ・パ交流戦で土日のロッテ・阪神戦があれば必ず帰ってきます。
今年も然り。シーズンが始まると同時にチケットを取っておいてくれと連絡がありました。
今年は6月13日・14日です。
梅雨時でお天気が心配でしたが何の・何の絶好の野球日和でした。
『千葉には最高の選手達がいる』
相変わらず『マリンズ』の外野は絵になります。
こちらは3塁側からレフト外野スタンド
黄色い軍団で埋まっています。
ちょっと恐ろしい阪神ファンの皆様方
こちらはマリンズファン
男3人肩組み合って幸せな時を共有しています。
マリンズ『クールくん』 阪神 『トラッキー」
二人とも抜群の運動神経の持ち主
テレビで見るのも良しですが、球場に足を運べば更に良し。
平和な日本です。
私は不用意に、ある人を「可哀想だ」と思ってしまった。
やたらに可哀想なんて、自分以外の境遇を上からの目線で判断して、見ているような態度はある種の罪ではないかと、日頃思って自分をいさめているのに…。
ニワナナカマド
他の人の目から写っただけの判断は、やっぱりどんなことでも、良い悪い、幸せ不幸せ、などと目に見えない物差しでの評価は好ましくないと思っているのに。
花は美しい。
小さな野の草花は無心に、ただ自分が咲きたいから咲いて任務?を遂行しているだけだ。
それを見て単純に美しいと見ればよいのに。素敵な花だと愛でればいいのに。
花を見て静かな心に戻る。
不平不満ばかり言う人に出会った。
口を開けば不平・・・声が出ているときは不満・・・御馳走をみるとここに無い物をねだる・・・。
出る言葉は全部が愚痴っぽく全部が恨みっぽく…聞こえる。
こんな方が世の中には居るんだ。
今まで出会ったことのない人種のような気がして、ふと可哀想な方だと思ってしまった。
ザクロの花 ペチュニア
なぜ、こんなに文句を並べるのだろう。
そう思いながら、その方を見ているとそう言って、これまでの人生をそう思って生きてきた方なのかも知れないと、こちらも余裕が出てきた。
可哀想な生き方…かも知れぬ。
でもそれはその方にとっては、生きている証のようなものかも知れないとも思った。
言いたいならどんどん言うのがその方の生きざま。そう言って暮らすのが一番良いのかもしれない。
聞きたくなかったらその方の周りにいなければ良いんだもの!!!
夕方6時過ぎの国道16号線に入ろうとしている我が車。混みあって渋滞気味なので、みんな心が急いている。
順次その列に入らせてもらいたいのだが、他の車の心が通じない。
果たして入れてもらえるのか、または先を急いでいるから我が車は無視されるのか? …よく掴めなかったひと昔。
だから、モタモタしている運転だと多分他の車に思われていたと思う。今だってその傾向なのだけれど…。
強引に入ってくる車は断然男の方に多い。
よく私が助手席で、夫が運転の場合、「どうも前の車は変な感じだな。きっと女性ドライバーだね」…なんて、呟きながら走っていた。女性ドライバーだと呟かれた車は、10中8,9はあたっていたと見ている。
危ないことをしないように心がけているのは女性が多いのではないかと思う。だから強引と言うか思い切って前進するような運転はしていない。慎重に、慎重に。
でも、流れに乗らないと、怖いことになるから周りを良く見て上手に乗って行くことを心がけている。
また、地域的な運転の癖があるようだ。
愛知県がワースト2だった頃、北海道が1位、千葉県が3位という汚名を着せられていた。その交通事故が多いワースト地域を、運転免許取り立てから乗っている。
特に愛知県から千葉県に運転地域を移した時、他の車のドライバーの気持ちが分からなくて、止まっていた方がよいか発車した方が良いかが掴みにくかった。ゆえに我ながらモタモタした恰好が悪い運転をしていたと反省する。
でも、事故を起こさないためにはそうした方が良いのだろうと頑なに思っている。そうしてず~っと、車を傷めずに16年間きてしまったが、今年に入ってちょっとしたことが次々に起こった。
慣れからくる失敗と評価しているのだが、いつも駐車している狭い玄関前の出入りで、細かい傷を2,3か所つけてしまった。
1度付けると、注意力が落ちる。傷ついた車だからどうあっても、怖くないなんて潜在的に持ってしまうのか?
思い切って高い修理代を出して直した。
もう細かい、不注意な傷は付けないぞ!と、自分に誓った。
そんな運転を通しても、人生の後半にいる自分を悟っている。これまで、ひたすらに駈けてきたこの道を、整理して片づけていかなければならないと、この頃思うのである。
いまごろ?…同い年の方たちはそんな私をもう既に準備する段階なのに遅いよ…と思われているのだろう。
でもね…。
創作活動のグループの指導者は、「過去を振り返っているのは老いた証拠、どんな時でも前向きに、未来を見据えて先を、先を考えながら思いを広げていく姿勢は肝心だね、それが若さと言えるのだね。」と言われたのを思い出す。
前を見れば、やはり整理する段階だと言えるのか!?
これは少し寂しいことになってきているようだ。踏ん張らなくっちゃ!!
すっかり定額給付金の話題はなくなってしまいました。
支給前は、おいしいもの食べにいこう!とか小旅行できるね!とか話していたのですが、我が家では結局、超現実的な毎日のご飯に化けました。
古いガス炊飯器 充分働いてくれました。
こちらが新しいガス炊飯器 3人分の定額給付金で買いました。
容量は同じ5合炊きですが、コンパクトになっています。
その名も『こがまるくん』
ここに住み始めて21年目。3代目の炊飯器です。
初代は1升炊き、毎週5キロずつお米を買っていました。
2代目から5合炊きに、今は一日2合or3合しか炊きません。
家族の歴史を語っています。
ガスの方が電気釜よりおいしいと言うのでこの家を建てたときから、炊飯器用にガス栓も場所も取ってあります。
が・・・しかし・・・電気釜のように比較検討ができません。
ほとんど「東京ガス」の独占状態。ちょっと不満
ご飯つながりでこちら
昨年、福島に行ったとき 会津塗りの工房で、自分用の箸を買いました。
それを期に、着物の端布を使って、端袋を作ってみました。
リバーシブルです。
その日の気分でどちらか好きな方を表にします。といっても、ほとんどこんな状態で使っています。
箸を入れてくるくると巻いて
ついでにもう一枚、作りました。
両方とも見て分かるとおり、正三角形になっていません。
ミシン掛けの腕前が分かるというものです。
北九州は小倉から4度の引越しを経て今の家にやってきた30数年前のミシン。
子供が小さい頃は少し使っていたのですが、最近は全く使うことなく捨ててしまおうかと悩みつつ、 家の中で埃を被っているミシンを引っ張り出してきました。
今は、Rちゃんの家に貰われて、ピッカピカに磨かれ第二の人生を歩んでいます。
私が所属するグループのネーミングは、誰が付けるともなくいつの間にかセンセーショナルな、言うも恥ずかしくなるような会の名前となっている場合がある。
たとえば、セレブの会(これとは別の会ですが) (セレブとは、名士。有名人。女性誌などでは、美しく優雅で知的な女性を意味することが多い。セレブの語源はcelebrity(セレブリティ)の略。)とか……、自らは言うも恥ずかしいのだが。
(メンバーの皆さんへ…ごめん!これを採用するとは夢にも思わなかったのよ~。会のお開きの時にいつものように気取って(…かな?)お澄ましして撮影したかったのに…ネ。 「いいよ、この写真で…」、なんて言ってくれたのはだ~れ?
すみません。「写すよ」と断りを入れないもので間に合わせることになってしまって…。 皆さんはちゃんと写せばそれなりに“首脳”の顔をしているんですよ。 これを御覧の皆さんはそのおつもりで見てくださいね。)
このたびのNakayama-Summit (サミットとは主要先進国首脳会議。団体、組織などの最高責任者同志による会談。サミットの語源は「頂上」を意味する英語。)などと、名付けてしまった会。おこがましさも伴うのだが、この場合は、通称・サミットと呼んでいるのだ。
ちょっとね!?…と思いながらも、とても言いやすいしそれぞれのご主人方が「明日はサミットか?」なんて言うくらいに、仲間の中では浸透している。(何気なくそれを言うのも恥ずかしく…それでも、ここにアップロードしてしまう私の図々しさも…あぁ~どうしようもない??)。
それだけの誇りを持っているのか?…なんて聞かれたら、どうしましょう…(ショボン)!
いえいえ、そんな弱気な方は、この会には入れませんよ!と言われてしまうかな?
それとも、そのくらいでちょうど良いのよ…と言われるか?
この夏に息子さんのご招待で、ニューヨークにビジネスクラスで旅する人だけは、サミットと言って許されるよ!? そんな風にいうと叱られる~ぅ。(ごめん!)
この時すでに初物のトウモロコシを丸かじりした後の食卓の上です。柔らかくて甘くて…初物ですよ!!
これから持ちよりの副食でお昼ご飯を、そしてその後はお茶、ケーキ、お茶菓子など夕方まで戴き、おしゃべりが延々と続きます。口の運動を兼ねて頭の運動も、です。
インゲン豆のような、エンドウ豆のような…新しい種を求めたものだそうです。塩茹でしただけでもニンニク醤油とか、生姜醤油、そのままでとか口当たりがとてもよく、美味しい。また、この蕨は畑にわらびの苗を植えて収穫したものという。色よく味良く、香り良くの逸品揃い。
里芋の柄を乾燥させて油揚げと煮たもの。砂糖、醤油、みりん、酒、出し汁の味付けが良くておいしかった~! それとぬか漬けのキュウリ。みんな新鮮で、また市場に出回ってない新種のものもある。その辺りが明るくないので、間違って記事にしているかもしれない。(この度のお仲間へ…もし間違ってアップしているなら、遠慮なくコメントに入れて訂正してください。)
そして房州のひじき。米ひじきではなくて長めだが、柔らかくて味の浸み込みも良く、美味しいもの。有り合わせの人参と油揚げで出がけに思いついて煮てきたが、皆さんにはちょっと薄味かと、髭生姜をトッピングしてみた。どれもヘルシーだから、少しぐらい余分に口に運んでもよいかと、気を許してしまうけれど…? 駄目だよね、食べ過ぎに注意しよう。(なんて無理、無理。美味しすぎだから。)
そしてデザートには、これも新種なのか? 判らないが、シラカバというメロン。甘くてちょうど食べごろであった。そして手作りのケーキ。中には干し葡萄と干しトマト(赤い色が見えていますね。)、ちょっと酸っぱく感じるそのトマトが味も彩りも良いアクセントになっている。
その他にも食べるもの、いろいろ。
サミットの話題は、今思い出せるものは「企業年金」。 え~、そんな年金があること知らなかったよ。優力企業では、かなり良い年金がでるのだとか。ただし、もらっていた御主人が亡くなると遺族年金というのは無くて、残念ながらそこでストップだとか。それは大分痛いですね。
また、次の話題は全国の知事の評価。森田健作は何をしてくれるのか?ここのメンバーはどうも期待してはいないようだ。
橋下大阪知事は、弁護士で我々の及ばない点を国に指摘・是正を申し込むし、宮崎の東国原知事は政治家としての勉強もしたようだし、なかなかやるよね…など。
なかなかの話題。思い出せる範囲でしかアップしないのは宝の持ち腐れとなってしまうが。
他にも種々の話題を、6人の首脳がそれぞれお固いのも、身近なことも、生活の知恵に匹敵することも、いろいろ……、出されたが今日はこの辺で。
「わらびの苗を少しください」という仲間のために、近くにあるという畑まで案内されたお宿のTakahashiさん。私たち二人の南下組はここでさよならして、そのまま一直線…帰路に着いた。楽しかったねぇと、お腹も心も満タンにして…。