いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

明洞へ

2009年03月31日 | YG-World

地下鉄で明洞へ向かいます。
 ツアーに入ると効率良く回ることが出来ます。
でも、知らない街を地図を片手に歩き回るのもなかなか楽しいものです。

 
900ウォンで切符を買って、降りる時に窓口で清算すれば良いと言われたのですが着いたばかりなので、紙幣しか持っていません。
ところが、券売機には紙幣を入れるところが無い(-_-;)
窓口へ行って地図を指さし『ここまで』と言って買い求めました。
ちょうど1000ウォン(約80円)
さあ、そこからが大変。韓国語が全く読めません。
『ここへ行きたい』と地図を片手に行ったり来たり・・・
やっとたどり着いたホームで写真を撮っていたらそばにいた男性が日本語で話しかけてきました。
その人は途中で降りるので、その2つ後で降りればいいということ。しばらく日本で仕事をしていて、今も何回も日本へ行っているそうです。
  
   少し早いのですがまずは腹ごしらえ  
 おこげのご飯             春雨の上に鶏肉と野菜
     これで2人前。 充分食べ応えあります。15.000ウォン
 
 とっても、から~~いキムチと大根   お馴染みの韓国箸と何故か大きなはさみ
長い春雨はスパゲティのように箸に巻きつけるのかしら?とも思いましたが、このはさみで切って食べました。
      
    お店の前に出ていたメニュー、読めません(-_-;) これ食べました。

 『明洞』 街歩き。 日本で言ったら『原宿』のような所。
 若い人が多い。日本語が行き交っています。
  懐かしい『カルメ焼き』をプレスしてせんべい状にしたもの。
  歩行者天国ではありませんが、屋台がたくさん並んでいて見るだけで楽しい。
『これは本物ではありません』と堂々と日本語で書かれたブランドのバックがあります。
あまりにも安いので3000ウォンのピアスを2つ買いました。

  Nソウルタワー       明洞のど真ん中から見ることができます。
 仁川空港でロスタイムがなかったら行くことが出来たかも??
 だいぶ日も暮れてきました。 

           
    『世宗ホテル』 明洞の中心に立つ歴史あるホテル。
    ここに汗蒸幕のお店の方が迎えに来ることになっています。
  韓国のコンビニ 確か近くに『ファミリー・マート』があったと思ったのですが
  見当たらないので、一番近いこのコンビニに寄りました。
  次の日は早出なので、飲み物と朝食用のおむすびを買いました。
  字が読めないのでおむすびの中身がわかりません。
  明日朝のお楽しみ(^_-)-☆
   
   ホテルに戻ろうとしたらすぐ向かいにこんな屋台がありました。
  
  食パン2枚を鉄板で焼いて、お好み焼きのようなものをサンドします。
さあ、これがいくらか???
さっぱり話が通じず、結局そばで食べていた若いカップルに、書いてもらいました。
1500ウォンでした。
何も言わないのに、このおばさまはちゃんとお持ち帰り用に包んでくれました。
   『世宗ホテル』とは大違いの大衆ホテル・まさに素泊まり。
   お好み焼きサンドを食べてみました。 少し甘めですが、まあまあのお味。
日本とソウルは時差がありません。この日の朝は日本だったんだわ!!
何と、忙しい1日だったんでしょう。
翌朝は7時20分にお迎えが来ます。おやすみなさいです


成田→仁川空港へ

2009年03月29日 | YG-World

始まりは『 WBC 』
3月23日、『WBC』 対アメリカ戦が行われました。
侍ジャパンが勝利し明日は因縁の対韓国。
「やったね!!ジャパン!!」夫・息子と食事の後、乾杯してしまいました。
この日は朝から千葉県地方は強風に見舞われました。
成田では貨物機が着陸失敗で火災事故になり、航空ダイヤは大乱れ。
明日乗る予定の大韓航空はこの日は欠航。
「もし、この日に行く予定だったらキャンセルで今頃ここにいるね(-_-;)」
なぁんて話しながら、明日は早いからと4時50分に携帯アラームをセットしたつもり・・・ 
5時38分「成田空港行き」に乗らなければなりません。
熟睡しました。外が明るくなって目が覚めて携帯を見たら「5時38分」
セットしたはずのアラームが登録されてなかったのです
一瞬目を疑いました。私の携帯は9分進んでいます。
それにしても、・・・心臓が止まりそう・・・
とりあえず、パスボートと財布があれば何とかなります。
それだけ確認して、枕もとにある服を着て自転車に飛び乗り、急ぐ・急ぐ・急ぐ
 
以下省略~~~~    成田空港     やっと動悸が収まりました。
                        空港トイレで顔を洗い、見繕いしました。                          
今回のソウル行きは「一泊二日」
航空券とホテル・そして空港からホテルまでの送迎だけ付いているものです。
ほとんどを自分たちでやらねばなりません。
稲毛駅の階段を駆け上ると、不安そうな顔をした友人が立っていました。
彼女はいつも添乗員さん付きの高いツアーに参加しているので、「私が頼り?」みたいなところがあるのでね(^_-)-☆
 
     無事、仁川国際空港に到着
何処へ行っても日本語が通じるから心配ないと言う事です。
確かにそうです。でも、韓国語が読めないということを痛感しました。
         
   この後ろに大型テレビがあり、たくさんの人が『WBC・日韓戦』見ています。
    チラッと見に行ったら「3対1」でした。
    でも、韓国語なのでこの「3」が日本が韓国かわからない(-_-;)。
    時折、歓声が上がりますが、日本人か韓国人かわからないし・・・

『HIS』の人が迎えに来ているのですが一組まだ来ないというので1時間ぐらい空港で足止め。
その間、テレビカメラが来て、何やら人だかり.
『KBS』の取材が始まりました。
誰だかわかりませんが、野次馬根性で接近しました。
ガイドさんに聞いたら、韓国の有名なサッカー選手だそうです。
韓国サッカーに詳しい方がいたら教えてください。
結局待ち人が来ないので、出発しました。
1泊2日なので時間が非常にもったいないです。
ホテルまでガイドさんのお話。
車の中で『汗蒸幕』も予約してもらいました。
街中にこのような韓国旗が数メートルおきに掲げてあります。
日本では考えられない異様とも感じられる風景なので『何かあるんですか?』と聞くと
3月1日の独立運動の記念日からずっとそのままになっているだけということ。
『愛国心が強いんですね』『いえ、そんな事無いですよ』簡単に言われました。  


ソウルのお宿  JEONPOONG HOTEL
絶対に読めません!!そして本当に安宿です。
ロビーは5階ですが、入り口前の道路にはこんなお店が出ていました。
電話のかけ方と、地下鉄の乗り方をガイドさんに教えてもらってからチェックイン。
日本で申し込んでおいた明日のツアーに確認の電話。
何処へ行くかって? それは内緒です。
地下鉄で『明洞』へ向かいます。では又 


ソウルにて『汗蒸幕』

2009年03月27日 | YG-World

いきなりですが、大統領官邸「青瓦台」をバックに『チマ・チョゴリ』で記念撮影
ソウルにやって来ました。
ここはガイドさんお薦めの『女性専用漢方サウナ紫霞(ジャハ)』
  
基本コースで充分と思っていたのですが、お店の人の強引な勧誘と同行の友人が『経絡マッサージ』を受けたいというので、まあいいかと『基本コース』+『美人コース』を受けることにしました。
カメラを持ってこちらへというので、ついて行ったら、「チマ・チョゴリ」を着せてくれました。
  
 黄土漢方スチームサウナ         青水晶低温サウナ
このような、丈の短い薄手のバスローブを着ます。勿論中は何もつけていません。
ここからはカメラを持ち込めないのでネットから取りました。
 座る部分椅子に穴が開いています。
    ヨモギ蒸し
漢方薬とよもぎを土瓶で蒸して、蒸気を子宮から体内に送りこみ下半身を温めます。
美容院のケープの大きいものをすっぽり被り、蒸されること20分。
 
  これが『汗蒸幕』
松の木の薪を燃やし、ドーム型の室内(これを幕というらしい)全体を高温に温めます。私たち2人・若い子が2人・そして福岡から来た親子と思しき3人でいっぱいになるくらいの広さです。
 
シャワーで汗を流し、お風呂に入ったら「アカスリ・タイム」
診察台のようなベッドが並んでいます。
仕切りもカーテンもありません。
これが韓国流だそうです。ちょっと?かなり恥ずかしい(-_-;)。
写真ではTシャツの女性がアカスリをしていますが、実際はビキニ姿の「お姉さん」以上「おばさま」未満の女性がやって来ました。
うつぶせに・仰向けに・横向いて・・・と言われる頃には恥ずかしさ何てなくなってしまいました。
全身のアカスリ→オイルマッサージ→海草パック→シャンプー 
再びシャワーとサウナで約90分の基本コースは終了。
マッサージ室に移り、全身経絡マッサージ・頭皮マッサージ・そして石膏パックをしてもらいました。
  
全てを終えホッと一息 これからホテルまで送ってもらいます。
初めての『アカスリ体験』はちょっと驚き 一皮剥けたかしら??
右側はここに来た人たちの寄せ書き。み~~んな日本語です。
「ガイドブックに載っている『汗蒸幕』は本物じゃありません」とガイドさんにきっぱり言われました。で、ここへ来た訳ですがここもガイドさん指定のお店のようです。
お客さんは皆、日本人のようだし、巧みな日本語を操るし。
何はともあれ、初めてのソウルの夜を満喫しました。 では又


うれしいね!

2009年03月26日 | SO-Color

 「ねぇ、パパ!今日は何のお祝いですか?」「私の誕生日祝いはまだしてないのよ。」「今日は卒業祝い? 入試合格のお祝い?それとも遅れてする暇がなかった誕生祝い?」「何も彼も一緒に、“お祝いの会をしたよね!”…は、嫌よ。」
 孫娘は父親に甘えて言う。お台場までの車の中で大笑いの楽しい移動のひととき。
 
 12年前、私たち夫婦にとっての初孫が生まれた。私はこの時から、娘夫婦への協力体制を取り、さびしがり屋の母への親孝行とを多目的にこの機会に為そう…と、単身赴任の形で私はこちらに移り住んだ。

 
 娘の、家庭を持ちたいし研究生活も続けていたいという希望に、協力しようとの夫の提案を、悩みながらも受け入れた。
 夫の提案は、私の若かったころの“二兎追う”姿勢をあらためて、次代を担う子供を一心に育てるために、一番基盤となる家庭をないがしろには出来ないと、決心させ(?)て、私は職業を退き、家庭を守る方向に転換した…長い時間が、夫に家庭の中でも自立出来るような方向に関心をもって、それぞれの努力が実を結んだといえるのかも知れない。
 何しろ、明治生まれの父は、私の就職には理解しても子育てなどに、実は母の手も借りたかったのに、母を自分から離すわずかな時間も「お母さん無しでは暮らせない」といった家庭での男の自立は絶対に眼中には無かった人だった。 

 また夫は、国立大・在外研究員としてアメリカでの1年間単身生活をしたことと、愛知県下の有名私立校「東海中学・高校のPTAの自主学習グループ」の勉強会が、夫を講師に迎え入れたことが夫の姿勢を変えたのではないか?
 比較的長く続いた自主学習の会だったが、夫はその会に参加し、務めさせてもらったおかげで、自分の生き方にある変化をもたらしたと思う。 
 妻の立場からの考えを、私から押し付けられたという感覚ではなく、他の多くのお母さん方の考えを吸収してくれて、“ある考え”が培われたと言えるのではないか。それは夫自身にとって大きい収穫ではなかったろうか。
 私の単身赴任は、唐突に出た意見ではない。彼の提案は、私からの反発する意見交換によって、調整されながらも、結局は大人であり大局を見つめて出された彼の考えに同調するのは、どの場合においても、私の大方の結論となった。結果はいつも間違っていないと感じ取れる、彼のレールの上を順調に歩く羽目にはなるのだが、後悔はしていない。 それで私は幸せなのであった。
  
                                   
 女性が仕事を持ち男性となんら遜色なく働き通すのは並大抵ではない。生涯独身を通すとか、ベターハーフに家庭の仕事をしてもらうか? ダブル インカム ノーキッズ(共働きはするけれど子供は作らない)の姿勢を保つか?
  
 ここはお台場。娘婿の活躍と理解で、娘も非常勤の立場を確保しつつ、母の私の手を時と場合によっては借りつつも、仕事を細々と続けられている。二人の孫娘はパパを恋人のような眼差しで憧れたりパパからも可愛がられ、周りの他の人からの注目度もアップしているようすである(ババ馬鹿だねぇ。それでいいのよ、自覚しているからね!)。
   
 食事がすんだら、また一路下の孫娘のピアノのお稽古日があるため、まっすぐにかえったけれど、フジテレビの丸いドームのあるビルも間近に見て走りぬけた。
 明後日は、二千和会のお花見。水上バスからも、フジテレビの特徴あるビルの脇を通ると思う。今年は桜の開花期が早いと予想されながら、寒さが戻ってきたりして、果たしてどのくらい咲いてくれるのでしょうか?


落ち着かない三月

2009年03月26日 | SO-Color

 1955~'60年代の頃に、青春の象徴のような映画…ジャクリーヌササールや、ジェイムスディーン、アランドロン、ロミーシュナイダーなど若手俳優の主演する映画にうっとりと憧れて、定期試験が済む度に頑張った自分にご褒美とばかりに、友達と誘いあってよく映画館に出かけた。
 その時に見た映画の中で特に印象に残っているわけではないのに、三月になると思いだす映画のタイトルがある。そのものズバリ!の「三月生まれ」。この三月に生まれた者は、気候と同じく気まぐれな子が多いという、おしゃれな女の子の物語だったと思う。
 ほんとうだわ!お天気は気まぐれ!暖かくなったり冷たくなったり、穏やかな日があると思うと急に突風が吹き荒れたり…どうもお天気は気まぐれで通しているようだ。

 これは3月の中旬。遠く高い木に白い花をつけて、あれは何だろうというほどに遠くでさわさわと風に吹かれていた。
      
 一応暖かなある日、遠景で見ると、春よ、春なのよ…と言っているみたいに感じた。

 そしてある青春の1ページの…千葉大文理学部の跡地が、今では市民の憩う公園になっている。あぁ、やはりなんだか遠くを見ているような私の心象風景が、いつの間にか浮かんでいる。歳を取った証拠かなぁ…と、ひとり憂うる気分となった。
  
 お彼岸になる。そうだ!お墓参りに行こう、とやって来たその当日は実にポカポカ良い陽気だった。墓前の枯れた花も、花差しに残っていたので、清めたいと古くなったものを取り除いてみると、なんと蛙!ガマガエルの子供みたいなのだ。お参りにきていた人に、「どうしましょう…!?」と、声をかけてしまった。「いいのよ、ここではやさしい気持ちが勝ってしまい、生き物を追い出すなんて出来ないでしょうけれど、いいのよ…」。
 さすが手を出したくはなかったが、お供えする花を飾りたいので、そっと土の上に乗せて水から出してしまったが、「生きカエルとも言うしね…」と、独り言のように呟いたら、「上手い!そうだよ!」と、蛙を見ていたもうお一方が同意のように応えられたので、安心した。
 
 近くの桜の古木を見上げると、まだまだ硬いつぼみをつけて立ちすくんでいるようす。
  
 母のお昼の食事介助もあるので、私としては早くに家を出発したので、目標の11時40分には、帰りついていた。いつも私の顔を見て安心していたい母が待っている老健施設に着いた。
 帰り道を急ぐその途中に見た土筆。去年もここで、すっかり顔を揃えて明るい日差しのなかでスックと立っている土筆を見たっけ! 高速道路の側道でなかったら、そして時間が気にならなかったら、車から降りて摘んでいたと思う。これもほろ苦い春の味だもの。卵とじにして食べると本当においしい。ここは犬の散歩のエリアでは無いし、きれいな場所なので摘みたいのに…惜しい!! 


付録:「漢方医学復興物語」(講談)

2009年03月23日 | 雑記自由帳

 和田啓十郎の生涯をテーマ「漢方復興物語」と題して、講談師・神田香織さんが語る公演に、行きました。
 2000年のことでしたが、夕方からの公演で、場所はうろ覚えではありますが茅場町?だったような記憶…です。三浦於菟先生にもご挨拶させていただきましたし、神田香織さんとも記念写真を撮りましたのに、その証拠写真を今すぐには探す気持ちではなく、失礼しますがお許しください。パパンパンと香織さんの名調子を聞きまして、面映ゆい気持ちと、講談の台本は、盛り上げるところなど事実かしら?と思われるようなところもありましたが、よくできたお話だと思いました。

神田香織氏→神田 香織

ジャズ講談や一人芝居の要素を取り入れた神田香織独自の講談を次々発表し、講談の新境地を切り開く。反戦反核を訴えた『講談はだしのゲン』で日本雑学大賞受賞。2005年、講談『チェルノブイリの祈り』を発表。平和・人権、女性の生き方をテーマとした講演(講談付き)も精力的に行なう。

■経歴・芸歴
福島県立磐城女子高校卒業。1980年神田山陽に入門。
85年講談の可能性を追求する三部作として「剣舞入り講談」「JAZZ講談」「寺山修司作品」など発表し、以降も神田香織独自の講談を次々発表、講談の新境地を切り開く。
86年「講談はだしのゲン」公演で日本雑学大賞受賞。
89年真打ち昇進。
90年「講談女医レニアの物語」発表。
94年いわき市に居を移し地域に残る民話や伝説を演劇や講談で掘り起こすなど地域興しに貢献。
また全国でも珍しい定席を市内に開設。
95年いわき市のサンシャイン大使に任命される。
99年立体講談「磐城平藩主・安藤対馬守見参」発表。
2000年漢方復興講談「和田啓十郎伝」発表。
02年 立体講談「チェルノブイリの祈り」発表し、一貫して平和・人権を訴え続けている。
日本演芸家連合加盟、講談協会会員。
2005年「花も嵐も、講釈師が語ります~バツイチ子連れ、泣き笑い半生記~」(七つ森書館)を成就。自らのDV体験や女流講談師として生きてきた半世などを率直に書き記し、以後の講演では、女性差別の問題やDV問題、シングルマザーの子育てなどを語り、講談と併せて各方面から高い評価を得ている。

第3回市民のための東洋医学講座を実行して (以下も転載しました)
            日本医科大学付属病院東洋医学科 講師三浦於菟
 一昨年、昨年と東洋医学科では東洋医学の啓蒙普及のために、学内で市民のための東洋医学講座を実行し好評を博してきた。
 本年度は、より参加しやすいようにと学内から飛び出し、4月28日(金)には、北区王子駅前の"北トピア"第一研修室、5月18日(木)には足立区中央本町にある足立区庁舎ホールの2カ所で、『漢方薬の効用と副作用』と題し講演を行った。2カ所とも、午後2時から3時までは、三浦が最近話題となった漢方薬の副作用について、当科の研究成果をもとにした講演、3時10分から4時30分までは、当科非常勤講師の白石佳正が「東洋医学の得意な病気、治る病気」についての講演を行った。
 漢方薬といえども薬であり副作用は存在するが、その頻度は非常に少ない。それは副作用を少なくする工夫が凝らされているからである。また症状も軽いものが多く、中止などの処置で軽快する。専門医師によって正しく使用されれば、決して恐れるものではない。これが三浦の講演内容であった。白石講師は、漢方の適応する病気や優れた効果がある疾患について、豊富な実例と共に話された。2カ所とも、講演後には30分に及ぶ活発な質問が飛び出し、東洋医学に対する関心の高さがうかがい知れた。ただ、今回参加人員は決して多いものではなく、広報のまずさが反省させられた講演会でもあった。
 なお、本科では来る7月22日(土)1時30分から、北区滝野川会館(南北縁西ケ原駅徒歩10分)において、東洋医学と同様、日本の伝統文化である講談と漢方講演を融合した講演会の開催を予定している。これは本邦初の試みであり、市民の方により身近に東洋医学を感じ接して頂きたいという思いからである。講談師は「はだしのゲン」など数々の新作講談を手掛けた神田香織師。内容は「漢方復興物語」と題し、先達の漢方に寄せる思いを語って頂く。済生学舎も登場する予定である。

              長野市にある和田啓十郎の墓誌拓本 (中村不折・書)

東洋医学講演と漢方講談の集い」を実行して
             付属病院東洋医学科 三浦於菟 (東邦大昭48)

 付属病院東洋医学科では、平成10年より、市民のための東洋医学講座を実行し、本医学の啓蒙普及につとめてまいりました。本年は、東洋医学と同じく日本の伝統文化である講談と講演を融合させるという、かつてない新たな試みに挑戦する事といたしました。同窓会のご後援を戴き、開催されたのは7月22日(土)。付属第一病院の東洋医学センターが、付属病院東洋医学科として再出発をした平成9年7月より、三年を経た夏の事です。そして、済生学舎出身であり、近代漢方復興の祖として称えられた和田啓十郎先生の永遠の旅立ちも、大正5年7月8日でございました。
 以下、作文風に当日の様子を書かせて戴きます。"その日は、今年の猛暑を予想させる暑い日であった。この日、北区滝野川会館に集まったのは約250名。皆、神田香織師の漢方講談に期待する人々である。

「東洋医学で病気を治す」という私の一時間の講演の後、二時四十分より講談が始まった。語るは、「漢方復興物語-和田啓十郎伝-」。始めに講談とは何かが軽く語られる。そして、和田先生一代記へと進んで行く。
「隅田川のほとり浜町界隈は、かっての色街であった。和田啓十郎の顕彰碑は、浜町、明治座の前にある。彼はどのような思いで人々の嬌声を聞いたのであろうか…。」
 古き物が、ただそれだけで捨てられていく近代日本の幕開け時代、漢方医学の良さを訴えるが、西洋医の嘲笑と罵倒の渦。患者も来ず、髪はボサボサの薄汚さ。
 幼き頃、可愛がってくれた姉の病気を治した漢方医と、同じ身なりと成り果てていた。それではと明治43年、『医界之鉄椎」を著す。それも、数社に断られ続けた後の自費出版である。鉄椎とは、暴虐を極めた秦の始皇帝に投げ付けられた世直しの鉄棒の意味。この書物が少数の心ある西洋医の目に留まり、やがて漢方医学復興の源流となっていく。時に笑わせ、時に心に染み入るような語り。和田先生の熱き思いは、人々の思いを引き出し重なって行く。そして、関係者の胸に沸き上がったのは、先生が本学の大先輩であるという誇りであった。まさに話術の芸という日本文化の素晴らしさを堪能した、約一時間の講談であった。終了後、どこまでも澄んだ夏の青空があった。〃
 漢方医学を題材にした講談は、これまでなかったという。今回の講談は、本学と関係あるものをという我々の要望によって、神田師に新しく作って戴いた。新しい講談分野の誕生である。
 創作にあたっては、本誌掲載の和田啓十郎伝(「済生学舎の人生」39・40)が役立ったとの神田師の言である。また後日、多くのマスコミからも好評に迎えられた。一誌に曰く。「不遇と反骨は講談によく似合う」と。
 東洋医学は古くて新しく、それゆえに新たな医学の地平を開く可能性を秘めております。末筆ながら、同窓会諸先生方の、今後のご指導ご鞭捷と暖かいご声援をお願いする次第でございます。まだこ要望ご質問もございましたら、お寄せ下さるようお願い申し上げます。
 (日本医科大学 同窓会報 H12.10.25)
                                                  (インターネットからのコピー)―SO‐Color担当


漢方医学復興の地

2009年03月22日 | 雑記自由帳

SO‐Color 担当 

東京メトロ日比谷線、人形町駅下車。甘酒横丁の通りを先へ進むと浜町公園や明治座へ向かう道となります。 
 
3台のトラックは右側にある緑道の整備にやってきた車です。ちょうど小川を浚ってきれいにしていたところでした。この浜町緑道内に和田啓十郎の顕彰碑があります。(⑥漢方医学復興の地
              
                           
甘酒横丁を通り、ちょうど弁慶像があるところが目印で、左に曲がります。明治座に通ずる緑道《文化と歴史の散歩道》の切れる場所辺りに、以前会報「いちよう」にも登場した祖父、和田啓十郎の業績を示す顕彰碑が、あまり目立たない感じで建っています。

 
  
昔この所在地近くで漢方医として開業していましたので、碑には「漢方医学復興の地」と刻まれています。裏側は車道でそちらに回ると、啓十郎の業績を讃える言葉が彫ってあります。
和田啓十郎先生は漢方医学がまさに絶滅せんとしたとき、この地において衣を薄うし食を粗にして得たる資金を以て明治四十三年、「醫界之鐵椎」を自費出版し、漢方医学の復興に起ち上った。
 今や漢方再興の気運に際会し先生の旧趾に碑を建て、その偉業を顕彰するものである。   日本東洋医学会 東亜医学協会 日本医史学会


 
    
  
実は徳島文理大学の准教授庄子昇先生が、祖父啓十郎の周辺をも、検索されているとのことで、なんでもいいので啓十郎を知っている、ゆかりの人たちに会って話を聞きたいと、夫からの知らせを通して話がありました。夫を通しての関係もあり一応お会いすると、庄子先生への信用度をアップさせて(失礼!)…の判断でした。一人では偏った話や見方になるのを恐れて、妹も呼び出しました。妹と私は、父から聞いていることなど、聞かれるままに取材を受けたわけです。
庄子氏は薬草の方のご専門がきっかけで漢方医学に関係しておられます。私たち親族の関係など、かなり詳しく調べられており、「医界之鉄槌」は大変に難しいので現代語訳に直して広く皆さんに読んでもらえるようにと思っている…とのことでした。啓十郎の直系長男(開業医)が、もっと知っているので、この取材は単なる話題と多面的に捉えようとなさる先生の姿勢によるものだと、思いました。  
 
ここ人形町日本橋界隈―甘酒横丁。
二千和会の伊藤会長が、「いちよう34号」で七福神巡りのことを載せてくださった際に、麻布十番街通りの“名物たい焼き”の元祖「浪花家総本店」を紹介されていましたが、あと、新宿の「わかば」、人形町の「柳家」が“たい焼き”の、東京での御三家だとの文章がありました。
その「柳家」も回りたかったけれど、たい焼き屋の探検は残念なことにできませんでした。
取材を受けたあと、娘から頼まれていることも気になり、時間に限りがありましたので、お昼を急いで食べたのちに慌てて帰ることにしました。
下の写真は、この近くの水天宮さま。向こう角に見えましたので、カメラを構えておさめたのみとなりました。 


作文集

2009年03月21日 | YG-World

『誰でもどうぞ・何時でもどうぞ 』と受け入れている日本語教室ですが一応4月から3月を一年としています。年度末は作文集を出します。

3月には出来上がるように逆算をして取り掛かるのですが、これがなかなか予定通
りにいかないのです。指導ボラも全員書くことになっているので、これもちょっと頭が痛い。何でもいいとは言え、わかりやすく、簡潔に。手書きだしルビもふらなければないし・・・

 
でも、皆さんの作文を読むのはとても楽しいものです。
「日本の猫は尻尾が短い」 [え~~っ・そうですか?]



         今日は子連れもゲストもオーケーです。
 
           この中で日本語が一番達者なのはやはり子供


   「一生勉強・一生青春」 [本当にそうです〕


 「遠藤周作の『沈黙』読みました」 


日本人はまじめで、れいぎただしい。しゃかいのルールや、じかんやエチケットをみんながまもる。-----日本人につたえたいことがあります。「どうぞもっとすなおに、じゆうにいきてください。そうしたらじんせいは、もっとカラフルになるでしょう」
  [そうですか。もっと本音で生きてほしいと言うことね]

 皆さんの学ぶ姿勢と意欲に励まされています。


  皆さんの発表が終わった所でリラックスタイム。
  中国の人が[春]の歌を披露。
  次は日本の歌となりました。
中国で一番有名な日本の歌は[北国の春]だそうです。
余談ですが、香港でカラオケやさんへ連れて行ってもらったら、[テレサ・テンとジャッキー・チェン]がデュェットをしていました。(不思議な画面でした)
それから、私が日本人ということで[北国の春]をリクエストしてくれました。
勿論、私は歌えないけれど・・・みんなで大合唱でした。
中国語の歌詞だから全くわからなかったのですが、やっぱり[北国の春]かと納得です。
これから、2週間の春休みに入ります。本来は充電するべきでしょうが、少し羽を伸ばしてきますではまた。 

 

 


メタボ

2009年03月20日 | YG-World

特定健康診査 通称『メタボ健診』に行ってきました。
 1月にインフルエンザ騒動の時に来て以来です。
その時は外にまで溢れていましたが、この日はすいていてすぐに名前を呼ばれました。

ここ何年も『健康診断』を受けていません。
なので市の受診案内もこなくなってしまいました。『メタボ健診』は今年から??でしょうか?よく分かりません(-_-;)きっと年齢も満たしているのでしょうね。
いよいよ少しは気をつけようかという気になりました。が、これも3月末まで。急いでやってきました。窓口負担500円です。
まず最初にお腹周りの測定。メジャーを持って待ち構えていました。
女性90㎝・男性85cm未満が正常値。


『サティ』の4階は文化ホール・コナミスポーツクラブそしていくつかのクリニックがあります。
お隣は眼科と皮膚科。11時半から診療開始。11時ごろからすでに並んでいます。
   こちらは花島公園センター

スポーツジムもずっと休会中なので、いささか運動不足を感じています。
市政だよりに出ていた、ボディ・シェイプ(4回)に申し込みました。
 3月4日が第一回目。
その時はこの周辺満開でした。
「あ~~~カメラを持ってくるべきだった!!!」と後悔・後悔・・・
今日はもうこんな感じ。やっぱり花見時は難しい。


いつ出来たのか知りませんが、まだ新しくてきれいです。
体育館オット違います。『アリーナ』と呼びます。ここで室内シューズに履き替えます。
1回目は真面目に行きました。2回目は休み。3回目の今日は遅刻。
ロッカールームに誰もいなかったのでちょっとデジカメで写してきました。
スポーツクラブではないので、さすがにお風呂はありませんが、この奥はシャワールーム。
『1人3分以内でお願いします』と張り紙があります。
こちらのロッカーは10円。(お金は戻ってきません)
 広い体育館。違った!!「アリーナ」 バスケのコートが軽く2面取れます。
今回のボディシェイプは『背中・腕集中編』 男性が約2人。後は私と同世代かその上の方々約20数名。
3時~4時半までのエキササイズ。
最初のウォーミングアップの30分で息切れしてしまいました。
日頃の運動不足がたたっています。翌日は筋肉痛です。

3月9日に検診を受けました。
3・4日過ぎたら結果がでますからと言われたのに10日過ぎにやって来ました。
検査結果『パーフェクト!!!』とは言えませんが血液検査・尿検査とも問題なし。
お腹周りも体重もOKですよ(^_^)v 
嬉しいことになかなか減らなかった体重が一昨年から徐々に減り『BMI』も『体脂肪』も同時に減っています(*^_^*) 
これを維持するには、食事と運動。ボディをシェイプしなければと思った次第です。
後は飲みすぎに気をつけるべきかな?


去年の桜

2009年03月19日 | 桜花応援

 昨年4月4日に上野公園に行きました。多分、美術館の帰りだったように記憶しています。もう、満開!で、散った桜の花びらもいっぱいでした。
 今年はまた、桜の開花は早いようです。今年の二千和会のお花見を兼ねての文学散歩は3月28日です。早々と桜便りが聞かれるこの年は、きっと見事な花盛りに出会うことだろうと思います。
 
 ところで、桜とは関係がないのですが、会の浅田副会長のお友だちが、川柳の部門(よみうり文芸・3月10日付け)で、秀逸を取られましたので、ここに新聞から転載させて頂きたいと思います。

【秀逸】         千葉 朱浪・選
漢検で儲けの文字が大き過ぎ   千葉市 山口 武
(評)財団法人を隠れ蓑のように、一族で金儲けの
実態が白日の下にさらされる。儲けの文字が一
番大きかったのかも。上五は「漢検の」で落着く。

 これが川柳だ!という作品だと思いました。私やAyaちゃんが作っている傾向は叙情詩傾向で、自分の心情などを主に捉えて自分史を綴っている方向で作っていると自覚しています。
 川柳的に「ユーモア」や「穿ち」の気持ちで、物事を観察して見つめるので、生き方も明るい方向性が見えて前向き姿勢になります。川柳の要素のもう一つは「風刺」ですが、そのあたりの精神は追及したくもあるけれど、ズバッと言い切れるだけの目はまだまだ…難しいと思います。しかし、20年以上続けての私自身は行き方や捉え方が違ってきたと、昔の生き方と比べると、そう思ったりします。これもまた、本人の感じ方と他の人は、違った角度や視点で見てくれますので、必ずしもそうだと言い切れないような多面的だと言えると思います。
 
 ♪ことしのボタンはよい牡丹…というわらべ歌がありますが、「今年の桜」もきっとよいさくらとなることでしょう。あと一週間ですね。
 今年は“隅田川から墨堤の観桜散策”と題しての散歩です。参加者もそろそろ締め切りますが、多くの反応が寄せられています。どうぞ、お楽しみに! (so-color担当)