昨晩、気分がすぐれなかったKMさんと、同室のAKさんは
早起きしてホテル前の海を見ながらウォーキングをして来ました。
その後、ツアー客39人全員集合で、近くのレストランへ
朝食ウニワカメスープとご飯辛い副食を食べに行きました。
その後貸切バスでJejuDo東方面に移動します。
JejuDoは火山から出来た島。至る所、掘り起こせば岩がゴロゴロと玄武岩が出てくるのです。
今、島の廻りの道を整備中の個所を走ります。
韓流ドラマや映画のロケ地としても有名だという(私たち一行にはあまり観ていないという人が多かったが…)
牛島海上国立公園へ、フェリーに乗り換えて向かいました。
バスや、船に酔ってしまったFIさん。冷たい風に当たり、島に着いて、どうやら気分を取り戻しました。
島の形状がちょうど牛が寝そべっているような姿のため、牛島と言われています。
このフェリーボートで、島に着きました。
防波堤にはトルハンバンなどのレリーフが並んでいました。
牛島の象徴、牛の像の前で韓国のご両親が、4歳くらいの
娘を座らせて記念撮影をしていました。右の写真はライオンの横顔に見えるライオン岩。
この後、後海石壁、東岸鯨窟、指頭青沙、西濱白沙を訪ねて、昼食は鯖煮つけ定食です。
昼食後はまた、船で済州島に戻ります。
そして城山日出峰(天然記念物420号)、万丈窟(天然記念物98号)を見物する
メニューとなっています。
夜半は雨が降っていたのに、出かける5時20分には雨が上がっていた。
モノレール、JR、京成と乗りついで成田空港へ辿り着く。
初夏に行く予定も立てたが、不幸があって見あわせた済州島行き。
例の小学校時代の旧友7人の気心知れた仲間たちの一群。
KE0718便 09:45成田空港発済州島12:20着。
およそ200年前、火山の噴火によって出来たと考えられる島で、
主に玄武岩溶岩から成っている。
朝鮮時代には流刑地でもあった。
韓国併合により日本の領地となったこともある。
1948年済州島4・3事件では島民が韓国軍などにより虐殺された。
それから逃れるために日本に渡ってきた在日韓国・朝鮮人も多いとのこと。
朝鮮半島本土とは違い済州島民の性格は温厚で生活様式が日本に近いと大宅壮一の著書にある。
済州島名物というアマダイ焼き魚定食の昼食。
食堂へバスに乗ってまず直行。店には写楽の版画が壁に掛けてあった。
店主は京都に少し滞在したこともあった日本を理解している日本びいき。
辛い副食が6品。ご飯、みそ汁の器、箸がなんと、金物で出来ている。
ご飯が熱いと器が持てない。こちらのエチケットは器をもたずに食べるのが正式か。
金属食器は皇帝への食の安全からという歴史に立っているとのことだ。
金属なら、毒物が混在していれば変色するから、その事故防止ということになる。
しかし、見慣れないし使いなれないから、何だか犬か猫の食器のような感じだ。
「おいしかったですか? 美味しいという韓国語は“マシッソヨ”」
辛いのは閉口する。副食は箸をつける程度…日本人客はあまり箸を進めないだろうから、
お変わり自由と言われても遠慮してしまう。
不味いという言葉はないのだろうか?
食べられなかったという言葉は?
食後は免税店へ。
その後神秘か、お化けかの「トケビ道路」に。見ているとどうしても下っているような坂道が、
上り坂なのだ。風景をみるが上り坂とは合点が行かぬ。
水を路面に流し水平器を置いてくれてもますます納得がゆかぬ。頭が混乱するへんてこな道。
風景が誤魔化しをつくり、目の錯覚を起こさせる。
ガイドさん(白い服の人)の指さす方向に下っているんですよ…と説明しています。
全くの、上り坂に見えますよね。
矢印→の方向に登っているのです。おかしいことですが、錯覚としかいいようの無いことです。
下り坂? いいえ、上り坂です。
上り坂? いいえ、下り坂です。
車のエンジンを止めると、確かに上っている方に車は移動してしまう…下り坂だった。
三姓穴という、日本の古事記のようなお話がある…この島の発祥地とされる場所。
日本のイラストレーターが描いたというビデオを15分くらい観賞させられました。
何処にもあった、この石爺さん・トルハンバンは、右手が上になっている方は
「文」学問の守り神、左手が上になっているのは「武」身体健康から命の守り神という。
道祖神のような、親しみのある神様らしい。
更に女性のガイドの説明は、上から見ると、男性のシンボルに見えて、石じいさんの
鼻に触ると男の子、耳に触ると女の子が授かるというおまじないもあるんだそうな。
島の真ん中の一番高い山、漢拏山/ハンラサン から流れ出た溶岩(玄武岩)が形作った
龍に見える岩を、背景に記念の写真を。
あら! もうお二方は何処に? すでに岩の向こうを見学中だった。
龍の反対側にはローレライのような、下半身が魚の尾をもっている像が座していた。
お顔がアジア人なので、違和感を感じた。既成概念というものは動かし難いらしい。
二日間お世話になるホテルにひとまず荷物を置いてから、またバスに乗って近くのレストランに行く。
その途中で見たコスモス。バスガイドは島の生き物はみんな可愛いくて小さい。
足が短い。馬もスラッとはしていないと、言われたが、ガイドさんは背も高くスマートでした。
夕飯は「黒豚オギョブサル」を美味しくいただいた。
焼きながら、葉に包んで口に運んだ。
まあまあ、美味しいと思って食べた。少し元気がないKMさんは、
お腹の調子も悪くて、部屋に帰ってから、
食べた物をすっかり戻してしまったとか…。消化不良をおこしたか、調子がイマイチだったようだ。
3日目のバスのなかでの、ガイドさんの話は…、
最後にお話しします…と前置きして、昔は黒豚は人糞を食べて大きくなったのです。
だから「うんこ豚」と言われて「お便所」の下に豚が待ち構えていて、人の便を食べたんですって。
ことに男の方は結構な被害者でそのシンボルを糞と間違えて
齧られたことも珍しくないと、面白く話された。 しかし…「ウヘェー!」ですよ。
個人的にはあまり「食欲の秋」とは言えないのですが……
マイピクチャーを見ていたらこんなものがあったのでアップしてみました。
これは「銀座コルザ」のコース料理です。
メインの牛肉のステーキ。目の前で焼いてくれます
焼きおにぎりのお吸い物(おいしいです)
これが見ものです。まずはクレープを焼いて、 フルーツを鉄板の上に置いて
「豆腐」ではありません。 バターではありません。
アイスクリームを乗せプランデーをふりかけ
照明を消して一瞬、大きな炎が上がります。
アイスクリームの上にフルーツを乗せ
はぁーい・アイスクリームの鉄板焼きの出来上がり
こちらはちょっとびっくり 「参鶏湯」(さむげたん)
韓国人のお宅に招かれていただきました。彼女の手料理です。
「参鶏湯を作れなければ嫁に行けない?」ぐらいポピュラーな料理のようです。
丸ごとの鶏肉のお腹にこんな詰め物をして圧力鍋で40~50分
中を開けてみると、もち米・栗・ナツメ・ぎんなん等々たくさん入っています。
そして、やせ細った「エビ」のように見えますがこれが「朝鮮人参」
けっして小食ではない私ですが、参鶏湯の前に「チヂミ」を食べたので
食べても・食べても量が減らない・・・
シソに似ていますが「エゴマ」の漬け物
釜山にいる義理のお母さんの手作り。
さっぱりと戴きました。
・・・・・・・・ ・・・・・
こんなお気楽な画像をアップしている間に今「奄美大島」が大変なことになっています。
将来は南の島で暮らしたいと言っていた友人が本当に奄美に渡り、看護師をしています。
大丈夫かしらと携帯メールしました。テレビでは電話も携帯も通じないと言うようなことも言っていますし。
以下、奄美からのメールを抜粋
『降り続く雨にびっくりしていたら、被害が続出していることを知り恐怖を感じました。
住用町は奄美市でもいくつかトンネルを抜けた所です。
とは言っても中心地でも小さな山崩れがありました。
自然の脅威ですね。中心地は通常通りの生活が送れています』
早く、穏やかな生活が送れますように。
友達とのコミュニケーションを大切に思って暮らしている。
特に、親類が近くに居なかった若いころ
子どもは幼稚園や低学年というころ
友達同士で助け合わねば「暮らしにくさ」さえあった。
歯医者の予約が子どもの帰る時間にかぶさったり、
近くのデパートに行って品物選びで手間取るようなゆとりがなかったり、
業者の都合で、例えばピアノが届くというのに
家人が子どもを迎えに行く当番であったり…ほんとうに子育て、てんてこ舞い。
そんな時に快く私がしてあげる…などと
互いに助けあって、協力してそれが喜びにつながったり…。
キャンプにも、川遊びにも、温泉にも、海へも、
必ず一泊はして、「今度は何処へ行こう」との相談もウキウキして纏まった。
毎年夏休みには、子どもとともに喜びを共にした。
時にはお互いの家でケーキ作りをしたりもした。
それから37、8年ものお付き合いである。
今年は突然の不幸が起こってしまったので、例年の初夏の逢瀬は出来なかった。
代わりに、この初秋に久しぶりのお楽しみのお喋り会を、
湯の山温泉のホテルで楽しむことにした。
「楽しめる」ということは幸せなことだ。
久しぶりにあったのに、昨日までご近所で生活して居たみたい。
年が近い親類の者同士が、会ったみたい。
笑って、喋って、お風呂に入って、心身ゆっくりして、「また来ましょうね」って
笑顔で別れた。
「昨年、いちばん先に眠くなったのはSさんよ」…と言われたが
今年も友達が喋っているうちに、最初に眠くなってしまった。
喋り好きの私が、皆さんのご意見やお話を聞いているうちに、
頷いているうちに、
たまっていた疲れが顔を出してくれるのか?
だんだん、お喋りに興味が薄れていくのか?
言いたくはないけど、若くは無くなった証拠か?
因みに1年前の下呂温泉での出会いの写真(右のもの)を引っ張りだした。
2年前は同じく湯の山。今年と同じホテル玄関まえでスナップ。
これらは、ひいき目に見て、そんなに変わったとは思えない証拠…
ということにして、自己満足のなかで、再び昔をアップすることにした。
また、酔芙蓉の登場。
昨夜の雨が、今朝はすっかり晴れて、機嫌のよいこと!(11日)
酔芙蓉は粋な花と言ってくれた人がいた。
そうだね、花の有様が、酔っていくように…と見てくれて名付けられた花は、粋だね。
酔芙蓉というより、粋芙蓉だ…と。
12日翌日朝の花は、上左の写真で開いたような半開きのような…その花が
半分は酔い、半分は真っ白な…、そう! 中途半端な染まり方をしている。
きっと前日の雨のためその花は一気に咲くことを躊躇ってしまったのだろうと、思う。
そこへいくと、庭の蜜柑はまだ酸っぱくて、粋な話には縁遠いかな。
昨年はそれほど実にならなかったけれど、今年は実の付き方が多めに思う。
咲き始めの頃は、雨戸をあけると、甘くて心地よい匂いが鼻に届いて、
あれ?何だろうと辺りを見回した。小さな花で初めは咲いている花よりも先に香りが届いた。
芳香のある花は、静かで目立たないけれど得をしている。まるで誰かさんのように。
これはヤブランと確か言っていた花。
この葉っぱは、切り花を飾って寂しいなと感じた時に摘んできて
花瓶に加えると急に花の仲間が増えたような錯覚をさせる便利さがあり、貴重な存在だ。
今年は草を抜く時に一緒に抜いてしまったようで、いつもの秋の庭草が寂しい。
ジンジャー。日陰に咲いている一日花。
しかし蕾が次々に咲いて、これもまた香水かと思われるような良い匂いがする。
夏には葉や茎が人の肩と並ぶような草丈。
そして根が地中に深くはないので風などに負けてすぐ倒れる。
気を付けてあげないと通り道をふさぐようにお行儀が悪くなる。
行儀が悪い立ち姿は、私がちゃんと見てやらないせいで、
アルジの管理が悪いとの証。
空を眺める。
久しぶりの空に出会った気がする。
お元気?
今どうしているの?
すっかり秋の空の気配。
お彼岸を過ぎれば、今までの暑さは夢だったみたいに
気がつくと、落ち着いた気温になっていた。
夕焼けに染まった雲たちを従えて
空は高く、大きく静かな風情で堂々としている。
つるべ落としのように夕闇が迫る。
オーヘンリーの『最後のひと葉』を思わせるプラタナスの葉。
落ちないで、落ちないでね…病人はこの葉っぱのおかげで
元気づけられ、頑張る気持ちを取り戻した。
その陰で、一生懸命の心遣いがあったことなど、病人は知りはしない。
知っていたら、これはまた大変なんだけれど…。
秋は実りの時期でもある。
感傷的になることは無いのに、やはり寂しさを纏ってしまう。
少女のころは感傷的になる気分を味わいながら、おとなになった錯覚をした。
今は、やがて来る冬の気配、厳しさをを感じ取ってしまうのだ。
10月の初めなのに、まだ彼岸花が見られる。
ここのは遅い時期に咲くような種類だろうか?
この近所の彼岸花はもう茎だけになっているのに。
遅咲きもあるのだ。細い蕊が花の周りを取り囲み、繊細な華を演じて見せる。
こんな弱弱しさを感じさせる華こそ、
なるべく遅くまで楽しませて欲しいと思うのはエゴだろうか。
Zen Nikku ホテルズ 3階 「Unkai」にて同期会。
大宅壮一に揶揄された駅弁大学の出身。
高校の授業料よりも安い学費であった。この教室で学ぶことを許されたのはたったの28人。
みんな仲良く過した仲間。
ただ、地域的にN市とO市に別れた前期と、後期から一緒になったという事情もあった。
みんなお話をする職業だから近況報告も、「う!」「う~ん、納得」「なるほど」と、
頷かせる話題と話術がある。今回集まったのは11/28人。
40%の出席率だったが心の栄養や実りある時間を持てた。
女性ばかりの構成だが、校長先生を経験された方が多いし、夫婦で校長の時期もあったり、
半数以上は定年までお勤めされた方々。協力者(近隣地区に親類など)が居られて
お勤めができる条件を産み出し作り出せる皆さんは
知恵の塊のような生活を送られたに違いない。
同期の出世頭(ご本人はとても遠慮深い温厚な方でそれを言うと嫌がられる)は、
なんと言っても教育委員会→高校校長→県の施設ウィルAi・・館長→
(地域的に離れていたため、新聞記事も充分には拝見できず私には不確かな部分もあるが)
→県政収入役→県副知事・・・・・
素晴らしく充分にお勤めあげられて、最近職を辞されたと聞いている。
写真入りでA4サイズの新聞記事にも取り上げられたとか…。
大変な努力があったと思うのに、ニコニコしてちっとも偉ぶったりしない。
その辺が頂点に成れる素質なんだろうと一人頷いていた。
まだまだ皆さんの話題は尽きない。
ご馳走を食べて市のコーナー喫茶室へ移る。
女性は何処までも話が尽きない。聞くもよし、話すもよしの満足な時間が過ぎる。
多分男性には死ぬまで理解できない時間空間かも知れないが、
長く夫婦をしていると昔よりはず~っと理解されてきたと思っている。
そんな女性を理解せずに生活をして来られて、
このような面がある女性というものを理解されていないなあと感じた小学校時代の男性と、
最近話をする機会があったので覚った。
まだみなさんと別れられない。N駅方面に来てまた落ち着いておしゃべりする。
Kamakuraからお出かけの方も居られる。
卒業から就職して、初めの頃は「オリンピックの年に会いましょう」
…幹事はそれをメモリーとして忘れないから…。
4年に1回はそれぞれ忙しい時を過し度々会うのは無理だったが、
最近の合同会は2年に1度になっている。
前期はO地区とN地区で別れて学んだこともあり、約半分は親しみが少し薄いのか?
今は大学も統合されてしまったが、当時はそれぞれの分校があったのだ。
O地区で学んだ者は、毎年7月7日11時に、T駅改札口集合としましょうと、
一昨年の合同会の時に決まっていた。
少しずつ残された時間が縮まって迫ってるような、それを意識するような話題もあったか。
でも、顔ぶれをみると皆さん、長生きをしそうです。
その中で一番後まで居られる方は…笑顔も美しく良い表情で、皮膚の張りと生きる張りがある方、
粘着質や循環質タイプ、そして……いろいろ挙げられるけれど、「やっぱり彼女ネ!」