いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

亀戸七福神めぐり その2

2012年01月20日 | 七福神めぐり

 萩寺と称す『龍眼寺』芭蕉をはじめ多くの句碑があります。
「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」 芭蕉

 

スカイツリーをバックに皆さんで『ハイ・ポーズ』 
せっかくのツリーなのに隣りのマンションがちょっとねぇ~~

  

    

一応、天祖神社で七福神は完了。
すぐ近くなので亀戸天満宮へもお参りしてきました。

 

ランチタイムは和やかに・笑顔がこぼれます。
『墨田倶楽部』のレストラン・『アルセッティモチェロ』

 

 

 

さて、午後からの出発です。
                     九重部屋 ☇ ☇ ☇ ☇千代の富士でしょうか? 『出を待つ』

 

妙見山別院  勝海舟の胸像があります。
 
 

住職が、若かりし頃の勝海舟と晩年の勝海舟の写真を見せてくださいました。

 

太田道灌が建立した法恩寺 バックのツリーが際立ちます

 
 


七福神めぐりも無事終了 錦糸町駅で解散です。
 
12月の下見は2万歩でしたが、当日は約8000歩。
27名の大所帯、途中バスも利用しての七福神めぐりでした。
さて、1年の始まりです。
今年もつつがなく元気で『飲み・食べ・歩き』ましょう。 


亀戸七福神めぐり  その1

2012年01月19日 | 七福神めぐり

 恒例の七福神巡り、今年は亀戸七福神です。
遅くなりましたが、昨12月に下見に行った画像をとり混ぜてご報告します。 

 
「お~~寒ッイ!!」 JR亀戸からスタートです。
今回の参加は善男・善女 計 27人


  

            

常光寺 


  

 

 

                香取神社 恵比寿様と大黒様
  

 

 

            普門院 『伊藤左千夫』の墓があります

   

  

   


 墓の側にある、メールボックスに「二千和会」とメッセージを残しました。

   

 

  龍眼寺は『萩』の寺として知られています。 見るだけで幸せ~~~な気分になりそうな『布袋さま』
吹く風は冷たいですが、快晴の中順調に進みます。
次は天祖神社へ 


スカイツリーを追って

2011年01月12日 | 七福神めぐり

 

七福神巡りをしつつ、ところどころに今話題のスカイツリーが顔をひょっこり出してくれます。
そんな目線も面白かったと言えましょう。

 

ここは百花園。少しだけ春の気配を見つけます。

  

百花園の梅の花「みちしるべ」 下は白髭神社

 近くで言問団子を求める。名物の桜餅もお向かいのお店に。

 

10月さくらと、ふゆさくらが隣り合って咲いていた。

 
女優木の実ナナに縁が深いらしい、長命寺。

そろそろ、スカイツリーの間近になって来ていました。

 

       

  

アサヒビール吾妻橋ビルの壁面にスカイツリーが映る。向かいには勝海舟の銅像。

墨田区役所 スカイツリー アサヒビール吾妻橋ビルはアサヒビールの琥珀色と上の方に泡を表現したもの。
その隣の不思議なモニュメントはフランス人のデザイナーフィリップ・スタルグによる“炎”を象徴しているとのこと。

 

午後の翳りの中で。吾妻橋には東京新名所とされるスカイツリーを撮影する人でいっぱいでした。

 


隅田川七福神めぐり

2011年01月09日 | 七福神めぐり

 

1月8日(土)は快晴
隅田川七福神めぐりをする。東武電車の鐘ヶ淵駅から出発。
まず、多聞寺に。
何をしげしげと御覧になっているかと言うと…
これは「映画人の碑」である。
新藤兼人さんの名前、あ…その横に音羽信子さんの名前がある。
新藤兼人の方は赤く字を染めてあるが、存命だから。
などなど…と。

この古い門構えの前で皆揃って記念写真をとりましょう!

  

はるか向こうにスカイツリーが見える。次は七福神ではないが、
木母寺へ。このお地蔵さまは身代わり地蔵と言う。

 

謡曲に取り上げられている梅若丸の像。母と子の悲しい物語。
「訪ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消えぬと」
その母と梅若丸という子を祀ってあった。

 

陽だまりの暖かさで蝋梅が咲いていた。右は都営のマンションで、隅田川に沿ってずらりと続く。
このお天気の良い日にお昼時とぶつかると皆が一緒に
食事をとれないからと、少し早目に「天狗」和食レストランに座を占めた。

 
 

そちらのお席は食事が運ばれるのが早いですね…こちらは、うどん、そば、温かいの冷たいのと
注文が別れてしまって、膳が運ばれるのが遅くて、待ちぼうけ状態。

 

百花園では福禄寿が祀ってあります。今年初の紅梅が香っていた。
ここに、春の七草を展示。そして日本橋の「ギボシ」を頭に付けた石の支柱も園内に展示されていた。

少し端折って今日最後の三囲(みめぐり)神社。
ここには、故山田先生のお話がよみがえる。Ogawaさんが「温故知新を楽しみたい」
と、参加のお返事はがきに書いたと言うが、しみじみ昔を振り返る。

神社の裏庭に冨田木歩の句碑があったことが蘇る。

夢に見れは死もなつかしや冬木風

句碑の裏に「大正拾参年九月一日の一周忌に於て冨田木歩君慰霊の為建之 友人一同 亜浪書」

墨田公園の出入り口付近には
「冨田木歩 終焉の地」と書かれていた。
碑を読むと、向島に生まれた俳人木歩は非常に貧乏で、生まれてまもなく足も不自由となり、
女兄弟は遊郭に売られ、次々結核で死に別れながらも、俳句に目覚めていく。
…というような内容が書かれていた。最後、関東大震災の時に、枕橋が木造であったため焼け落ち、
逃げ遅れ、非業の死を遂げたと書かれていた。

 

ここの神社に三越のライオンが鎮座していたが、映画「ローマの休日」の
オードリーへプバーンが驚いたように、「ちょっと手をライオンの口に持って行ってよぉ~」と
仲間のお一人Yさんにお願いして パチリ!
え、顔も撮ったの?…ご本人は驚き、SOはお茶目に笑った。ごめんね~。

それから牛島神社に手を合わせて今日最後の集合写真。

 
 

アサヒビールのビル壁面にスカイツリーが映る。これも東京新名所となってしまった。

 


迎春

2011年01月01日 | 七福神めぐり

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

1月8日は、吉例七福神めぐりですね。皆様のお顔もそろって…
今年は「隅田川七福神めぐり」です。

11年目の七福神めぐりの場所は、故山田先生にご案内いただいたところです。

雨の降る中、4人で下見に出掛けました。
そのときに思いました。11年前のことが、不思議なことに、
思い出として、いろいろなシーンが登場してきました。
あの時、皆さんの後を風景見ながら散歩し、おしゃべりしながら歩いているので、
どの道を通ったということはあまり覚えていませんでした。
そのお寺や神社、桜餅を買って隅田川を眺めたことなど
地点、地点は懐かしく覚えているのですね。

そのときの皆さんの笑顔、会話まで想い出されて感無量の心地となりました。
みなさんもどうぞお楽しみに…。
今の時点で参加者は21人ということでした。

なお、この冒頭の富士山は、よく撮れているでしょう?
娘一家が、Nagoyaに帰ってくるときに、その夫の助手席から撮ったものです。
何年も、そして何度も、私は富士を撮るために
富士をねらうのですがシャッターチャンスを逃しています。
東名道路の富士は近すぎて
(好い姿だな)と思っているうちにあっという間に視点が変わっていくのです。
こんなに良く撮れた富士山を見て、幸せな気持ちになりましたので、
皆さんにもお裾分けです。 どうぞ…m_ _m.


新宿山ノ手七福神めぐり

2010年01月08日 | 七福神めぐり

平成22年1月7日(木)
9:30最寄りの駅に集合となっていました。
ここでちょっとハプニング。
時間になってもお二人が集まっていない。
結局
次の集合場所で25人のお顔が集まりました。

今日はお正月らしい良いお天気に恵まれました。
今回の二千和会は“新宿山手七福神めぐり”を
致しました。

飯田橋駅から新宿駅に向かって
歩を進め、途中徳川ゆかりの花園神社にも寄り、詣でました。

お参りの始めは、神楽坂通りの善国寺。
今年の干支にも因んだトラが
狛犬の座で、お寺を守っていました。

ず~っと進んで七福神の途中、
“ぬけべんてん”とも呼んで親しまれる三角地・角の鳥居を
通り抜けて行ける珍しい弁天様も。

今年は会報に載せる程度の写真しか撮らなかったので、
また会報が出た時のお楽しみとしましょう。
または、今年の“七福神”のブログは
YGさんに期待してもよろしいでしょうか?

今年はまた、講座に出席後、引き続き自主運営「二千和会」となって
から、10年の月日が経ちます。
この記念すべき年を見過ごしてはならないとの
気分が役員としては起こります。

そこで記念パーティーでも開こう、という案が
昨年の総会で承認されましたので、皆さまどうぞご期待下さい。

開催時期は今のところ九月はじめの頃と
思っています。
勿論、時間帯はお昼を中心にして
親しく和やかに、気持ちの一致などをお互いに
心地よく頷きあっていきたいと思います。

そして
今後の人生の楽しみや深み、広がりにつながって行きますように
との願いを目指した、パーティーとなる予定です。

   

二千和会が歴史を重ねるということは
皆さんの…言いたくはないけれど、年齢も積んできます。
善旗高齢者”(別に前期というつもりはなく、素敵に旗を振りかざして進んで行く頃)として、
さらに
広揮高齢者”“光輝高齢者”(後期なんて感じ悪いとの風評に耳従って、
広く輝かせ真の力を発揮する頃)だと、胸を張って
生きていたいね。
…そんな願いを七福神詣でで
祈って参りました。


謹賀新年

2010年01月01日 | 七福神めぐり

明けましておめでとうございます。
輝かしい未来を感じながら、
本年も楽しく散歩いたしましょう。

旧年中は大変に、ご理解とご協力を戴きまして
ありがとうございました。
本年も変わらないご厚誼をよろしくお願いいたします。

 
たまたま、開けたピクチャーのメモリーに、
2006年(平成18)“浅草名所七福神巡り”の写真がありました。

樋口一葉にゆかりの地でもありますので、その辺りの七福神を
めぐって祈り、会員間の親睦をはかりました。

これは今戸神社にて記念の勢ぞろい。
この時はYGさんが、当日、急に抜けられない用事が起こりました。
けれど、その用事がすんで途中から駆けつけてくれました。
勢いがあります。元気です。

今年は“新宿山の手七福神めぐり”です。
1月7日(木)に飯田橋・牛込辺りを起点に副都心新宿周辺を散策し、
年初に一年中の招福を祈念したいと思います。

本年もあちらこちらを散策して、
皆さんと共に見聞と親睦を深めて、未来へ拓く手掛かりを
見つけて行きましょう。

(write O.)

 


麻布七福神めぐり⑤

2009年01月18日 | 七福神めぐり

 
 街角の道案内図を見入る会員。「中華人民共和国大使館、麻布中学・高校の前の道を通ってカタール国やマダガスカル共和国大使館からアルゼンチン共和国・スロバキア大使館前の道…こんどは大法寺、いよいよあと二つだね。」 確認しながら、指差しながら…。 
 文学・歴史的な視点でこの度の七福神めぐりを見てみましょう。前にも出て来たことですが、赤坂氷川神社では、赤穂浪士のゆかりの立て札で案内されていました。
  


 ここ赤坂の氷川神社の境内に浅野土佐守邸の址だそうです。木札には「浅野内匠頭夫人の幽居していた里方で“南部坂雪の別れ”として喧伝された所なり 昭和18年3月 東京都」としてありました。
 ふと見上げると、寒緋桜?桃の花?が、咲き始めていました。
         
 ここ氷川神社の築地塀に立つ Ishigamiさん。

 

  下は南部坂(久国神社の近く)の写真です。
           
 大法寺で甘酒を頂き、坂を下りていくと、小さな広場があります。“きみちゃん像”がポツンと立っています。

 きみちゃんは、「赤い靴」(野口雨情作詞 本居長世作曲)の女の子のモデルだそうです。女の子の名前が岩崎きみ。ここ麻布に、鳥居坂教会の孤児院(明治10年から大正12年)がありました。宣教師がきみちゃんを引き取って幼女にしたけれど、女の子は肺結核を患い、アメリカまでの長旅にはとても耐えられないと判断されて、宣教師夫妻はきみちゃんを鳥居坂孤児院に預けて母国へと帰って行かれました。

 きみちゃんは肺結核を患ったために、わずか9歳で亡くなってしまいました。そのため歌のようには異国には渡らず、この孤児院で短い生涯を閉じてしまったのです。

 きみちゃんに関するパンフレットが向かいの店にあるというので、参加者人数分頂戴しましたが、この店の主人が好意でボランティアをしてきみちゃん像を守り、またユニセフに寄付をしていると話されました。募金をせずにはいられませんでした。

    (佐々木至作)
 横浜の山下公園に、赤い靴の女の子像がありますので、この港からあの歌詞のように船に乗って異人さんに連れられて行ってしまった…とばかり思っていましたが、もっと哀しい事実が在ったのですね。(アーメン…かな?)


麻布七福神めぐり④

2009年01月17日 | 七福神めぐり

 
 大黒天・七番目の大法寺で。甘酒を頂いてほっこり暖かになってふと空を見上げると桐の花柄が、面白い画像を見せてくれました。
  
 さて最初の七福神までちょっと戻っての話題です。
 赤羽橋駅に程近い宝珠院です。弁財天が祀ってありますので、懇ろにお参りしてのち、FuriyaさんOkadaさんの指差す先を見ました。珍しく蛇の石像でした。どのような意味があるのでしょうか。傍にはお百度石なるものもありました。
   
 そこで、面白い?ものを見つけましたので、石造りのものに注目しました。
 狛犬が台座から外されて向き合っていました。多分これから、氷川神社(麻布)は、改築を始めるのではないでしょうか。そして本日の最後の神社は、十番稲荷神社です。そこの階段下、通りに並ぶ位置に蛙の石像。脇には蛙の由来が記されておりました。
 蛙のお守りをお財布に入れると、お金がかえる、…お守りを身に着けて持っていると、若返る、蘇る、お家に帰る…やや、私の思いつきで“かえる”を並べました部分がありますが、M.I.さんは考えた末、やっぱり“お守り”をと、引きかえって求められました。いいお話でしょう?
 
  先に述べた“甘酒のお振る舞い”の大法寺。門先で皆さんが頂いております。疲れた足も少し腰を下ろして回復しました。ついでにお寺の奥さんにカメラのシャッターを押して頂き、記念の写真を撮りました。次号の会報には、次にあげる集合写真が載るのでしょうか?または…? まだ思案中です。
  
 
 これは、じつはカメラマン本人を添付貼り付けをした、加工した写真です。もとの写真は参考までに下に載せますので見比べてください。

  


麻布七福神めぐり③

2009年01月16日 | 七福神めぐり


 赤坂の氷川神社。今回の七福神には、麻布の氷川神社を廻るのですが、Kadoyamaさんのかつての散歩道、淺野内匠頭・忠臣蔵での由緒ある神社でもあるそうで、そちらにも寄ってみました。ここはかつて山田先生にもご案内いただいたところでもありました。
 道筋とは相前後しますが、下の写真は久国神社(布袋尊)での皆さんの和み風景。


 楽しい食事風景…東京ミッドタウン地下1Fにて
  
  
  
  
  “とろっとろの特製玉子どんぶり”¥1200で、美味しかろう、高かろうとの、ミッドタウンの予めのイメージがあったようでしたが、それを打ち破って、お手ごろの値段にかかわらず、美味しいと皆さんの評価。
 「参加者が一堂に集まって食事を楽しく賑やかにしましょう!」という、御要望にも応えられて良かったのです。…あれ!?一人居ないよ!
 それは、Kojimaさんです。氏から、プランを提供して頂きました。さらに年末の忙しい時期にもかかわらず、下見を率先してやって下さって頼りになる有り難さが身に沁みます。「下見時にこのお店に行ったので、今日は僕好みの美味しいラーメンを食べて来る。」と、近くのお店に食べに行っているのです。Kojimaさんには、本当にお世話になり有り難いと、会長はじめ参加の皆さんは、特に感謝しつつの散歩です。
 この度から、会旗も追加になり風邪で急遽不参加になられたAsadaさんに代わりKojimaさんとしんがりを勤めてくださったKadoyamaさんが、旗を持って下さって、一人もはぐれないで揃って行って来られました。
   
 もうひとつ坂の案内で写真を撮らなかったものに、「行合坂」も印象的、なんとなく文学的香りが漂う坂の名前でした。以前、山田先生と歩いて坂の多い街と記憶していますが、この辺で今回は通らなかった「鐙(あぶみ)坂」という名の坂も、覚えていました。急坂で、馬も鐙を使わないと登って行こうとしない…との説明があったことを思い出していました。
  南部坂は大内内蔵助が討ち入り前に浅野内匠頭の未亡人瑶泉院を訪れる「南部坂雪の別れ」(ただしフィクション)で有名な坂でそのような説明が記してありました。