いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

演劇を見る会

2008年08月30日 | SO-Color

 高校時代のグループで演劇を見る会が出来ていたので所属させてもらう。私は今年の入会だから、今回で4回目。
 
 1回目:薔薇の花束の秘密
     安奈淳・毬谷友子

 2回目:ミュージカル
     天切り松人情闇がたり
     左とん平・劇団員

 3回目:春 忍び難きを
     川口敦子・河原崎次郎

 4回目:説教節をぐり考
     中西和久 

 
 ちょうど100回目の記念公演からの参加となる。その鑑賞の日は一日中、皆と楽しむ日としていたが、今回はどうしても参加できない方が出てしまい、三人となったため、いつものお楽しみプログラムはやめることになっていた。
 
 ものがたりは、二条大納言の世継ぎ小栗判官は、相模の横山家の娘照手姫の婿になるが、義父の怒りに触れ、毒殺されてしまう。照手も許されずに相模川に流され、遊女屋で拾われ、美人なので遊女として生きていけと危うく遊女にさせられそうになるが、絶対にそれだけはなりたくないと拒んだため、下働きの苦役を強いられる。小栗は地獄の閻魔さまの慈悲で生き返るが…。65役をひとりで演じ分け、能や狂言的手法で時空をスピーディーに乗り越えるドラマチックな切ない恋物語の芝居。ハンセン氏病の隔離される病人のことも批判というか実情を織り込んでいた。

 

 会報編集で緊張感から開放されて、ちょっと「うとうと…」したようだったが。

 でも、中西和久という役者、小柄ながらよく声が通り、右向けば女役、飛び跳ねて左側になり男役と変わり、本当に女性の顔に見えてくるから不思議。これぞ日本文化と言っているようだ。そして嫌な女や閻魔様の轟くような声を出して衣装も前のままなのに別人に見えるので、退屈させない。衣装は巫女姿になるためと、後は錦織の狩装束のようなものの2回羽織って替えた。
 ミイラのような変わり果てた姿の小栗(人形)を黒子が操り…中西和久に渡し、そして影へ。このミイラのような痩せさらばえた姿の人形がハンセン氏病の罹患患者も象徴している。
 どこからこの芝居を見いだしたのか?「ちば演劇を見る会」の役員さんは偉いものと思った。
 
  これが済んだら、またず~っと夜になるまで楽しんでしまうが、お馴染みメンバーがいないし…キョロキョロしていたわけではないが、珍しく役者の幟がたっていたので、閉場後のざわつきのなかで、ちょっとパチリと、三人で交代にカメラ目線をしていたら…! 「Oさん!」と文学散歩の「Someyaさん」が呼び止めてくださった。
 
 Someyaさんは、小鼓を長いことお稽古、舞台も踏まれている。千葉市の主催する「市民文化芸術大学」―文学美術音楽部門で、ご一緒した方―偶然文学散歩にお誘いできて、私たちの参加メンバーになられた。
 だから、能や狂言にはとても親しんでおられて劇場が引けて、本当に偶然呼び止められたが、生き生きと水を得た魚のような感激したお顔にお会いできた。
 その後、私たちメンバーは甘味どころで寛ぎのひとときを楽しんだ。低気圧が関東・中部地方に停滞して物凄い土砂降りを引き起こし、道路が川のようになったりしているこの一両日。とても蒸し暑かったが、幸い雨降りの時間をかいくぐって無事に傘も差さずに帰ることができた。


いちよう32号(印刷・発送)

2008年08月28日 | 会報お役立ち



 ここは千葉市ハーモニープラザ(クリック→こちらにも出ています。加賀美幸子(NHKアナウンサー兼任)名誉館長。
 福祉と男女共同参画という謳い文句のもとに出来た会館。ここのコピー室で、「いちよう」の印刷を、運営委員の手で毎号印刷している。この画面はちょうど印刷が終わり、ほっとして出るところ。(15:20)
 外は雨が降り出してきた。これから三人で反省会をしようと近所の喫茶店で少しだけ寛ぎます。


 ところで印刷手順を最初から順を追って見て行こう。

 始めは、印刷の手続き。二階受付から始まる。まず印刷室の使用許可を取る。
 その内容は、印刷原稿の点検もあり、会の名称、代表者、申請者の所番地や連絡先の届け、使用時間の大体の申請などをする。
     
                              
 ちょうど印刷が終わってほっとした役員のお二人が歩んでいらしたところをキャッチ! 印刷が終わり部室も消灯、館の事務の方に届け出て確認後、施錠をしてもらって印刷が終わる。

 とにかく印刷中は冷や汗交じりで、三人が確認しあいながら、なるべく無駄や失敗をしないように留意して印刷。
 「原紙の置き具合はいいかな」「印刷設定はいいね」「用紙の置きかたは?」「上、右の余白は適当?」「インクの濃さは?」
 みんなでやれば怖くない…いや、やっぱりこわごわ、大丈夫かと不安を持ってボタンを押す。
 とくに、カラーコピーのページは前もって別のところで一枚30円(安価な店を見付けたので。普通は50円)をかけて印刷してくるため、その用意した用紙は無駄には出来ない。
 今回は「紙押さえ」の設定が厚い紙用になっていて、2枚も失敗、駄目にした。くちゃくちゃになってしまったカラーページ2枚の紙面を、家に持ち帰った。その裏ページ(白黒ページ)にあたる面を中表に張り合わせてそのページもなんとか活かして、いちようを2組作ることができた。勿論紙面が破れかけたりしているもので、次号の編集の時参考に使うだけにしようとは思うのだけれど。

 そんな緊張感で印刷を終えると、今号は16ページを、折って組む。
 封筒に収め封をする。流れ作業で「みな手馴れたものね…」「内職みたいね…」でも90~100日ぶりにするから、「忘れかけた頃の作業ですよね!」
 …という具合で、お茶の時間が楽しみになってきたころに終わる。 やれやれ。
                 
 ほっと寛いだあと、小止みになっていた雨のなか、発送に出発。
 発送キーステイションまで、ちょっと離れているため、その道中ものすごい雨の降りに見舞われた。
 たまたま赤信号で待っているときの撮影だが、ワィパーは最高に動かしていないと前が霞んで見えないくらい…! スピードを控えてたどり着いた。発送手続きが済んだ頃に小止みになって安堵する。
 速達ではなくいつものように普通で発送したので、皆さまの手元には明後日以後になろうかと思う。どうぞお楽しみに!!



 家に着いた途端また、激しい降りになってきた。
 できあがった「いちよう」32号は、まだきちんとは読んでいない。編集中には見つからない間違えなどが、印刷し終えた時に、神から意地悪されたみたいに見つかる。だから出来上がってからすぐには本気で見ないようにしている。 
 これも生活の知恵と言えないか?言えないね。間違いは間違いなんだもの。
 


在りし日の藤村と伯父と

2008年08月27日 | 会報お役立ち

 偶然であった。
  東金の旧家、子安家のアルバムに姻戚に当たる島崎藤村の姿が写っている。子安家の跡取り夫人は、私の幼馴染みの千恵子さん。彼女がその大事なアルバムを紐解いてくださった。そして、そこには…!!

 彼女が古いアルバムを引っ張り出して見せてくださった。何度か藤村と子安家の話題は伺っていたのだった。

    やっぱり難しいので確認した。以下は訂正して書き直してみた。
「私のお舅さんの父親の奥さん(私の義理の大伯母)は、藤村の奥さん、静さんの実のお姉さん。すなわち藤村はこちらの二代上の方の奥さんの妹さんと夫婦となったという訳だ。そして昔はよく藤村がこちらの家に遊びに来られて、九十九里海岸で遊んだり船で釣りを楽しんだことがあったということでね…、この藤村の写真をあげるわ!」
 …以前、藤村が船遊びしていらして、珍しく相好を崩して笑っておられる姿がセピア色になって残っていた写真。雑誌社か出版関係の人かと思われる、何方かもご一緒で、5、6人の人と手漕ぎの船で写していた写真(コピー)を、頂いたことがあった。
 文学散歩の何かの役に立つかと、伊藤会長にもず~っと以前にお目にかけたことがあったけど…あの写真…大事にしていたのに、どこへしまったのかしら?
 そんなことを考えていた。

 子安家のアルバムから藤村の写真!
 右はよく拝見しているあの藤村の姿です。左は奥さんの静さん。
 私の幼馴染みの千恵子さんにとっては、お祖父さんの父親、曾祖父の奥さん曾祖母が静さんのお姉さんだから、このアルバムに居られたけれど、私の遠慮癖が、また出てしまってデジカメに残さなかった。静さんに良く似た彫りの深い美人さんでした。

 アルバムを繰っていくうちに、今度は私の見たことの無い写真だったが、偶然にも私の父の兄の…私の伯父が同じアルバムに納まっているようす…?
 よく見てみると確かに伯父がいた。

 ここにある走り書きメモは、千恵子さんが、アルバム整理をせねばならぬと現在病床にある、お舅さんの妹(現在90歳)文さんに書いてもらったもの。
 私は真っ先に「安房郡富浦町…」の文字が目に入ったので注目した。富浦に住み、「富浦海浜学校」の校長先生であった伯父が居た懐かしい土地。夏休みには妹と富浦で暫く泊まり、泳げるようになった海、裸足でかけて行って凪をみては泳ぎの練習をしたことがあった。 海浜学校…それなら、この記念写真にいるはず…と目を凝らした。
 居ました!
 前列左から4番目、校長だった(数えてみると伯父は29か30歳の頃)から真ん中では?と探したが違った。多分来賓がお出でになったのか、そのために撮られたのか?
 千恵子さんのご主人の叔母さん=文さんは、その学校に半年間、籍をおいたということで、最後列右から二人目。
 また世間は狭いもので、私の妹がある時期、その叔母さんの息子さんとお寺で合宿したことがあったことのつながりは以前、聞かされていたことがあったので、知ってはいたが…?
 こみいっていて、人との繋がりは系図でも書かないと、はっきりは頭に入りにくいしなかなか理解しがたいのだが、この説明で間違ってはいないと思う。
 
 体が弱かった千恵子さんのお舅さんの妹、文さんと、富浦海浜学校で校長をしていた伯父(この写真、右から三人目 千葉大医学部卒 同大助手を経て開業 その後開業は生涯であったが、その間千葉大講師 日本医学会・東洋医学会評議員を歴任した。)が、たった半年間に過ぎない他生の縁により、一枚の写真に納まる運命で繋がっていた…なんて感慨深いことだろう。
 子安家のアルバムを見せて頂いて判ったことは、私たちとこんな思いがけない縁で結ばれていたということだったのか!
 こんな偶然もあるんだ~!
 単に体が弱かったというだけでは入学できなかった学校だったと聞いている。かなりの旧家か、資産家か、それなりの子息令嬢でなければ…。            

 本当に偶然とは言え、驚きましたし、納得もいたしました。


葡萄は一粒

2008年08月23日 | SO-Color

 ここへ来て初めて葡萄狩りをした。愛知では毎年吟行会を楽しみながら、葡萄を摘んで、お腹いっぱいになるほどに味わっていたんだけれど…。

 遠い昔、母は私に少しずつ大人の話しに導入してくれた。
 世の中では「カルピスは初恋の味」と、キャッチフレーズにしていた頃。飲み物の甘酸っぱさが初恋なのね…とそれなりに納得できた。実は、「葡萄こそが初恋の味なのよ」と、母の言葉。
 ふ~ん、甘い味ね、しかし種もあって、口の中で実と種を振り分ける時に、すっぱい味も味わわなくてはならない。甘い夢のような恋ばかりを思っててはいけないという教えかな?
  

 一粒口に入れてください。 どうぞ!

 そのうちに大人になって思い当たった事がある。「キス」の味だったのかも知れない。母はそれ以上は言ってはくれなかったけれどね!
  
 左は「ヒムロット」   右はまだ完全には熟して甘くなっていないと農園の方が言う「巨峰」。
 袋に窓がついていて葡萄狩りのお客さんたちが、そこから覗いて、確かめて房の茎を鋏で切り取ることが出来た。思い違いをせずに済む。

                
 そう…、毎年吟行会をしながら、葡萄狩りをしたのは夏休みが終わりそうな頃の時期で、葡萄は巨峰だった。愛知の方がやや南国だったのか!? 少しだけ時期が早かった。
              
 吟行会の中に幼稚園だったか小学生になっていたかの男の子が参加した。友達の息子さんだが、彼の可愛い句を思い出した。
・ぶどうがり はやくたべよう なくなっちゃう
 写真のように、そこの農園でも葡萄の袋がたくさんぶら下がっていたのだけれど、子どもはひとしきり葡萄を食べると、虫採りもしたいのだ。
 トンボ、キリギリス、ウマオイなど、採ることも楽しみのような感じだった。懐かしい夏の行事だった。 


立秋のカレーと紅茶

2008年08月21日 | SO-Color

  カレーと紅茶のお店「セーナーニ」で食事をした。

 ここのオーナーシェフはサマン。アメリカ生まれのインド人。(サマンは左の方です。)
 お店の名前は「セーナーニ」という。インドの言葉で勝利・優勝という意味。北京オリンピックではちょうど今日、ソフトボールの種目が、日本・金メダルということだった。まさしく勝利!

           YGさんも多分…知っている方でしょうか?

 サマンは二輪国際A級免許取得者でレーサーだったそうだ。レーサーだったがアメリカの二輪レースで大怪我の後、引退して治療のため千葉に住むことになったとか。蓮沼という所の接骨医にお世話になったという。10年は日本にお住まいで日本語は大変達者!

 カレーを注文して、ご飯はレーズンかサフランか、そしてスリランカライスか?と、思案する。そこで、ご飯は6人全員がスリランカライスを、カレーはさらに細かく注文メニューが分かれるので、さらに注文するのにどうするか考えてしまう。
 カレーの辛さは普通と、辛いもの(辛いなかでも3段階くらいに分かれている)。他の客に「デビル?」と聞いていたから、最高に辛いのだろう。カレーの種類はチキン、ビーフ、マトン、ポーク、野菜、豆、魚そしてシーフードと多種。

 私たちは辛さに紛れて味がわからなくなるのは不本意だと「普通」を注文したが。
 ご飯はスリランカ、カレーはチキンとビーフを1人前ずつのを3人前注文して、それぞれ好みの量のカレーをかけて頂くとした。
 スリランカライスはチャーハンかピラフのようで、レーズン、えび、玉ねぎ、ピーマンなどが入ったご飯だから、カレーをかけなくてもそれだけで充分なのだけれど、味を知りたいのでそのようなメニューにした。
  
           
 食後の飲み物の注文を問われた。「紅茶は如何でしょうか」とシェフが尋ねながら、「美味しいですよ」と勧められて「生姜入りの紅茶」をお願いした。
 お料理が運ばれて……。

 「これはインド料理だから手で食べて頂きたいけれど…? 日本人は、ショウガないな~」としぶしぶフォークが運ばれた。
 「え~、ショウガあるんじゃないの?」
 (さっきの生姜入りお勧め紅茶はショウガですから、という意味でニコニコして言ってみた。)
 「いや~!負けた、負けた」とこれまたインドのシェフは、退散。笑いながらの楽しい食事の時間が展開した。

 


ルオー大回顧展から

2008年08月16日 | SO-Color


  前の“ルオー大回顧展”で感想を述べさせていただいた、「葉子」。

 カラーではなく、田中さんにティケットと共に頂いていたコピーにあった。それを、更にスキャンして、イメージを少しでも伝え、残して置きたいのでここに登場して頂こう。
(その後、田中さんにこの記事をご報告いたしました。すると早速カラーコピーの「葉子」をお届けくださいましたので、とても有り難く拝見。感謝して、カラーの作品と差し替えますのでご覧ください。)

 葉子の鼻の線(すなわちルオーが感じた葉子)は、これで見る限り私の第一印象(前ページ参照)の衝撃感よりは大丈夫!…見られる。

 あまりの厚塗りで盛り上がっていて「あらっ! これでは何だか可哀想…」と思ってしまったから少し目をそらせたのかも知れない。
 もう少し絵から離れて、きちんと見てあげてなかったことを反省する。

 絵具をあれこれ使って色合いが混ざっていたような印象で、日本画のような迷わない色、整った決心の見える線…などとは程遠いもので、自由さ、奔放さ、躍動感が油絵にはある。
 その画材・オイルペインティングを扱って描くルオーの絵も、自由さの点でかなり頑張っている。直に絵を観るということは、その絵の作家の息遣いや肌合いまで、近く寄せて貰える感覚があるから、どんなに疲れても、この目で見なければ掴めない何かを探しに、そんなふれあいを楽しく受けるために出かける。

 以前見た「ゴッホ展」では、日本に憧れて日本画・版画に学ぶ気持ちがあったゴッホの喜びを見た。ゴッホが広重の「大はしあたけの夕立」を、多分ゴッホにとって斬新な考えたこともない構図に魅せられて、模写している。ゴッホの描いた絵をよく見ると、日本画材の岩絵具が油に混じり添えられて使われていた。油に交えて岩絵具の粒子がキラキラ光っていたのだ。これは画集で見ても判らない。直に絵に目を近づけて判ったこと、発見であった。もともと私はキラキラ光ってさらさら砂のような動きを見せる岩絵具が好きで、日本画を学びたいと思っていたことを思い出した。 
 ゴッホの気持ちが痛いほどわかった。少しの岩絵具を手に入れることだって大変だったろうと。版画だけではなく、岩絵具まで入手できて模写したゴッホの踊るような嬉しさが手に取れた。

 田中さんから頂いたコピーは美術館散歩―出光美術館ページ(←クリック・大きなページが見られます)。タイトルは 自らの作品を愛し続けたルオーが生み出した“溶岩のようなマティエール

 そのコピーに依ると、ルオーは晩年になるほど絵具の厚塗りが極端に厚くなっているという。これ以上盛り上げると絵具の層ごと画面から剥がれ落ちそう…と書いている。
 なぜこうなったか?
 その一つの理由は、わが子のように愛してやまない自分の作品に対する深い愛情にあった―という。葉子の父君は福島繁太郎。彼はルオーの絵を収集したが、突然訪ねてきたルオーによって「裸婦立像」が、描き直されて、とうとう駄目になった(すっかり違う作品になってしまった)という。
 つまり―ルオーにとって作品とは常に気がかりな対象であり、チャンスさえあれば自分の満足のいくとおり何度でも筆を加えたい存在だった―というのである。
       (…出光美術館主任学芸員 八波浩一…氏の書いた文を参考にした。)

 


ルオー大回顧展(出光美術館)

2008年08月16日 | SO-Color

 


 足が弱ってきている? 今日の美術展は疲れた~! 
 この弱音は、本当は吐きたくは無かったのだが、遂に5分の4くらいを鑑賞して後、ポソッと、K.T.さんにつぶやいた。
 すると…「私も!」と、1年先輩の方が同意された。「ホッ…」
 だけどもう歴年齢だけじゃない、体力的な面も脳の中も「生活年齢」というかどうかは知らないけれど、年齢だとは一概には片付けられないことが実体験で感じさせられている。
 しかし、彼女がお疲れなら大方の皆がそう感じたのだろうと安心する。そしてセルフサービスで自由にお茶を頂ける休憩室に腰を下ろした。
 ここのコーナーは絶品である。何もさえぎるものが無く皇居の自然が遠景で眺められてホッとできるからだ。
 ここで一息ついて、少し作品群を鑑賞。  田中さんから頂いた招待券。二千和会メンバーに有効に使わせていただこうと、今日は主に、絵画に特に興味をもたれていらっしゃる方をお誘いさせていただいた。
         
                    
         左:チケットの図柄  右:受難〔1〕  下:キリストの顔
 ルオーと言えば、輪郭線がはっきりと強い線で、特に黒い色を用いて描かれる。その発想、と感覚は何故なのかとかすかな疑問に思っていたが、はっきりした。
 父親がステンドグラス職人だったそうだ。納得であった。
 ここのオーナー出光のコレクションは素晴らしい。ルオー代表作である油彩連作「受難(パッション)」が全部揃っている。これがそもそもの疲れの素かな?絵とその説明…鑑賞に余りあることだ。挿絵だから小品であるにも関わらず、油をつかって力が入っているから重い。それと版画連作「ミセレーレ」を中心に、厳選した約230点の作品によって、ルオーの画業の全貌を展示している。つかれた~!見ごたえがある~!

         
                
       左:X夫人      右:優しい女      下:トリオ(真ん中がブルジョワ、右が成り上がり、左が曲馬団の娘)
 今回の展示中、私が好きな気に入った絵は「レナ」! インターネットで作品を探したが無いので具体的に紹介できず残念。その女性は都会的な雰囲気で、やや右向きの憂いを含んだお顔。肌色には緑がかった色が重ねられて透き通った西洋人の肌が描かれている胸までの肖像画。塗り重ねも只事ではない。2~3センチの厚みに見える。
 そしてその絵を引き立てる額。あれは手作りだろうか?凝っている。普通は絵の周りのマットは白っぽいのだが、混ざりっ気のないグリーンで12、3センチはあると感じられる幅。その枠が更に二重三重に飾られているのに、ただその絵を引き立てるだけの役割をはたしていて、邪魔ではない。一度見て、また引き返して「レナ」に会ってきた。お気に入りとなった。
  
                         6月25日の「二千和会 皇居参観」のときのもの。出光美術館の方向?
 ほかに、「葉子」は注目した。日本人のモデル、日本ではいち早くルオーの作品を購入した福島繁太郎の令嬢、葉子。ルオーは鼻の線が平仮名の「し」かアルファベットの「U]のような形で表して単純な線の作品が多い。
 葉子の鼻も単純な線だけれど「と」のような表現。アジア人の特徴を「と」としたか!と。絵具が塗り重ねられて分厚いふくらみ、懸命に描いて描いたのだろうが、もっと美しく描いて欲しかったな。日本人の私としては!
 「私は三人のマリア!が気に入りました。」と言われた方もありました。

 主婦三人。午後からのお出ましなので、そろそろ4時を回ると、「一応出かけてくると家族には告げて、夕方少々遅れるかも、とは承知してもらっているけれど…」と言いながら、夕餉の支度が気になってくる。
 あ~、私は例外かな! かなり自由に私の時間を編み出しているし、家族それぞれが自分の時間を大事にしているので、私の時間も結構認められていると思っているのだが…。
 あ!この家族のための夕餉の支度が自分の時間か!?

 家庭を持ったときの最初のスタイルが、その家族の未来を物語って行くらしい。
 「私個人の時間」と家族のなかの「私(職業人)・主婦・母・妻の時間」は、運よく(?)区別がはっきりできる生活から入った私とは、違うのだから仕方ないと思う。 
 折角有楽町まで出てきたのだから、本当はその辺をゆったりとした時間のなかで掴んでみたいとも思ったのだけれど、こうして帰りの電車の中でのおしゃべりも、なかなか掴むものがあった。
 同居のご両親の生活、過ごし方は唸らせるほど理想の形で、それを感じ取って共に生きていかれることの素敵さを受け取った。

 ありがとう!田中さん、楠さん、高橋さん。お陰さまで好い時間が過ごせました。
 


1ダースの熟女たち

2008年08月11日 | YG-World

昨年の8月10日の事です。暑い日の朝、ミスター・Nさんの訃報が入ってきました。
     
その前年からの『大腸ガン』加えて『肝臓ガン』更にリンパ節までという状態だったので本人も周りの人たちも暗黙の了解のようなものがありました。しかし、いざその時を迎えると、志半ばで逝ってしまったNさん、さぞや無念だったろうにと涙は尽きません。
  
猛暑日の千葉市・国道14号 『木曽路』にやってきました。
  
今年はN家の『新盆』です。仰々しい仏事はしたくないというミセス・Nさんのお話なので、ミセス・Nさんを囲んでの昼食会をしました。
 
1ダースの熟女たちが揃いました。
皆さん、家族ぐるみ周知のなが~~いお付き合い。全員集合の前の息を抜いた弾けるような笑顔・・・・誰が未亡人でしょう? 
   
どうしても写真は嫌だというKさんがカメラを構えました。Kさんの写真を持ってきてどこかに貼り付けようと思いましたが技術が伴わないのでパス(-_-;)ここは1ダース・マイナス1です。
亡くなってから一年、「未亡人になっても、ちっともやせないのよ」と彼女流の表現で笑っていましたが、「お金も時間も全部自由になったけれど、何を買っても、何を食べても、何をしても張り合いがない・・・」 これが彼女の本音でしょう。


木下サーカス

2008年08月10日 | YG-World

8月27日まで、千葉市役所近くで『木下サーカス』が行われています。         
この暑いのに出かけたくないのですが、仕方ない(ー_ー)!!モノレールでやってきました(ちなみに駐車場はありません)
待ち合わせ人を発見「ハーイ!!」と手を上げたら目の前を真っ黒な壁が動いてくる。
 これです。「象さん」です。本物です。悠然と二頭の象が目の前を歩いていきました。

彼らの落ち着き先はここ 『ゾウさんとの撮影会』です。1枚・1000円也


               これがカメラ 
ちょっとこわもてのアジア系男性がお客さん待ち

                   

実際に行ってみればわかりますが、出演者はほとんど外国人。しかし、暑い殺人的な暑さと湿度。エアコンが効きません。外からテントに水をかけていましたが、そんなものでは追いつかない(-_-;) この日は夜の部のお出かけ予定があり、時計を見ながらだったので、落ち着きませんでした。もう一度??もういい!!  


浴衣で盆踊り その②

2008年08月07日 | YG-World

今回は子供たちもやって来ました。

        
もともとボランティアの日本語教室ですが、このような時には更にボランティアさんをお願いします。昨年に続き、和裁クラブの皆さんに着付けと盆踊りをお願いしました。今回は参加者も多いので私の友達にも応援お願いしました。もっと言うならばいろんな関係の方からこの日のために『浴衣』をお借りしています。
    
    今回のボラさん達。ありがとうございました。
浴衣初体験の方もいます。興味津々の眼が輝いています。8年前に始めた時、私たちが想像していた以上に『着物』というものが外国人の方々にとって、素晴らしい日本の文化として捉えられていることを感じました。そして、日本人として『着物』を着ることが出来ないということが恥ずかしい事だとも思いました。それから一念発起して着付け教室に通い、とりあえずは覚えたつもり。何でもそうですが『習うより慣れろ』。
 

 『掘って・掘って・担いで・担いで・・・』お馴染みの『炭坑節』と『東京音頭』 
        

お赤飯とスリランカの手作りスナックが加わりました。いつもは平常授業。この日ばかりは明日から夏休みに入るし・・・ホッとする日です。
友達OK家族OK 会費無し。誰でもいいよ(^_^)/~という訳なのでいったい何人来たのかわかりません。全員集合の写真で確認!!と思いましたが、これまた全員が揃わない 零歳から60~~ン歳まで。賑やかに華やかに時は過ぎていきました。