いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

満月

2010年01月30日 | 雑記自由帳

今日の月は満月だ。厚い雲からひょこっと顔を出してくれた。



 ♪ お月様幾つ?
十三、七つ  まだ歳ゃ若いね
あの子を産んで この子を産んで 誰に抱かしょ
おまんに抱かしょ
おまんどこに行った 油買いに 茶買いに
油屋の前で 油一升こぼした
その油どうした?
…???


その後に続くのだが、今思い出さない。インターネットで検索したら次のようだった。

 

♪ お月さん幾つ 十三 七つ
まだ年ァ若いね あの子を産んで
この子を産んで 誰に抱かしょ
お万に抱かしょ お万どこへ行た
油買いに茶買いに 油屋の前で
滑って転んで 油一升こぼした
その油どうした 太郎どんの犬と
次郎どんの犬と みな舐めてしまった
その犬どうした 太鼓に張って
鼓に張って
あっち向いちゃドンドコドン
こっち向いちゃドンドコドン
たたきつぶしてしまった

これも、わらべうた。

♪ さよなら三角また来て四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いは兎 兎は跳ねる
跳ねるは蚤 蚤は赤い
赤いはほうずき ほおずきは鳴る
鳴るはおなら おならはくさい
くさいはうんこ うんこは黄色
黄色はバナナ バナナは高い
高いは電気 電気は光る
光るは親父の禿げ頭
(静岡県 伊豆)

これも途中
までは歌えたのに忘れてしまって後に続かない。
そこで、これもまたインターネットで検索してみた。疑問は検索ネットで殆どが解決する。
幾通りもあったが、私が馴れ親しんでいた歌詞の覚えに近いものを探してみた。

こどもって汚かったり醜くかったりするような表現を、ことさら喜び大人たちが顔を曇らせるのを
面白がった記憶がある。自分でも口に出すのが恥ずかしかったけれど、みんなで歌えばヘーッチャラ。

そんなことを思い歌いながら、母の夕食介護に「M.の家」へと車を走らせる。
母はすっかり綺麗に食べてくれたので、気を良くしての帰り道。
辺りはすっかり暗くなっていた。私は帰ってから夕食になるのだ。

 
 
 

ほんの30分

2010年01月28日 | SO-Color

なんだか寝ぼけているような写真である。
この海で、初めて泳げた思い出の海である。知識として、海の比重は水よりも重いから浮力は大きいと…、
だから水の中で泳ぐよりも楽に浮くはずである…、ということをしっかりと頭に刻み、イメージして
「今年は泳げるようになる!」と、励んだことを思い出す。小学校5年生の夏のことであった。

土地の子と海で遊んだ。
「立ち泳ぎ」って、何気なくラクそうに泳いでいるからそれを覚えよう……教えてもらって泳ぐわけではない。
見様見真似である。結局は泳げるようになったのは「平泳ぎ」だった。
初めて浮くことを体験した。
やっぱり海での泳ぎは浮力が手伝ってくれて早く泳げるようになったと、ひとり納得した。

 

いま、時間があれば駅の近くの「RENAISSANCE」スポーツクラブへ行って泳いでくる。
バタフライは上手く泳げないし疲れるから、背泳、クロール、平泳ぎの3種泳法で泳いでくる。

教員免許の「小学校一級免許状」は、全科の教授法は試験を通れば単位を取れたが、泳げない場合は話にならない。
泳法は問わず、兎に角25メートル泳ぎきれば私の時代は合格。
子供の頃からの自己流の泳法で、足の届かない深いプールで
手と足のタイミングが合っていなかったようだが泳ぎ切り…無事免許状を取得。

大人になってスイミング教室で正しい泳ぎ方を学んだ。
スポーツクラブだから、プールのみならず体を鍛えるための機械にも、あれこれ挑戦してみた。
機械を使ってみると、かなり力仕事をしているような…、しかし何の仕事の成果もないのに
体を使い時間を潰すだけ、汗を流して疲れるだけ…、
風景を楽しみながらの散歩に加えて、買い物も出来るような良さもない。
実際に
自転車で出かければ?草取りをすれば?穴掘りをすれば?雑巾がけを力いっぱいすれば?
ハタキをかけたり、物を片付ける時に重いものを運ぶのなら、かなり筋肉が出来るだろうに…と、なんだか馬鹿らしくなった。

水泳の場合、冬は特に温水のプールがなければ、出来ない。
そしてほんの30分あればかなりの有酸素運動が出来て、心地よい疲れもある。
25メートルを6~12往復すれば、300メートルから600メートル泳ぐことになる。
それだけでも運動したという手応えがあり体調も良い。私は水泳のみで満足して帰ってくる。

ある部位を細くしたいとか、足に筋肉をつけて歩行に困らないよう運動したいとか、
痩せてスマートになりたいとか、スポーツクラブで頑張る目的はそれぞれである。
部分的な体づくり、筋力の補強・調整をしたいのなら、その疲れは、
必ずしも生産的な仕事の結果ではないけれど、まあ良いかという気になってきた。
機械を使って筋力や体力の調整をする…というのも、私の考えている中で許される範囲としよう、
毛嫌いしていた機械を使っての運動をやってみても良いかも知れない…という考えに
最近は変わりつつある。
しかしながら、まだスイミング一辺倒である。水泳は時間的、効果的な手応えがあって最高!と感じつつ、
クラブに通っている現在である。
 


時を活かす

2010年01月25日 | SO-Color

 「いちよう」最新号、会報37号(09.12.15発行)の、編集後記「蝸牛」に、次のように私は記した。

 「▲時は流れる▲時に流されるのではなく、時を自分のものとしてとらえ、活かしていこうよ▲一度しかない人生だからね」…と。
 「Sちゃんが書いた、このことに共鳴したわ。私も全くその通りだと思って、行動しようと考えていたのよ」と話してくれた友がいる。反響というか感想を聞かせてもらうことは、何であれ書いた者にとっても張り合いが出ること、嬉しいと思っている。

 これを書いた時は、もっと前向きに突進したい気持ちから出た言葉であるのだが…。そして二千和会のムードメーカーとして認識している会報に “張り切りムード”を、それとなく盛り立ていくつもりで書いたのだが…。

 

 この頃、人生のリミット、すなわち “限り有るもの”であると、本当に遅まきながら感じつつ、いろいろ出来る内にやっておかねばならないのではないか、とも思うようになった。
 今年に入って身近な者がこの世を去ったことも影響している。私よりも十歳も若い従兄弟であった。さらに遡り、昨年は本当に不思議なくらい相次いで、5人もの親族との悲しい別れがあった。 

 対岸の火事なんて暢気にしては居られないことを、ようやく感じ出している。もっと貪欲に、今できることを精一杯していきたいと思う。

 

 でも、それだからといって深刻過ぎる程には考えない質である。“ケ・セラ・セラ”何とかなるわ…と、向かって行くしかないことと、考えを翻すことも得意だ。
 時に流されるのも私、時の流れに乗って行くのも私、…その時に応じてそのチャンスを上手く捕まえて行かねば私ではない…と自分を励ます。
 
 振り返ってみると人生の分岐点では、いつの時もどちらにするかを選択して進んできた。選択する…という事自体が時をつかんできたという事ではないか。今、そんなことを考えながら、立ち止まって周囲を見回している…だけの地点にいるのが判る。


 


お久しぶりでございます(;一_一)

2010年01月22日 | YG-World

決して忙しいからと言って時間がないわけではありません。
次々とやってくる雑事をひとつ・ひとつとやっていました。
おまけに私的な煩わしさを抱えてしまい、気持ちに『ゆとり』がなく『今』に至っています。
さて、私には『孫』はいないのにまた一人『孫』らしき可愛い子ができました。
  名前が難しいので私の中では『エンジェル』と呼んでいます。
   

どうして赤ちゃんは瞬きひとつせず、じ~~~っと見つめることが出来るのでしょう。
みんな生まれた時はそうだったのでしょうね。        

      
        エンジェルのママ(アヌーさん)とパパ(名前は難しくて覚えられません)
        ネパール人です。 パパは千葉大の留学生   
  詳しくはわかりませんが、工学部の大学院で、地震の研究をしているとか。
  今、ハイチの大地震で、かなり忙しいそうです。
  ちなみにネパールも地震があるそうな。温泉はないけれど・・・


千葉大で行われている『自転車マナーシンポジウム』啓発ポスターに
彼の描いたポスターが入選したというので、千葉大にやってきました。
      如何にも外国人の絵というタッチです。
     ほんの1日・2日で描きあげたそうです。 

          
          『チャリも積もれば山となる』
  「あっ!これおもしろいな!!」と思っていたら『学長賞』でした。 


  昨年10月から彼女の家で週1回の日本語のプライベートレッスンをしています。
  赤ちゃんの様子を見ながらの勉強だから、きっちりやれる訳ではありません。
でも、千葉にやって来てまだ数カ月。
夜、インターネットでネパールの両親と話をする以外、夫が帰ってくるまで一日中誰とも話をする事がない生活です。
週1回とはいえ、少しは気晴らしにぐらいなるかなと思っています。
子供は正直なもので、すっかり私になついてしまいました(*^_^*)


  先週は彼女は体調を崩して、少しホームシックだと涙ぐんでいました。
  でも、今日は笑顔です。
夜の寝不足と赤ちゃんの重さで腰・背中・腕が痛いと言っていますが、こればかりは代わってあげることができません。
私にもそんな時代があったはずなのに・・・
『忘れることができる』と言う事はとても有難いことです。
さあ!何はともあれ今年も一年よろしくお願いします。 


コンパクトデジカメで

2010年01月20日 | SO-Color

 会報での写真班は、いままでYGさんとSOで、主に担当していました。
10年目の今年から、SOはカメラは控え目にしようかな?と、思っています。
 皆さんの出番を奪っているかも知れないと、方針を変えようと考えています。
 
 Y.Gさんは引き続いてリーダーさんですが、彼女以外にも Momoko K.さん、Asako K.さん、T.Hagiwaraさん、I.Tabuchiさん…その他の皆さんに撮って戴きたいと考えます。文章だけでなく映像参加も大歓迎です。次号は3月1日号として発行したいと思っています。皆さまどうぞご協力下さい。お願いします。

 以前はS.Kusunokiさんが、散歩の際はいつも、とても協力して下さいました。黙っていても、メールに添付して「いちよう」編集部に送って下さいました。
 こんな場面があったんだわ!と驚くこともあります。
 同じ散歩に参加しているのに写真はそれぞれ…。 
 人が違うと見ているところも違います。

 会報に写真参加も結構楽しいですよ。
 しかし、私たちの会報は白黒印刷の部分が、鮮明に印刷できずで、がっかりすることが多いのです。
 素敵な写真もカラーコピーならどうにか、綺麗に印刷できてまあまあの出来具合ですが…。 白黒印刷では、あまり期待はできません。
 ここの場面の写真は“コンパクトデジカメ”(コンデジ)によります。カメラが良かったらもっと良い写真を見ることが出来るのかも知れません。
 “一眼レフ”で撮ってみたい…もう少しマシな写真を撮ってみたいという、気持ちがありますが、コンデジを使いこなしていらっしゃる方からみると、まだまだそのコンデジで良い写真が撮れるはずだ、と言われそう…。
 要はカメラの良し悪しではなく、腕とかセンスの良さで違うのだと言われそうな気も致します。
 何でも使いこなすことも咄嗟の時は出来ません。いつも慣れ親しんで写し、さらにこうしたらいいかも?なんて研究することも大事ですよね。
 そう言えば、ニュース性のあるものには、咄嗟の構えで撮れなくてはなりません。

 使いこなすということは、難しいものです。
 昔のカメラと違いその場で写したものを見ることが出来ます。そして昔とは違い、フィルムでは無くてメモリーなので、失敗しても何度でも消したり、撮ったりできるわけですから、凄く便利になりました。
 どうぞ扱い慣れればまた違う写真を撮ってみたいなどの、欲も出てくるかも知れません。会員の皆さまのご協力をお願いします。


 


会報の充実

2010年01月15日 | 会報お役立ち

 いつも Katagai さんは、12月の総会時に、来る1年分4つの作品原稿を下さっている。いま預かっているのは変則的に戴いたものも含めて8作品。ちょうど2年分である。
 この7日、七福神参りでお会いした時に、ちょっと心に刻むひとことを戴いた。また後ほど改めてここに書き記したいと思っている。

 総会の時に「会報いちよう」についての話題が持ち上がった。
 「この年会費では、あのように立派な会報を出すのは大変じゃないか」とか、「散歩参加者の会費を上げたらどうか」とか、「会員とゲストではやはり参加費に差があっても自然ではないか」など、「ここまで作り上げるには誰かが被っているに違いない」など編集者に対する思いやりからの発言が投げかけられた。

 しかし、このように成長したのは当然のことだが編集者だけの努力ではない。会員の皆さんが会報を盛り上げて下さっているし、努力され協力を惜しみないからである。それは決して見逃すことはできない。寄せられた原稿を開くと皆さんのお顔が見えて、懸命に後押しされていることを感じるので、それにお応えする喜びも大きいからである。
 この会報には、働き盛りの過去に原稿料を戴いて書いていた方もいらっしゃるのにボランティア。
 編集面にしても応分の給料を戴いていた経験もあったのにボランティア。

 そんなことを引き合いに出しても仕方がないし、関係ないこと。
 それこそ大変な部数を出すような営利目的の出版物ならいざ知らず、これはほんの一握りの会員またはそのゲストに渡すだけの、“和”と“輪”が目的の出版なのである。はじめからボランティアのつもりで、会報編集の“舟をこぎ出した”のである。
 会報を介しての会員間の交流を夢みて編集したのが最大の目的。そのうちに会員の皆さまに素晴らしい才能を見せて頂ける場にもなって、メンバー揃いが判ってきて頼もしくも思った。
 編集しての楽しみ喜び…引いては遣り甲斐さえも感じさせて戴いているし、「だからこそ…」と自負も持たせて戴いている。

 はじめの頃は「会報に原稿を寄せて下さい」と、皆さんのお顔を見るたびにお願いしていて、「彼女には近寄らないようにしよう」とか冗談を言われながら、怖がられ、嫌がられていたと思う。そして年数、回数を重ねた今は、素晴らしい原稿が自然に集まってきている状況で嬉しい限りとなっている。
 なんと誇らしい飛躍ではなかろうか! 編集者としては、ただひたすらに嬉しいことと喜んでいるのである。

 ただ今、「いちよう 38号」のために寄せて下さっている原稿は、Katagai さん(読書・読後感の作品)、Kadoyama さん(心に留め置くテーマ作品)、 kiuchi さん(七福神の感想)、Tabuchi さん(シリーズのNO4作品)です。
 発行は3月1日付ですので、どうぞ今からのご準備で遅くありません。
 ご遠慮なく作品をお寄せ下さいませ。
 とくにお若かったころのことを、書き記してみませんか? 読み手は頑張っていたからこの現在があるのだと心から思います。

 奥ゆかしい皆さんは、「自慢話」に取られるかも?と心配されたり、お考えになる方も、居られるかも知れない。寄稿される皆さんは、マナーをもって書いて居られるので、決してそういう風には受け取れはしないのだ。
 どうぞ安心なさって、お書き下さるよう…ハッスルして挑戦してみて下さい。
 個人の思い出だけに埋もれないで、会報へ引っ張り上げて登場されることを、お願いしたい。


今年は良い年…

2010年01月12日 | SO-Color

 
暖冬かと思いきや、この頃の寒さ…
今日は東京地方で、初雪が散らついたそうである。
ニュースで知っただけで、実際は気がつかないで時を過ごしてしまった。
雪の影すら知らなかった…。
久しぶりの雨…氷雨であった。

新年明けてのお正月は
皆さんはどのように過ごされましたか?
きっと良い年の幕開け…という意識をもって
楽しく愉快にお正月らしい時間が展開されたことでしょう。

“お正月さん”と呼んで、お正月には他の月と違って
どんな物にも事象にも神が宿ってくれる月…
元旦が、心平安に過ごせれば一年が安泰だとも言われている。
“一年の計は元旦にあり”とばかりに
もの静かに、心楽しく、美しく、過ごそうと、元旦は特に心に留め置き、努めもしたものだった。
今年もどうやら良い年…となりそうな気配となった。
そんな、こんなで、もうそろそろ小正月だ。



今年の我が一族は新年会と墓参会を共にしてみた。
いつもは一月のうちにその二つの会を別の日に行っていたのだが…。
それぞれの家族が、それぞれ忙しくなってきたことを実感した。
毎年三日を新年会として決まっていたのだけれど
今年は集まれない家族が4家族も出てしまい、日にちをずらしたのであった。
そんな年もあろう。
年々、成長していく家族をみていると
それはそれで、素晴らしいことに思える。

家族の成長も然り、二千和会の歴史も然り…。
その歴史的なことを踏襲しながらも、変えて行くべき事柄も生まれるのは
自然のことである。

さて、七福神巡りは終わったが、次の花見どきの散歩会は
どうしようかな?
会員の皆さま、ご希望の案がありましたら、ご遠慮なく、ご提案下さいませ。
運営委員会で6名の委員が、頭を寄せて名案?を考えながらも
皆さんのご希望の方向を探りながら実行して行きたいと考えています。
よろしくご理解下さいませ。



新宿山ノ手七福神めぐり

2010年01月08日 | 七福神めぐり

平成22年1月7日(木)
9:30最寄りの駅に集合となっていました。
ここでちょっとハプニング。
時間になってもお二人が集まっていない。
結局
次の集合場所で25人のお顔が集まりました。

今日はお正月らしい良いお天気に恵まれました。
今回の二千和会は“新宿山手七福神めぐり”を
致しました。

飯田橋駅から新宿駅に向かって
歩を進め、途中徳川ゆかりの花園神社にも寄り、詣でました。

お参りの始めは、神楽坂通りの善国寺。
今年の干支にも因んだトラが
狛犬の座で、お寺を守っていました。

ず~っと進んで七福神の途中、
“ぬけべんてん”とも呼んで親しまれる三角地・角の鳥居を
通り抜けて行ける珍しい弁天様も。

今年は会報に載せる程度の写真しか撮らなかったので、
また会報が出た時のお楽しみとしましょう。
または、今年の“七福神”のブログは
YGさんに期待してもよろしいでしょうか?

今年はまた、講座に出席後、引き続き自主運営「二千和会」となって
から、10年の月日が経ちます。
この記念すべき年を見過ごしてはならないとの
気分が役員としては起こります。

そこで記念パーティーでも開こう、という案が
昨年の総会で承認されましたので、皆さまどうぞご期待下さい。

開催時期は今のところ九月はじめの頃と
思っています。
勿論、時間帯はお昼を中心にして
親しく和やかに、気持ちの一致などをお互いに
心地よく頷きあっていきたいと思います。

そして
今後の人生の楽しみや深み、広がりにつながって行きますように
との願いを目指した、パーティーとなる予定です。

   

二千和会が歴史を重ねるということは
皆さんの…言いたくはないけれど、年齢も積んできます。
善旗高齢者”(別に前期というつもりはなく、素敵に旗を振りかざして進んで行く頃)として、
さらに
広揮高齢者”“光輝高齢者”(後期なんて感じ悪いとの風評に耳従って、
広く輝かせ真の力を発揮する頃)だと、胸を張って
生きていたいね。
…そんな願いを七福神詣でで
祈って参りました。


散歩初め

2010年01月02日 | SO-Color

 
何だかちょっと外へ散歩をしたくなった。
なぜって?
年賀はがきが5枚ほど、パソコンとデスクの間に
隠れていたので、慌てた。

年末から、書いて用意したのに、それだけがポストに投函されずに残ってしまったのだ。
あ~どうしよう…。
いつも元旦にはこちらに居ないことが多い。
新年三日に用事があり、ぎりぎりまで自宅に留まっていようとするのが常なのに、
今年は気になることもあり、元旦に舞い戻っていた。
確かに腰が重たかったが滞在先に来て判ったことだから、
何が幸いか分からないというものだ。

二千和会の方だったので、電話でまず新年のご挨拶と事情をお話することが出来た。
「あなたのことだから、そんなこともあろうよ…(珍しいことでもないよって言っているようす、あら~!?)」
「わざわざ、お断りの電話しなくてもよかったのに…」
「Sちゃんは、忙しいから仕方ないわ。でも貴女からはまだなのか…と思っていたの(がっかり?)」
「いつもお世話になって、ありがとう。良いの、いいの。大丈夫よ。」
「今年も頑張って下さい。お陰さまといつもそう思っているんです。」

さまざまな反応で、面白い。
それから気持ちが落ち着いて散歩がてらポストへ。
 
元旦の午後3時。ポストへ行った後、ちょっとその辺を散歩してみたくなった。
良い天気だけど、お正月の空気は冷たい…。
これで、何もかも新しい空気だと有難く思ってしまうのだ。
一種の魔法…。
 
車の量が多い。
元旦と言うのに。三日は私も車を使う予定だけれど。
 
ふと見上げた樹に、ちょっと透明感のある黄色い実があった。
葉が茂っている時は全然気付かなかったが、これは何の実だろう。
中に少し黒っぽい種が見える。
羽子板と「羽」…のあの黒い固い種みたい。
検索してみたら、やっぱり…ムクロジだった。
記事には
ムクロジ。果皮には多量のサポニンを含み、水を泡立てる働きがあるので、洗濯などに広く利用されてきました。
試しに一個分の果皮を水の入ったペットボトルに入れて振ってみました。とてもよく泡立つことに驚きました。……
とのこと。

こんなところに、ムクロジの樹があったと初めて気がついた。
 
ここは県のスポーツ施設が集合している場所。
ジョギング、競歩、散歩する人が行き交う。
新年の空気を満身に浴びながら、颯爽と走り、私を追い抜いて行く。
「お正月さん」と囁きながら、お正月さんと共に歩いてみた時間。


謹賀新年

2010年01月01日 | 七福神めぐり

明けましておめでとうございます。
輝かしい未来を感じながら、
本年も楽しく散歩いたしましょう。

旧年中は大変に、ご理解とご協力を戴きまして
ありがとうございました。
本年も変わらないご厚誼をよろしくお願いいたします。

 
たまたま、開けたピクチャーのメモリーに、
2006年(平成18)“浅草名所七福神巡り”の写真がありました。

樋口一葉にゆかりの地でもありますので、その辺りの七福神を
めぐって祈り、会員間の親睦をはかりました。

これは今戸神社にて記念の勢ぞろい。
この時はYGさんが、当日、急に抜けられない用事が起こりました。
けれど、その用事がすんで途中から駆けつけてくれました。
勢いがあります。元気です。

今年は“新宿山の手七福神めぐり”です。
1月7日(木)に飯田橋・牛込辺りを起点に副都心新宿周辺を散策し、
年初に一年中の招福を祈念したいと思います。

本年もあちらこちらを散策して、
皆さんと共に見聞と親睦を深めて、未来へ拓く手掛かりを
見つけて行きましょう。

(write O.)