いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

にちわ・オフ会

2012年04月21日 | 会報お役立ち

今日はTabuchiさんのご案内により、綱町MITUI CLUBへ向かいました。
地下鉄利用しましたが、日よけシェードがあるのにビックリされた方も…。撮っておきました。
坂道を上って行きますと瀟洒な西洋建築。ここが鹿鳴館を設計したイギリス人ジョサイアコンドル博士が設計、本館は大正2年三井家の迎賓館として建てられたとのことです。
西洋庭園噴水前で記念撮影
ここで、イチデジ撮影。コンデジより黒っぽいにはWBバランスが悪いが、
カメラ取り扱い面で、あまりよく分からないのでAUTO設定。
↓渡辺綱がこの井戸の水で産湯をつかったという井戸跡。
西洋庭園を庭師さんが整備中。花は馬酔木(あせび・あしび) 右はイカリソウ
このあと、お食事です。


お馴染みの成田山の特別な場所3

2012年04月12日 | 会報お役立ち

額堂(1861年建立)

後ろには7代目市川団十郎の像が見えるが、その横には青銅製大地球儀などがある。

ボランティアガ2班に別れていたので、もう一方の班はここにはあまり載っていないけれど
ご勘弁をお願いしたい。
多分、Gomiさんがまた別の目線で新鮮な解説があると思う。

平和の大塔(1984年建立)
真言密教の教えを象徴する塔。大塔の前を見ると、その下は洋風庭園が見えます。

その後そろそろお腹が空いて…。
成田山公園へと歩を進めます。桜はここの公園は思ったより咲いていませんでした。

少々寒い感じもします。しかしそこは二千和会メンバーの例年の楽しみです。
大きなシートはGomiさん、Saitouさん、Hananoさん。

Kusunokiさんはたくさんおにぎりを持ってきてくださいました。
Takahashiさんは手作りたくあんを、Hakataさん、Asadaさん、Saitouさん、・・・・
それぞれがリュックの中から美味しいもの、お楽しみの飲み物が
出てきます。みんなでお勧め合いをしながら
楽しい語らいとお腹を満たして・・・・。
他のグループは歌と手拍子も有って盛り上がっていました。
そして今日はお別れという時間になりました。

お別れのご挨拶があって三々五々JR成田駅に向かっての帰り道。
だらだらの長い上り坂が続くのですね。
Itou会長はもう足が重くて歩調がかなり大変そうでした。
かなりの、いや、そんなに簡単には言えません。
物凄くの大変そうな踏ん張りです。
Tabuchiさんは初めからず~っと、会長に付き添って歩いて下さっていました。
Gomiさんも見兼ねて身体を支えるように腕をギュッとつかんで歩きました。


今回は14000歩でした。
千葉県人ですから、何度となく成田山には来ています。
けれど、この度の参観はかなり違った視点で歩くことが出来て、手応え十分な散策でした。
会員の皆さま、お疲れさまでした。
そしてご協力ありがとうございました。

 

 


お馴染みの成田山の特別な場所2

2012年04月12日 | 会報お役立ち

 

 

朝のお勤めに出かけられる大僧正さん(赤い法衣)をお見送りして後、成田山境内散策が始まります。

お線香の煙を受けてボランティアのご案内です。向こうには三重塔。
各層の垂木(たるき)は一枚板で一枚垂木と呼ばれて非常に珍しいとのことです。

下は一切経堂

今は中に入れないけれど、この八角輪転蔵には一切経が納められています。
回すとたくさんのお経を有難く読んだとなるんだそうです。
またお坊さんが読経する時に経本を扇子を右に左に開く様な動作を伴いお経を読まれるが
それもたくさんのお経を読んだとなるのよ…と、Ogawaさんが教えて下さった。
「そう、見たことある。遊んでいるような珍しい動作ですよね。」

先ほどの列をなしてお出かけのお坊さんは本堂で読経がすみましたという
お知らせの鐘を叩くお坊さん。

成田山花まつり(4月1~8日)甘茶をお釈迦様にかけて、唯我独尊と言われたことを祈念しました。
それを祀って「生きものの生命の大切さ、楽しく平和な社会への祈り」を捧げました。
Isigamiさん、Hakataさん、Huriyaさん、Takahashiさん

重要文化財が多くありますがここ釈迦堂はさらに逸品です。
中央に釈迦如来、左右に四菩薩奉安。
お堂の周囲は五百羅漢、二十四孝の彫刻があって見ごたえがある。

 上は「呉猛」という話で、下は「孟宗」という話です。

◎呉猛(ごもう)は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。
呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。
それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。

◎幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。
病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。
孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。
すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。
孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。
これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。
(インターネットから)

 つづく


お馴染みの成田山の特別な場所

2012年04月12日 | 会報お役立ち

 

最近完成した成田山の総門をくぐります。仁王門を見上げながら左に進みます。
信徒の皆さんが接待を受ける「光輪閣」にAsadaさんのお世話により特別に入館させて頂きました。

入口は東山魁夷の絵を緞帳にした大きな作品が見事に迎え入れてくれました。
明治天皇が行幸の折泊られたお屋敷がそのままに保存されていました。
宝刀が入ったつづらや護摩炊きの灰を固めて作られたという仏像や釈迦三尊像など
お寺のお宝のようなものが安置されているお部屋…写真の許可がありましたがブレてしまいました。

さらに奥へ進みますと、立派なお座敷。大山忠作の画かれた襖絵「日月春秋」には目を見張るばかり。
なかなかお目にかかれない成田山の財宝的なものとお見受け致しました。

ここは何畳なんでしょうか?二部屋に分かれていて、春と秋の間。150~200畳くらいでしょうか?
驚いていて説明も上の空です。
虚子の滅多に書かないという文字額は秋の間の夕日の絵の欄間にありました。

光輪閣の最上階8Fは信者さんの研修の間。480畳です。ここで雅楽や奉納舞いもするそうです。

ため息をつきながら、ここで皆さんの集合記念写真を撮りました。

さあ、これからボランティアさんについて貰って、広い境内を参観しながらの散歩です。