15歳が志学、30歳で自立、40歳で迷わず、50歳で天命を知るのが孔子の論語なのですが、井月庵の場合は、迷いっぱなし。
1.5kgの蕎麦打ちを制限時間内(40分)で終える事がどうにもできない。
1kgなら何とかなったのに、1.5kgはかなりハードルが高いです。2回ほど打って、64分、59分とほとんど一時間係っています。
水回しも、延しも、切りも更に素早くしないと間に合いません。一体全体、どうしたものかと悩みます。
まあ、以前は、1kgも60分くらい係っていたので、練習すればムダを省いて早く打てるのかもしれませんが、15人前ともなると流石に毎週打つわけにもいきません。
お蕎麦を分けて歩いても、貰う方にも都合があるのは、打っている本人が一番解るのですから。
梅雨に入って、暑いし結局、2週間は打たず。蕎麦打ちの録画ビデオを観て妄想にふけるのが関の山でした。
NHKの「100分で名著」と言う番組で「維摩経」をやっていました。日本の大乗仏教の源典と言えそうな内容は非常に興味深く
一切に捉われない。その教えさへ再構築して観ろというお話しで、維摩が釈迦の高弟達を「半沢直樹」の様にバッタバッタと切り捨てていく。
興味を持ったのが運の尽き、NHKのテキストだけに飽き足らず、「梵漢和対象・現代語訳 維摩経」6,480円也をポチってしまいました。
「こだわらないのがこだわり」を信条にしている井月庵としては当に色即是空 空即是色が工事で使うカラーコーン。それもてっぺんに穴が開いている形と似ていると思いました。(うーむ、何を言っているのか解んないなぁ)
近頃、蕎麦打ち段位は競争じゃないという意見を多く聞かれます。一方、明確な目標になるのも事実。小学生の運動会で手つなぎ徒競走を見て、なんかツマンナイと感じてしまうのと同じような。だから、井月庵は蕎麦打ちは「競争だけど競争じゃない、競争じゃないけど、競争」でいいんじゃないかと。大体、段位という階級制度自体が競争じゃん。
あれ、これって悪く言えば、ご都合主義? でも井月庵は蕎麦打ちに「蕎麦道」というより「只管打坐」として向き合いたいと思います。
ああ、人生折り返し地点に来てしまった。 折り返し地点で迷っているから、元来た道を進むとは限らない。もしかして180度、360度回転してしまうかもしれない危うさだ 。
井月庵は天命を知ることは一生ないのではないかと思う今日この頃(中二病か)
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