狭川から柳生へ通じる街道に沿って白砂川が流れています。
護岸工事をされた面に磨崖仏が埋まっています。
奈良市下狭川町
石像は静海坊の像と呼ばれていて、、もとこの村にあった勝福寺の住職の静海坊が、自分の死後、いつまでも永く手向けの水を受けたいとの願いから、川に沿うた岩に自分の像をきざんでおけば、村人たちにも迷惑をかけないで、永久に水の手向けを受けることができるといって、自画像をこの石にきざんだという事です。
狭川から柳生へ通じる街道に沿って白砂川が流れています。
護岸工事をされた面に磨崖仏が埋まっています。
奈良市下狭川町
石像は静海坊の像と呼ばれていて、、もとこの村にあった勝福寺の住職の静海坊が、自分の死後、いつまでも永く手向けの水を受けたいとの願いから、川に沿うた岩に自分の像をきざんでおけば、村人たちにも迷惑をかけないで、永久に水の手向けを受けることができるといって、自画像をこの石にきざんだという事です。