最早痕跡すら留めない長岳寺奥の院道旧道に
人知れず佇む阿弥陀磨崖仏が在ります。
奈良県天理市田町
現在の登山道からは全く見えない為
探し出すのは不可能に近いです・・・
小さめの肉髻相、生え際のMライン
おちょぼ口、裳裾のMラインは
みろく丘の弥勒石龕仏に通じるものがあり
依って南北朝頃の善教作と思われるということです。
善教作で磨崖仏は此れだけしか確認されていません・・・
至福のひと時です・・・
不思議な御縁で知り合えた菜畑維氏に御案内頂きました。
最早痕跡すら留めない長岳寺奥の院道旧道に
人知れず佇む阿弥陀磨崖仏が在ります。
奈良県天理市田町
現在の登山道からは全く見えない為
探し出すのは不可能に近いです・・・
小さめの肉髻相、生え際のMライン
おちょぼ口、裳裾のMラインは
みろく丘の弥勒石龕仏に通じるものがあり
依って南北朝頃の善教作と思われるということです。
善教作で磨崖仏は此れだけしか確認されていません・・・
至福のひと時です・・・
不思議な御縁で知り合えた菜畑維氏に御案内頂きました。
増水時には水没してしまうであろう河川敷傍の
エゲン墓にある二石六地蔵です。
三重県名張市夏秋
短野の一石六地蔵とよく似た形の二石六地蔵が
六字名号碑を挟んで左右に在ります。
六体それぞれ違った地蔵が彫られています。
これだけ大きく立派なな二石六地蔵は他所では見掛けません・・・
新興住宅地入口に、辛うじて取り残された古い墓地にある一石六地蔵です。
三重県名張市蔵持町里
他所から来た住民は、住宅地のそばに埋め墓(エゲン墓)が在るなんて
思ってもいないんでしょうね・・・
直ぐそこまで宅地開発の波が押し寄せる短野集落。
大和ではよく見かける山形の一石六地蔵です。
三重名張市短野
名張の一石六地蔵の中でも最大級で見応えのあるものです。
散々探した柏原墓地の一石六地蔵です・・・
まさか同じ墓地を区切って壇墓地と分けていたなんて・・・
三重県名張市赤目町柏原
正面から見ると四角ですが、横から見ると舟形に彫成されているという
特異な格好をしている一石六地蔵です。
黒岩十三仏磨崖仏に再会した帰りに
気になっていた磨崖仏に会ってきました。
兵庫県神戸市西区押部谷町木津
木津フレクシャーと呼ばれる断層の一部の礫岩壁に
阿弥陀坐像と左右三体づつの地蔵が刻まれた
阿弥陀・六地蔵磨崖仏です。
垂直に切り立った壁面を見上げる形になります。
何処か異国の香りがする見慣れぬ磨崖・・・
左の地蔵三体
室町中期文正二年銘が在ります。
右の地蔵三体
礫岩層上部の細粒砂岩層に刻まれている為か
中央阿弥陀と右端の地蔵の顔が剥離しています。
現在、車は進入禁止の為、静かな佇まいです・・・
景観も申し分ありません・・・
古いネガに写っていた石仏を探して歩く石仏今昔も
九割九分見付かり、全く手掛かりの無いもの数コマを残して
一旦は終了したつもりでした・・・
露出ミスで、何が写っているかさえ判りませんが
其れゆえに余計に気になるものが在りました・・・
これじゃ判るはずないですね・・・
此方はまだ何とか写っていますが・・・
ソフトでレベル補正してみると・・・
上下二段にずらりと並んでいますね・・・
ここまではっきりしても記憶が蘇りませんでしたが
画像検索しているときに偶然にヒットして判明。
二十数年ぶりに再会できました。
不明の磨崖仏は黒岩十三仏だったんです。
兵庫県高砂市曽根町
兵庫県下では数少ない磨崖仏です。
恐らく姫路の友人に瓜生十六羅漢
北条の五百羅漢と共に案内して貰ったもの・・・
全く記憶から消え去っていたとは情けない・・・
下段左の三体だったんですね。
十三仏磨崖の次のコマに写っていた不明の双仏磨崖。
此方は露出オーバーにはなっていないものの
かなりブレているので 薄暗いんでしょうか・・・
これは十三仏磨崖から少し右奥の壁面に刻まれているものと判明。
左の磨崖は当時のネガに写っていなかったものです。
物凄い所に在りますね・・・
以前紹介した音羽の七体地蔵磨崖仏から伊賀焼の里丸柱集落手前に
樹木に捕り込まれた岩に刻まれた地蔵磨崖仏が在ります。
石友に教えて貰った磨崖仏です・・・
三重県阿山郡阿山町丸柱
良くある事ですが、地蔵さんの前を旧道が通っていたようで
後ろの車道からは全く見えません。
数年前に一般に知られるようになったばかりと言うことです・・・
最近は広報「まるばしら」にも度々登場しています。
伊賀の地蔵石仏の特徴の一つ
大きなな錫杖を持った地蔵さん・・・
上野からの山越え道にある幾つかの磨崖仏の中の一つ
未だ他にも在るのかな・・・
この景観はちょっと感動ものです・・・
磨崖仏の後ろの車道に立札が無ければ
まず、気付かないでしょう・・・
二年程前に石友が撮影した画像を見て唖然としました・・・
雑草が生い茂り、薄暗く、殆ど人が訪れた形跡の無かった磨崖仏群が
除草され、半ば埋もれかけていたのを掘り起し
花立まで立てられてすっかり様変わりしていたのです。
奈良県奈良市丹生町下
以前の状態を知っている者にとっては
見えなかった部分が掘り起こされたのが良かったのか
あまりに手を加え、すっきり し過ぎたのが何だかなぁで
ちょっと複雑な気持ちになっているうちに二年が過ぎました・・・
暫くは近江や伊賀ばかり廻っていましたが
最近、山添村辺りをふらつく事が多くなり
帰りがけにふと思い出して寄ってみました。
あらから二年経ち少しは戻りつつありますが
あの独特の雰囲気は微塵も感じられません・・・
この面は以前半分位埋まっていて尚且つ雑草に覆い尽くされていた為
殆ど見えなかったもの・・・
月ヶ瀬桃香野の千体磨崖仏と非常に似ています 。
これを見る事が出来たので景観の変化は帳消しかな・・・
日が射し込むようになったんだ・・・・・
布目湖周辺にはダムによる水没を逃れた多くの磨崖仏が
ダムサイドに移動されています。
ダム周辺には幾つか地図が設置されており
副ダムの辺りの山側に「磨崖仏」と書かれているのですが
どうしても見つかりません。
ダム側には一基、何処からか移動された磨崖仏が在るのですが・・・
知り合いの伝手で現地の方を紹介して貰い
やっと謎が解けました・・・
奈良県山辺郡山添村北野 津越
布目湖の周辺を走っていれば嫌でも目に付くこの磨崖仏が
やはり地図に書かれていた磨崖仏でした。
移動された磨崖仏達の中で此れだけが例外。
水没逃れではなく周辺道路の整備時に拡張の為
家屋侵入路にはみ出していたこの磨崖仏を切り出して
ダムサイドに降ろしたと言うことです。
地図はすでに出来上がっており
表示場所を変更しないまま立てられ今日に至ります。
普通の人なら気にも留めないのでしょうね・・・
ちょっと下膨れの可愛らしいお地蔵さん。
土地の所有者に因んで「竹の倉地蔵」と呼ばれています。
この先の左手に上がって行く道から移動されてきました・・・