汁付集落の東端、地蔵谷を横切る旧伊賀街道。
長野峠を越える旅人の道中安全を祈るかの様に
道に迫り出した岩面に二体の地蔵が刻まれています。
三重県阿山郡大山田村大字上阿波字汁付
龕部を深く彫り込んだ中に三尺程の地蔵が刻まれていますが
胸の辺りに亀裂が走り崩落、風化も伴い残念な状態・・・
深く彫り込まれている為、辛うじて頭部と錫杖の先が残ります。
自然に還る日も、そう遠くないかも・・・
出逢えて良かった・・・
往時が偲ばれます・・・
汁付集落の東端、地蔵谷を横切る旧伊賀街道。
長野峠を越える旅人の道中安全を祈るかの様に
道に迫り出した岩面に二体の地蔵が刻まれています。
三重県阿山郡大山田村大字上阿波字汁付
龕部を深く彫り込んだ中に三尺程の地蔵が刻まれていますが
胸の辺りに亀裂が走り崩落、風化も伴い残念な状態・・・
深く彫り込まれている為、辛うじて頭部と錫杖の先が残ります。
自然に還る日も、そう遠くないかも・・・
出逢えて良かった・・・
往時が偲ばれます・・・
以前、日高川町船津の磨崖仏に行った折
和歌山県下の数少ない磨崖仏の中の一つを見残して来た心残りがあり
この度漸く機会を得て、芳しくない天候の中早発ちして逢いに行って来ました。
和歌山県有田郡有田川町西丹生図
層状に剥落をする巨岩に彫られている為、かなり傷んでいますが
堂内に取り入れられている為、何とか風化を免れています。
像高三尺程、南北朝頃の造顕と考えられているようです。
紀伊の数少ない磨崖仏の一つに出逢えた喜び・・・
感慨一入です・・・
粟原廃寺跡で知られた粟原の里。
此処から半坂峠を越え、大宇陀の半坂へ至る山越えの旧道が半坂道。
その半坂道に地蔵磨崖仏が在りました・・・
奈良県桜井市粟原(おおばら)
つま先上がりの急登を喘ぎながら登り、一息つく辺り。
倒壊寸前の覆屋に辛うじて守られた地蔵磨崖仏が見えてきます。
左神(ヒダリガミ)と呼ばれ祀られているようですが・・・
もしかしてヒダル神?
年に一度位しかお参りされていないように見うけられます。
右手与願印、左手宝珠の古式地蔵のようですが
風化が激しくはっきりとは判りません・・・
静まり返った半坂道に・・・