■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■もも&里芋クローバーZさんへのお返事です。 投稿日: 2013年2月7日
もも&里芋クローバーZ さんこんばんは。ご無沙汰してます。
>高倉良一様を中心とした「アンサンブル」的な同心円を描く「活動」に、本気で関わり、加わる、お覚悟はありますか?
とのご質問ですね。
結論から言いますと、私はどなたとも一緒に闘う気はありません。ましてや闘う覚悟などあろうはずがありません。私はこのブログをそのタイトルにあるように「対話」の場としてつくりました。私と同じような、あるいは違ったたどり方をしたにせよ、創価学会との関わりの中で自分の人生を間違った方向に歩まされてしまった方々との対話や、今でもたいへんな思いをしている方との対話を通じて、いまここにある現実を再認識しながら、これから生きていく道筋をともに語り合えるような場にできればと思っています。また、創価学会を信じてきた方がここでの対話を読むことによって、少しでも真実に気づいていただければという思いです。
あいにく、私はまだ十分な対話ができるほど精神的に安定してはいません。創価学会の真実と、それに翻弄されてきた自分の人生に気づいたときのショックは今でこそずいぶん小さくはなったと思いますが、いろんな方と積極的に対話を進めていこうという気力があるとまでは言えない状況です。
確かに創価学会は社会悪です。それははっきりと言えます。だからといって創価学会を信じて活動をしている人に悪意があってやっているわけではありません。人間の精神的な弱点を巧妙につきながら、それを正義だと信じ込ませてお金や労働力を吸い取っていくとんでもない組織です。私はそうした組織の上層部にいる愚かな人たち、つまり悪だとわかって組織を束ねている人たちをギャフンと言わせたいとも、今では思わなくなりました。つまり「闘ってどうするんだ」ということです。創価学会とは、使途をまったく明かすことなく毎年集まる巨額な財務を私利私欲のために湯水のように遣い、何も知らない会員を政治活動に酷使し、功徳というありもしないアメと、組織を離れると地獄に堕ちるという脅迫のムチを使い、多くの家庭を散財と一家離散に追い立てる恐ろしい組織です。まさに恐るべき宗教版ネットワークビジネスだと思います。そんなものに正面切って立ち向かうことに、自分の残りの人生を捧げるだけの価値があるのかどうかという思いがあります。
このブログを立ち上げた頃は、どうにかして創価学会がはやく潰れてしまうような行動を起こしていこうという気がまだありました。しかしあれから1年と数ヶ月が過ぎ、否応無しに自分の人生を振り返ったときに、どの時点でどんな間違いを犯してきたのかということが次第に明らかになってきました。そのことに気づくようになってきました。そして不思議なことに、そのことと呼応するかのようにその間違いを取り戻すべく、私の身の回りにはさまざまな運命の動きが巻き起こっています。そのあまりの動きの激しさ大きさのために私は昨年の春頃からうつ病の症状が出るようになりました。自分でも驚きでした。ちょうどこのブログが荒れ始めたころです。このブログにはそのときの運命の激しい動きについては一切ふれていません。そしてこれ以上この場で冷静な対話を続けていけるような精神状態ではなくなったのです。ですから長い間ブログも休止していたのです。じつを言うとブログは荒らされたから休止したのではありません。ここには全く書くことのできなかった個人的な状況の変化によるものです。そしてそれがどんなものであるかをうまく説明するにはまだ時間がかかると思っています。しかし、いつかそうしたものもこの場に書くことができるようになればと思っています。
もう私の言いたいことはおわかりいただけるかと思います。つまり私は私の人生を取り戻すべく、私なりの闘いをしています。創価学会と闘っているわけではありません。あえて言うならば私は私の運命と闘っているのです。創価学会の社会悪を徹底的に暴き消滅させることができれば、どんなにいいかとは思います。しかし創価学会の壊滅と私の人生を取り戻すこととは別なのです。創価学会が今後も存在したとしても、あるいは壊滅したとしても、私は私の人生を取り戻すための努力をし、運命の歯車を自分なりに動かしていかなければなりません。そして私は自分の人生を取り戻すための大きな運命の渦の中にいます。そのことを実感しています。まだそれをここで明らかにするべきではないし、できもしません。はっきりいえば、私はそのことで目一杯なのです。私にとっては創価学会云々よりも自分の人生が大切です。ですからこのブログでも「自分で気づいてください。」と書いたように、創価学会がどんなに腹黒い恐ろしい組織であるかは、本人が気づくしか道はないと思っています。そう気づいた人が一人また一人と納得して組織を離れていけばいいと思っています。もっといえば闘わずとも人が真実に気づいて離れてさえいけば創価学会はこれまでのような巨悪でいることはできなくなるでしょう。そうした理由で、いま私は誰かとスクラムを組んで創価学会の組織壊滅のために突き進んでいくような人生を選択する気にはなれません。私は創価学会と闘うことで、そしてその闘いに勝利したとしても自分の人生を取り戻すことはできないと思っています。もも&里芋クローバーZさんには申し訳ないですが、というか、もも&里芋クローバーZさんは私が高倉先生と連絡を密にして創価学会壊滅のために動き回るといったことをする人間だとは思っていないでしょう。そのとおりです。もし私が自分の人生を取り戻すために創価学会を壊滅させなければいけないと確信したならば、きっと何が何でもその方向に突き進んだでしょう。我れ先に組織に入り込み、情報をリークして、創価学会の社会悪を世に暴くことに残りの人生を賭けたかもしれません。しかし私は私の運命に気づくことができました。時の符合とは不思議なものと本当に感じます。つまり、私にはもっとやらなければならないことがあることに気づいたのです。おそらく高倉先生はご自分の人生を取り戻すため、あるいはご家族を取り戻すために創価学会に対して真正面からぶつかっていく肚を決められて実行されています。それは高倉先生に科せられた運命であり、やらなければならないことだったのだと思いますし、実際にお一人で挑んでおられることに最大の敬意を表します。そしてもも&里芋クローバーZさんとともに創価学会の真実を社会に暴きだしていかれることを祈っています。
>今は「対話」では無く、「闘い・闘争」の時期なのです。
高倉先生やもも&里芋クローバーZさんにとっては「闘い・闘争」の時期なのだと思います。しかし私は創価学会との関わりとしては時期云々ではなしに、常に「対話」を貫いていきたいと思っています。聞く耳を持つ人には語り、真実を語る人の言葉を聴こうと思います。それが対話だと考えます。これ見よがしな、あるいは思わせぶりな言葉をばらまいて、腹の探り合いをするようなことはしたくはありません。ここは創価学会に関わった方の真実が語られる場にしていきたいと思っていますし、そうした声が積み重なれば、きっと一人また一人と気づいてくれる人が現れると信じています。
もも&里芋クローバーZさん、私はこのことについてまだうまくは言えないし、今の時点で言えないことばかりなので恐縮ですが、以上のような理由で私は創価学会撲滅に向かって実践的に闘う同志にはなれないと思います。ただ私はここに来られるみなさんとの対話を通じて、それぞれの運命が重なる瞬間を大切にしていきたいと考えています。
●サラマンダラ(2013年2月8日 18:24)
シニフエイさん(精神のねずみ講)なんてピッタリの例えですね。もと学会員ならではの一言一句、頷きながら読みました
私も全く同じ思いです
これだけ大きくなった学会に戦いを挑んでもどうなるものでもないような気がします
それよりも地味ではあっても一人ひとりおかしさ矛盾に気づいた人がその体験に基づいて告発していけば必ず同じ思いを持った人が目覚めていくであろうとわたしも思います
聞く耳を持たない人とは戦いにもならないのでは?
職業幹部の中にも理性の持ち主はいるものです
かつて国会証人喚問の話が持ち上がった時、側近の大幹部の心境はどんな気持ちだったか皆さん想像がつきますか
先生を断じて国会なんかに出させてはならないなんて思ってたと思われますか
違うんですね
心ある側近の大幹部は内心ホッとして喜んだそうです。 なぜかって
そりゃそうですよ、これでやっと先生が学会の正義を国会で堂々と晴らしてくださると信じて疑わなかったのですから
ところが意に反して想像を絶する醜態、俺を守れ、俺を守れ俺を守ることが学会を守る事になるんだと怖くて逃げまわっていたそうです
その姿を見ていて、本当に情けなくなって心底失望したと側近の大幹部だった方が言ってました
富士山と英雄は近くによって見るものではないと言われますが、その幹部の方は見てしまったのですね。 悲しいことですね
シニフェイさんどこまでもマイペースで気長に進めてください
■ももさんへのお返事です。 投稿日: 2013年2月11日
ももさん、ももさんが他人にリテラシーを諭すことができるだけのコメントをされているとは私には到底思えないのです。以下にその理由を述べます。
たとえば高倉先生の活動のサポート役として、ももさんと0001今も活動家。さんが両脇にがっちりいらっしゃるとしたら、高倉先生はどのように思われるでしょう。また「白バラ通信」に訪れる方はどのような印象を受けるでしょう。あなたが001今も活動家。さんに対して『「電通ビジネス」「監視システム」等々は コメントしないで下さい。 高倉様のブログが誤解されます。』と書かれていたのと同じように、あなたの白バラ通信での言動は高倉先生のブログに大きな誤解と失望を与えていることがおわかりにならないのでしょうか。ももさんこそご自分のコメントがリテラシーに照らしてどういったものであるのかをきちんと認識すべきだと思います。ちょっと考えてみてください。高倉先生を応援するには、まずももさんに創価学会と闘う覚悟を表明しなければならないとしたら、少なくとも私はご遠慮いたします。高倉先生への支援をするには、ももさんの洗礼を受けなければ許されないのであれば、いったい高倉先生とはどのような人物なのだろうかと疑ってしまいます。ですからももさんと高倉先生のあいだに、そのような取り決めがなされたのかを高倉先生へお聞きしたかったのです。ももさんは私のことを私へ向けてではなく、高倉先生のブログで『都合が悪くなると「うつ」とか「病んでる」と うそぶく某諸氏』と揶揄されました。高倉先生のブログのコメントに、おそらくは高倉先生のあずかり知らないところで勝手に書かれたのでしょう。これがリテラシーを他人に諭すような方の言動でしょうか。なにか間違っていませんか?それとも高倉先生からの指示で私に覚悟云々を問われたとでも言うのですか?ももさんはこれまでなにかと他人のブログでトラブルを起こされています。それに関して何の謝罪も見られません。もしかしたらどこかにそれにあたる言葉があったのかもしれませんが、私は見たことがありませんし、その後の言動も以前とかわらない独断と皮肉まじりの不快な言葉が読者をいやな気持ちにさせています。少なくとも私はそのように感じています。昨年の夏にももさんが「白バラ通信」のコメント欄に当然のように書かれた「同性愛は社会的に許されない」といったことばに対して、私の「それはどう考えてもおかしいのではないか」といった指摘に対しても、「ここは同性愛についての議論をするところではない」と言われただけで、他の方からの「そもそもあなたが同性愛について書かれたのでしょう」という指摘に対してもまったく無視されました。自分にとって都合が悪い指摘を無視してきたのは、もも流リテラシーなのでしょうか。これはリテラシーというよりも人としての資質の問題かと私は思います。「白バラ通信」での高倉先生の参謀であるかのようなももさんの振る舞いは、実際には決して高倉先生のサポートにはなっていないどころか、高倉先生の貴重な活動に泥を塗っているようなものだと私は感じます。そこまで何かを言ったりしたりしたいのであれば、すごい人脈と行動力がおありのようですから、私のような「対話」としか言わないうつ病患者に「覚悟があるかどうか」などを問うよりも、ご自分のブログなりHPなりを立ち上げて、ももさんの具体的な活動を報告し、それに賛同して協力していただける方を募るなどしたほうがよろしいのではないでしょうか。そうした場で「自分についてくる覚悟はあるのか」という問いかけをされるのであればスジも通ります。もちろんそんな覚悟を表明される方は0001今も活動家。さんぐらいのものでしょうから、おふたりで「創価の悪を征伐するもも太郎一座」なるものをスタートさせてはいかがでしょう。そうすれば、覚悟はなくともきび団子で尻尾を振ってももさんにしたがう家来がついてくるでしょう。冗談はさておき、ともかくももさんの白バラ通信での言動は、決して高倉先生の活動のプラスにはなっていないと思います。それが私だけの思い違いかどうか、ここに来られる他の皆さんのご意見もお聞きしたいものです。ももさん「しょうがないなぁ~もう」と思われているのはももさんなのですよ。
●匿名(2013年2月11日 18:17)
かつて、某大学教授のブログに頻繁に投稿していた者です。今は投稿していません。
かつての常連はほとんど消えていきましたね。もも氏のような人物を肯定する教授に嫌気がさしたのでしょう。
今や残っているのはおかしな人物ばかりです。
もも氏については当初は注目していたのですが徐々に醜態をさらしだし、今やアンチ側のカルトとしか言いようがありません。
自分の考えに賛同しないものは排除する、自分だけが正しい、他の意見を認めない、まさに学会と同じです。
●まりこ(2013年2月11日 21:25)
シニフィエさんのおっしゃるとおりです。
もも氏はリテラシーを語るよりデリカシーを磨いてください。
学会離脱者は戦いに疲れているのですこしは休ませてあげて下さい。
それに戦い方にもいろいろあります。裁判は勝たないと逆効果になりますし、勝ってからが本当の戦いです。
矛盾に心が揺れてる人の背中を押すことだって立派な戦いですし、内部から崩せば気の長い判決を待つまでもないです。
それでも最後まで学会に残るのは愚か者だけでしょうけれど、羊の群れなら恐れるにたりずと思います。
シニフィエさん、応援してますから。
●匿名(2013年2月12日 09:35)
高倉教授は、シニフィエさんの質問に答えられたのでしょうか?少なくとも、今のところ、ブログ上にはありませんね。いつになったら答えるのでしょう。
以前にも、教授のブログは似たような状況で炎上、閉鎖になりましたが、いつの間にか再開され、今では、もも、今活、日顕宗信者の遊び場と化しているように見えます。シニフィエさんが、ももの質問に、誠意をもって対応しているのに、罵詈雑言のお返し。教授は、そんなやりとりを傍観している。ももにお墨つきを与えているとしか思えません。以前と同じですね。自身のブログ管理も、まともにできず、投稿者に対する質問にも答えず、記事が更新される度に、寄付のおねだりでは、まともな人間は、教授の活動を応援する気にはならないでしょう。裁判も次から次へとでは、お金がいくらあっても足りないのではないでしょうか。
シニフィエさん、あのブログにはこれ以上かかわらないとのこと、正解だと思います。ご自分の大切なブログです。汚されてはなりません。どうぞ、ご無理なさらず、シニフィエさんのペースで活動を続けてください。
●signifie(2013年2月12日 14:29)
みなさま、コメントありがとうございます。
今回のことでももさんがどういう方かおおよそわかりました。
これ以上ももさんへの対話を試みても無駄のようですので
私としては関わらないと決めました。
これから先は、ももさんに関する話題はご遠慮願います。
よろしくお願いします。
●北斗七星(2013年3月3日 13:18)
シニフェさん、お元気なようで何よりです。
お久しぶりにコメントさせていただきます。
私は創価学会撲滅に共闘する気はないとのシニフェさんの言葉に同意です。
創価学会は叩くとむきになって暴力団さながらに向かってきます。
それよりもネットで覚醒の輪を広げていくのがベストだと思います。
前回の衆議院選挙の結果もネットの影響が響いたと私は思います。
私の地域でも、末端の会員は役職を受けなくなっています。あとは現在の高齢の活動家が死に絶えて組織は終焉を迎えるのを待つばかりです。
活動家に青年部は殆どいません。
要するにいつまでも会員をだます事はできないということが露呈しているのでしょう。
”民衆は愚にして賢なり”と言いますが全くそのとおりです。
シニフェさん気長く無理をせず行きましょう。
●signifie(2013年3月4日 16:35)
北斗七星さん、コメントありがとうございます。
近頃はずいぶん冷静に学会のことを考えられるようになったなと思います。
去年の今ごろは、かなり感情的になっていたと思います。
北斗七星さんのおっしゃるように無理をせずにやっていきたいと思います。
●アレックス(2013年3月4日 23:19)
シニフィエさん、お久しぶりです。
お元気なようで何よりです。
太陽と北風の話をご存知とは思いますが、如何でしょうか?
我々は太陽になれば良いんですよ。
だから、北斗七星さんのおっしゃるように気長く無理をせず行きましょう。
●signifie(2013年3月7日 16:51)
アレックスさん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
あせらず、ゆったりとした気持ちでいこうと思います。
今後ともよろしくお願いします。
地元の学会員に脱会宣言をしたあとのリアクションが思ったより少なかったのは意外でした。
強信な兄夫婦もそのことにはふれてきません。
新聞等もひとことでやめられましたし、
こんなことならもっとはやいことやめておけばよかったと思いました(笑)。
学会をやめたいと思ってるけど何言われるかわからないからやめきれないという方は
ちょっと思い切ってやめちゃう宣言すれば意外とすんなりやめられるのかもしれません。
私みたいな脱会者が増えてるのかもしれませんね。
ただ問題なのは自分自身の気持ちの整理です。
やめたから、すぐにきれいさっぱり過去を忘れられるというわけにはいかないみたいです。
まだしばらくはかかりそうです。
人の気持ちって意外とやっかいなものだなと思いました。
今は自分の気持ちの整理のためにも、正直に思ったことを書いていきたいと思っています。
ネットを通じてみなさんと対話ができることが、何よりの励みになります。
●アレックス(2013年3月8日 23:54)
シニフィエさん、お返事有難う御座います。
ちょっと気になったのでアドバイスさせて頂きますね。
>やめたから、すぐにきれいさっぱり過去を忘れられるというわけにはいかないみたいです。
まだしばらくはかかりそうです。
きれいさっぱり過去を忘れられるものではありません。忘れるなんでそれは不可能なのです。
ですが、きれいさっぱり心の傷を癒す事は出来ます。
そうなったら、あまり意識しなくなるものです
>人の気持ちって意外とやっかいなものだなと思いました。
今は自分の気持ちの整理のためにも、正直に思ったことを書いていきたいと思っています。
ネットを通じてみなさんと対話ができることが、何よりの励みになります。
そうですね。
人の気持って、やっかいかも知れません。でも、それが人間なのです。
そう思うのは、貴方が心が豊かな証なのです。
大丈夫。
今からでも遅くはありません。
人生は時間ではありません。どう生きるか?その質ではないでしょうか?
だからシニフィエさんならば十分に取り戻せますよ。
それが、必ず分かる時が来ます。
だって、生命は永遠ですもの・・・・・・。^^
●signifie(2013年3月14日 00:46)
アレックスさん、アドバイスありがとうございます。
元気がでました!
「学会がおかしい」とわかっても、あまり人に言えることではありません。
それは学会と直接関わりのない人にとっては、たいした問題ではないからだろうと思います。
「多かれ少なかれ新興宗教とはそうしたもの」といった見方が多いですし、
「それでも本人がそれでいいと言うならいいじゃないか」といった感じです。
現実はそうなのでしょう。
しかし創価学会の問題はそれではすまされない大きな社会問題であると思います。
一人でも多く学会の真実に気づいてくれる人が出てくることを願っています。
うつの症状というのは波があるみたいで、
調子よくなってきたと思ったら、また悪くなったりと
自分の気持ちを自分でコントロールができないことがよくわかりました。
病院の先生によると「今の花粉症が流行る時期は季節性のうつも多くなります。
4月の後半までには軽くなると思いますよ」とのこと。
薬を飲みながら気長に回復を待つしかなさそうです。
それでもこうして多少ともブログを更新できるまでになりましたので
波はあってもいい方向には向かっているのだろうと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
【解説】
「ももいも」さんと決別して、シニフィエさんはすっきりしたようです。
私も、「創価学会撲滅に共闘する気はない」とのシニフェさんの意見に同意します。
それぞれが、それぞれのやり方で、創価学会のおかしいところを指摘して、そこに創価学会員が気づけばいいのだと思います。
獅子風蓮