前回に引き続き「芸術と宗教(つづき)」のスレッドについたコメントです。
●excommunicate(2013年8月11日 11:54)
様々な方からの手厳しいご意見を頂戴しておりますが、私は私の個人的な確信で物申しています。
特に主張したいのは、学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方がいるという事実。
そして、その方々は本質をあえて見ようとせず、うわべだけの文言を、さも鬼の首を取ったかのように邪推した挙句、学会にカルト教のレッテルを貼るという行為。
そのひとつが、仏敵に対する『打倒』などの御祈念版や唱題会についてでしょう。
それは実際、存在したというならば、全組織の活動の中にどれだけのウエイトを占めているのでしょうか。ごく稀な会合の一つなのではないでしょうか。その他の会合の中身や、実際の現場の闘いは一体、どうなのでしょうか。
また、逆を言えば宗門側は、創価学会を諸悪の根元・仏敵としていると思いますが、その学会に対する打倒や撲滅の祈りもせず、座して放置しているとでもいいたいのでしょうか。
私は1つ、御書を通しました。大聖人の御書には、他にも数多く、仏敵に対する強烈な御文があります。
別の御書《聖愚問答抄》では、
『此等豈(これらあに)謗法にあらずや責めても猶(なお)あまりあり禁めても亦(また)たらず』
とあります。
学会は御書根本、大聖人直結を標榜していますので、これは絶対に譲れない一線です。
さて、とある法華講員よりの
『日蓮正宗の信徒団体である創価学会が、会合のなかで、わざわざキリスト教の神を賛美する歌を信徒に歌わせるのは、どういう理由からなのか、と尋ねただけです。それを学会が回答拒否されたのですが、これが直接の破門の理由にはなっていません』
についてですが、当時のお尋ね文書を正しく精読して頂いたらわかると思います。
当時ですが、長年、対話による相互理解を積み重ねてきた歴史もあり、今回も『対話による解決を』ということで幾度も対話をお願いしたにも関わらず、対話には応じず、文書での回答を強要されました。
ゆえに、対話をお願いしていたその間は、お尋ね文書には回答はしませんでしたが、最後はラチがあかないので、回答に応じていることはご存知のはずです。
その回答には、第九の歌の中身について、それは、キリスト教の一神教を賛美する歌ではなく、万物の法則(それを神と表現)した曲なので、文化を尊重する学会としては問題ないという内容をご回答しています。
しかし、宗門は第九の歌の合唱は、外道礼賛であり謗法であると回答されました。
当時、私は高校生でしたが、お尋ね文書のやりとりとや、当時の法主・日顕との手紙のやりとりは、聖教新聞に掲載されていましたので、興味あった私は貪るように読んでいた記憶が鮮明です。
特に正本堂における意義のやりとりは、日達猊下の『広宣流布の暁には本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』の《たるべき》についての解釈で、大変紛糾した議論があったことは記憶に鮮明です。(学会の主張は、たるべきは確定はしているが、未来のことなのでそういう言葉になるという日本語の権威の専門家の裏付けを元にした『確定のたるべき』であると主張しましたが、日顕は、未来のことなので、確定していないという主張で、全く噛み合いませんでした)
そして、最後はお尋ね文書も、日顕対論も、宗門側の回答不能で終了したことは周知の事実です。
そして、その結末は、学会への解散勧告、破門、正本堂破壊でした。
ある意味、建物は文化遺産にもなる性質でもあるのに、学会憎しの結晶として、問答無用に破壊するその所業は、これこそ、到底、仏法者がすることとは思えません。
つまり、私が主張したいのは、学会は、日蓮仏法を正しく世界に広宣流布するためには、それぞれの国の文化を尊重し、その土壌の上で、深遠な日蓮仏法を世界に広める、その大変な苦労と闘いを起こしてきました。しかし、その苦労をよそに、やることなすこと、それは謗法だなど何癖をつけて妨害してきたのが宗門だったのです。
ローマ法王との対談も反故にされたのも、理由はカトリックの人間と対話すること自体、謗法であるとの理由です。
どんな宗教を持ち、どんな立場の人であっても、原点は人間ですから、その人間に会いに行き、胸襟を開いた対話こそが、人類の平和の直道です。池田先生はそれを命がけでやってきました。そして、各国・角界のキーパーソンと友情を結べたからこそ、例えば学会が建設した富士美術館には、今迄、例がなかったような門外不出の芸術品の展示を許可され、学会員だけでなく、日本の多くの方に世界の芸術に触れ合う機会を提供して下さいました。
学会が建設した富士美術館は日本に2つありますが、今迄、どれだけの国の文化遺産を展示してきたことか、そこには、その国の宗教文化が内在した展示物も数多くありました。
学会がやってきたことは、日蓮思想は決して偏屈のものではなく、全ての人間に仏性があり、その仏性から芽生える大文化の枢軸となり得るのが日蓮思想であり、それを広めるべく、全世界に打って出ようとの壮大な大闘争であったのです。
しかし、私の話しを作り話とされるなら、どこに真実があり、どこにその真実を歪める働きがあるのか。その溝を対話によって、埋めていけたら幸いです。
本日も大変な猛暑日です。皆様におかれましては、とにかく、熱中症などには十分注意して、よい一日をお過ごし下さい。
●signifie(2013年8月11日 13:03)
excommunicateさんへ
コメントありがとうございます。
excommunicateさんにお訊きしますが、宗門側が創価学会を攻撃しているという事実を証明できるのであれば、写真なり文書等をネット上に公開してみてください。
>特に主張したいのは、学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方がいるという事実。
>そして、その方々は本質をあえて見ようとせず、うわべだけの文言を、さも鬼の首を取ったかのように邪推した挙句、学会にカルト教のレッテルを貼るという行為。
他の大型掲示板などはともかく、少なくともここでコメントしてくださる方は、実際の学会の姿を知って脱会したり非活になられている方がほとんどですので、無責任に「学会の現実の現場から乖離した学会像を、虚飾も交えて吹聴する方」はいないと思います。つまりみんな実際の現場を知っているわけだからウソ言ってもすぐにばれちゃいますからね。私も含めて何十年と学会の中で活動してきた方たちばかりなので、事実関係にウソがあったらその方の言ってることはすべて信用できないということになります。ここではそれくらいの責任をもって発言していただきたいと思います。
宗門の方も、創価学会が宗門を批判・攻撃していると客観的にわかるような写真なり文書等がありましたらネット上に公開してみてください。聖教新聞紙上での恐ろしいほどの宗門バッシングは私もよく知ってはいますが、excommunicateさんにしてみれば正義の闘いということになるのでしょうね。
いまのところ、こちらに来られる学会側の方も、宗門側の方も、自分からは攻撃・批判などしないと仰られているようですので、ここはひとつ客観的な事実として誰にでもわかるようなもので確認するのが早いと思いますがいかがでしょうか。
そのあたりがはっきりすれば、対話もより深まるのではないでしょうか。
それにしてもexcommunicateさんの判で押したような学会優等生ぶりは失礼ないい方かもしれませんが、ここを訪れる方のほとんどがなかばあきれ気味だと思います。excommunicateさんのような純粋な方が創価の実体を知ったときのショックたるや、考えるだけでもゾッとします。おそらく「ああ、あのときあそこで言われていたことは本当のことだったんだ」と地団駄をふむときが来るでしょう。カルトから抜け出すにはそれ相応のショックが伴います。私も真実に気がついて一年以上になりますが、まだそのショックから完全には快復できていません。でも一生騙され続けて終わるよりは、どこかの時点で気づいて、自分の人生を取り戻してほしいと思います。私の父は結局創価学会にすべてを捧げたまま亡くなりました。私が一番尊敬してきた父の人生を否定しなければならなくなったときの気持ちがexcommunicateさんにおわかりになりますか?自分の父親の人生を「間違いだった」と否が応でも認めなければいけなくなったときの気持ちがおわかりになるでしょうか?私だってこれまでの50年以上の自分の人生を自分で否定するときが来るなんて思いもしませんでしたし、できれば創価学会は正しい宗教団体であってほしかった。でも真実はちがったのです。それは自分の目で見て確かめて、自分で気づくしかありません。excommunicateさん、ここで交わされる対話は、決してあなたを陥れようとするものではありません。私やここにコメントされている方から見れば、あなたは確実に創価学会のうわべだけしか知らないままを発言されています。だからexcommunicateさんにとって厳しいコメントが寄せられるのです。それは学会を攻撃しているのではなくて、あなた自身に学会の真実に目を向けてほしいとの思いからです。どうかそのことを勘違いしないでいただきたいです。対話とは相手の思いを理解しようという姿勢がなければ成立しません。自分の主張を吐き出すだけでは対立は深まるばかりです。客観的な事実関係が明らかにできるところは、できるだけ明らかにしながら、それぞれの考え方を正直に出し合いましょう。
●木花(2013年8月11日 18:02)
文のみの対話って難しいですね。
私の書き方が悪くて誤解を招いてしまいました。
元学会員・学会員とはここにコメントされている「大聖人の教えと芸術の整合性は到底無い」という意見に賛同された方のことです。
ややこしくてすみません。
sinifieさんが日蓮正宗の矛盾点を追及している訳ではないことわかってます。
途中混同したこともありましたが、sinifieさんの真意はそこじゃないことに気付いて、あのようなコメントになりました。
ただ劣っているという表現が私には理解できないのです。
他宗は法華経じゃない仏典を使っていますが、それらの経典が劣っているという話はお寺で聞いた事はありません。
創価学会では法華経の話(これも正しくない解釈ですが)しかされませんが、日蓮正宗では違うお経の話もされるんです。
とにかく御住職様に確認してみますね。
sinifieさんが法華経以外は劣っていると表現したので「創価の教義に縛られて苦しんでいるようで気の毒だ」と思ったのです。
申し訳ありません。
誤解した理由はあるのですが、書くとまたさらなる誤解を招くので書かないことにします。
sinifieさんの仰るように日蓮正宗は750年以上、何も変わっていませんし、丑寅勤行も欠かさず続けております。
学会員は法華講が同じ信仰をされていると思っているでしょうけど、信仰に対する姿勢や大聖人様に対する想いがこれほど違うことをどう思われているのでしょうか。
21年前日蓮正宗が間違っていると去っていったわけですが、法華講は何も変わることなく信仰を続けているのに、学会員はおかしいとか嫌だと辞めていく人が続出しています。
excommunicateさんは自分が憎むものに対して、敬称もつけずに呼び捨てしていますが、それは世間では非常識なことです。
私は日蓮正宗と創価学会の関係がよくわかっていなくて、つい最近まで創価学会が日蓮正宗だと思っていた大ばか者でした。
これは私が無関心で無知だったからです。
仏教の基本も知らず、創価学会を仏教だと思っていた自分がとても恥ずかしいです。
世間はそんなこととっくに知っていたから創価学会を危険視していたんですよね。
池田さんは聖者なんかではありません。
創価学会は二大カルトの一つです。
人の不幸を祈る・・・これは人の道に外れる行いです。洗脳された学会員であっても出来ない人は絶対にしません。
でもそれを出来る人もいる。
これは大きな分かれ道だと思います。
excommunicateさんは自分より創価学会をよく知っている先輩方の話を聞けないようですが、そこがもう間違いなんですよね。
どうしてそう言われないといけないのか、一方的に学会員が正しいと言ってもそれは正しいことにはならないです。
excommunicateさんの語っていることは池田さんの思想であり、大聖人の教えではありませんよ。
学会の会館に行けばそれはすぐわかります。
あの会館に入って、ここは日蓮宗なんだと思う人はいないです。
第一、日蓮宗系の寺院には決まりごとがあります。学会はそれを行っていないのになぜ仏教と言っているのでしょうか?
新聞啓蒙・選挙活動を仏道修行なんていう宗派はありません。そんなおかしなこと言ってるの学会員だけです。
迷惑な学会活動で人と摩擦を起こすことが修行なのですか?
私の祖父母、両親は草創期の学会員ですが、祖父は亡くなる前に創価学会が正しくないことに気付いたようでした。
でも父は気付けず、今もバリバリの学会員です。
両親は学会に多額のお金を使い、現在お金に苦労しています。
それでも幸せだと言い張っているのは、自分が間違った選択をしたことを認めたくないからです。
学会員にとって一番苦しく辛い事は自分の人生を否定することでしょう。
excommunicateさんだって本当は真実を知るのが怖いから、耳も目も塞いでいるのではないですか?
覚醒したら辛い作業をしなければいけない、sinifieさんは正面からその苦しい壁を越えられた方だと思います。
これは心理学的にも大変なことで偉業なんだそうですよ。
いずれ創価学会の嘘は明らかになると思います。
日本人はサイレントクレーマーなので、何も言いませんが創価学会・学会員に対しての怒りは相当なものがあります。
創価学会の話は今までタブーでしたけど、それもなくなりつつあります。
もう嘘が通じる時代ではないのです。早く気づかれて脱会してほしいです。
●とある法華講員(2013年8月11日 18:20)
excommunicate様
まず、御隠尊日顕上人を呼び捨てにするのは、やめていただけませんか。私が池田名誉会長を呼び捨てにしたら、あなたは不愉快だと思いませんか。失礼だと言いましたよね。「上人」や「猊下」などの尊称を付けてくださいとまでは言いません。その失礼な態度が学会員の特性をよく表しているのではないですか? ここは対話の場です。学会員のアジテーションの場ではありません。学会が敵視する人物、団体は何と呼んでもいいということにはなりませんよ。
>また、逆を言えば宗門側は、創価学会を諸悪の根元・仏敵としていると思いますが、その学会に対する打倒や撲滅の祈りもせず、座して放置しているとでもいいたいのでしょうか。
すみませんが、御宗門および法華講は、創価学会を諸悪の根源や仏敵などと目してはいません。それはあなたの自意識過剰というものです。法華講は何も学会のみならず、あらゆる人たちを折伏していますので、学会さんを特別視することはありません。同じような異流儀に、顕正会や正信会などもありますし。先だっても浄土真宗の僧侶が正宗に改宗されるということがあり、その方は一信徒として修業に励まれています。
excommunicate様は、かなり学会の洗脳が進んでいらっしゃるので、論争だとか反証などを示しても、無意味だと感じております。sinifie様のご好意を頂いておりますが、以下の裁判についてのリンクを明示するに留めます。裁判結果は客観的事実ですので、excommunicate様は、ご自分の眼で確かめられてはいかがでしょうか。 ちなみに、以下のような正確な裁判結果は、学会内でしっかり知らされましたか? 聖教新聞は、学会が勝訴しようが敗訴しようが、事実をその都度報じていましたか? excommunicate様の回答をお願いしたいです。
御隠尊日顕上人に対する、学会の芸者写真捏造裁判
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E9%80%A0%E5%86%99%E7%9C%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
宗門と学会の裁判結果
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_7.html
破門の経緯については、まず、昭和52年路線と呼ばれる、池田大作名誉会長や最高幹部による、本尊模刻事件などの数々の教義逸脱問題が根底にあります。その後、折に触れ猊下様からの御教導と御慈悲を賜りながらも、結局、改悛することなく、創価学会は破門という事態に至ったのです。正本堂については、法華講も御僧侶、寺族の方々もこぞって御供養申し上げたのです。いいですか。学会員だけで正本堂を建立したのではないですよ。そして、御隠尊日顕上人のご判断に、学会の方以外は、誰も疑義を差し挟んではいないのです。
●signifie(2013年8月11日 19:43)
木花さん、コメントありがとうございます。
とりあえず誤解は解けたということでよかったでしょうか?(^^)
教の勝劣については私はあっていいと思っています。それはソクラテスの対話の哲学においても基本ですし、古代インドの修行者の討論も勝つか負けるかの真剣勝負で互いの考えを磨いていたそうですから。
ただネット上では文字だけのやりとりですので、ちょっとした誤解がさらに誤解を生み、本来の趣旨から離れてしまうことがままありますから、論争ではなくあくまで対話という形式でやれればと思っています。
これからもよろしくお願いします。
とある法華講員さん、コメントありがとうございます。
excommunicateさんへ具体的な資料の提示をしていただきありがとうございます。
excommunicateさんもそう簡単には納得はしないでしょうが、ここでの対話によって何かしら今までとは違う空気を感じてもらえると嬉しいです。
ところで、ちょっと気になったのは、とある法華講員さんが紹介されている日蓮正宗の信徒さんのHPでは池田氏をふつうに「池田」と呼び捨てにしていますが、そこはよかったのでしょうか(^^)いや、私はべつにかまわないのですが…
●とある法華講員(2013年8月11日 21:42)
sinifie様
私のコメント掲載、またコメントをいただき有難うございます。
私は基本的に誰かを呼び捨てにすることは好きではありません。ですから、少なくともこのコメント欄ではやめてください、というお願いです。ここは、sinifie様のご案内のように、「対話の場」ですから。他のブログについては、もう仕方ありませんね(苦笑)。私がご紹介したリンクは、裁判結果が一番分かりやすいと判断したからです。理由はそれ以外にはありません。
裁判結果については、宗門側は、事実を信徒に公表しています。勝訴・敗訴関わらず、です。学会側はどうなんだろうな、と。学会員さんは、いつも連戦連勝のように仰るので、事実を知らされていないのでは? と疑問に思ってきました。
【解説】
法華講の木花さん、創価学会のexcommunicateさん、それに信仰を捨てたシニフィエさんの三者が三つ巴で議論をするので、分かりにくい内容になっています。
私としては、三者のうち、どれかが全面的に正しいとは思えないし、それぞれの言い分に賛同するところがあります。
ここまでの流れを見ると、シニフィエさんがどうしてここまで日蓮と芸術の関係にこだわるのか分からない部分はありますが、比較的冷静に議論を進めていると思いました。
獅子風蓮