獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:木花さん登場(2)

2021-11-10 04:10:12 | 対話ブログ

前回に引き続き「素朴な疑問」のスレッドについたコメントです。


●signifie(2013年7月25日 00:19)
木花さん、さっそくていねいなコメントをいただきありがとうございます。
よくわかりました。ちょっとホッとしました。

日蓮正宗というと、白バラ通信での今も活動家。さんの印象が強いので、そういうところなのかなと勘違いしていたようです。それと学会が宗門と分裂する以前にも、うちの地元のお寺(そこで結婚式をあげたのですが)の住職の素行がとても悪くて、この人がほんとに聖職者なのだろうかと思うほどでしたので、たまたまかもしれませんが、正宗についてあまりよい印象はありませんでした。
木花さんの誠実なコメントで日蓮正宗の印象がずいぶんとよくなったと思います。ありがとうございました。

私についていえば、おそらくこれから先も正宗の信仰をすることはないと思いますが、父の墓が正宗のお寺にありますので、きちんと供養に行きたいと思います。ただ父の遺骨は半分創価学会の例の巨大墓地に移されてしまったのが残念でなりません。行くだけでも高速を飛ばして3時間もかかるところに、それもいかにも二束三文で買いたたいた山林を無理矢理切り拓いてつくったようなもの悲しい無機質な墓地になぜ親を埋葬しなければならないのか、ずいぶん反対しましたが、強信な兄夫婦に「分骨」というわけのわからない折衷案で押し切られました。もちろん父が生前に行ったこともない土地だし、家族もほとんど顔を見せないようなところに半分だけ骨を埋められて寂しがっているのではと思います。それこそ成仏できないのではと思ってしまいます。実際に私は2度お墓参りに行きましたが、兄夫婦は納骨のときに行ったきりです。まったくひどい話です。

またついでに話すと、私が死んだ時に入る墓はありません。というか、今は何の信仰もしていませんから、正宗のお墓に入るのもどうかと思っています。友人の曹洞宗の住職に相談したところ「入りたいなら僕のお寺の墓でもいいけど、どの墓に入るかは死んだ後の話だから自分では決められない。君の子どもや孫たちにまかせていいんじゃないか。そんなことであまり悩まないほうがいいよ。それに骨にそこまでこだわるのは日本人ぐらいなんだよ」と言われました。なるほどそうだなとも思います。

木花さんのコメントを見れば、洗脳された創価学会員とはちがって、とても誠実な信仰者であることがわかります。質問させていただいてよかったです。ほんとうにありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

●サラマンダラ(2013年7月25日 08:18)
シニフェイさんおはようございます
骨のお話がありましたのでまた取り留めのない書き込みしますがご容赦を
昔、親がなくなってお墓のことで相談にしたことがありました。お骨をどうするか話していたときに正宗の御住職が言われたことは
 骨は骨ですから骨に魂はありません でした。 私はもう絶句、次の言葉が出ませんでした
そしてしばらくたってから思ったものです
 本尊だってただの紙じゃないかと、魂が入っているといいたいのだろうけど、魂が入ってるなんてどこの誰にわかるのかと思わず言いたくなったことを思いだします
お墓って、お骨って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人それぞれの思いが・・・・・・・・・・・
わたしの知人に、昔それも昭和30年代に本尊の掛け軸の表装をしてた方がいます
話を聞いてみると、なぜかしら見つかるといけないので天井裏に隠れて作業してたといってました。(学会が破竹の勢いで伸びていたときですね今思い出しても雑な表装でしたね)だから自分たちはバカバカしくてそんなもの信じることできないと
それに魂入れるなんて・・・笑えるといってました
私自身自分にはもう、宗教はいらないと思っています

●木花(2013年7月25日 14:24)
もう一度コメントさせて下さい。

地元の御住職が素行が悪くて嫌な思いをされたのですね。
私もお寺に戻った時、話し方が乱暴(・・・と私が感じた)御住職がいて、戻るのやめようかなと迷ったことがあります。
それで法華講の方に相談しました。
話していくうちに、創価から来たんだから親切にされて当然という気持ちが自分にあったことに気付いて、反省した思い出があります。
なので何か疑問に思った時は、必ず相談するようにして、不信を持たないようにしています。

シニフィエさんとサラマンダラさんの事情はよくわからないので、何も言うことはないのですが、お寺の掃除をさせられたとか、冷たくされたから日蓮正宗をよく思わない、許さないと言ってる知人の学会員がいます。
私もお寺の掃除に行ってますが、やりたくなかったらやらなければいい話しだし、冷たくされたのは、よくよく話をきいたら自分の意志を押し通そうとして、思い通りにいかなかったからそう感じたみたいで・・・。
それには気付かないで、池田さんの僧侶が上で信者は下はおかしい・・・という言葉に共感し、そのまま日蓮正宗を憎んでいます。

その彼女は今も変わらず、自分が絶対正しいと思ってますが、それなら信仰する意味がないというか・・・。
学会員は自分の願いを叶えるために創価にいるので、魂の成長はどうでもいいのかもしれませんが、信仰は観心で自分の心を観ていく作業なんですけどね。

神道のある方が、仏教でも日本仏教だけが先祖供養をしている。
仏教がビジネス化したとしても、無償で感謝を捧げ与える先祖供養の尊い行いをしている仏教は素晴らしい。というようなことを仰っていました。
私の実家は両親が狂信者で、先祖供養を軽んじ、池田第一で人生を送ってきました。
毎年お墓参りには行きますが、日蓮正宗のお墓には絶対に行かないです。

シニフィエさんは日蓮正宗に戻らないとのことですが、信仰はご縁ですし、どの宗派でも先祖供養はできるので、どちらかでされればいいいですよね。
私は両親の葬儀の問題もあって、お寺に戻ったのですが、これから解決しなければいけない問題がたくさんあって、それをしなければなりません。
この間、偶然ネットで創価のマインドコントロールについての論文を見つけました。
それを読んだ時、私の中にある謎が全部解けたのですが
学会員がみな同じ行動をするのは、自我がなく借り物の自我に支配されているからだそうです。
2,3世はさらに問題があって、自我がなく育っているので、自我を取り戻すことがとても難しいと書かれていました。
本来なら、成長過程で自我を獲得するべきなのですが、それができなかったということは戻る自我がないそうなんです。
池田さんってとんでもないことをしたんだと、改めて思いました。
とても大変な作業ですが、学会員が自分の人生を取り戻せることを願っております。

●とある法華講員(2013年7月25日 23:37)
 日蓮正宗の話をされていらっしゃるので、こういう見方もあるんだ、ということで少々コメントさせて下さい。
 実家が代々法華講なので、私も法華講員です。創価学会が信徒団体だった頃も、学会さんのことはよく知っておりますが、正直申し上げて(当時は同じ信徒ですから、言いませんでしたが)、ずっと異質に感じておりました。学会員さんの多くは、正宗=学会と思われており、例えば、「正本堂は学会が建立した」とおっしゃる方も多いのですが、あの時は法華講員も御僧侶方もみなこぞってご供養申し上げたんですね。正本堂については、我々法華講も含め、僧俗一体の素晴らしいご供養でした。
 学会が折伏を一生懸命されて、正宗の信徒を増やされたことは事実です。それは、本当にすごいことだと感服しておりました。しかし、それを誇り、会館などをどんどん建てていく様は、「一体、何をしたいんだろう」と思っておりました。つまり、信徒として、お寺を守り、仕える、御本尊様に御供養申し上げる、ということは当たり前のことなのですが、そういうことをどうやら、学会員の方はよく学ばれていなかったのかなあ、と思います。近年、脱会されてお寺に戻られる方も増えておりますが、どこかお客さん気分でいる方が多いのですね。そして、「やっぱりお寺は合わない」と、いなくなってしまうケースが往々にしてあります。これは残念なことです。お寺とは修行の場なんですね。
 
 シニフィエ様がどのような信仰をされるにしろ、されないにせよ、まったく自由ですので、この点、他人がとやかく言うわけにはいきませんが、ただ、学会の信仰がすなわち正宗のそれである、とは思って欲しくはないのですね(シニフィエ様が必ずしもそう思われている、ということではないですよ)。やはり、学会は学会の指導があって、それをやり続ける以上、結局、宗門から破門されるというのは、必然だったのだろうと思います。

 それから、とても驚いたのは、破門された時に、その理由を尋ねにお寺に来られる学会員さんが非常に少なかったことです。信徒にとっては一大事です。御僧侶に問い合わせずにはいられないはずですが・・・。それどころか、御僧侶に対して誹謗中傷をはじめ、これには本当に恐怖を感じました。だって、つい昨日まで一緒に信心していたんですよ。それを親の敵のように、罵り、暴れ、もうここでは言えないようなことを御僧侶にしてました。

 これを見て、学会の信心とは何なのだろう?と思いました。社会常識も通じないような団体に成り下がったのは、残念です。シニフィエ様のこのブログなどを通して、様々な立場の方が意見交換することは有益だと思います。一法華講員として願うのは、一人でも多くの学会員さんが、またお寺に通われ、正気を取り戻していただきたいということです。そう思う人間もいると知っていただきたく、長々と書いてしましました。申し訳ありません。大変失礼いたしました。

●signifie(2013年7月25日 23:48)
木花さんへ
コメントありがとうございます。

>学会員は自分の願いを叶えるために創価にいるので、魂の成長はどうでもいいのかもしれません
いやあ、まったくそのとおりですね。とくに婦人部の人はとてもわかりやすくて、信仰を損得で判断しています。功徳がある。福運がつく。池田先生のおかげ。まるでデパートのバーゲンセールで安い商品にありつけたかのように、大喜びで駆け回っています。「自分だけとってもお得」が大好きなんでしょう。このブログの最初のあたりにも書きましたが、ネットワークビジネスにはまる主婦とよく似ています。「私はね、あなたのためを思ってるからこそ、こうしてこれを勧めてるのよ。いっしょに幸せになりましょう」もともと組織の上層部しか儲からないシステムなのに、粗悪品を友人知人にかたっぱしから売りまくって、友達をなくしていく。利用されていることに気づかず、お金欲しさとは裏腹に手出しの在庫が膨らんでいく。学会も選挙で利用され、財務で搾り取られ、社会からは変な目で見られていることにすら気づかない。そんなことが、いったん気づきさえすればきれいに見えてくるのですが、やはりMCって恐ろしいですね。
木花さんのブログも少しですが拝見しました。マインドコントロールについても。ほんとにそのとおりだなと思います。

●signifie(2013年7月26日 00:15)
とある法華講員さま
コメントありがとうございます。コメントを拝見して、とても穏やかで紳士的で、きちんと対話ができるかただなと感じました。また木花さんも同様に、私のようなものにていねいに話をしてくださるのはたいへんありがたいです。私が抱いていた日蓮正宗のイメージはずいぶん変わりました。それだけでもよかったと思います。
ただ申し訳ないのですが、今の私は何かの宗派なりの信仰を持つ気にはなれません。宗教自体は否定しません。否定しないどころか、人間の高度な精神文化だと思います。そうしたこともふまえながら、何事もなければ人生あと30年くらいかなと思いますが、悔いのない人生を歩んでいければと思っています。
日本は思想信条の自由が保障された国です。近頃はそれさえ危うくなっていますが、いちおう基本的人権や生命の尊厳とともに、思想信条に関して強制されることがあってはならない国です。そんななかで創価学会のやっていることはたいへんな人権侵害ですし、思想信条の自由を奪い取るばかりか、労働力やお金さえもぎとってしまう恐ろしい団体です。そんなものが宗教であるはずはありません。そのことに気づかない、気づかせない巧妙で大胆な集団ですね。民衆の弱みに巧妙に付け入って骨までしゃぶって吐き捨てる。しかし残念なことに、私も含めてそのことに気づかない人が日本には何百万人もいるというのが信じられないですね。


解説
このころのシニフィエさんは、法華講員である木花さんやとある法華講員さんに対して、丁寧に対応しています。

獅子風蓮