獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:ブログの再開(8)

2021-11-08 03:50:39 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■自分が信じているものは、      投稿日: 2013年6月15日

自分が信じているものは、何が何でも正しいと思いたいのが人情ですよね。ましてや、こんなに大き組織が、大掛かりな詐欺をしているなんて考えたくないというのもわかります。でも現実をきちんと見れば、どう考えても創価学会のやっていることはおかしい。特に社会的にはいい顔をしながら、いちばん大切にするべき会員に対してお金と労働力を搾取し続けていることを気づかせない、ほんとうに恐ろしい洗脳集団です。
学会の人は、一見やさしそうに見えますが、驚くほど社会性に欠けています。あんな組織を信じて、毎日とんでもない理屈を頭に叩き込まれているのですから社会規範に乏しくなるのも無理はありません。まったく自覚がない、自覚を持たせないところに最大限に注意をはらって組織運営がなされています。今見れば、ほんとうに見事なものです。しかしそれは間違っている。完全な人権侵害です。北朝鮮とひとつも変わらないたいへんな社会問題です。自分たちのやっていることは正しいんだということのために、それ以外のものをすべて邪悪なものと決めつけてしまう。本気でそのことを信じてしまう。私も子どものころから神社の鳥居をくぐることができませんでした。仕事でお寺や教会に行くにしても、とても不安な気持ちになっていました。なにか悪いことが起こるのではないか。ちょっとしたことでも、邪宗と関わったせいで、こんな目にあったのではないかとビクビクしていました。今でも、危険なことが迫りそうになると、思わず題目を心に思い浮かべてしまい、直後に苦笑いしてしまう自分です。幸せになるためにと思っていながら、実はこれを信じないと不幸になるぞと脅され続けてきたような気がします。


●0001今も活動家。 (2013年7月5日 18:31 )
タイトル sk106-シニフィエさんへ その2 1円財務その106
「白バラ通信 パンドラの箱」におけるシニフィエさんの「0001今も活動家。」への意見の回答です。
返事が遅くなり、すみません。
シニフィエURLを初めて確認させていただきました。
かなりのボリュウムなので、100%は確認できていませんが。
今回は、シニフィエさんのわたしへの意見に対しての回答より、
シニフィエさんへの助言を先に述べたいと思います。
シニフィエさんは、生まれたら、小さい時に、自分の意思とは関係なく、
日蓮正宗のお寺でご受戒を受けられ、日蓮正宗の信徒、そして創価学会員になられたわけですね。
そして、53歳の時に、日蓮正宗より下付された「ほんものの御本尊」を、
お寺に返却されたのですね。
日蓮正宗の信徒は、日蓮正宗より下付された「ほんものの御本尊」の功徳を信じると同時に、
「ほんものの御本尊」への不敬は、仏罰の因であることも信じています。
また、
日蓮正宗以外の本尊は「にせ本尊」とし、仏罰の因であることも信じています。
信心のない方は、「ほんものの御本尊」の功徳も信じませんが、
「ほんものの御本尊」への不敬が、仏罰となることも、
「にせ本尊」の仏罰も信じません。
シニフィエさんは、現在「うつ状態」とのこと、
わたしは、その「うつ状態」の原因は、
日蓮正宗より下付された「ほんものの御本尊」を、お寺に返却するという
「ほんものの御本尊」への不敬が現在の「うつ状態」原因の一つであり、
そして、「にせ本尊」を発行した創価学会の会員でいたことが、
もう一つの「うつ状態」の原因の一つであると思います。
「うつ状態」の原因の一つである「にせ本尊」を発行した創価学会の会員は、すでに解決されています。
もう一つの原因、「ほんものの御本尊」への不敬をクリアーすれば、
現在の「うつ状態」は解決できます。
日蓮正宗のお寺に行き、勤戒を受けられて、日蓮正宗の信徒として、再出発してください。
日蓮正宗の信徒になれば、「うつ」は完全に治ります。
日蓮正宗の信徒になれば、「うつ」は完全に治る。
このことを、信じるか信じないかは、
シニフィエさんの自由ですが、
わたしは、
日蓮正宗の信徒になれば、「うつ」は完全に治る。
ことを信じて、
シニフィエさんには、日蓮正宗の信徒に戻っていただきたいです。
そのためにも、一度、現在の大石寺を見学してください。
大御本尊ご安置の奉安堂には、日蓮正宗の信徒でないので、入れませんが、
それか以外は、全て可能です。
是非、現在の大石寺を見学してください。
済みませんが、シニフィエさんの私への意見に対しての回答は、次回とさせてください。
「0001今も活動家。」より

●signifie(2013年7月6日 18:06)
0001今も活動家。さんへ

白バラ通信での私からのお尋ねを、わざわざ私のブログにまで返事をいただき、ありがとうございます。
ただ私からのお尋ねのお返事ではなく、助言ということでしたので、それについてはこちらで意見をのべさせていただきます。

>「ほんものの御本尊」への不敬は、仏罰の因であることも信じています。
>また、
>日蓮正宗以外の本尊は「にせ本尊」とし、仏罰の因であることも信じています。

私は日蓮正宗の本尊も、創価学会の本尊も信じていません。そもそも「仏罰の因」が何であるのかさえ興味のないところです。私のうつ症状は、ここではお話しできませんし、また話すべきようなことではありませんが、はっきりしたところのものです。もとをたどれば創価学会の間違いに気づいたところから発するものですが、もっと具体的な原因があります。少なくとも決して0001今も活動家。さんの言われる「仏罰の因」ではないことははっきりしています。
私は白バラ通信のコメント欄において、このような0001今も活動家。さんの断定的なものいいはいかがなものかということを言いたかったのです。失礼ですが、0001今も活動家。さんの言葉はこの信心から離れると地獄に堕ちるといった創価の殺し文句と同じようなレベルに聞こえてしまいます。
話をわかりやすくするために、あえて極端なことを言いますが、創価学会や日蓮正宗や0001今も活動家。さんがおっしゃるように、日蓮の言葉そのままに邪宗を信じるならば不幸になるということであれば、キリスト教やイスラム教も含めて、人類のほとんどは不幸なのでしょうか?ダライ・ラマ率いるチベット仏教の僧侶と信者も、日蓮の教えを耳にし信じるまで人としての幸福はないのでしょうか?彼らが中国共産党から弾圧され殺戮されるのは、日蓮の教えに背く「仏罰の因」故のことなのでしょうか?だから同じ仏教徒を殺戮する中国共産党を池田名誉会長は「友」と言って歓迎するのでしょうか?ならばいつ人類に幸福がもたらされるのでしょう。全人類が日蓮正宗の信徒になり、日蓮正宗のご本尊を信じて行学にはげむことができる時代になったときでしょうか?それはいつごろ訪れるのでしょう?少なくとも私や0001今も活動家。さんが生きているあいだは実現しそうにないことですね。
私には、心の底から尊敬できるキリスト教のシスターや、深刻な悩みを打ち明けることのできる曹洞宗の僧侶の友がいます。彼らは他人に宗教を強制しません。不幸の原因を他宗のせいにしたりしません。あくまで自分の心の中をみつめ、他人への愛に気づくことをすすめます。さて、ちょっと意地悪ないい方かもしれませんが「こっちのご本尊を信じないから病気になる」という人と、どちらが宗教といえるでしょうか。
私は、私や私の両親はもとより、創価学会によって金と権力のために利用されてきたすべての人たちに不幸をもたらす元となった日蓮正宗を信じる気にはなれません。つまり創価学会は日蓮正宗を利用して大きくなりましたが、その因をつくったのは日蓮正宗だということも言えるのではないでしょうか。
私は日蓮正宗の方を責めるつもりは毛頭ありませんが、0001今も活動家。さんの好きな因果の法を前提に考えるならば、創価学会出現の因は日蓮正宗にあるといえないでしょうか。つまり創価学会という恐ろしい集団の生みの親は日蓮正宗なのではないかという疑問に対して、日蓮正宗はどのように答えられるのだろうかと思ったりします。ですから私は0001今も活動家。さんが勧められる日蓮正宗に戻る気持ちにはなれないということです。
以上、0001今も活動家。さんからの助言に対するコメントでした。


●サラマンダラ(2013年7月6日 22:51)
横槍すみません
いまだにこんなことを当たり前のように言う方が居られるのですね(正宗や学会はなれたものからすれば滑稽ですね)

よくお考えください正宗の本尊信じていても過去、癌や交通事故死、自殺など本物の本尊を信じていても不幸な最後を
終えられたかたを身近にたくさん見てきています何故そんな結果になったのですか、お聞きしたいですね
所詮は人が考え出したもの本物も偽者も信じるか信じないかだけのことではないのでしょうか
医者でもないあなたが軽々しく断定などしないほうがいいのではないですか
0001今も活動家。さん
過去を思い出していやな気分になりましたね

●signifie(2013年7月6日 23:42)
サラマンダラさん、コメントありがとうございます。
日本は一応民主主義の国なので、どんな宗教でも、他人に害のないかぎりではイワシ頭を信じようと自由ですから、0001今も活動家。さんが日蓮正宗の信徒であることを誰も拒むことはできません。それと同じように、私が何を信じようと信じまいと自由な国に住んでいます。信じる自由とともに信じない自由もあります。ところが、創価学会はその信教の自由を功徳と地獄という言葉で奪ってしまいます。その人の信教の自由を根こそぎ奪ってしまうばかりか、人生を棒に振らせて、金と権力を一点に集中させる組織です。その一点とは池田大作ただひとりのエゴにしか過ぎません。組織の上層幹部でさえ、要らなくなれば簡単に捨てられる非情なところなのに、金と権力に目の眩んだ最高幹部だけが、今でも組織をどうにか存在させようと必死です。それは聖教新聞の虚飾に満ちた紙面にはっきりと現れています。あの気味の悪い新聞を鵜呑みにしているのはコントロールされた学会員だけです。
私は今の日蓮正宗がどんなところなのかは興味がありません。よく創価学会から日蓮正宗へ戻ったという人の話は聞きますが、私にしてみればそれはとても考えられる選択肢ではありません。
私は創価学会の呪縛からようやく解放されることで、思想信条の自由というものを知りました。それはとても素晴らしいものです。だからといって宗教自体を否定するものではありません。前にも言いましたが、宗教は人間の高度な精神作用の現れだと思いますし、それに比べれば人類の積み上げてきた科学の信憑性など足元にも及ばないと考えます。宗教自体は人類の英知です。それは仏教、キリスト教、イスラム教にもいえることです。また、科学や心理学的な見地からトランスパーソナルという分野も宗教に迫ろうと試みています。ポストモダン以降の西洋哲学にも過去の反省をふまえた知的なアプローチがなされています。ただ先の三大宗教の深みにはまだ及ばないのも事実です。それほど人類と宗教の関わりは複雑で深いものです。
そんな中で、私にしてみれば学会がダメだったから日蓮正宗に鞍替えしようという発想はありません。
何を信じるのか、という以前に、自分の人生は何なのかということの再考から出発しようとしています。決して安易な宗教依存に陥ることのないような人生でありたいと思います。
創価学会の社会的問題とは別に、自分の人生の課題として、しっかり取り組まねばならないものだと思っています。
このブログではそうした課題に対する考えを記録しながら、共感できる方たちとの対話を通じて、今後の進むべき方向を見定めていきたいと思っています。

●ウトロ(2013年7月7日 09:32)
シニフィエさん、はじめまして。

以前から貴ブログを拝見していました。
私は現役の学会員ですが、2003年のイラク戦争をきっかけに創価の誤りに気づき、脱会こそしていませんが完全な非活壮年です。

今も活動家さん。をはじめ、法華講、学会、顕正会の活動家に共通して言えることは、自分たちの信じている日蓮仏法が唯一絶対だとの「妄想」に浸っていることです。

大石寺と、その信徒団体として出発した学会や顕正会も、日蓮門下の中の富士門流(日興門流)に属しています。
その富士門流にも、富士五山や興門八本山と言われるように、さまざまな流儀があるのですが、その中で大石寺流の日蓮信仰が唯一絶対だと主張する根拠は、実はなにもありません。

もし、その根拠が示せるなら、法華講、学会、顕正会の活動家に聞いてみたいですね。

日蓮本仏論にしても、富士門流の中では大石寺と保田妙本寺だけです。
歴史的に見ても、日蓮、日興、日目の誰一人として日蓮本仏などと言っていませんね。

その他、大石寺が正統と主張する根拠に「二個相承」がありますが、これは偽書です。
「本因妙抄」と「百六箇抄」・・・いわゆる「血脈抄」・・・これも偽書ですね。

大聖人出世の本懐と言われる弘安二年十月十二日の、いわゆる本門戒壇の本尊も後世の作り物だということは、すでに論証しつくされています。

偽書を作り出所不明の本尊を作り、それを自己の正統化に利用している詐欺行為。
これが大石寺であり、学会や顕正会もその教義と本尊を利用しています。
まるで魑魅魍魎の世界ですね(苦笑)

実に面白い現象なのですが、法華講、学会、顕正会は、それぞれお互いを誹謗中傷していますが、いずれも大石寺の本尊と教義を信奉しています。
学会も顕正会も、とうの昔に大石寺から破門されたのですから、大石寺流の教義を見直して再構築すべきだと思いますが、何故それをしないのでしょうね。
不思議でなりません。

うつ病についてですが、実は私も創価に疑問を感じてから数年間、精神科に通院した経験があります。
おかげさまで、今では薬の服用をやめることができました。
カルトから脱する前後は精神的に不安定になりますので、うつ病を発症しやすくなるようです。
気長に治療をすれば必ず治りますよ。
できれば、創価に関わるようなことは、しばらく控えたほうがよろしいかと思います。

雑駁な書き込みになってしまいましたが、シニフィエさんの御健勝を陰ながらお祈りしています。

●北斗七星(2013年7月15日 10:51)
シニフィエさんお久しぶりです。

夏も本番に入りました。どうかお体を大切にお過ごしください。

「学会の人は、一見やさしそうに見えますが、驚くほど社会性に欠けています。あんな組織を信じて、毎日とんでもない理屈を頭に叩き込まれているのですから社会規範に乏しくなるのも無理はありません。まったく自覚がない、自覚を持たせないところに最大限に注意をはらって組織運営がなされています。」

まったくその通りで、現在は参議院選挙で、学会の人は自分の家庭も顧みることもなく
選挙活動に明け暮れています。

数年前までの自分を思い出して、いまや彼らが哀れに思えます。

人間一人の生命、存在、ましてやその人を取り巻く家族の存在は地球よりも重いと私は考えています。
その人々を、たった一人の野心家のために利用し、思いのままに操ろうなど言語道断の所業であり、
とうてい容認できるものではありません。

今後とも、シニフィエさんの地道なブログの更新を楽しみに応援いたします。

また、今回のブログに『ウトロ』さんのコメントが掲載されていました。
私が非活の道を選んだころ、はじめて巡り合ったブログがウトロさんの【斜め目線の創価学会】でした。

当時は「仏法者」のHNでコメントさせて頂いていました。
ウトロさんの優しさに心を癒された日々が
懐かしく、ただただ感謝申し上げるのみです。

どうかウトロさん、いつまでもお元気で・・・。

シニフィエさんの掲示板をお借りしてゴメンナサイ。また、コメントさせて下さいませ。

 


解説
法華講員の「0001今も活動家。」さんが、信徒の立場から、シニフィエさんのことを心配して、次のようなコメントを寄せています。   

わたしは、
日蓮正宗の信徒になれば、「うつ」は完全に治る。
ことを信じて、
シニフィエさんには、日蓮正宗の信徒に戻っていただきたいです。   

しかし、その独善的な言葉は、シニフィエさんおよび日蓮仏法に否定的な多くの参加者から批判されます。

確かに、私も「日蓮正宗のみが正しく日蓮正宗に戻ればうつ病もなおる」とする言い方は反発を買うだけだと思います。

しかし、内面に向き合う信仰により「うつ症状」が軽快することは十分に考えられると思います。
それが、瞑想なのか禅なのか念仏なのか日蓮仏法なのかは、個人が選択すればいいことです。
その選択肢の一つに、「0001今も活動家。」さんのアドバイスがあると考えればいいのではないでしょうか。
ちなみに、創価学会員にうつ病をはじめとする精神疾患に悩む人が多いことは確かなようです。
創価学会組織の矛盾に気づいてなおそれを押し隠して活動することは、精神的ストレスとなります。
これまで長く信じていた信仰が信じられなくなるということからうつ病を発症することもあるでしょう。
逆に、仕事のストレスでうつ病になったけいすけさん(ブログ「うっかり創価学会はじめました」の主人公)のように、創価学会員となることで、うつ病が軽快する場合もあります。
要は、その人が心から納得できる信仰によって心が安定するならば、うつ病をはじめとする精神疾患も落ち着くのです。当たり前のことです。

獅子風蓮