獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:excommunicateさん登場(5)

2021-11-18 04:12:08 | 対話ブログ

前回に引き続き「学会員の本音」のスレッドについたコメントです。


●excommunicate(2013年8月6日 23:49)
まず、なかなかオンタイムでご返答ができなくて大変申し訳ございません。もし、スピード感持って返信しないと失礼にあたるようでしたら、私はこの貴重なブログから去るしか術はありませんので、その際はご遠慮なく仰って下さい。

私はじき40歳になります。また、仕事も油の乗った時期で管理職でもありますので、日々、業務に忙殺されていますし、家では三児の父でもあり、学会では、ありがたくも多くのメンバーに激励させて頂ける責任職を頂いています。もうすぐ壮年部入りでしょうが、まだかろうじて、男子部の最後のひと時を満喫しています。

以上のような理由で、大変失礼にあたるのは承知ですが、どうしても毎日、コメント出来ない事情もありまして、時間も遅くなってしまうことを何卒、ご容赦下さい。繰り返しますが、迅速なレスポンスが求められるブログでしたら、私は続ける自信はありませんし、皆さんにご迷惑をお掛けしてしまいますので、退場勧告はいつでも甘んじてお受け致します。

さて、私の人生の師匠、池田先生のご様子についてですが、私見を申すならば、いつまでもお元気でいらして欲しいと毎日の勤行唱題で御祈念するものの、お年はすでに86歳(84歳と誤記してしまい申し訳ございません)で、一般的見地からしますと、辛いお別れがいつ来てもおかしくない御年齢です。

そういったことを深く考える時に、今までのようにもうご無理して、多くの会員の方に直接会う形での激励をされなくても、今のように執筆活動を通して激励下さるだけで感謝一杯というのが、不肖の末弟子の思いです。

ゆえに、これは感性の違いでしかありません。学会に批判的な方々から思う感性と、内部の末弟子が感じる感性の違いです。そこには虚飾も偽りもない純然たる思いだけです。先生がご病気ならご回復をお祈りするしかありませんし、ご健在なら、益々のご長寿を祈る。私はそういうスタンスです。

その上で、さらに深掘りするならば、今までに師匠が残された膨大な指導、執筆による書籍等に、全てが網羅されている今、これ以上何を望むのか、弟子として、もはや求める時代は過ぎ、自発能動的に師匠の構想を実現していくというのが、今、問われている弟子の道であると思います。

ゆえに、私は学会の組織においても、師匠の構想を実現すべく、その指導通りに闘っています。そう、会員1人1人に光をあて、1人1人と苦楽を共にし、この日蓮仏法をもってして、宿命転換を成し遂げて幸福になっていく、その闘いです。

人の宿業は御仏智でしか推し量れません。また、その人の幸不幸は、その人しか感じることができません。はたからみたら不幸に見えても、この十界互具の大生命哲理からみますと、決してそうではないこともあります。

創価学会は昔から貧乏人と病人の集まり、また、暴力宗教、ファッショ(今で言うカルト)と世間から非難中傷されてきました。破門後20年を経過した今でも、その構図は変わりません。

だからこそ、その矢面に常に立って、私たち会員の防波堤として、一心に罵詈雑言を受けて頂いていた初代、二代、三代会長、そう、池田先生に私たちの切実な思いが凝縮されるのは当然のことです。

ここまで書きますと、私の洗脳度合いが高いとか、池田先生万歳論の結晶だとか、方方から厳しいご意見を頂戴するのは覚悟の上です。

しかし、この私の思いは、おそらくですが、今の学会の活動家と言われる方々の思いの多くをを代弁していると思います。

その思いを伝えたいこともあり、投稿させて頂きました。

皆様のご意見をお待ちしております。ただ、レスポンスが遅くなることは、どうかご容赦下さい。

皆様におかれましては、明日からまた、酷暑になると天気予報で知りました。どうか、お身体には十分ご自愛下さい。

ありがとうございます。


●signifie(2013年8月7日 00:26)
excommunicateさん、コメントありがとうございます。
excommunicateさんのお返事が遅いなどとは思いませんので安心してください。私も多くの仕事を抱える身なので、いつもこのブログを見はっているわけにはいきません(笑)。excommunicateさんの無理のないタイミングでまったくかまいませんので、よろしくお願いします。
(後略)

●signifie(2013年8月7日 06:38)
excommunicateさんへ

正直に申し上げますが、ちょっとがっかりでした。あえてここにコメントするということを申し出ていただいたのだから、もう少しつっこんだ回答がなされるのではないかと期待しておりましたが、最初のコメントと同じようなことでした。私がお訊きしたかったのは「なぜ池田氏が人前に出てこないのか」ではなく「なぜ人前に出てこないことに対して学会員は誰も触れないのか」です。excommunicateさんの回答はexcommunicateさん自身が考える想像でしかありません。何も言わずに二年以上も会員の前に姿を現さないのは、それなりの理由があるはずです。かといって執筆活動は驚くほどやられているので、年に一度ぐらいでも会員の前に顔を出すとか、せめて録画映像だけでも同時中継のときに流すことぐらいできそうなものではないかとも思います。まあ、それはこちらではわからない池田氏の事情があるのでしょうから、それはそれとして、そのようなことに対して会員が誰も何も言わないことの不自然さに対して、excommunicateさんから何らかの回答をいただけるのではないかと思っていたからです。

●木花(2013年8月7日 10:12)

(前略)
signifieさんへ
signifieさんは創価を宗教と思われていないのに、未だに創価の教義に縛られていることを気の毒に思います。
創価は日蓮正宗の教義を使っていますが、結果的に歪曲された池田思想なんですよね。
だから、それを信じなくてもいいと思うのですが、捨てられませんか?
2世・3世の学会員は生まれてすぐに親から池田思想を洗脳され、組織と学会員からも洗脳され何重にも洗脳されて育ちます。
最初に学ぶことが法華経ではなく、池田思想あり、それを仏教と思ってしまうと後々障害を引き起こすことになります。
法華講は芸術を芸術として捉えられるのに、学会員は捉えられないのはなぜなんでしょうね。
私はミケランジェロが好きなんですが(本も持ってます)、ピエタを見た時、純粋に素晴らしいと思いました。
感激しました。20代の人間が造ったものとは思えませんでした。でもキリスト教を信仰したいとは思いませんでした。
これが学会員的には謗法になるということですよね。
創価の謗法は脅しに使われていますが、宗門ではそんな風に使われていません。
創価が脅しとして使ったのは洗脳してお金を出させるためで、学会員はそれを疑いもせず従っただけなんだと思います。

創価を辞めた今も、創価の教えに苦しめられるのは、創価の洗脳が大成功した証でもありますね。
日本人から仏教を離すことに成功したのです。
法華講は日蓮大聖人の教えを日蓮仏法とは絶対に呼びません。日蓮宗系の信者さんもそう呼ばないはずです。
学会員は無意識にそう呼んでいますが、それは自分達が大聖人とは関係のない宗教であると認識しているからではないでしょうか。
創価は何宗か?・・・私は学会員や学会幹部の聞きました。誰も答えられませんでしたよ。

ネットに『法華経』に帰っていく人々というのがありました。
曹洞禅の祖、道元禅師という方は臨終が近づいて来た時、法華経の神力品を唱えたり、またその一節を壁に書きとめた後、亡くなりました。
ちなみに、今でもなぜかお通夜や葬儀などで法華経の寿量品第十六を唱えたり、中には棺にお題目が書かれたものを入れる人もいるという話です。
いわゆる念仏をひろめた法然さんも、晩年には、「禅も念仏も救われない・・」といった意味のことを金剛宝戒章という書物に書き残されています。
真言宗の開祖、空海さんも最初は「法華経は大日経などよりも劣っているお経だ」としてきましたが晩年には東大寺の真言院という所で、法華経の講義をされ『法華経釈』を書き下ろしましたこれが最後の著作となりました。(引用ここまで)

私は学会員時代から法華経が素晴らしいと思っていました。
だから法華経に背いている創価にはいられませんでした。
法華講さんは物静かで、学会員のように攻撃的な人はいません。
私の所属するお寺には90歳になってもお寺に通うおばあちゃんがいます。
たぶん、教学には詳しくないと思いますが、でも私にはおばあちゃんが菩薩に見えるのです。
信仰者の姿を見せられ、自分を反省したりします。
私もおばあちゃんのような信仰をしたいと思ってます。
創価で見て来た異常な光景は私の中にはもうありません。
学会員だったみさなんの創価の異常な教義、活動の記憶が心から消えるといいですね。
ご自分の人生を大切にされることを願っております。

●excommunicate(2013年8月7日 21:57)
前述させて頂いたように、ご高齢の池田先生に、本部幹部会などで、直接、激励を求める時期はもう終ったと思います。

しかし、聖教新聞やSGIグラフには直近の先生のお写真などが掲載されていますし、アフリカSGIの代表団が来日された際も、車中からでしたが、直接、激励されています。つい、先日も発展目まぐるしい創価大学に御来校され、大学関係者に対しても激励されています。この様子も聖教新聞にも記載されましたし、学長自らそのご様子を語って頂きまして、その内容を私は某会合で直接学長から伺いました。

繰り返しになりますが、先生はご高齢です。いつ、なんどき、何が起きるかわかりません。私は現在のご執筆活動でも十分過ぎるほど感謝一杯です。今は後事を託された弟子の出番です。そして、いずれ到来する悲しい事態になっても、動揺することなく、大聖人御遺命の一閻浮提広宣流布に向かって、師匠が切り拓いてくれた弟子の道を、遅滞なく歩み抜くことを託されています。だから、中途半端に多くの会員の前に出たりなされないのは、『私がいなくても闘いなさい』、『私がいないと思って闘いなさい、いずれその時期が来るのだから』という強烈なメッセージ以外の何ものでもないというのが、私の率直な思いです。

この私個人の思いは、多くの学会員の現在の心境と、さほど変わらないでしょう。

学会に批判的な方々は、やれ重病だとか、やれ仏罰だとか耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を連呼されます。我が師匠になんの恨みがあるのか知りませんが、もしそうではなくて、ただの揶揄であるならば尚更、腹わたが煮えくりかえりそうな怒りを覚えます。

ある方のコメントでは、学会には光と闇があると綴られていました。

私はその闇など知りませんし、学会の現場には光しかありません。ただし、光が当たっていないメンバーが数多くいることは承知しています。だから、家庭訪問の激励がどうしても必要になりますし、会合だけではとてもじゃないですが、1人1人に丁寧な激励などできません。そのメンバーが今、何に悩んで何に行き詰まっているのか、悩みが無いならより幸福になって頂けるにはどうしたらいいのか。全て大聖人の御書に照らして、御本尊根本、お題目根本で激励させて頂いています。ここにしか、真の闘いはありません。この百年河清ともいうべき、地道な1対1の膝詰めの対話でしか、人の心は動きません。自分が心を開き、全てをさらけ出し、虚飾も何もない、一個の人格として、真っ正面から、相手の懐のど真ん中に入っていかなければ、人は動きません。学会は草創期から、そうやってきたからこそ、今でも強い異体同心の団結があるのでしょう。

しかし、中には学会指導から逸脱した活動をしたり、それを押しつけたり、人として疑問符がつく振る舞いの方もいらっしゃいます。そういった人と接してしまうと、純粋な方は学会が嫌になってしまいますし、離れてしまうこともあるでしょう。

それが闇と言われれば、そうかもしれませんし、現実、これだけの人間が集まる組織なので、全ての会員に100点満点を望むのは無理があります。所詮は仏道修行中の凡夫の集まりなので、いろんな軋轢もあるでしょう。ただ、組織内に問題があれば、直ちに解決向かって対応するのが幹部の役割であります。

話がかなり逸れてしまい、大変申し訳ございません。

また、忌憚の無いご意見を頂戴できましたら幸いです。

今日も日中は大変な猛暑でしたね。熱中症にはお互い気をつけてまいりましょう。

●とある法華講員(2013年8月7日 23:14)
excommunicateさんにぜひお聞きしたいです。

最近、創価学会を辞められて法華講員になられた方が仰っていたのですが、学会員は唱題会などで、学会に敵対する人物の不幸や打倒を祈るというのは本当ですか?
標的にされているのは、たとえば、御隠尊日顕上人様や、公明党の竹入、矢野両元委員長といった方や、脱会された人だというのですがいかがですか?もし、これが事実であれば、仏教という以前に、宗教として問題だと思うのですが。

日蓮正宗は謗法厳誡ですが、日興上人以外の五老僧の追善回向もしているのはご存知でしょうか。いくら、大聖人様の教えに違背したとはいえ、それはそれとして、どのような方でも成仏を祈るのは仏教として基本だということです。学会はそのようなことをされていらっしゃいますか?excommunicateさんの回答をお願いします。

あと、どなたのコメントか忘れてしまって恐縮ですが、学会で第九を歌ったことをご宗門が謗法だと言って破門した、というものがありましたが、それは事実と異なります。まず、ご宗門が問題にしたのは、当時、日蓮正宗の信徒団体である創価学会が、会合のなかで、わざわざキリスト教の神を賛美する歌を信徒に歌わせるのは、どういう理由からなのか、と尋ねただけです。それを学会が回答拒否されたのですが、これが直接の破門の理由にはなっていません。事実として書いておきたいと思います。

ご宗門は、学会が民音などで、さまざまな国、宗教に由来する芸術・文化活動を展開することに(第九を歌うことも、ワーグナーを演奏することも)疑義を差し挟んだことはないはずです。問題は、信徒団体の学会の会合(宗教活動)において、なぜわざわざそういうことをするのですか、ということでしょう。信徒団体だったのですから、それは学会がしっかり回答をすれば、済んだはずです。事実はそういうことですので、この話題はこれきりにしたいと思います。

 


解説
excommunicateさんは創価学会員として、池田氏の消息に対する正直な心情を述べ、シニフィエさんは、池田氏が何年も人前に姿を現さないことに疑問を抱かない創価学会員の気持ちに不信感を表明します。
なかなか議論がかみ合いません。

獅子風蓮