前回に引き続き「対話が進行中です。」のスレッドについたコメントです。
●木花(2013年8月10日 10:12)
>四箇の格言では「念仏を唱えるのはいいけど無間地獄におちるかもしれないよ、知~らないっと」「禅宗って頭よさげで謎めいてかっこいいけど頭割れちゃうかもね」って感じでしょうか。
signifieさんはそういう風に思われていたのですね。
救われると劣っているがsignifieさんにとっては同義語のようですが
「芸術と宗教(つづき)」にもコメントしましたが、大聖人が念仏・禅宗を破折したのは念仏・禅宗が広まり日本国が混乱したからです。
上から目線で「優劣」を語り自慢したくて布教活動していたのではありません。
法華講は日蓮正宗の信仰を自慢したくて信仰をされてる思われているのかしら・・・。
だから「劣っている」という言葉が出たのでしょうか。
signifieさんは他宗より創価の信仰が優れているから、長く創価の信仰をされていたのですか?
白バラでの私のコメントにも「自慢」と言ってましたよね。
事実を述べたら自慢?ん?って思ったんですが、どうしてそう思うのかなぁと不思議でした。
創価学会は信者に役職を持たせ上下をつけて、常に上か下かで判断してますが、仏教は上か下かではなく自分の境涯を高めるものです。
signifieさんの言葉からは大聖人をやり込めたい気持ち、ちょっとした憎しみみたいなものを感じられるのですが、頑なに大聖人は芸術を認めない。日蓮宗系はそういう宗教と思われるのならそれはでいいと思ってます。
日蓮大聖人の教えは間違っている。そう思う方も実際いますし・・・。
この話はsignifieさんの考えによって変わることので、signifieさんの考えが変わらない限り平行線だと思います。
私は人を変えようとは思ってないし、できないと思ってます。
誰でも今の選択がその人にとってベストである訳だし、人によって学ぶことも違います。
ただそれだけのことなんだと思います。
そこに上下・優劣はないです。すべてはその人の学びであり、罪障(カルマ)です。
だから私たちは創価学会に縁しなければならなかった。
《学会に敵対する人物の不幸や打倒を祈るというのは本当ですか》
これは本当です。
日顕上人の乗った飛行機が落ちるよう祈ったり、踏み絵した学会員もいます。
ありもしない日顕宗をでっち上げ仮想敵としています。それは創価の教学試験に出ます。
日顕上人ほど学会員に恨まれ不幸の祈りをされた方はおりません。
でもその不幸の祈りは全部学会員に返るでしょう。
因果応報ですから。
学会員は自分達を仏教徒と言いますが、なぜそんなことをするのでしょうね。
そして学会員は何がしたいのでしょう。
●祥蘭(2013年8月10日 11:47)
はじめまして。約一年前からこちらのブログを拝見させてもらっています。
私は学会3世で、40代です。女子部時代は部長を経験した活動家でした。
昨年あるきっかけで創価が宗教のかさを着た巨大搾取集団であることに気付き脱会を決意。
現在も籍はありますが一切の活動・献金(財務や新聞、書籍購読)をやめ、非活です。
excommunicateさんはまだお若いのでしょうか。
宗門問題(正宗が創価学会を破門・平成3年)当時の年齢で、創価への印象って差異があると思います。
当時まだ少年部くらいなら、なかなか解らないでしょうね、創価のダーティな部分が。
私は当時20代初めでしたので、手のひら返したように創価の会員が正宗打倒撲滅に向かい狂乱していたのをはっきり覚えています。 正気の沙汰じゃ無かったですよ。
私が女子部で活動家だった時代(12年前)でもなお、青年部で「日顕宗撲滅」を祈念していました。
撲滅の意味を辞書で引くと、「完全にうちほろぼすこと。根こそぎなくしてしまうこと」とあります。
これが折伏・破折精神なのでしょうか? 存在を消してしまえ、ということのどこに慈悲があるんでしょうか。
個人指導でも、悩みがなかなか解決しないと大幹部(学会職員)に話すと真顔で“それはあなたが真剣に日顕打倒を祈っていないからだ、他人事と思っているからだ、師匠の敵を倒す事こそ弟子の使命。 その一凶を認識しない限り壁は打ち破れないよ”と言われて。
会った事もない日顕さんを、自分の敵・自身の一凶だと思えという指導が平気で行われてましたよ。
地域の個人宅の会合席上じゃないですよ。本部で行われている指導会で、です。
私が住んでいた地域では当時、組織から配布されるご祈念板?に、日顕宗と共に乙骨さんの名前ものってました。
池田氏の敵=仏敵。だから倒せという解釈は創価学会員の共通認識でした。
改心してもらって共に幸福にというのは一回も聞いたこと無かったですね。
「言葉尻だけをとらえて本質に肉薄せず邪推」はたんなる言い逃れです。
本当にそう(相手の幸福)考えているなら、ご祈念板に長すぎて書けなくても、日常的に言葉にして指導するはずですよね。
そこを「撲滅、打倒」で止めているのはどうしてでしょうか。
一度、現役幹部の方にその理由を聞いて来てここで教えてもらえませんか? お願いします。
シニフィエさん
約一年前に創価の実態に気が付き、まさかと思いながらもネットで調べている時にこちらにたどり着いて真実を訴えてくれる方が存在しているということに、とても安心し、勇気をもらいました。
当時の私は組織がおかしいと気づきながらも、生まれてから40年近くも創価で刷り込まれてきた「仏罰」を恐れ、どうしたらいいのか右往左往していたのです。
この一年間でやっと現実を受け止められるようになり、仏罰への恐怖感もなくなりました。
心がおれそうなときシニフィエさんの言葉に励まされ救われました。本当にありがとうございます。
●signifie(2013年8月10日 17:22)
祥蘭さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。2世と3世という違いはありますが、私とほとんど同じような変遷をへて、やっと気づいたクチですね(笑)。ブログも少し読ませていただきました。うんうんそのとおり!って何度もうなづきました。
「仏罰」なんてない、功徳と思っていたことも信心したからじゃない。自分で努力して自分でつかみとった幸せなんだと素直に思えるようになりました。それを悪いことは信心が足りないから、いいことは池田先生のおかげっていうことをまともに信じている人がいること自体が今となっては不思議ですが、それがわからなくなるくらい思考停止させられてしまうんですよね。私は若い頃、そういう思考停止の中で、とりかえしのつかないことをしてしまっていました。そのことに去年やっと気づいて、めちゃめちゃ落ち込みました。病気にもなりました。そしてそれをなんとか残りの人生でとりかえそうと思っています。具体的にはとても言えないことですが、この歳になって思ってもみなかった人生の転換期を迎えています。まだまだ老いるわけにはいかないなと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
【解説】
木花さんは言います。
>signifieさんの言葉からは大聖人をやり込めたい気持ち、ちょっとした憎しみみたいなものを感じられるのですが、頑なに大聖人は芸術を認めない。日蓮宗系はそういう宗教と思われるのならそれはでいいと思ってます。
私の感想とドンピシャ、同じです。当時からシニフィエさんは「日蓮正宗は批判しない」といいながら、日蓮をやり込めたい気持ちがまんまんでしたね。
ブログ「わだかまらない生き方」で有名な祥蘭さんが初登場です。
理路整然とした文章にほれぼれしますね。
獅子風蓮