獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第3章 その6

2022-12-21 01:48:49 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
■第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



誰も祝ってくれない披露宴
93年のお正月は、勅使河原家で過ごさせていただいた。
祝福以来、毎日のように電話で話したり、幾度か顔を合わせて食事をしたりするうちに、私と勅使河原さんは、普通の恋人同士のような想いを抱くようになっていった。
優柔不断で感情的な私は、理性的で物事の判断が早い彼を、頼もしく思った。きらいなしぐさや、気になるくせはあったが、神が与えてくれた人なのだから、そんなことを気にしてはいけないと思った。
年が明けて私が33歳の誕生日を迎えるまで、教会内でも夫婦として認められないことになっていたが、そんな恋人期間を私たちは楽しんだ。
反対している姉夫婦にもー度は会ってもらったし、とにかく今は二人で耐えて、そしてがんばっていけば道は開けるだろうと思った。
彼のご両親は、統一教会には反対しているものの、二人の結婚に対しては認めてくれていた。お正月に訪ねた時、近くの披露宴会場の案内書を手渡してくれたほどだった。
私自身は、披露宴なんかやりたくなかった。もう結婚式のセレモニーは、8月の祝福で終わったと思っていたし、披露宴をやっても誰も来てくれないと思った。恩師も友だちも親戚もみんな反対しているのだから、出てくれるはずがなかった。誰も祝ってくれない披露宴を開くなど、苦痛でしかない。
けれど、そんな中でも堂々とメシアの写真を飾り、披露宴を開いて祝ってもらった人たちがいる。
(そうだ、反対されている中で披露宴をすることこそ、勝利への道なんじゃないか。子供でも生まれればまわりの接し方も変わってくるだろうけれど、まわりが良い雰囲気になってからやっても無意味だ)
「ゆっくり見させていただきます」
案内書を手に、私はそう言った。
「私も昔、統一教会に入信するのには反対したんだけどねえ。北海道にも連れてって、牧師の話を聞かせたりしたんだけど、だめだったのよ。それで、きちっと就職するんだったら仕方がないっていう話になったんだけどねえ……」
お母さんが、想いを遠くにめぐらせるように私に話しかける。
この話は勅使河原さん本人からも聞いていた。母親があまりに反対するので、親を納得させるために、自ら牧師のところへ行ったのだそうだ。
牧師らの強制改宗の話を、統一教会からさんざん聞かされていただけに、自分の方から“反牧”のもとに飛びこんでいき、そして信仰をまもった彼の勇気を、頼もしく思ったものだ。
お母さんが続ける。
「今でも、統一教会には反対なのよ。でも、どういう形にしろ、こうやって出会ったんだからねえ。認めないわけにはいかないもんねえ。だけどね、これだけは約束してほしいのよ。子供が生まれたら、絶対に統一教会の学校なんか行かせないで、普通に育ててほしいのよ。それだけはお願いしたいのよ」
私は「はい」と答えながら、あいまいな笑みを浮かべた。
統一教会では、幼稚園や大学などを持っているが、そういうところへ入れる方が、子供にとっても幸せだと思っていたからである。統一教会員の子供は、そのまま統一教会員なのだから、この世でいう“普通”には育てられないことは知っていた。
でも、この場で「それはできません」と答えたくはなかった。せっかく、お正月に招いてくださったのに、気分を悪くさせたくはなかった。
統一教会に反対していても、結婚は認めてくれたように、子供が生まれれば、教会の幼稚園に行くことを認めてくれるようになるだろう。その場、その場で強行手段をとっていく以外に、神の道を純粋に歩んでいく方法はないのだった。
本当に神の道を行くことは大変なことだった。
現実に日はどんどん過ぎていくし、講演等の減少から会社経営も困難になっていた。その上、披露宴に新居探しと、やっかいなことが山積していた。
しかし、1月3日に33歳の誕生日を迎えた私を、勅使河原家の方々は温かく祝ってくれた。そんな時だけは、かすかにホッとした。
彼からのプレゼントには、指輪がいいとおねだりした。右手のくすり指には、祝福の指輪が光っていたが、左手のくすり指に自分たちだけの指輪が欲しかった。
東京へ帰ると、さっそく二人で指輪を探しに出かけた。ところがなかなかサイズが合わない。左手のくすり指のサイズは5号か6号なのだが、細すぎてないのである。サイズ直しには何日もかかると言われて、すぐ欲しかった私は、ピンキーリング(小指用)の中から選ぶことにした。そして、小さく半透明に輝くムーンストーンの指輪を買ってもらった。


部屋にコイが泳ぐ文夫妻の豪邸
1月末、私たちはニューヨークへ出かけた。
お父様のご聖誕祭(メシアの誕生日を祝う催し)に3カップルがお招きを受けたのだった。ニューヨークなどへ行く時間もお金もなかったが、メシアから呼ばれては断るわけにはいかない。
それに、お金の方は心配しないでよい、教会で出してくだざるということで、申しわけないなと思いながら旅立った。教会のお金で行くからには、多くのことを吸収し、あとで皆のためにがんばらなければと思った。メシアの一挙手一投足を見逃してはならないと思った。
教会の建物だというニューヨーカーホテルに宿泊し、ご聖誕祭にも参加させていただいた。
リーダー会議において、朝9時から夜7時ぐらいまで、お父様はぶっ通しで御言を語られ、私はやっぱりメシアは人間じゃないと思った。そのリーダー会議にも出させていただいたことに感謝しながらも、私は途中から睡魔がおそい、床に突っ伏して浸てしまった。
その時に、次の祝福は36万双(組)と発表があった。
「日本の目標は何万双だね?」
お父様が神山会長のあとに就任した日本の藤井?雄(みちお)会長に質問する。
会長は、ちょっと考えて何万双かと目標を言ったが、「少なすぎる」といなされ、結局「21万双です」ということになった。
こんなふうに摂理は決まっていくのかと驚いた。
そして祝福のお金は200万円といわれた。私たち3万双の時が、60万+感謝献金70万で130万円。これから、どんどん高くなっていくのかなと思った。
翌日、お父様とお母様たちが住むイーストガーデンのお宅にも招いていただいて、私はこんなにたくさんの恵みを受けていいのかなと、怖いぐらいだった。
広大な敷地の中にある、素晴らしい家。想像していたよりも、ものすごく大きなところだった。
教会の公邸だというが、門から家までがずいぶん遠く、ゴルフ場の中に家があるという感じで、「イマジン」のビデオで見たジョン・レノンの家のようだった。大きな壁画のある部屋にはコイが泳いでいた。部屋の中にいながら、まるで庭園にいる気分だった。
以前、8月の祝福の時に、韓国のお宅にもお邪魔したが、その何倍も素晴らしいところだった。
今は会長から名誉会長となられた神山名誉会長が住む、通称ホワイトハウスも、敷地の中に川が流れているようなところで、夢の世界そのものだった。
勅使河原さんが、「教会は借金だらけだと言ってるけど、まだまだ、あるところにはあるぞ」と言っていたが、やはり教会の資産は莫大なものなのだなと感じた。
私たちは、お母様に洋服を買っていただいたりもした。すべてが、いたれりつくせりだった。
(日本に帰ってから、お父様とお母様のことを証して、がんばらなければ)
お父様は前日とはうってかわって疲れきっているご様子で、そのことも心にとめて、日本のみんなに話をしなければ……と思った。
日本に帰ると、M先生が、
「ホントによかったわねえ、恵みねえ」
と、自分のことのように喜んでいた。
指導者の位置にいるわけでもない私たちが、リーダー会議に出席したり、メシアと身近に接したりできるのは、本当に大変なことだと思った。何か、お役に立てるようなことをしなければと思うばかりだった。


スクールだけはやめたくない
「経済的に大変でしょうから」と教会内での講演を用意していただいていたが、私はそこで一生懸命、御父母様の証をした。
「お父様もお母様も、本当に疲れきっていた。これからは、親にはあまり負担をかけないように、私たちががんばる時代だ」と、涙を流して訴えた。
私はそんな自分自身に酔っていた。
昨年、同じような教会内の講演では、なかなか御父母様のことが話せずに、「もう少し御父母様の証ができたらいいわねえ」とM先生に言われていただけに、なんとか内容がまとまってきたことがうれしかっだ。
M先生も「よかったわよォ」といってくださった。私の話がみんなの励みになって、お役に立つことができるんだなあと感慨にふけっていた。
私たち“三女王”はこれから全国をまわって復興(元気づけ) していかなければならないと言われ、私もできるだけお役に立ちたいと思っていた。
「大変なところに入ってきてしまいましたね。もう女優だとかなんとか言ってられないですからねえ」
神山名誉会長がニコニコしながら興奮気味に語りかける。
私はドキッとした。教会員である以上、何がいちばん教会にとっていいことかを考えなければならない。「三女王は全国を復興してまわること」が至上命令だとすれば、何をおいてもそのことを優先させなければならない。
私は悩んだ。そしてM先生に相談した。
「私は、教会員であっても、こうやって普通にスクールをやれていることが、神を証できることだと思うんですけど……」
私は、役に立ちたいという想いと、スクールをきちっとやることがベストなことなんだという想いの中でゆれていだ。
お父様から「こうしなさい」と言われたことをすぐに実施できなければ、内的献身ができているとはいえない。いつ至上命令として「全国復興」を言い渡されるかと、内心ビクビクしている日々だった。
(その時が来たら、覚悟を決めるしかないのだ)
そればかり考えていた。

 

 

(つづく)

 


解説
第3章では、山崎浩子さんが旧統一教会での合同結婚式に参加するもその後“拉致・監禁”に至るまでの様子がていねいに描かれています。

ここでは、ニューヨークにある「コイが泳ぐ文夫妻の豪邸」に招かれたときのことが書かれています。
教会トップの振る舞いの記録として貴重です。


獅子風蓮