獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第2章 その2

2022-12-10 01:50:00 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
■第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



いつか新体操を捨てる日が来るのか
4日間の日程を終える時、班長さんが、手紙をくださった。その中には、お父様(文鮮明)がうたわれたという詩が入っていた。

--- お父様の詩---
お前は一人で生まれてきて一人で生きているのではなく
私があるからお前があり、お前があるから私があるのだよ。
お前の罪は人類の罪だ。
お前が勝たなければお前よりもっと苦しんでいる人たちはどうするのかね。
お前には責任があるのだよ。
私もお前なら勝てると思ったからこそ、信じているからこそ
今までお前を導いてきたんだよ。
たとえお前が私を信じなくとも、私はお前を信じ愛しているのだよ。
私は報酬を望まない。どんなに今まで裏切られてきたことか。
それでも私はお前たちを愛して信じてきたのだよ。
お前がどんなに否定しても、お前は私のかけがえのない娘だよ。
お前の罪の故に、お前の苦しさ、悲しさの故に
私はお前以上に耐えてきたのだよ。
暗闇の中をお前は一人で歩いて来たのではなく
いつも私がそばにいたのをお前はどれだけ知っていたのか。
ごらん、木々の緑の中に、小川のせせらぎの中に、
私の愛が聞こえるだろう。
私はこんなにお前を愛しているのだよ。
さあ、信じてごらん。
お前の中の私を愛してごらん。
お前の中の私はお前が立ち上がるまで、お前が勝利者となるまで
私はそばにいてお前を見ているんだよ。
私はお前の親だから私はお前を離すことができないのだよ。
闘って勝利して私を喜ばしておくれ。
私の信じた娘は、私の愛した娘はこんなにも成長しましたと
神の前に、サタンの前に語ることができるお前であっておくれ。
罪が少なく勝利することが簡単だった者より
罪が多くて勝利することが困難だった者が勝利してくれた方が
私にとってどれだけ多くの希望となることだろうか。
この娘は本当に罪深かっだけれども今ではこんなに成長しましたと
私にいわせておくれ。
お前と二人で天のお父様の前に報告にいける日を
私は唯一の楽しみにしているよ。
がんばるんだよ。

(ごめんなさい、お父様。あなたがずっと共にあってくださったことを私は知らなかった。本当に罪深き私ですけど、これから懸命にがんばっていきます。あなたを決して裏切ることがないように)
本当に、泣いて泣いて、泣き通しの4日間だった。これほどに神やメシアの悲しみを理解できたことは、今までなかった。
終了間際に、いつもながらの感想文の提出があった。その時に係の人が何かしら説明している。
このまま献身してもいいと思う人はAとか、記号を書くようにとのことだった。
(献身か)
本当なら献身して、神のために教会のために働かなきやならないんだろうなあ。
でも、私の場合、M先生から「別の使命があるように思うから、献身はしなくてもいいんじゃないか」と言われていたので、献身の記号は書かなかった。
献身すれば、仕事を捨てなければならないから新体操スクールも捨てなくちゃいけない。それは耐えがたいことだった。
「でもね、内的献身といって、心は、いつでもお父様がいわれる通りにやれるという覚悟を持っていなくちゃダメなのよ」
M先生の言葉が思い出される。
(いつの日か、新体操の仕事を捨てなくちゃならなくなるんだろうか)
私はその日が来ないことを願った。


サタンが私を金縛りにする
修練会が終わると、迎えの方がわざわざ三軒茶屋から出向いてくだきっていた。
「いかがでしたか、修練会は?」
「いやあ、感動しました。何か涙が出て仕方なかったんです」
「そうですか、よかったですねえ、私も4DAYSの時がいちばん感動しましたからね」
車に乗っている間も、三軒茶屋に着いてからも、私はとても興奮していた。
白亜のマンションで働いている人たちが、色紙に「4DAYS勝利おめでとう」と書いてくれ、花束とたくさんのごちそうで出迎えてくれた。
なぜだかうれしくて、家に帰りついたとたん、聖歌集をとり出し、一人で大きな声で聖歌を歌った。全身に力がみなぎるような感覚があった。
4日間を共にした、あの“信仰の友”たちも今ごろがんばっているんだろうなあと思うと、勇気づけられた。
私はもう一人ではない……がんばらなきや……苦しくなったら、この4DAYSのことを思い出し、そしてみんなのことを思いだそう。
私は、班長さんがくださった「お父様の詩」を、カバンの中に忍ばせ、いつも持ち歩くようにした。
修練会が済んで一週間のうちに、金縛りが三度おこった。
一度目は、寝ている私の口元に誰かがキスをしようとしている。生あったかい息がフッとかかる。私は必死で「サタンよ、去れ!」と声にならない声で叫んだ。
二度目は、誰かが私の全身をなめまわしている。目をあけると(実際はあけてないと思うが)真っ黒な物体がこちらを見てニヤッとしている。目ばかりがギョロッと大きくて、気色悪い、見たこともない物体だった。私は「これこそサタンだ」と思い、また必死になってこぶしをつきあげた。そうすると、私のこぶしは妙なものの中にズルッと引きこまれだ。ヌルヌルとした粘液が、こぶしにまとわりつく。腸かなんかの中に入ったのかと思った。金縛りがとけても、その手の感覚はなかなかとけなかった。
三度目は、今度は、プランコにのっていた。
プランコの揺れは、どんどん大きくなっていく。すると目の前に壁が現れた。ブランコが前に揺れるたびに、私の身体は壁へと打ちつけられる。必死で「お父様」と祈ると、フッととけていった。やはり目が覚めたあとも、プランコに揺られる時の内臓の動きや、身体に感じる風の動きが妙にリアルに残っていた。
私はこのことをM先生に報告した。するとM先生は、
「やっぱりねえ。よくあるのよ。御言をいっぱい学んできたから、サタンが狙ってるの。夢の中でもサタンに奪われちゃタメよ」
と言われた。
私は色情の因縁が強いらしい。だから、変な物体が身体をなめまわしたりするんだろう。夢の中でも、サタンと闘わなければと思った。
私はM先生に相談し、友人のT子にもビデオを見るようすすめた。
彼女もまた、面白い面白いと言ってくれたので、共通の話題がふえ、うれしくなった。
「浩子さんもT子さんの霊の親になるんだから、がんばらなきゃね」
統一教会に伝道した人を霊の親、伝道された人を霊の子という。霊の子の質問などにも答えていかなければならないので、必然的に今まで以上に御言を必死で学び、生活や言動を振り返るようになる。
すべての事柄を、善か悪か、神的だったのかサタン的だったのか、判断し、悔いた。
洋服を買う時も、食事をする時も、こんなものにお金を使っていいのだろうかと悩んだ。自分のために使うよりは、献金した方がいいんじゃないかと思った。
「月例献金は、自分のできる精いっぱいの額でいいんですよ」と言われて、その額についても悩んだ。ほかの人がどのくらいしているのかはわからなかったが、少ないと神のために働いていないようで、結局は無理をした。


神の最高の祝福---合同結婚式
「浩子さん、いい話ですよ。祝福が今年あるんです。受けられたらいいですねえ」
91年の夏に、祝福(合同結婚式)があるとM先生が教えてくれた。
祝福を受ける以外に、私や先祖が救われる道はなかった。すでに霊界に行った父も、私の祝福を待ち望んでいるだろう。
「そうですね。できれば受けたいと思います」
統一原理がいい教えだというのはわかるが、でも祝福だけはどうも……と思っていた頃もあった。けれど、祝福を受け入れてこそ、統一原理を受け入れることになる。
私という人間が、この統一原理に導かれるために、多くの先祖たちが犠牲を払ってきたのだ。
とすれば、今は、この私が犠牲を払うべきだ。祝福の意義や価値なんて、聞いただけではちっともわからない。
どんなに、いやな相手だったとしても、この短い一生を我慢してがんばれば、いつかわかり合えるだろうし、死後の永遠の世界をバラ色の世界にするためには、チョロいもんだ。今、私一人が犠牲になることによって、後孫や親族、氏族が救われていくんだ。
とにかく、“祝福”は、受けなければならないものとして重要だった。
けれど、大きな不安はいつもあった。まず、どんな相手になるんだろうということだ。
七代前までの先祖の因縁等をみて、文先生が相手(相対者という)を決めてくだざるという。
しかし、写真ひとつで本当にそんなものがわかるのだろうか。
そして、もうひとつの問題は、自分自身への「神のために何ができているのか」という問いかけだった。
献身者は、自分の仕事もやめ、ホームで浸泊まりし、自己を投げうって、神と人類のために奉仕しているというのに、いったい私は何をしているのだろう。
ただ、御言を学び、お祈りをするだけ。
献身者に比べ、自分の奉仕の度合いがあまりにも低いことに対して、コンプレックスを持っていた。
今でこそ、“勤労青年”といって、働きながら御言を学んでいる人も大勢いて、私もその中に含まれるのだが、昔は献身者しか祝福を受けられなかったそうである。
昔は本当に大変な想いをしながら、この道を歩んでこられたのだそうだ。食べるものがなく、パンの耳「耳パン」をもらってきては飢えをしのいだ。しまいには、ゴミ袋の中のものをあさったりすることもあったらしい。
それでもがんばって、御言を伝えるために歩んでこられたのだ。

(つづく)


解説
第2章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、その教義にのめり込む様子がていねいに描かれています。


獅子風蓮