獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第2章 その3

2022-12-11 01:38:26 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
■第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



まだ自分を投げだす覚悟はない
「浩子さんも、いつか機会があったら、マイクロにのったらいいわねえ」
「はあ」
私はあいまいに答えた。M先生、すなわちアベルがいいというのだから、いいのだろう。血のにじむような努力をしてこられた先輩たちと、同じ想いができるかもしれないと思った。
マイクロとは「マイクロ部隊」のことで、マイクロバスにのって伝道する方法だという。
たくさんの珍味をかかえて、一軒一軒ねり歩くのだそうだ。もし買ってくれたら、その買ってくれた人は、「万物条件をたてた」ことになるという。「万物条件をたてる」とは、サタン世界にある万物を天にかえすということで、神のもとに帰るための大事な一歩である。
朝の5時から夜中の2時ぐらいまでやることもあるという。
いやいややっているとちっとも売れない。何軒も何十軒も、売れなくて、冷たくされて、それでも歩いているうちに、神の心情を思い知らされるのだそうだ。神が私たち人間一人一人に、私のところへ戻っておいでと呼びかけておられるのに、堕落により神との関係が切れた人間は、ふり向きもしない。訪ねても訪ねても断られるそのたびに、今の自分のこの気持ちは、神と同じだと思うのだそうだ。神の悲しみや、心の痛みを感じることができ、そして今度は感謝の気持ちがわいてくる。神様はこんな想いをして、それでも私たちを見捨てずに歩んでこられたのだと。
神の心情の一端を察することができ、泣きながら、祈りを深めながら、また売り歩いていると、今までのことがウソのように、ドサッとまとめて買ってくれる人がいる。この時がまた神の愛を肌で感じる瞬間だという。
そんなふうに、マイクロは“神体験”ができて、ホントに素晴らしい経験なのだそうだ。
時々、アベルに「今日はどんな神様に出会われましたか」とか、「神体験はなさいましたか」と聞かれる。
そういう時に、私はどんなふうに答えたらいいのかわからなかった。今、自分がこうして生きていられることを神に感謝してはいだが、どんなことが神体験なのかさえもわからなかったからである。
私はマイクロ部隊をやってみたいなと思うようになった。そうすれば、神体験ができるだろうと。
そんな苦しい経験も通過せずに、神の愛も肌で感じることができないままに祝福を受けたら、とんでもないことになるだろう。
祝福は“神の審判”であるとも言われた。
今まで神のためにどんを心情でどんなふうに歩んできたかが、すべて祝福にあらわれるというのだ。
私には、祝福というものが、とんでもなく重要である反面、恐怖ともなった。


一週間の断食修行に挑戦
とにかく準備だけは進めていかなければ……と思った。
祝福に向けての準備のひとつに成約断食というものがある。一週間の断食を果たさなければならないのである。
(できることから始めよう)
私はアベルと相談し、成約断食決行を決意した。
「祈って、とにかく神様とメシアによくお祈りしてやってくださいね」
教会の人に釘をさされる。
失敗すれば3倍蕩減ということで、3週間断食となってしまう。本当に決意して臨まねばならない。つい気がゆるむと、知らず知らずのうちに、習慣でお茶を飲んでしまうこともありうるからだ。
始める前夜、白亜のマンションへ行き、深い祈祷をしてもらう。自分白身も、絶対に成功しますようにと深く神に祈った。
時計の針が12時をさす。ここからがスタートである。
家に帰って眠りにつく。
朝目覚めて、(今日一日しっかりがんばらなきや) と思った。断食をやるからといって、仕事を休むわけにはいかない。スクールで子供たちを指導するのは、ものすごくパワーがいるし、エネルギーを消耗する。
手を抜くわけにもいかない。私はいつも以上にはりきって、大声を出してがんばった。
二日目……。
さすがにきつい。おなかが空いたというより、身体の力が抜けているような気がする。少々だるいなあと感じる。でも不思議なことに、食物を欲していない。テレビを見て、食べ物の宣伝をみても別に食べたいとは思わないのである。
あっという間に、二日目、三日目とすぎていく。
四日目の朝、私はベッドの上でうろたえていた。教会の人が作ってくれたおいしいごちそうを、たらふく食べてしまったのだ。
(どうしよう、失敗してしまった。また一からやり直しなのか。苦しい二日目を乗り越えたはずなのに)
私はベッドの上で、必死で口のまわりを確認していた。
(夢……?)
そう、夢だった。よかっだあ、夢で。ホントにホッとした。食べていないよな、食べていない。
ウン、食べていない……と、遠い記憶をたどるようにして何度も確認していた。
いっときは、ベッドから身動きできないほどショックだったが、次には安堵感が生まれ、そして最後には、また落ち込んでしまった。
夢では負けてしまった、と。夢の中で誘惑に負けてしまったと、悔しくてならなかった。
私はこんなことが二度とないように、気を引き締めて、残りの数日を耐えた。
そして最後の日。この日は講演である。絶対に倒れることはできない。1時間半もの間、立った姿勢のまま全エネルギーを傾けなければならない。
(天のお父様(神様)どうか最後まで守り導いてください。この使命を果たすことができますように、最後まで共にあってくださいますようにと願いながら、真のご父母様(文鮮明・韓鶴子)の御名によって、天の御前にお祈りいたします。アーメン)
祈りながら、しゃべり続けた。
身体中のエネルギーを放出させて最後まで語り終えた時、充実感に満たされていた。
長かったようでホントに短かった一週間。体重は5キロ落ちた。水しか飲まないという完全断食であるにもかかわらず、それほどつらいと思ったことがなかった。
(神とメシアが守ってくれたんだ)
つらかっだのは、むしろその後だった。おもゆから、少しずつ硬めの普通のご飯に戻していくのだが、身体が急にフラフラになり、思うように動けない。断食中は、あんなに元気にとびはねていたのに、今はちょっと走るのも大変である。イスに腰かけるのにも、ヨインョと声を出さなければならないぐらいだった。
私は、スタッフにさとられるのではないかと、ビクビクしていた。眉間のあたりには、まるで角がはえたように、妙な湿疹がつながってできた。必死でファンデーションでかくしてもわかるので、最近胃の調子が悪くて……と言うしかなかった。
それでも三週間ぐらいしたら、やっと身体も顔も元に戻り、エネルギーがわいてきて、これで成約断食を乗りこえられたのだと思った。


もうひとつの恋
その頃、私は一人の男性に出会った。
あるパーティーで知り合ったその人は、非常に面白い人で、笑いの中心にいた。私と波長もピッタリ合って、その時の様子を頭に浮かべては思い出し笑いをしたものだった。
パーティーのあと一週間ぐらいして、電話のベルが鳴った。一人暮らしの私は、妙な電話だと面倒なので常時留守番電話にしてあるのだが、かけてきたのは、その人だった。
まさか電話がくるとは思っていなくて、ピーッという発信音のあとに聞き覚えのある声が流れてくると、私はあわてて受話器をとった。
明るくハッキリとしだ口調と面白い話に、時がたつのも忘れ、耳を傾け、笑いころげだ。
それから毎日、電話のベルが鳴った。
会って間もない、それも一度会ったきりの人間同士なのに、私たちは何のためらいもなく、お互いのことを話した。
もしかしたら、もしかしたらこの人は、私に好意を持ってくれているのだろうか。その人の言葉の端ばしに、そんな想いが見え隠れする。
何日かたって、その人の竃話は、何かを言いたくて、言いだせないという感じになった。
「何? 言ってよ」
私が問いかけると、
「言ったら後悔する」
と彼。
「大丈夫だヨ、何?」
少しの間があって、その人は言った。
「じゃあ言うよ。……あなたに好意を持っています」
胸がキューンと鳴り、身体全体が熱くなる。全身がその一言でしびれるようだった。
私は、その一言を言わせてしまったことを後悔した。
(この言葉が出ることはわかっていたのではないか。受け入れられるものでもないのに、なぜ言わせてしまったのか……)
無言の私に、その人は言う。
「だまらないでよ。ほら、だから言いたくなかったんだ」
何を、どう答えればいいのかわからなかった。心が痛かっだ。
「じゃあ、もう切るよ。もう電話しないから」
「ちょっと待って!」
やっと出た私の言葉も開かずに、その人は竃話を切ってしまった。

(つづく)


解説
第2章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、その教義にのめり込む様子がていねいに描かれています。

素敵な男性と巡り会っても決して恋をすることが許されないとは、おかしな宗教ですね。


獅子風蓮