獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第1章 その4

2022-12-04 01:59:23 | 統一教会

以下の文章は、山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、できるだけ本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように数字に直しました。

(目次)
■第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



私のために父が犠牲になった
だが、ビデオセンターに通うのも長くは続かなかった。
私の住むマンションからは一時間近くかかったし、私もそうそう暇ではなかった。5月に入ると、とてもそんな余裕はなくなり、ついぞ一回も行かなかった。
そんな時、三軒茶屋の霊能師のM先生から、話をしたいという連絡が入った。私は、いつか訪ねた白亜のマンションへと向かった。
差し込む陽の光は、以前にも増して温かく、窓辺には紫陽花がたおやかに咲いていた。けれど、そんな様相とは裏腹に、霊能師のM先生の目は厳しかった。
「あんまりビデオは学んでいないんですって!?」
「ハイ、ちょっと忙しくて」
「そう……」
M先生は数枚の紙とペンで、いくつかの山と谷を書き記した。
「人が山の頂上に到達するには、その谷を何かで埋めていかなければならないんです。それが個人レベルから、国の代表、世界へと、頂上が高いほど大きな犠牲が必要なのです。あなたの場合は、お父さんが犠牲となってくださったんですねえ。あなたが今ここにあるのは、お父さんが踏み台となってきてくださったからなんですよ」
私は涙があふれて止まらなかった。
(私の栄光のために父が犠牲に?)
誰よりも私の成長を願っていた父が、その私のために命を落としたというのか。
(父ちゃん……)


三人姉妹の末っ子として育つ
1960年1月、私は三人姉妹の末っ子として、鹿児島県の指宿郡山川町に生まれた。
三人目こそ男の子を、と願っていた父は、「女の子ですよ」のお産婆さんの声に、振り向かなかったらしい。
仕事は小学校の国語の先生。私が三歳の時に、父は教頭として種子島に赴任した。
「山崎教頭先生は、背すじをいつもピンと伸ばし、廊下の曲がり角でも90度に曲がって歩く」
皆にそう言われていた。小学校時代、私は父の勤める学校に通っていたが、学校で見かける父は、本当に定規が歩いているようだった。
厳格で、亭主関白を絵にかいたような父だった。母を「オイッ」と呼び、テーブルの上の、ちょっと手を伸ばせば届きそうな灰皿さえも、自分で動かすことはなかった。
学校からまっすぐ家に帰り、一番風呂を浴びる。浴衣に着がえ、テレビでプロレスや時代劇を見ながら、毎晩、晩酌をする。
ふだんは寡黙で、本を読むことしかしない父が、いったん酒が入ると、まるで人が変わったようになった。
陽気に歌や踊りが出てくるまではいいのだが、そのうちに、鬱積している不満や怒りが爆発する。大声をはりあげ、ちゃぶ台をたたき、ひっくり返す。それはなかなか静まらない。地元の言葉で「やまいもを掘る」というのだが、このやまいもを掘りだしたら、もう止めようがない。私たちはそそくさと子供部屋にもどり、嵐が過ぎ去るのを待つばかりだった。
「父ちゃん、ホラ、もう寝よ」
母の言葉に、ぐだぐだと文句を並べながら床につく父だった。
(やっと浸たか)
私たちが安心したのもつかの間、父がガバッと起きてきて、友達の家に行くと言いはる。
「約束をしたから、行かんといかん」
「父ちゃん、もう遅いから明日にしよう。向こうだってもうきっと寝ちょるヨ。だからネ、もう寝ヨ」
頑固な父は引き下がらない。
「うんにゃ。あいつは待っとるんじゃ。はよ車を出せ」
十二時過ぎのこの夜中に出ていこうとする父。
「ダメヨ、父ちゃん。もう運転はせんヨ」
母もがんばる。
「ほいなら、オイが運転する」
ドタドタと廊下を歩く音。玄関のガラス戸がガシャーシと音をたてる。
そのうちに車のエンジンをふかす音が、田舎の静けさをかき乱す。
「ヴォ~ン・プン・プン・ヴォ~ン」
父のいうことなど今度こそ聞くまいと、布団にもぐりこんでいる母は、深いため息をひとつ、つく。
近所迷惑な父を友人宅へ連れていくのも、そのあと、明け方四時ごろの電話で迎えに行くのも、母の日課のようなものだった。


娘たちの国体出場が父の願い
姉たちは、そんな父にあまり近寄らなかった。二人はよく姉妹ゲンカをし、柱に縛りつけられ、また押入れに入れられるのもしばしばで、姉たちにとって父は恐い存在だったらしい。
私はといえば、末っ子の特性とでもいうべきか、こわい父にもべったりと甘えていた。テレビを見ながらあぐらをかく父の膝の中にうもれ、小学校の高学年まで父と一緒にお風呂に入った。
いやに小さく、か細く、そして甘えん坊の私を、父は「ヒロコ、ヒロコ」と猫かわいがりし、やさしくしてくれ、私は父を一人占めにした。
「三人のうち、誰でもいいから国体に出るぐらいの選手になってほしい」
それが父の願いだった。
スポーツ万能、運動会では花形スター、地区大会でも抜きんでて才能を発揮していた姉たちに寄せる期待は大きかっだのだろう。少なくとも「三人のうち」とはいえ、その期待の中に私が含まれていないだろうことは明らかだった。
駆けっこはビリ、水泳大会では息が続かず途中で立ってしまう。バドミントンをやればラケットに羽根(シャトル)が当たらずサーブが打てない。運動音痴の私には誰も望みなどかけていなかった。
それが高校生になって新体操というスポーツに出会い、私はアレヨアレヨという間に国体に出場し、団体優勝した。
父の願いを、いちばんかなえそうもなかった私が、あっけなく成し遂げてしまった。そして私は日本の頂点に立った。
いつの間にか、父の楽しみと酒のつまみは、プロレスでもなく時代劇でもなく、私が出場した大会のビデオや8ミリを見ることとなった。
東京から家に電話すると、私の演技作品の曲が流れている。
「ああ、ヒロコね。今ね、父ちゃんはヒロコの8ミリを見てるのヨ。もう毎晩よ」
母はそう言ってケラケラと笑っていた。
父が初めて、私の大会を観にきた時のこと。
本番前、緊張して出番を待っていた私は、フロアーの角のカメラマンたちが陣取るそのスぺースに、どこか見たことのある人の姿を見つけた。床の上に正座をし、背すじをピーンと伸ばし、古びたカメラを握りしめているのは、紛れもなく私の父の姿だった。大きなレンズを片手に、あぐらをかいて被写体を狙うカメラマンと、正座して小さなカメラを持つ父の姿はあまりにも対照的で、なぜそんなところに座っているのかを考えることより先に、その滑稽さにふきだしてしまった。
何をしでかすかわからない、子供のようなところを持っていたのも父の魅力だった。

(つづく)


解説
山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、入信するまでがていねいに描かれています。
この段階でもまだ、勧誘側は「統一教会」の名前は出しません。
それにしても、統一教会は、信者獲得のために相手の弱いところを確実についてきますね。
山崎浩子さんの場合、「誰よりも私の成長を願っていた父」が山崎浩子さんの栄光のために犠牲になったと言われてショックを受けました。


獅子風蓮