獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第2章 その1

2022-12-09 01:06:04 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
■第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



■第2章 盲信者

“お父様”の国、韓国を訪問
1990年。
御言(みことば)を聞き始めてから1年の歳月が流れた。
M先生から、お父様(文鮮明)が生まれた韓国(実際には現在の北朝鮮) へ行った方がいいと再三言われていたのだが、その機会を得た。
韓国の冬の寒さは厳しい。刺すような寒気の中、私とM先生とあと二人の教会員、4人で統一教会の旧本部教会や、文先生の二番目の御子女様(子供)である輿進ニム(ニムは「様」という意味) が眠る墓で祈りをささげた。
そして私は、S先生と呼ばれる韓国の霊能師に、ホテルの一室で会うことになった。
M先生が師とあおぐS先生は、これまたなかなか会えない方だというのに、私のために時間をつくってくれた。文先生にずっと侍ってこられた先生であるという。
年はわからないが、小さく、しわくちゃで、おばあちゃんのように見える。けれど、瞳の奥だけは強い光を宿していた。
S先生は、私を一目見て、「本当に使命が大きい人だ」と言った。「国を超えて、世界的使命をになっている人である」と。
通訳の人は興奮気味で続ける。
「S先生は、あなたがどういう方か知らないんですけど、そういう世界的なイメージしか見えてこないって言われるんです。今、直接、神様とお父様がS先生の口を通して語られていると言うんです。今、この場に神様がいらっしゃるというんです。こんなことは今までにない……と。あなたは本当に今まで苦労をされてきましたねえ。人知れず泣いてきたことでしょう。でも、私は全部知っているよ、と神様はおっしゃっています」
突然、涙がこぼれ落ちた。
私の歩いてきた道に、神様はいつも一緒だった。私のことを見ていてくれた。そう思っただけで、今まで苦労してきたことが、報われたような想いになった。
「修練会には出られましたか」
「いいえ」
「もっともっと、御言を学ばなければなりません。早く御言をいれなければなりません」
そして、S先生の祈祷。言葉はわからないが、激しい祈りだった。
私はあふれる涙を止めることができず、M先生もまた涙にくれていた。
「私も感動しました。ホントにこんなことは初めてでしたよ。神様がすぐおそばにいらっしゃるような、不思議な感覚でしたね。浩子さんも何か感じましたか?」
「いえ、別に……」
きっと私はまだまだ修行が足りないんだなと思った。いつか神を肌で感じることができたら、最高に幸せだろうな……そう思った。
「あの、お金は……」
韓国までの旅費や滞在費をまだ払っていなかった私がそう尋ねると、M先生は、
「いいのよ、これは。いいの、いいの」
と、経費さえも教えてくれなかった。
(そうか、だいぶ献金をしたから、そのお金でまかなっているのかな)
深く開かずにそう解釈した。


本名を隠して修練会に
韓国から帰ると、S先生から言われたように、きっそく修練会の計画を練ることになった。しかし、まとまった休みはなかなか取れない。
5月になって、やっと連休を利用して“4DAYS”と呼ばれる4日間の修練会に参加することになった。
「4DAYSは、メシアを証(あか)されたばっかりのまだまだ信仰の浅い人たちで、いろんな人がいると思うから、名前は証さない方がいいわネ」
M先生は、名前を変えて参加した方がいいという。
私も自分が悪いことをしているとは思わなかったが、まだ、山崎浩子が統一教会に入信していることを世間に知らせるには早いような気がして、名前を変えることにした。
「金森治子」
母の結婚前の名を使い、東京・八王子の方にある「夕焼け荘」と呼ばれる場所で修練会に参加した。修練会には、十代後半から二十代の若者たちが80名あまり集まっていた。
今までマン・ツー・マンの講義を受け、他の人との交流がなかった私は、こんなにも若い人たちが、統一原理を聞いているのかと、それだけでうれしくなった。渋谷あたりをうろついていてもよさそうな青年たちが、世界を意識し、人類救済の一端をになおうとしているのであるから、頼もしくもあった。
女性50名程度、男性30名ほど。
女性と男性は、ほとんど言葉をかわすことはない。6名ぐらいずつ班分けがされ、それぞれに班長さんがつき、食事も斑ごとにする。他の斑の人とも、あまり話をする機会はない。
私は自分の斑の人にだけ、本当の名前を明かし、他の斑の人たちには「金森治子」で通した。
時々、山崎浩子に似てるネと言われたが、「そうなの、よく言われるの」と言うと、それで相手はひきさがった。
「そうだよね、あの人はもっと大きいもんね」
テレビの中の山崎浩子は、もっと大きく見えるらしい。身長153センチの小柄な私を見て、山崎浩子じゃないと納得するようだ。
修練会でのスケジュールは規則正しく、そして御言づげであった。
ほとんど班ごとに行動し、当番で食事を運んだり片付けたりする。寝る時は3斑ぐらいが一緒になって、ふとんをすきまなく並べ、一枚のふとんに二人で浸る。ほとんどザコ浸状態だった。
休憩時間は斑ごとに原理の話をして過ごし、一人になれる時間はトイレに入っている時ぐらいだった。
外部への連絡は極力しないようにと注意があり、どうしてもそれが必要な人には斑長さんが付き添う場合もあるようだった。


感動の涙にくれた4日間
御言は何度も聞いてきた講義内容であるが、こうして集中して聞くと、よけいに理解できるような気がした。
皆も熱心に聞いていたが、二人だけ問題児がいた。講義中に、隣同士の男性二人が、いつもヒソヒソと話をするのである。お互いに疑問をぶつけ合っているらしいのだが、ヒソヒソ話にしては大きい声である。そのおかげで、私の集中もしばしば途切れそうになっていたが、ある時、講師の怒りが爆発した。
「横的(おうてき)になるんじゃない。質問があったら、あとでその時間をとる。みんなが真剣に聞いているのに、邪魔になる」
と怒鳴ったのだ。広い講義室の中が一瞬静まりかえった。
「横的になってはいけない」というのは、人間関係で横のつながりを縦のつながりより重視してはいけないということだ。横的に走ると、サタンが入りやすくなるという。
それからというものの、二人の男性はあまり話をしなくなったが、それでも聞く態度は悪いらしく、何度も班長さんに呼ばれて面接を受けていた。
私は横的にならないように、必死に講師の話に耳を傾けた。
そして、御言を理解するのに比例して、自分に対しての罪の意識が本当に大きくなっていった。
子供の頃に抱いた、酔っぱらいの父がきらいだという想いさえ、いやになってきた。大学時代、統一教会に誘われて断ったこと。人を好きになってしまったこと。
統一原理を知らなかったがゆえに、私はたくさんの罪を犯してきてしまった。
講義を聞きながら、様々な想いがかけめぐる。あちこちで、すすり泣きが聞こえる。私もまた泣かずにいられなかった。
神様の願いを知らずに今まで生きてきてしまったことが、本当に申しわけなくてならなかった。
何度も何度も涙した。
イエスの時代、人々はイエスをメシアとして受け入れることができなかった。使命を果たすことができずに十字架にかけられねばならないイエスの悲しみを思い、泣いた。
メシアである文先生の、いままで歩んでこられた道を証した「主の路程」の講義になると、しゃくりあげそうになるぐらいに涙が出た。泣いて泣いて、まぶたがはれて、目をあけるのも困難なほどだった。
文先生がかわいそうでならなかった。
(文先生を不信してはならない)
そう思った。私たちは、イエスを不信したユダヤ民族のようになってはならない。誰が信じなくとも、文先生をメシアとして信じなければ……と思った。

 


(つづく)

 


解説
第2章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、その教義にのめり込む様子がていねいに描かれています。


獅子風蓮