以下の文章は、山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
■第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき
初めて明かされた「統一教会」の名
「次回は一日時間をとってください」
そう言われて、私はまた朝から机に向かっていた。
講義学習に変わっても、内容はビデオと変わらない。
今までに聞いたことがない言葉だらけなので、なかなかわかりにくい。聖書の様々な聖句を引用しながら、神とはどんな存在なのか、神はどんな世界を造りたかったのかが説かれていく。
最初はわからなかった難しい言葉の意味が、自分なりにイメージとして解釈できるようになると、神様がとても近い存在のように思えてきた。
そればかりか、視野が社会全体、世界全体へと広がっていくように思えた。自分は、自分自身のことだけでなく、世界のことを考えているんだという気になってきたのだ。
「今はまさに終末であり、メシア(再臨主)はもうこの世に来られている時代であります。はい、この続きは、午後の講義にしましょう」
心のこもったお昼をごちそうになり、すぐに午後の講義が始まる。
何だか眠くなってきた。
「……ということで、メシアは韓国に生まれなければなりません。……その人の名は……」
(エッ! 名前までわかってんの?)
急に眠気が覚めた。
講師は、黒板に「文鮮明」と書き、笑いながら「ご存知でしょうけど」と言葉をつけ加えた。
同じように「文鮮明」とノートに記しながら私は、
(そんな人、知らない)
と思った。
続けて講師は「世界基督教統一神霊協会創立」と書き、こちらを見てまた笑いながら言った。
「まあ、いわゆる“統一教会”のことですネ」
「う!?」
私は思わず声をあげそうになった。
__統一教会……。
自分の顔がこわばっていくのを感じる。ペンは相変わらずノートの上を走っていたが、私は講師の顔をまばたきもせず見つめていた。
私は統一教会がきらいだった
私の想いは、数年前の大学4年の頃に引きもどされた。
当時、私が在籍する大学で、統一教会の勧誘がはやり始めていた。同じ新体操部の友人も二人、引きこまれていった。噂では、壷を何十万、何百万かで買ったという。責任感の強かっだ人が練習に出てこなくなり、新体操部でも大きな問題となったのである。
その友人が、今度は私を勧誘にきた。
「ヒロ、話を聞くだけでいいから来て。今のヒロにとって本当に大切なことなの。神様は本当にいるし、その神様を知ってほしい。聞いてから判断してほしい」
何度言われてもねぼられても、私は首を縦に振らなかった。
(だいだい、宗教なんてのは、心の弱い人がやるもんだ)
私はそういうふうに思っていた。そんなものに頼らずとも、私は強く生きていける。神様を信じないわけじゃない。けれど、私の心の中に神様はいる。それでいいじゃないか。
「私には必要ない」
友人は淋しそうに帰っていった。
しばらくして、もう一人、統一教会に入った友人に道端でバッタリ出会った。東京っ子らしく、ファッションにはなかなかうるさい人だったのに、そこにいたのは、地味なグレーの服に身を包み、貧相な感じのする女性だった。
「元気?」
「元気だよ」と笑っていたが、彼女はハツラツとしてはいなかった。他人事ながら、大変なんだろうなあと心配するばかりだった。何でも共同生活をしているらしい。洋服なんかも着回しするそうだ。
(あんなステキだった彼女が、こんなにすさんでるように見えるんだから、やっぱり変なところなんだろう)
私はうさんくさい統一教会なるものに、いい印象を持てなかった。
それから数年後、今度は写真週刊誌でもっと奇妙なものを見ることになった。それは、新郎新婦がズラーツと何千組も並んだ、統一教会合同結婚式の写真だった。
「ゲッ! 気持ち悪い」
私は叫んでいた。
それも自分が選んだ相手ではなく、ナントカという教祖が勝手に決めた相手と結婚するなんて……。結婚とは一生の問題であって、簡単なものじゃない。それを、こんな……。
(みんな、頭おっかしいんじゃないの。だから新興宗教ちゅうのはいやなんだよ)
私はなぜだか腹立たしくなって、一人でプリプリ怒っていた。
そんな想いが、あの時のひとコマひとコマが、よみがえってくる。あの大きらいな統一教会と、今ここでこうして講義を受けているこれとが、同一だというのか……。
__統一教会、統一教会……。
私はムラムラと沸き返ってくる怒りを抑えるのに必死で、講師の言葉は何も耳に入らなかった。
一日の講義を終えた私は、思い切ってT子に暴露した。
「ねえ、ショック。私が前にいいビデオがあるよって言ってたでしょう。アレね、統一教会だったんだよ」
「フ~ン、それがどうしたの?」
「統一教会だよ!」
私はもう一度念押しして言った。
「だって、看板で判断するのはおかしいよ。統一教会ってわかったからって中身が変わるわけじゃないじゃん。いいビデオなんでしょ。今すぐどうこうっていうんじゃなくて、もうちょっと聞いてから、変だなと思えばやめればいいじゃない」
彼女は統一教会のなんたるかをまったく知らなかった。
(フム……)
何の言葉も返せなかった。
(そういえば、そうだな。もうちょっと納得のいくまで聞いてみて、いやになったらやめればいいや)
それからは統一教会と知った上で、講義を受けることになった。
(つづく)
【解説】
第1章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、入信するまでがていねいに描かれています。
もともと統一教会にいい印象を持っていなかった山崎浩子さんですが、講師から、勧誘側が実は統一教会だと知らされて、ショックを受けます。
しかし、それでも「統一教会と知った上で、講義を受ける」ことを決意するまでの心の動きがよく表現されています。
獅子風蓮