友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2019年3月4日 投稿
友岡雅弥
通っているうちに、自分自身の地理的スケール感が、どんどん小さくなっていくことに気づきます。
「東北」というスケールから、「岩手」「宮城」「福島」というスケール。
さらには、福島では、昔から「浜中会津」と言われるように、「浜通り」「中通り」「会津」と、天気予報でも三つに別れて予報されているし、文化的にも違う。そこに、福島第一原発の「帰還困難区域」「避難解除地域」「避難解除準備区域」とあったり、線量が高いのに、その区域に入ってなかったり、ほんとに、数メートルの道路を隔てただけで、行政からの扱いが全然ちがったり。
「岩手は」「宮城は」「福島は」でも、だめで。
「盛岡は」「仙台は」「宮古は」でも広い。
それを痛感したことがあったんです。
かなり、通い続けている沿岸被災地があるんです。
ある時、そこの住民(その被災地にはもう住めないので、離れた仮設住宅に住んでいらした)で、初めてお会いする人としゃべってたとき、
「南蒲生のどちらですか?貞山堀の浄化センターの近くですか?」
「ああ、貞山堀からは離れていますよ。下屋倉のほう」
「下屋倉!鍋沼のバス停のところに知りあいいますよ。原屋敷の南蒲生の集会所には、取り壊される前の集会場のころから、国連事務総長が来られたあとも、なんどか、 寄せてもらいました」
「南蒲生の人ですか?」
「いえいえ、大阪です」
「わざわざ、来てくれて、わるいなあ」
この会話で、「仲間の端っこ」になったかな、という感じがしました。
それから、そのかたは、長年の友人みたいに、とてもよくしてくれています。
大阪や東京から、「そこ」をみるのではなく、「そこ」から見る視点を持たないとあかんような気がするんです。
県でもなく、市でもなく、町でもなく、「丁目」や「小字」の住所のスケールで。
【解説】
この会話で、「仲間の端っこ」になったかな、という感じがしました。
それから、そのかたは、長年の友人みたいに、とてもよくしてくれています。
新聞記者の鑑ともいうべき方ですね。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮