獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その40)かまやつひろし

2024-12-30 01:28:55 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt64 - かまやつひろしさんのこと

2019年4月15日 投稿
友岡雅弥

 

2018年の末、ピンク・レディーが一日限りの再結成をして、みんなが驚きました。実は、ピンク・レディーには、 'Kiss in the Dark'という曲がありまして、 Michael Lloydという、とても有名なアメリカのソング・ライター&プロデューサーの手によるものです。

なんと、この曲は、ビルボードのヒット・チャートで、1979年9月、37位にまで登ったスマッシュヒットとなりました。

なんか、2年前か3年前だったか、PPAPとかが、チャートインしたとかいう話がありましたが、それよりもっと上位に行ったのですよ。

もちろん、1963年、全米No.1となったのが、坂本九(作曲・中村八大、作詞・永六輔)で、それ以来のチャート・イン。ちなみに、PPAPは、77位でした。

この3曲だけですね。 ホット100のチャート・イン曲は。


さてさて、ピンク・レディーですが、彼女たちのスカウト段階から解散まで、ディレクターとして支えてきたのが、飯田久彦さんです。

阿久悠・筒美京平のゴールデン・コンビ、アイドル・ポップスをつくらせれば、すべて大ヒットというゴールデン・コンビではなく、阿久悠・都倉俊一という未知のコンビにつくらせて、ピンクレディーに歌わせた飯田久彦さん。


それがずばり当たって、マンモスヒット連発となったわけですよね。

さてさて、この飯田久彦さんって、ご存知でしょうか?

ピンク・レディーのほかにも、いろんなタレントさんを発掘してますし、エイベックスの取締役だったり、テイチクの会長だったり、まあ、日本の音楽界を率いてきた人ですが、彼自身が、歌手だったんです。

1960年代の前半、「悲しき街角」「ルイジアナ・ママ」とかで、大ヒットを飛ばしました。


「悲しき街角」は、デル・シャノンの全米No.1ヒット、'Runaway'、また、「ルイジアナ・ママ」は、当時、米英で大人気だった(僕も大好きな)ジーン・ピットニーの歌です。


このころは、アメリカで流行した曲に日本の歌詞をつけた歌が、日本で大流行しました。

カバー・ポップスといいます。

例えば、こんな感じの歌です。

カバー・ポップスの夜明け THE BEGINNING OF JAPANESE COVER PO / (5枚組CD) TFC-2771-5-TEI


見ていただいたら分かりますが、この後、人気者となった歌手たちが、カバー・ポップス出身であることが分かります。


このカバー・ポップスが数年で、終焉を迎えるのです。そして、飯田久彦さんも、カバー・ポップスをやめていきます。


なぜ、終焉を迎えるかというと、作曲家の技量が上がり、曲も日本人が作った、「和製ポップス」が出来てきた。

ザ・ピーナッツのヒット曲がそうですね。


そうして、もう一つ、大きな流れがありました。


グループ・サウンズです。

自分たち自身が、イギリスのThe Rolling Stonesや The Beatlesなどに影響を受けて、それをコピーしてきた若者たちが、次々とデビューしてきたのです。

注目すべきは、ザ・タイガースと、かまやつひろしです。


ザ・タイガースは、グループ・サウンズで、最も人気があったバンドですが、とともに、彼らのライブ・アルバムを聴いてください。

Stonesメドレーとか、むちゃくちゃワイルドにしてるんです。


もう一つ、かまやつ・ひろしです。

彼の「ノーノー・ボーイ」や「フリフリ」を聴いてください。特に、ベルリンの壁で録音したライブ。


これ、グランジちゃうの、と思いますよ。


かまやつ・ひろしも、アメリカのソウル・ミュージックや、イギリスのStonesの音を吸収して、すごいところまで行ってたんです。


コピーや影響下にありましたが、そこから脱して、オリジナリティを持った楽曲を作ってたんだなぁと、今さらながら、かまやつ・ひろしの才能に舌を巻きますね。


とともに、かまやつさんやザ・タイガースなどが「窓」となって、世界の音楽へと、昔のほうが開かれていたのではないかなと思います。

J-Pop(しかも、それはこっそりと、欧米の音楽のパクリだったりする)で、自己完結しちゃって、それから外に広がらない今と比べて、どっちが豊かかな、と考えたりして。

 

 


解説

世代的に友岡さんは私より上なので、あまり話題についていけませんでした。

 


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮